涯を鎮む 7











 イルカを連れ出したはいいが、特にどこかに向かうという決めた場所があるわけではない。ただ、イルカを離したくない。それだけの気持ちだ。
 火影の執務室をあとにしてから小一時間。
 三代目火影の顔岩の上に座り、里を巡る火、たなびく煙の行方を追う。
 気配を絶って、空気にとけ込むようにカカシはイルカを腕に抱いていた。
 10月10日。ナルトが生まれた日。先生を失った日。
 ナルトが言うことには、去年、火影岩を臨むアカデミーの屋上でカカシとイルカとナルトで酒を酌み交わしたらしい。あの日の記憶。カカシは少し長めの任務から呼び戻され、里に着いた。火も投げ入れた。ナルトに会った。ナルトと酒は飲んだ。ナルトとは……。
 カカシは腕の中のイルカの顔をじっと見る。1年間も眠り続けた為かイルカはどこか生身の雰囲気から遠のき、作りものめいた風情でカカシに身を委ねていた。
「俺とあんたはよく飲みに行ってたって。酒、強かったらしいよ。去年も飲んだってさ」
 もちろんイルカは何も応えない。カカシは腹いせめいた気持ちを抱えてイルカの口にぶつけるようなキスをした。
 今頃ツナデは捜索隊を出しているだろうか。まさか暗部を出すようなことはしないだろうが、ナルト、サスケ、サクラの三人は出してくるだろう。そのほうが何より効果がある。カカシの心に訴えかける。などとひとごとのように考える。
「俺はどうしたいのかねえ…」
 溜息をついてカカシは空に視線を転じた。
 慰霊祭は九尾の災厄から3年経ったのちに始まった。まだ混乱の続く木の葉の里。人々の心を鎮める為に三代目が提案した。その頃カカシは暗部として里の外を飛び回っていたから、慰霊祭に初めて参加したのは二十歳の時だっただろうか。カカシは慰霊祭など関係なく里にいる時は慰霊碑に行くのが日課となっていたから、特になんの感慨もなく火をくべたものだ。
 ぽっかりと空いた心の空洞はきっとそのまま暗い淵を開けてカカシの中に巣くうのだと、巣くわせるものなのだと思って、いた……。今はどうなのだろう。寂しいのだろうか? それは寂しい。人は寂しさを抱えて、生きていくものだ。それは血肉のようなもので切り離せはしない。けれど闇のような空洞は、今も空いているのだろうか。
 三十年以上生きてきて、かけがえのない人たちを何人も失った。けれど得たものもある。それは特に意識して心の中に留めているわけではないが、だからこそちりばめられてカカシの心をじわじわと温める。
 そんな無意識のぬくもりはもちろん大切な得難いものだ。だがイルカは違う。イルカははっきりとカカシの中に位置を占めている。空洞にかちりと埋まる。イルカは間違いなくカカシにとって必要なものなのだ。
 空の闇はどんどん深くなる。灰色の煙は人々の祈りを包んで流れ流れゆく。
 ふとカカシは目を見張る。イルカを抱いたまま立ち上がる。
 今夜は風がゆるく北に向かっている。
 上空では大気は風の吹く方に煙を一方方向へ向かわせるものだろう。
 だが不思議なことに、煙が散っている。
 慰霊碑の辺りからたちのぼった煙が四方にきれいに散っている。それだけならまだしも散った中から一筋の煙が北に流れていく。
 それはまるで、道。
 道は歩くもの。進んでいくものだ。
 カカシの顔は思わずほころぶ。
 イルカを抱え直し、岩を蹴った。







 ナルト、サスケ、サクラの三人は闇の中、音もなく木々を渡っていた。
 カカシとイルカの失踪に気づいたのは他ならぬナルトだ。ツナデや医療班よりも先に執務室を訪れればもぬけのから。カカシがイルカを連れていなくなったことは明白だった。
 そこに丁度ツナデがやってきた。
「あいつは天才忍者なんて言われるてるわりに昔から結構使えないんだよねえ」
 ツナデは暢気に呟いたがナルトはそれでころではない。
「ばあちゃん! どうすんだよ、カカシ先生イルカ先生のこと連れてっちゃったってばよ」
「ああ。見りゃあわかる」
「なんでそんなに落ち着いてるんだよ!」
「慌てても仕方ないだろう。カカシはイルカを守りたいから連れ出したんだろ? 馬鹿なことはしないさ」
「そうだけど、でも」
 ツナデはぺち、とナルトの頭を叩いた。
「サスケとサクラを呼べ。これは任務だ。お前ら三人でカカシを追いな。隊長はサスケ。二人を捕獲して連れ戻せ」
 そんな簡潔な命令。
 ナルトははやる気持ちのまま、木々をぬっていた。
「ナルト! 飛ばしすぎよ」
 サクラの叱責の声。
 そういうサクラもそしてサスケも、かなりのスピードで進む。ようは三人ともが競うような速さで飛んでいた。
 ツナデが言うには、カカシが向かっているのは木の葉の里の北の大地。
 火の国の国境付近に広がる山岳地帯に呪いの源がある。そこにカカシは向かっていると。
「俺、俺カカシ先生に追いついたらイルカ先生のことぶん殴る」
「なんでよ? なんでイルカ先生を殴るのよ!?」
「殴って、起こす! 最初からそうしてたらよかったんだよ。ぼこぼこに殴ったら絶対目覚ますってばよ」
 ナルトの過激な提案に隣のサスケは呆れた視線を投げた。
「ナルト、おまえはイルカ先生を殺すつもりか……」
「うるさいうるさい! カカシ先生なんか思い出さなくてもいいってばよ。とにかく俺は絶対にイルカ先生を起こす!」
 癇癪を起こすナルト。
 サクラとサスケは目を見交わして、サスケが口を開いた。
「イルカ先生を殴るより、呪いを叩けばいいんじゃねえか。俺たちはそこに向かっているんだろ?」
 サスケの冷静な声に、ナルトが目を見張る。
「それだってばよ! そうだよ、俺たち三人とあとカカシ先生がいれば、呪いだかなんだか知らねえけど、やっつけることできるよな」
 単純にもナルトの表情は輝く。
「そうよナルト。いきなりイルカ先生殴っても仕方ないでしょ」
 サクラもフォローを入れるとナルトは大きく頷いて、あとは真っ直ぐ前を、先を見た。
 だが、話はそう単純ではないのだと、サスケとサクラはわかっている。
 数日前にサスケとサクラはツナデの屋敷に呼び出された。屋敷の中庭にぽつりとツナデは立っていた。きっとナルトはイルカのことで冷静でいられないだろうから、二人に話しておきたいと。
 他ならぬイルカの中にこそ呪いが巣くっているのだとツナデは告げた。
「イルカはね、呪いを浄化させる為に火影になって眠りについたんだよ。自分の中にいる呪いをあいつは……」
 一体、イルカは呪いとどんな出会いを果たしたのか。それはツナデにもよくわかっていないと言う。だがイルカは呪いを憎んでいると同時に。
「助けたかったんだろうな」
 半纏の袖に手を入れて腕を組んだツナデは宙に向かって溜息を落とした。
「イルカが憎んでいたのは人を呪わずにはいられない気持ち、なんじゃないかと思うよ。呪いなんて、形のないものから大きくなって、どうしようもないものになってしまうものなんだろうな。呪いたくなんかないのに、呪ってしまうってこともあるんだろう。自分でも止められない、衝動みたいなものかね」
 ツナデが何を伝えたかったのかはわからない。だがサクラがちらりと伺ったサスケは、心なし俯いたまま、口元を噛みしめるような、傷みを堪えるような顔をしていた。
 理性では追いつかない感情の爆発。溢れ出る様々なものはそれは一体どこに流れ着くのだろう。どこに向かうのだろう。どこで終息するのだろうか。
「五代目」
 サスケが、顔を上げた。
「呪いも、憎しみも、それ以外の感情もきっと、根は同じものだと思います。だから……」
 一呼吸置いて。サスケは少し、ほんの少し笑った。
「だからイルカ先生も、呪いも、解放されると、俺は思う」
 闇から抜け出たわけではなく今も闇をその身に抱えたまま、それでも光ある場所で生きることをサスケは勝ち取った。そんなサスケの言葉には真実がある。
 きっとサスケが一度堕ちたことには意味があったのだ。そして今ここにいる。ただそこに在ることこそが最高の意味なのだと。
 それ以上でもそれ以下でもない。ここにともにいられることが最上だ。
 それが存在の意味だ。それでいい。





 

 

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