ぬくもりをくれたひと。
 優しさと激しさが心を揺さぶった。
 あのひとだけがこいしい。あの人の腕だけが求めるもの。






 他には何もいらない。









忘れ得ぬひと









 イルカが中忍として赴いた戦場で過ごす月日が一年経過しようとしていた。
 木の葉の里から遠く離れ、土の国に所属する岩隠れの里との長期戦。
 初めてこの国を目にした時には木の葉の里とは全く異なる荒涼たる風景に心も寒々としたものだ。その名の通り岩山が連なり、強い風が吹く日には名物とも言える“岩雨”が降ってくる。
 そんななか、国境ぎりぎりのところ、岩山の中でいくばくかの緑の憩いがある谷地に部隊は集められて暮らしていた。
 いくさ場に着いたばかりの頃はさすがに緊迫した空気に満ちていたが、互いに引き際が定められず惰性のような状態に陥った今、双方の国は時折接触して刃を交えるが、生き死にに関わるようなことはなくなっている。あと一歩、何か決定打があれば、互いに刃をおさめることができる状況に変わりつつあった。
 季節は冬。ここでは寒暖の差は少なく、一年を通じて乾燥した変わり映えのない日々が続く。イルカは朝日を見に高台に登った。
「イルカ」
 朝焼けが目に痛い。岩山に昇って火の国の方面を凝視していたイルカの元に、アカデミー時代からの友人のチハヤがやって来た。
 柔和な顔だちが他人をほっとさせるものを持っていた。
「さっき、伝令が来た。いい加減この状態をなんとかしなきゃならないってんで、応援の部隊が今夜到着するってさ」
 チハヤがイルカと並んで、額に手をかざした。
「里はあっちのほうかな。みんな、元気かな」
「みんなじゃなくて、彼女が心配なだけだろ」
 イルカが意地悪くからかえば、チハヤはそっぽをむいた。
「心配なんかしてねえよ。あいつは俺にべたぼれだからな」
 言いつつ、チハヤの頬はひくついている。嘘をつく時のくせ。本当は不安なくせに。旅立つ少し前に知り合った彼女は里の武具屋の娘。まだ若い二人だが、結婚の約束まで交わしてしまった。時たま届く便りを受け取るときのチハヤの顔は見てる方が嫉妬を覚えるくらいに幸せそうだった。
 正直、羨ましいと思う。
 イルカの恋する人はこの世界の者ではないし、ちゃんと、恋人がいる。一年前のクリスマスにたった一度抱き合えたことが奇跡。全身で受け止めたあのひとの熱が忘れられない。
 戦場に来る前に、格下の者は強者の性欲処理の相手もしなければならないと言われて正直落ち込んだものだが、実際に来てみれば少し内情は違った。
 九尾の事件から完全には立ち直ったとは言い難い木の葉にとって投入できる人材は限られている。
 強く若い力はより激しい戦場に行かねばならない。環境は厳しいとはいえ、内容には緊迫感が少ないこのいくさ場には中年から上の、忍としてはベテランの域の上忍たちがだいたいを占めていた。
 応援として率いられて来たイルカたち若い中忍はいずれも男たちにとって息子と代わらぬような者ばかり。もちろん不埒な行為をしかける者がいないではなかったが、統制はとれて、行きすぎることはなく、幸運なことに、イルカはその役目からは免れてきた。
 チハヤは、何度か相手をしている。それでもイルカの前では笑う強さが好きだった。
「きっとこれで終わる。俺たち里に帰れるさ」
 イルカが笑いかければチハヤは肩を竦めて嬉しそうに頷いた。
 ここで朝焼けを見るのも、岩雨を浴びるのもあと少し。二人は並んで戻っていった。





 その日の晩はいつになく和やかな空気で食事をとっていた。
 作戦会議などが開かれる、家でいえば居間のような大きなテントの中は車座になった30人ほどの忍が体を窮屈に寄せ合って、椀からごった煮の汁物をすすっていた。
 今夜の食事当番はイルカとチハヤ。イルカが母から受け継いだ料理は皆に好評だった。
 そういえば、カカシにはこの料理を食べさせてあげなかったなと些末な後悔がある。あの人もおいしいと笑って褒めてくれただろうか。
「い〜い匂いだね〜。俺たちにもちょうだいよ」
 和んでいた空気を突如破ったのは、入り口から音もなく入ってきた動物の面をつけた細身の男。
「暗部・・・」
 誰かが呟いた。
 イルカを含めて若い中忍たちは皆息をのむ。知ってはいたが初めて目にする姿に、知らず身が竦む。
 男がかぶる狐の面は化粧のような赤い装飾がほどこされていた。暗部独特の衣装からむき出しになった上腕には暗部の証の入れ墨が施され、白く固そうな筋肉はきれいに盛り上がっていた。
 男がテントの中に入ってくると、命令されたわけでもないのにイルカたち中忍は立ち上がる。
 空いた席に、男に続いて入ってきた3人、計4人の暗部が座る。
 場の空気を一変させる純然たる異質な空気。
 細身の男は灰色の髪をしていた。続くのは大柄な男に、背中で髪を結わえた女と、頭がはげあがった小男。それぞれがかぶった面は犬、虎、鳥。何もチャクラを放出しているわけでもないのだろうに、妙な圧迫感があった。
 イルカたちだけではなく老練な上忍たちまでも箸を持つ手を止めていた。
「ご〜は〜ん〜」
 おそらく一番若い最初の男の声でイルカは我に返る。今夜の食事当番であるイルカはその役目を担わなければならないと義務感から体が動く。
 四つの椀に湯気のたつ汁をよそっておいていった。最後に椀を置いた先頭で入ってきた男は手甲をはめたままの手を差しだし、ありがと、と小さく礼を口にした。
 その声にイルカはドキリとする。少し低めの声が、あの人を彷彿とさせる。ああ、それに、髪。灰色に見えるけれど、日の光の元で見れば銀色をしているかもしれない。あの人と同じ、銀の髪。
「何? 俺に用?」
 面ごしに見上げられてイルカは我に返る。失礼しましたと頭を下げて、そのままテントを後にした。





 そんなわけないと思いながらも胸が高鳴る。
 あの人はこの世界の人ではないが、この世界でのあの人がいることは考えられる。あの人も、いつかイルカにとってのカカシに出会えると言っていた。それがあの暗部の人間だとしたら。
「イルカ、どうしたんだ」
 チハヤがやって来た。なんとなく物思いに沈んで、結構な時間、木にもたれかかっていたようだ。冬の夜はさすがに寒い。星の光は鋭く光る。
「あの人たちが、応援の部隊なのか?」
「ん? ああ。たった4人だけどそれで充分なんだろうな。暗部だし」
 あの後部隊の幹部以外はすべて外に出されたとのこと。4人と今後のことを話しているのだろう。
 イルカたちは指示を待つ。それだけだ。具体的なことを全員に話す義務はないしそんなことをすれば漏洩の危険もある。イルカたち下っ端はとにかく命令に忠実であるしかない。
 チハヤと連れだって、他の仲間とともに4人の為の寝床の準備をした。予備のテントを引っ張り出して一人ひとつづつ使えるように。
 イルカが気落ちしている様子をチハヤが気にかけてくれているのが申し訳ない。いっちょまえの忍でもないのに色恋に惑わされるなど10年早い。自嘲めいた笑いでなんとかごまかした。
 例えあの暗部がカカシだったとしても、イルカが好きなカカシとは違う人間なのだから、へたな期待をしては駄目だ。それは、わかっている。わかっているが、理性ではなくもっと根元的な部分で、どうしてもあの人を求める気持ちが頭をもたげるのがわかった。
 チハヤと連れだって自分たちのテントに戻ろうとした途中で、頭上から声をかけられた。
「ねえ。そこの髪結んだ君」
 声とともに人影が音もなく目の前に降り立った。
 しなやかな肉食動物を思わせる体躯。狐面の暗部がイルカの前に立った。
 隠れていた月明かりがまるで彼の為にその時姿を現した。降り注いだ光の粉が、彼の髪をきらめく砂金のように彩る。
 銀の王冠をかぶって奇跡のように目の前に立っていた。
「ちょっと、俺のとこに来てくれるかな」
 命令にかわりないのだが、格下の者に頼むような低姿勢。あの人を彷彿とさせて、イルカの脳髄に甘く入り込んでくる。
 イルカは息苦しくて、心臓に手をやっていた。それをチハヤは勘違いしたのか、イルカをかばうように前に出た。
「あの、申し訳ないんですが、こいつ具合悪いんで、どうしてもって言うなら、俺が」
「ううん。あんたじゃなくて、このこがいいんだ」
 さりげなく伸びてきた手が、イルカの手をとった。かあっと頬に血が上ったのがわかる。
 駄目だ。そう思うのに・・・。
 そのままイルカは頷いていた。
「チハヤ、俺、大丈夫だから・・・」
 弱々しくも笑いかけると、チハヤは複雑そうに顔をしかめる。チハヤは誤解している。
 不安とか、恐怖なんて微塵もない。そうじゃなくて、嬉しくて体が震える。きっとこの暗部は求めていた存在だ。体の奥から沸き上がる歓喜がある。
 心配そうなチハヤに強く頷いてみせ、イルカは暗部に手を引かれてテントのほうに向かった。

 

 


 
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