涯を鎮む 8











 煙を追って、辿り着いた場所は火の国の国境近くにそびえる山。
 火の国を守るように木々は重なりあい、紅葉の準備に向かうためか緑は色を落とし始めていた。
 イルカを抱いて駆けてきた。さすがに一晩中、けして軽くはない体を抱えての道のりには疲労がたまる。
「ま〜ったく、やっぱ年かね、俺も……」
 いい枝振りのかなりの樹齢の太い木に登り、イルカをそっとおろして一息ついた。
 山裾だから朝の空の澄んだ青さが見上げれば映る。とっくに日が変わってしまった。
 調子のいいことではあるが、少しカカシは期待していた。
 10月10日を過ぎればむくりとイルカは起きあがって、何もなかったかのように笑いかけてくるのではないかと。実は呪いは一年が過ぎれば解けるものだったんです、なんて、調子いいことを言ってくれるのではないかと。
「そしたらあんたのこと一発ぶん殴って、で、たまったものださせてもらおうと思ってたんだけどね〜」
 変わらず眠ったままのイルカの頬の肉をむにゅりとつまむ。
 せめて身じろぎでもしてくれたなら救われるのに、と暢気に考える。
 煙を追って、何かにせかされるようにここまで来てしまったが、それはそれで正しかったと思う。自分の心が一番わからない。わからないから衝動に従ってみた。
 ここまできてもイルカとの記憶は思い出さない。
「呪われてるのはイルカじゃなくて俺だよね〜」
 さてこれからどうしたものかと肩が落ちる。だが鋭い感覚は近づく気配を感知した。カカシはイルカの前で印を結ぶと、イルカがよりかかる木とイルカを同化させて隠してしまう。
 上忍3人が追いかけてきたにしては遅い到着だ。ここまで、泳がされたということだろう。
 カカシは木からその身をおどらせた。





 想像通りなのだが、カカシの前には教え子たち。
 ナルト、サスケ、サクラがいた。そう言えば、3人揃って見ることなど久しぶりだ。金の髪と、黒い髪と、桃色の髪が同じ目線にいる。懐かしい日々が脳裏を勝手によぎっていく。そんな場合ではないのはわかっているが。
 ナルトは憤りを隠すことなく、カカシの前に進み出てきた。
 怒っているなあと考える頭の隅でカカシは思い出す。
「そうだナルト。お前、昨日で19になったなあ。あっという間の一年だ。おめでとう」
「カカシ先生におめでとうなんて言われたくないってばよ」
「あらら〜。嫌われたもんだね」
 肩を竦めたカカシの胸倉をナルトは遠慮なく掴んでくれた。
「イルカ先生はどこだってばよ。イルカ先生を返せ」
「お前ね〜。俺はお前の元先生って以上に、今は火影代行だよ? こーんなお行儀の悪いことしちゃだめでしょ」
 カカシは笑顔のままナルトの手首をひねった。二人の間で見えない緊張が走る。金の髪が逆立つようなナルトの怒りを流して、少し乱暴に手をほどくと、カカシは後ろに控えるサスケに視線をあてた。
「このマンセルのリーダーはサスケだろ? 五代目は、どんな命令をくだした?」
 黒い装束のサスケは、写輪眼をさらしてはいない。愁いの深い目をひたとカカシに向ける。
「カカシと、六代目を連れ戻せ。それだけだ」
「あっそ〜。シンプルだね〜」
 だがシンプルな命令こそ実は恐ろしいものだと、皆が知っている。言葉にされなかったことはすべて暗黙の了解で許されているのだから。
 3人がどういうつもりで追ってきたのか、カカシにはわからない。3人と争いたいわけではない。だからカカシは正直に訊いてみた。
「あのさ、お前らは、どうしたいわけ? 俺とイルカ……六代目を連れ戻しに来たって言うけど、俺は、お前らと戻る気はないんだ」
「カカシ先生!」
 サクラの責める声には応えずに、カカシは目を伏せた。
「戻ったら、六代目に施された禁術は解除されるだろ? そしたら、六代目は死ぬかもしれない」
「ばあちゃんはイルカ先生を殺したりしないってばよ!」
「黙れナルト」
 苛立つ気持ちのまま、カカシはナルトに冷たい声を放っていた。
「火影は、何より里の利益を優先するものなんだよ。里の為になることを第一義にして行動しなければならない。だから五代目はなかなか火影にはなりたがらなかったんだろ? 火影になるのは馬鹿だって言ってたんだよな、ナルト」
 カカシのうすら笑いにナルトは飛びかかってきた。
 上忍にしては真っ直ぐすぎる攻撃。拳が、飛んでくる。まるでただの喧嘩。受けてやるのが礼儀かと思い、カカシは素直に飛ばされてやった。
「ってぇ〜なー。お前ね、おじさんをいたぶるんじゃないよ」
 後方の木に体をぶつけたカカシは口の中を切ったなあと思い、口布を下ろして拭った。指先をかすったかすかな無精髭の感触に不意に笑い出したくなる。そう思ったらもう肩を揺らしていた。
 年をとって、体の力が少しずつ衰えて、以前より濃くなった体毛に、若い頃とは違うなあと思い、寂しいような、けれどそれが当然のことだと受け止めていく。それが生きていることなのに、イルカは、眠ったまま、息を止めたままだ。
「カカシ先生……? ごめん、俺」
 ナルトが近づいてきた。だが先にカカシに触れたのはサスケだった。
 カカシの両肩を木にぬいつけたまま、正面から睨み付けてきた。静かな瞳。だが間違いなく怒りの火が燃えていた。
「イルカ先生を、助けたくないのかよ」
 引き絞るようなサスケの声。サスケも苦しいのかと、カカシは少なからず感動を覚えた。
「助けたいさ。起こして、死ぬほど文句言ってやりたいさ。でもどうやって?」
「それをカカシは考えたのか?」
 思いがけない切り返しだった。ほんの少し潤む視界の中でサスケの怖いくらいの真剣な顔はカカシの視線をはなさなかった。
「どうなんだ? イルカ先生の記憶が思い出せない。起こす為にはカカシが思い出すしかないと言われてそれで、思い出す努力はしたのかよ」
「した……。したさ」
「じゃあ、それでも思い出せなくて、次には何をした? それ以外の道を考えて、考えて、考えたのかよ!? 違うだろ、あんたは、逃げただけだ。なあカカシ、あんたそんな弱くないだろ? まだ遅くない。だから、しっかり目ぇ開けてくれよ。最善のことを考えてくれ!」
 あまり感情を激高させることのないサスケの叫びは、カカシの心を打った。
 呆然と何も応えられずに、ただ息をひそめる。
 カカシの頭に、ナルトの手が伸びてきた。左目を隠す為に斜めにかけてある額宛てをずらす。片目だった視界が急に拓ける。
 飛び込んできたのは光。見上げれば空からの眩しい陽の光。
 愛すべき世界が広がっている。
「カカシ先生、わたしたち、考えたんですよ? イルカ先生を起こすにはどうしたらいいかって」
 さりげなく伸びてきたサクラの手は、カカシの切れた口の端を癒す。
 サクラは子供の頃のような幼い笑顔でカカシのことを見つめていた。泣き笑いのような顔をさせてしまったことをすまなく思う。
「そうだよ。呪いをやっつければいいってばよ。俺たちとカカシ先生がいれば、きっとなんとかなる」
 殴ってごめんと言いつつ、ナルトは不敵に笑う。
 幼かった生徒たちが成長し、カカシのことを慰めている。そして前に進ませようと、叱咤し、後ろから押してくれている。
 前髪に手を入れて、俯く。深く息を吸い込んだあと、なんとか顔をあげることができた。
「ありがとなお前ら。こんな姿イルカ先生に見られたら、俺すっげえ怒られるよな……」
 その瞬間、3人がいっせいに体を強ばらせた。
「カカシ先生!? 今……」
 ごくりと喉を鳴らしたのは果たして誰だったのか。
 カカシが一番動揺した。
 自然に浮かび、口にした“イルカ先生”という単語。わざと意識して言ったものとは違う。
 六代目火影ではない。
 イルカ先生。
 それは愛しい者の名だ。





 

 

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