2.






「あ〜あ。疲れた。今日はずっと走りっぱなし」
 暗部の男はぼやきながら簡易ベッドに体を投げ出した。イルカはどうしたらいいのかわからず、入り口のところで立ちつくしていた。
 簡易べッド以外は手燭を置く小さな台があるくらいの手狭さ。数歩踏み出せば暗部の男に手が届くのだが、イルカは動けずにいた。
「あの・・・・俺・・・・・」
「ん〜? こっちおいで」
 手招かれて近づけば、座るように促された。
 がちがちに緊張しているのが自分でわかる。隣にいるのが、別人とはいえこいしい人なのだから、仕方がない。膝の上で拳を握りしめていると手甲をつけたままの手で触れてくる。柔らかくさすられてイルカは心臓が飛び出しそうな気持ちを味わい、思わず顔をあげていた。
「あ・・・・・・」
 目の前、暗部の男は面をとっていた。
 左が赤にほむら。たてに走る傷。右はけぶる青。鼻から下は口布をつけたままだが、忘れようがない人、大好きな夢に見た人の顔があった。
「カ、カシ、さん・・・・・・」
 唇が震える。視界が潤む。
「あれ、俺の名前知ってるの。あ、そっか。写輪眼持ってるしね」
 カカシは一人で納得しているが、イルカは溢れそうな思いでひたすらに見つめることしかできなかった。やっぱり、あの人だ。同じ存在だ。
 涙が、流れていたようだ。目の前の男がぼうっとかすむ。
「こうゆうの初めてでしょ? でも怖くないよ。俺優しいから緊張しないでよ。ね」
 涙を拭ってくれる指先も細められた目も確かに優しくて、イルカは頷いた。
 恥ずかしいことだが、下肢に熱が集まり始めている。一晩の奇跡の夜に濃厚に愛撫を施された体は、すぐに行為を思い出す。カカシに愛されたいが、同じくらいの気持ちで愛したかった。
 自分たち二人にはどういう巡り合わせがあるのだろう。子供の日に出会い、夢のような再会を果たし、そして本物のカカシと出会えた。
 服を脱いで横たわったほうがいいのだろうか。イルカがベストに手をかけようとしたところ、カカシはそれを止めて下に跪くように言ってきた。
 ああ、銜えるのか、と思うと頬が熱くなる。
「あ、そうだ、その前に、この薬でうがいしてきてくれる?」
 言いながらカカシは小瓶を渡してきた。
 琥珀色の液体が入った瓶と、カカシの顔を見比べる。
「うがい、ですか?」
「うん。こういうのって、衛生に気をつけないとね。お互い変な病気とか移されたくないでしょ」
「病気、ですか・・・」
「うん。君はこれが初めてなんだよね。もし次にこういう機会にあったらまずは主張したほうがいいよ。まあ相手が聞いてくれるかどうかはわからないけどね」
 カカシは口元を歪めた。
 何となく、かすかなものだが、イルカは違和感を覚える。だが素直に立って外でうがいをして戻れば、ベッドの上で前をくつろげたカカシの下肢には避妊具がつけられていた。自分で何度かすいたのか、緩く立ち上がっている。カカシさんと同じくらいかなとぼんやりと頭の隅で思いつつ、ふらふらと近づいた。
 カカシの間に跪く。透明な膜で覆われていることがもどかしい。衛生の為。うがいまでさせて避妊具も付ける。言っていることはわかるし正しいのだろうが、イルカは直に触れたかった。
「あの、俺は、このままで?」
「うん。脱がなくていいよ。出てもかからないから服も汚れないでしょ」
 にっこり笑うカカシは下肢を出しただけで、暗部の装束を身につけたまま手甲つきの長い手袋もはめたまま、ふれあいとはほど遠い姿をしていた。こざっぱりとして、体臭もない。無機質な雰囲気にイルカはとまどいを隠せない。
「どうしたの? ああ、やり方わからない?」
 やり方? そんなものは知らない。ただ、愛しい人を愛したいだけなのに。
 イルカはカカシを見上げた。整った顔。笑っているのに、目の奥が、伺えない。感情なんてもの、どこにもない。
「あの・・・・・・」
「何? 焦らさないでよ。君だって早く挿れてもらって気持ちよくなりたいでしょ。その為にはまず俺のこと気持ちよくしてくれなきゃ」
 カカシは、淡々と、告げてきた。薄く笑った口元はただ欲を満たすための要求だけを口にする。
 イルカの中に大切に大切にしまってあったものが急速に色褪せていく。
 ここにいたって漸くイルカはわかった。これは、愛のある行為なんかじゃない。純粋に、処理だ。途端にイルカの心は萎えた。身を引いて立ちあがる。
「ごめんなさい。あの、俺、やっぱり、駄目です」
 イルカの口元がわなないているのを見たカカシは首をかしげる。
「怖いことないよ。ちょっと体を借りたいだけなんだ。大丈夫、君のことも気持ちよくしてあげるからさ」
「・・・いや、です。・・・・・俺、本当は、男の人と初めてじゃないし。だから、あの、衛生的にも問題が、あるし」
「ええ、本当? 俺今まではずしたことないのに〜」
 カカシはまいったなあと言って頭をかいている。不快にしかめられた表情を見ていられない。早く去るように言ってほしい。
「じゃあ、俺・・・」
「ああ、待ってよ。いいよ。どうせたいした数はこなしてないんでしょ」
 カカシは強引にイルカの手を掴むと再び座らせた。尖ったつま先であごをくいっと持ち上げる。値踏みするようにイルカをのぞき込む。
 一度だけ行った花街。そこで客に品定めを受けていた遊女を彷彿とさせた。
「なーんにも知らなさそうな顔をしてるから大丈夫だと思ったんだけど、違うんだ。次からは気をつけるよ。ねえ、何人とやったことある? 勿論、挿れられるほうだよね?」
 嘘を許さない目が酷薄に光る。イルカは震えながら応えた。
「・・・ひとり、です。挿れ、られました」
「やっぱり。じゃあ、たいして汚くないかな」
 汚い。
 イルカは屈辱感に目眩に似たものを覚えた。
「相手のモノ舐めた? 飲んだ?」
 声を出せずにイルカは頷く。
「うっわ。汚いな〜。うがい大正解。病気とか持ってないよね? うつしたらただじゃおかないよ〜」
 カカシは嬲るように楽しげに笑う。イルカは青ざめたまま、気力で睨み付けた。
「汚いなら、離してください。病気、うつりますよ」
「あれ、気強いね。いいじゃん」
 イルカはカカシの手を払った。だが、顔をぐいと押さえられてさきほどより高ぶりを示す下肢に押しつけられる。透明な膜ごしに、欲望が力強くみなぎっているのがわかる。
「ふふ。興奮してきた。君、そそるよ。ゴムつけてるし、大丈夫でしょ。でも歯たてたりして破いたら許さないよ。俺ね、こう見えて結構たまってるの。もうごたくはいいから」
 ひやりと首筋にあたる感触に目を見張る。クナイを当てられた。
「さっさと銜えろ」
 それは逆らうことを許さない命令。絶望的な気持ちでカカシを見上げれば、布のむこうの口が酷薄そうに歪められていた。
 イルカは観念して目を閉じた。





 長い悪夢の時間だった。
 イルカのつたない動きをカカシは楽しむようにして、射精感を引き延ばして翻弄した。言われた通りに舌を使い口を上下させたりすぼめたりを繰り返した。カカシは時折足のつま先でイルカの局部をつつき、びくりと反応するイルカをあざ笑う。銜えて感じるなんて、たいしたスキモノだね、と侮蔑の言葉を投げつける。
 ようやくカカシが身を震わせて吐精した時にはイルカの顎は力無く疲れ切っていた。高ぶった気持ちはかけらもない。生理的に緩く勃起したものもとっくに萎えていた。ただ、泥のような疲労感だけが全身を覆っていた。
 カカシはゴムをとって丸め、下肢の処理をしてしまうと、ベッドに倒れ込んだ。大きく伸びをする。
「気持ちよかったよ。君いいもん持ってるね。テクはないけど頑張ったし」
 イルカは口の中に広がるゴムの匂いにたまらなく嘔吐感を突き上げられる。一言も口をきけずにテントを飛び出した。
 熱い肌も、とろけるような睦言もない。あったのはただの欲。汚い欲。
 走って、岩場でつまずいて転んだイルカはそこで身を痙攣させて吐いた。ぐしゃぐしゃになって、泣き叫んだ。

 

 

  
 
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