少年上忍中年中忍 G





「かんぱーい」
 中忍クラスの憩いの場、酒酒屋に落ち着いた一行はまずは中ジョッキで気勢を上げた。
 小座敷を予約しての無礼講。職員仲間が中心の飲み会だが、アカデミーに関係ないそれぞれの枝葉の人間関係もある。いい感じになったなら途中で抜けても問題ない。大人のつきあいに一気になだれこんでしまうのもご一興……。
 そんなプランを同僚から聞いたとき、イルカの眼前には薔薇色の光景が広がった。ひさびさに、甘い恋の予感。夢見る三十男になってみようと決意した。
 会場に来る前にアカデミーの洗面所で顔を洗って、普段と違う己を演出しようと思い、かすかに香る程度ではあるが同僚から香水を借りた。
 ひげもあてて、鼻毛なんて言語道断だから入念にチェック。
 よし! と及第点をだして、乗り込んだのだった。

 それがどうしてイルカの隣にはカカシがちょこんと座っているのだろう……。

 乾杯のあと、オレンジジュースをんくんくと飲んで、ふうと息をつく。その一連の動作が子供っぽいあどけなさを醸しだし、と同時に引き締まった美しい顔が微妙なバランスを見せ、女性陣はおろか男共もカカシに釘付けだった。額宛は斜めに当てたままだが、口布を取り去ったカカシはそれはもうべれぼうに美形だった。
「みなさん、今日は俺のわがままを聞いてくれてありがとうございます。大人しくしてますから、俺のことは気になさらずに楽しんでくださいね」
 礼儀正しく殊勝に頭を下げるカカシへの皆の評価はうなぎのぼりにぐんぐんとメーターを振り切るくらいに登っていく。
 上忍だけど腰が低い、感じがいい、かわいい、いいこ、そんな言葉が異口同音で聞こえる。
 そこからしばらくの間はカカシに対する質問の嵐となった。
 それをカカシはいちいち丁寧に応対して、好感度は更に増す。
 イルカは斜めの席にいた同僚をぎらりと睨みつけた。顔の前で片手をたてて謝っているようだが、そんなことではない。謝るくらいなら、今日は大人の集まりだからとなぜカカシの参加を断ってくれなかったのだ。
 後日絶対に女の子を紹介させてやると固く心に誓って、イルカ一人、ノーコメントでぐいぐいとビールをあおっていた。
「イルカ先生」
 質問責めも落ち着き、皆がそれぞれの飲みに戻った頃だ。カカシがイルカの袖を引いた。
「なんですか」
 カカシの方を見もしないでぶっきらぼうに返事をした。胸くそ悪いカカシの顔を直視したら思わず何をしでかすかわからないからだ。
「今日のイルカ先生、素敵ですね」
 うっとりとしているような声音にイルカの背中はぞぞーっとするが、平常心平常心と心で唱え。
「そうですかそれはありがとうございます」
 棒読みで返す。顔を洗って、ひげを剃ってきただけだ。
「それに、いい匂いがする。イルカ先生の体臭ももちろん好きなんだけど、この香水も素敵ですね。今度俺もイルカ先生に合う香り選んできます。受け取ってくださいね」
 囁くような小さな声が、耳の中からするすると入って、脳に到達する経路が想像の中で見えるようだった。その道筋はぐにゃりと溶けて、悪い菌がどろりと流れ出る。
 イルカはテーブルに両手をついて、膝立ちになった。
「どうしたの、イルカ先生?」
 カカシが真っ直ぐに見上げているようだ。しかしイルカは顔を向けることができない。見るのが怖い。きっととろけそうな顔をしているのだろうから。怖くて見れない。
「俺、持ち帰りの仕事、忘れて来ちゃって、とって、きます」
「じゃあ俺も一緒に」
「戻ってきますんで、いいこにしててくださいね」
 なんとか首を動かして、それでもカカシに視線を合わせずに、あらぬほうを見つつにこりと微笑んでやった。カカシの気配がふわりと柔らかくなる。
「はい。いいこにしてます」
 きゃー、かわいいーと喚く女性陣の黄色い声を背にして、イルカは座敷を出る。限界。
 これ以上あそこにいたら頭がおかしくなりそうだ。
 カカシのことが本気で心配になる。本気で腕のいい医者に診せた方がいいのではないか?
 このまま帰ってやると思って店を出たが、たいして歩かないうちに不意に腕をつかまれた。
「イルカ」
 振り向けば、幹事の同僚がそこにいた。
 イルカは堪えていたものをそこで爆発させた。
「どうしてあのガキを連れてきたんだよ。なんの嫌みだ」
「悪かったよ。けど話を聞けって」
 いきり立つイルカのことを、同僚は夜はシャッターが降りている八百屋の店先に引っ張った。
「お前と話すことなんてない」
 つかまれていた腕を邪険に振り払えば、同僚は呆れたようなため息をついた。
「なにかりかりしてんだよ。お前のほうがよっぽどガキみたいだな」
「ああどうせいくつになっても進歩しねえよ」
 イルカが睨み付けると、イルカより大人な同僚は小さな声でとりあえずは謝った。
「最初は断ったんだけどな、大人しくしてるって言って、頭下げるんだよ。いくらまだ子供だって言ってもあっちは上忍だぜ。断るのも悪いかなってのに加えて、なんかはたけ上忍ってあの年の割には子供っぽいだろ。無碍にできなくてな」
 悪かった、ともう一度謝られて、さすがにイルカもそれ以上の文句が言えなくなる。
「わかったよ。けど俺もう帰るから、適当に言っておいてくれよ」
「そりゃあダメだ」
 ノーと言って同僚はイルカの右の二の腕をがっしりと掴んだ。
「このまま帰ったらはたけ上忍になんて言えばいいんだよ」
「何も言わなくていいよ。さっき適当に言っておいたから大丈夫だって」
「帰るって言ったのか?」
「それは言ってないけど」
「じゃあダメだ」
「はあ!?」
 さすがにこのあたりでイルカも再び切れた。
「なんでお前にそこまで言う権利があるんだよ」
「このまま帰ったら100%はたけ上忍はイルカのこと追って家まで行くだろうな」
 さっさときびすを返そうとしたイルカだが、ぴたりと足を止める。同僚の言うことは考えるまでもなく当たっている。戻ってくると言って戻らなければ、確かにカカシはイルカの家に来るだろう。
 イルカの肩はがくりと落ちた。
「なんで、いい年して、ストーカーに付きまとわれるんだよ」
 恨めしげに呟くと同僚はさすがに同情めいてイルカの肩をぽんぽんと叩いた。
「俺も悪かった。だから、少し付き合ってやる」
 にっと笑うと、下げていたビニール袋からワンカップを取り出した。



 商店街の店と店の間の狭い路地の壁に寄りかかって、ひとしきりクダを巻いた。と言っても30分くらいだが。それでも友人相手にひとしきり最近の憤懣をぶちまければある程度気分はすっきりした。
 短い時間でワンカップを三つ空け、鼻息も荒く店に戻れば、なぜか座敷の端の方でカカシが仰向けに寝ていた。
「イルカ先生。遅いですよ」
 カカシを介抱していたくの一教師に責められて、イルカはカカシの元に跪く。
「どうかしたんですか? 具合でも」
「ちょっと目を離した隙に飲んじゃったの! それで目まわしちゃって」
 最近結婚したばかりの同僚の女性はおろおろと語るが、イルカは脱力した。確かにカカシは真っ赤な顔をしている。けれどすやすやと寝息をたてて、いたって安らかだ。左の額宛を残してさらされている素顔はぴかぴかのつやつやで、カカシのことを心配しつつも、介抱していた同僚はは、ほう、とため息をついた。
「かわいいわよねー。イルカ先生がいない間もちゃんと場をもたせようとして健気に話かけてきたりしてたのよ。あれ? イルカ先生、お酒飲んでるの?」
 くん、と鼻をうごめかされ、イルカは慌てて身を離した。
「さっきここを出る前に飲んでましたから、それですよ」
 笑って誤魔化す。少しでもカカシの相手をしたくなくて外で愚痴りつつ飲んでいただなどとは言えない。
「じゃあ、飲み直しますか。ね」
「何言ってるの。イルカ先生ははたけ上忍を連れて帰るのよ」
 当然のごとく言われて、もうイルカには反論する気も起きなかった。
 そして、まだまだこれから盛り上がるであろう場を後にして、カカシをおぶったイルカは店を後にすることになった。
「なんで俺が、こんな貧乏くじ引くんだよまったく」
 またどうぞーと店員に明るく見送られたが、イルカは仏頂面のままどすどすと夜道を歩く。まだ宵の口と言ってもいい時間だ。これから店にくりだすような楽しげな集団といくつもすれ違う。なのにイルカは道を逆行して帰宅の途だ。
 カカシは暢気なもので、イルカの背で安心しきって寝ている。最初はぷんぷんと怒っていたイルカだが、眠っているのにあまりに軽いカカシが少し心配になる。ちゃんと飯を食っているのかと。
 カカシは上忍師をしつつ通常の任務もこなしているから、きっと日々忙しいのだろう。上忍専用の宿舎にでも入ればいいのに、一人でアパート暮らし。もしかしたらきちんとした食事はしていないのかもしれない。イルカの家で無理矢理夕飯を食べる時など結構がっついて、いつも完食だ。幼い頃から第一線で任務をこなしていたのだろうから、きっと殺伐とした日々を過ごしていたことだろう。今が久しぶりの安寧なのかもしれない。
 そんなことを考え出すと、カカシに対して優しくない己が極悪人に思えるてくる。
 大人げない。カカシは一過性の悪い熱病に冒されているだけなのだから、大人の余裕でいなすくらいはしてみせないとならないのに、イルカはいちいち馬鹿正直に振り回されている。
 カカシのアパートか、イルカのアパートか、の分岐点で立ち止まる。
 背中のカカシがずり落ちてきていたから、腕をゆらして体勢を整えてやる。むにゃりと声がして、耳を傾ければ「イルカせんせい……」と言っている。わざとらしいくらいの嘘みたいなタイミングだから、起きているのではないかと勘ぐってしまうが、しっかり眠っているようだ。
「……」
 観念するような気持ちで、イルカは自宅への道を選んだ。






 なにかが顔にかかった。
 水? なまあたたかい。少し、粘りけがある。
 一瞬でそこまで情報を処理して、ぱちりと目を開ければ、カカシと目が合った。
 横向きで寝ていたイルカの目の前で、膝を閉じて股間を押さえるカカシ。
 顔は上気し、目を潤んでいる。
「イルカせんせえ……」
 これは……。
 この顔にかかっている液体はっ!
 嫌な回答を導き出したイルカは、ざんと体中の血が一度に下がるのを感じた。









F。。。H