涯を鎮む 1
火影の仕事というのは結構単調なものだ。
出勤するべき時間が明確に決められているわけではなく、慣例的な時間で出向く。重要な相談案件がある日には前もって通達がされ、それに合わせて出向けばいい。里の進むべき道を決めるための議題はご意見番や現役を退いた一部の上忍たちと話し合う。火の国からの使者の接待やら友好国への衛星的な里の支部との連絡。書類の決裁に判をつく。デスクワークに疲れたらアカデミーを視察したり一服入れたりと、自由に時間を調節できた。
カカシがこの仕事に従事して半年ほどが経った。
あの日、ツナデに申し渡され、満場一致で可決された。正直30代前半の身としてはまだまだ現役で働きたい気がしたが、四代目は若くして火影の名を継いだ。今は平穏を取り戻した里だが、まだ音の勢力を駆逐できたわけではない。若い火影を里は必要としているのだとツナデは言った。
確かに一朝ことが起こった時にはカカシは率先して里を守らなければならない。だから日頃の鍛錬も怠ってはいない。
あいかわらす猫背でたまには愛読書を読みながら出勤する。
アカデミーに隣接する火影の仕事場に行くまでの間に、登校途中の生徒たちやらアカデミー勤務の忍たちに、“火影様”と呼ばれることにも慣れてきた。最初はこそばゆい気がしたが、呼ばれて、挨拶を交わすことで、自分が火影の任についていることを意識する。意識するから、しっかりとその職務をこなさなければならないと自覚する。日々、自覚する。アカデミーのそばに火影が住む理由がわかる気がした。
そんなふうに、日々の業務の流れも覚えて少しづつ余裕のでてきたカカシの元に、暗部の部隊長となっているサスケがやって来た。
サスケは。
幼い頃より更に愁いを深めた表情をいつも貼り付けるようになっていた。
一時は闇に沈みその身を暗く染めたサスケだが、里に戻ってきた。サスケは多くを語らない。だが、ナルトとサクラの存在がサスケを導いたことは容易に想像できた。
「あいか〜わらず暗い顔してるねお前さんは」
「あんたは相変わらず脳天気な顔をしている」
「そう? こう見えても30代の渋みが加わってきたと思うんだけど」
カカシの軽口にサスケは鼻で笑った。
「年とっただけだろ」
「ごもっとも」
笑ったカカシにつられて、サスケもかすかに口元を緩めた。
暗部の一番隊の部隊長となっていたサスケはカカシに任務の報告と次の任務を受けおう為にこの部屋を訪れていた。
カカシが火影の任を継いだあの席にいたサスケだが、その後すぐに任務を拝命して里外に旅だった。その任務を終わらせて半年ぶりの帰還となった。
「しかし、あんたが火影とはな。木の葉はよほど人手不足なのか」
「その逆だ〜よ。ありがたいことに人が有り余ってるから俺のような現役オッケーな人材がデスクワークメインになったわけよ」
さっさと出て行こうとしたサスケを何となく引き留めて、応接セットのソファに座らせた。カカシ手ずから茶を入れる。向かい合って二人手持ちぶさたに湯飲みを掴んだ。
思えばサスケとは上忍師として指導していた頃以来、ゆっくりと話したことがなかった。大蛇丸の襲撃から、三代目の死、木の葉は怒濤のようにいくさに巻き込まれていった。そんな中でサスケも迷い、傷つき、たくさんのものを失って、それでも木の葉に戻ってきた。丁度いい機会だと思って、カカシは何気なく口を開いた。
「サスケ、お前はこの先ずっと暗部にいるつもりなのか?」
カカシの不意の問いかけに、サスケは顔を上げる。黒い瞳は何を訊かれたのかわからない、というようにゆっくりと瞬きをした。
「許されるのなら、俺はずっと影から木の葉を支えるつもりだ」
「許されるのなら、ね」
それはカカシに対して、そうさせてくれと遠回しに伝えているようだ。
湯飲みを置いたカカシはソファにのけぞって天井を仰いだ。
「同じ“うちは”だってのに、ホントにお前ら兄弟は重いよな〜」
カカシに左目を残して亡くなったオビトはどちらかと言えば明るくて真っ直ぐで、ナルトのような雰囲気を持っていた。額宛ての上から左目を押さえてカカシは溜息を落とした。
「まあな、俺としては影からだろうが表からだろうがサスケが木の葉に居てくれればいいさ」
「俺は、もう二度と、里を裏切ったりしない…」
「ああ。それはわかっている。ただ、ナルトは、お前にもっと近くにいて欲しいと思っている。できるなら、一緒に任務に就きたいってさ。昔みたいにな」
昔みたいに、とわざとカカシが使った言葉にサスケは反応した。
「それは、俺に許されることじゃない」
「許す許さないって、さっきからなんだよ。そういう問題じゃなくてさ、もっと簡単なこと。ナルトは、またサスケと昔みたいに仲良くしたいんだとさ。友達になりたいんだってさ〜」
「友達?」
「そ。オトモダチ。ナルトにとってお前はライバルだけど、それだけじゃない。大切な、友達なんだろ」
口にした途端に気恥ずかしさに襲われ、カカシは手のひらで顔を扇ぐ。口元がむずむずする。お茶を飲んでごまかそうとした時、サスケのまとう空気がすっと和らいだ。
「あんのウスラトンカチ」
サスケから久しぶりにきくナルトを評する言葉。その声のトーンの温かさにカカシは目を見張る。
サスケは真っ黒く澄んだを目をカカシに向けると、皮肉そうな、昔のサスケそのままの口調で言った。
「カカシ。あのウスラトンカチに言っておいてくれ。俺はもうずっと、お前と友達のつもりでいるってな」
きっぱりと言い切ったサスケはなかなかにきまっていた。
とても十代の若造には見えない。さすがに数多くの修羅場をくぐり抜けてきただけある。
「……」
ぼんやりと、時間外の食堂でくゆらせていた煙草をもみ消す。
最近手持ち無沙汰な時に吸うようになった。というより、二十代の半ばくらいまでは定期的に吸っていたのだ。何かきっかけがあって辞めて、また今さら吸っている。
立ち上がって窓からアカデミーの校庭を見下ろした。
毎度のことだが小さな子供達が駆け回る。統制のとれない入学したての生徒をどやしつけたり優しく宥めたり、教師達はめまぐるしく動き回っている。
派手に転んで、膝でも擦りむいたのか泣き出した生徒がいた。そこに駆け寄る黒髪の年若い教師が、ポーチから医療キットを取りだして手早く治療を施した。だが一度火のついたように泣き出した生徒はなかなか泣きやまない。そのうちに周りを他の生徒も囲み、何やらはやし立てている。
担任はどうするつもりかと事の成り行きを見守るカカシの眼下から、耳に届いたのは、まじないだった。
痛いの痛いの、飛んでいけ。
他愛ない、けれど子供にとってはなかなかに絶大な効果を発揮する呪文。
「あれ……?」
カカシは首を傾げた。
この呪文は知っている。それはそうだ。とても有名な言葉なのだから。だからそうではなくて。
左目がつきりと痛む。
痛い。痛かった。
その時この目にそっと触れたのだ。そして、痛いの痛いの飛んでいけ、と。
この目に誰かが触れた。
ざあっと風が強く吹き込む。
たいして仕事をしているわけでもないし、激務とはほど遠く、どちらかと言えば暇を持て余すくらいなのに。なのに鬱々と気持ちが晴れないのは、これがストレスというやつなのかもしれない。やはり人間慣れないことはするものじゃない。本来カカシはこの仕事に従事する気はなかったのだ。だが、カカシがせざるを得なくなっただけだ。
溜息ばかりがよく落ちる。
そうそうに仕事を切り上げたカカシは木の葉病院に向かった。
夕刻の里は春の生温かな空気に囲われ、パステル調の色がついているような気さえする。ぐるりを見渡せば里には半壊やら全壊の建物はどこにもなく、平和な日常が営まれている。ほんの5,6年前には大蛇丸の襲撃でかなりの打撃を受けたというのに、見事な復興を果たし、外部からの里への侵入をに対しての防備は確立されたと言ってもいい。ツナデは五代目火影として立派にその職責を果たした。
そんな彼女だが、今は私邸で隠居のような生活をしている。めったに人に会うこともなく、病を患った体で余生をゆるりと過ごすと言っていた。
ツナデに頭を下げられたら、断れるわけがないではないか。里の指針をとるこの仕事を。
木の葉病院の見舞い客専用の入り口から入ると受付で大袈裟に迎えられた。
看護士ががたんと立ち上がる。
「火影様、どうされたのですか」
「ん〜? どうされたってそんなしゃっちょこばらないでよ。ただの見舞いだから」
肩を竦めるカカシに若い看護士の少女は眉を寄せた。
「お見舞いになんて、来る必要ないですよ。寝てるでけなんですから」
「まあそうなんだけど、たまにはほら、顔くらい見に来ないとね」
「火影様はお忙しいのですから……」
「忙しくなんてないんだよね〜。超ー、ヒマ」
なんとなく少女の気がとがっているようで、カカシはわざと茶化して口にした。
「もう! いっつもそうなんですから!」
少女が機嫌を直したことを見定めて、カカシは廊下を進む。
そのまま、いつものように進んで行けばいいのに、不意に足が止まったのは鬱々とした気持ちを晴らしたいが為の八つ当たりめいた気持ちがあったのかもしれない。
振り向いてきっぱりと告げた。
「本当は言うまでもないけど、俺は火影じゃないからね〜。代行だよ〜」
すんずんと廊下を進み、木の階段をきしませて、3階まで登る。
結界を張って守られたその部屋に、カカシは入る。カカシにとっては結界は意味のないもの。なぜならカカシは火影の代行。本当の火影の元に行くのに許可を得る必要はない。
病室の中は、窓から入る光の幕の中で埃を舞わせていた。
部屋の真ん中のベッドに横たわる男。
少し長めの黒髪が枕に散っている。
ツナデの施した治療で生命の最低限のラインを維持されて、眠り続ける男。
この男が、6代目火影。
うみのイルカという。
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