3.






 一睡もできなかった。
 転んだときの擦り傷と泣きはらした顔で戻ったイルカにチハヤは何も聞かないでくれた。ただ無言で、そのままシュラフに入ったイルカの頬の手当てをしてくれた。その優しさにイルカはまた涙を流した。
 眠れなかった頭で、今朝も朝焼けを見に高台に登れば、運の悪いことに先客がいた。カカシが、いた。いつもはイルカの定位置である座るに丁度いい岩のうえにいた。
 眩しい刺すような日を反射する銀の髪。きれいな宝物だった色が、今はもう針のようにイルカを刺す。
 それでもイルカはしばし呆然とその後ろ姿に目を奪われていた。少しでもあの人の面影を見いだしたくて、じっと見ていたら、とっくに気配に気づいていたカカシがとうとう振り返った。
 カカシは面をかぶっているが、そこに隠れる秀麗な顔が侮蔑に歪んでいるのが見える気がした。
「きったない顔。あんなことで泣くなんて馬鹿じゃないの〜」
 カカシの声音はやはり冷たく、イルカは自分の馬鹿さ加減に嫌気がさす。ここにいるのは、イルカの求めたあのひとではない。
 イルカは何も言う気がおきず、頭を下げるとむきをかえた。
 やはり、あのカカシとは似ても似つかない別の存在だ。それは昨晩でわかっていたのに。
 これ以上同じ顔をしたあのカカシに罵倒されたりきつい言葉をむけられることは耐えられることではなかった。





 食事のあと、チハヤと二人で片付けをしていた。暗部の応援が来たのだから、こんな風に食事の準備をして片付けをしてといった平穏はもうほどなくして終わるだろう。
 チハヤは何も言わない。ただイルカを引き立てようとなんて事はない楽しい話をふってくる。
 食器を洗う手を止めて、けれど顔を上げることはできずに、イルカはそのままで聞いてみた。
「……処理の為に相手に強要することこそ、汚いことだよな? 命令されたほうは拒むことができないのに、その行為を汚いなんて言われる筋合い、ないよな」
 昨晩何があったか伝えたつもりだ。
 チハヤはここでそんな思いをしたことはないのだろうか。
 片付けの手を止めたチハヤがこちらを見ている気配はするのだが、何も言ってくれない。先にいたたまれなくなったのはイルカで、思わず顔を上げれば、チハヤは、痛ましいものでも見るように、静かな顔をしていた。
「なあイルカ。それだけじゃないよな。あの人のこと、知ってたんじゃないか?」
 びくりと身が竦む。正直な反応を返すイルカに、チハヤは苦笑していた。
「お前わかりやすすぎ。イルカはああいうとき、あっさり付いていくタイプじゃないだろ? 慣れてるわけでもないしさ。なのになんかうっとりした感じでついていっちまったから、なんかあるのかなって」
 こいしい人だと思った。だから迷いつつも衝動に逆らえずに着いていったのに。チハヤに全て打ち明けてしまいたいという気持ちがあるが、もうあれはただの過去だ。過去に引きずられて手ひどい目にあった。誰かに話して心を軽くするよりも、自分の甘さと向き合った方がいい。
 そう思って、イルカは笑顔を作った。
「ちょっと、知ってたんだ。でも、俺が・・・・・・」
 突然、チハヤの片手が伸びてきて頭を押さえつけられ、髪をぐしゃぐしゃにかきまわされた。
「チハヤ? 何すんだよ・・・」
「無理すんなよ。お前、ひどい顔してる」
 チハヤの声はいたわりに満ちていた。途端、イルカは堪えてきたものが堰を切って溢れるのを感じた。
「ばっ・・・か。ひどい顔は、もとからだ」
「だから、元々悪いのがもっとひでえんだよ」
 チハヤの軽口に載せて、笑う。涙が次から次にこぼれて仕方ないから目を閉じた。





 上忍の隊長からの指示で、近日中にでも決着がついて、里に戻ると聞いていた。撤収の準備をしろと。
 だから午後には半分のテントはたたんでしまおうとしていたが、その日の夕方、冴えない顔の隊長がみんなの前で告げた。
「暗部から連絡が入った。予定が変わったからあと1週間はここに滞在する。指示がでるまで待機は代わらない。以上」
 質問を許さずに、隊長は去ってしまった。イルカたち若い連中はお互い顔を見合わせて見えない状況に首を傾げるしかない。
 戦況が急にかわるといった危機感はないようだが、イルカは暗澹たる気持ちになった。カカシと顔を合わせる時間が増える。憂鬱になる気持ちを吐き出すように溜息をついた。





 その晩。イルカたちのテントにカカシが現れた。
 十数人の忍たちをひとまとめにいれたテントの入り口に突然立った暗部の男に皆息を飲む。イルカはちらりと伺っただけで頑なに顔を逸らした。
 昨日、カカシはたまっていると言った。きっと、一度も男と寝たことがないきれいな体の人間を探しにでもきたのだろう。
 身勝手な、いやな人間。もう二度と口もききたくない。
「ああ、昨日の、髪結わえたこ。来て」
 イルカはびくりと体を震わせた。自分が呼ばれたことはわかった。だが、顔を上げることなどできない。
 隣にいるチハヤの手をぎゅっと握った。
「ねえ、聞こえないの? 早く、来てよ」
 イルカはますます体を固くする。何を考えてカカシが呼ぶのかわからない。
 テントの中はしんとなった。さっきまで談笑していた仲間が、暗部とイルカに視線を注いで、次に何が起こるのかを見定めようとしている。
 不意に、気配。イルカの上に影が落ちる。
 カカシが、自分から来た。
「手間かけさせないでよ。何もったいぶってんの」
 イルカはうつむいたまま首を振って拒絶の意を表す。チハヤの手を握っている手は白くなっていた。
「あの、こいつ、本当に具合が悪いんです」
 チハヤの声をカカシは鼻で笑う。
「だから、多分その原因は俺だからね、俺が責任もって面倒見てあげるっていってんの」
「いえ、俺が」
「黙れよ、カスが」
 一瞬にして、テントの中の空気が凍る。身が竦むチャクラの放出に、時が止まったような静寂が降りる。
「俺はこいつに用があるんだよ。口出しすんなばーか。殺されたいのか」
 びり、と痺れるような息苦しささえ覚える空気に、イルカは観念してよろよろと立ち上がった。チハヤに迷惑をかけるのはいやだ。
 自分の顔が青ざめているのはわかるが、気力でカカシを見た。
 面の後ろの顔はきっと今も冷たく無表情で、ただこの光景を無機質に写していることだろう。
「すみませんでした。行きます」
 イルカが告げれば、カカシから放出されていた気が緩む。
「最初から、素直になろうよ。俺は優しいんだからさ」
 確かに、柔らかな優しい声。だがそれが生身の人間を相手にしない酷薄さからくるものだと、イルカにはもうわかっていた。
「イルカ!」
 出て行こうとするイルカをたまらずチハヤが呼ぶ。イルカは大丈夫だからと頷いて、カカシに従った。
「君、イルカって言うんだ。名前はきれいだね」
 前を歩くカカシは面をあみだにして顔をさらすとイルカを振り向いた。
「本当は昨日だけでよかったんだけどさ、ちょーっと状況がかわったからここでの俺の相手は君にお願いしちゃおうと思って。ほら、他みつくろうのも面倒だし、君は一人としかしたことないなら、まあそんなには汚くないかなって思ってね」
 カカシの言葉のひとつひとつがイルカを刺す。イルカはもう思考することを放棄してしまいたかった。

 

 

  
 
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