少年上忍中年中忍 F
「その時ナルトの奴がね、落とし穴に落ちてね」
「お疲れ様でした。ゆっくり休んでください。次の方どうぞ」
「サスケがとっさに助けようとして手だしたんだけど、ナルトの勢いに負けて一緒に落ちたんだ」
「大変でしたね。ご無事で何よりです」
「あいつなんだかんだ言ってナルトのこと気になるの見え見えなんですよ。サクラが女の勘ってやつでそういうの敏感に察知するんですよね〜」
「えーと、有休の申請受理されてます。明日から三日間で間違いないです」
「イルカ先生!」
大人になりきる前の、少し高めの澄んだ声が、受付所のざわめきを一瞬にして沈めてしまった。
腰に回されている腕にぎゅうと更なる力がこめられたがイルカは気づかぬふりで張り付いた笑顔を死守した。前に立っている馴染みの中忍に手を差しだし、報告書をとろうとしたが、知人の視線はイルカの背後に向けられて、そのままびくりと身を震わせて背を向けてしまった。
「……カカシ先生」
「なになにイルカ先生?」
喜々とした声が背後から聞こえる。イルカが声をかけると立ち上っていた不穏なチャクラが一瞬にして消える。イルカは腹の底からのため息を吐いて陰にこもった声で告げた。
「俺、仕事中なんです。離れていただけませんか?」
「ええ〜」
あからさまなブーイングが起こる。
「いいでしょう。俺邪魔してないし」
「い・い・え! 明らかに邪魔してますよ。さっきからはっきり言ってうるさいんです」
「ひどいー」
ぶーぶー言いつつカカシは更にイルカにしがみつく。イルカは隣に座っている火影のことを、ぎん、と睨み付けた。
「火影さま! カカシ先生のことどうにかしてください! さっきから仕事になりません! それに、カカシ先生は受付の仕事をしたいってことで志願したんですよねぇ? 全然仕事してないじゃないですか!」
「まあそうかりかりするな。カカシはちょっと話を聞いて欲しいのじゃ。カカシがひっついておっても仕事はきちんとこなしておるではないか」
里の長はぷかりと煙管の煙りを吹かして一人で納得して頷いている。
「火影さまはカカシ先生に甘すぎます」
「だから仕方ないと言うたではないか。カカシには幼い頃から苦労をかけたから、少しくらい大目に見てやりたいと思うのは人情じゃ。イルカとて覚えのある感情ではないのか?」
火影は暗にイルカのナルトへの過剰な気持ちを指している。そう言われてしまえばイルカはぐっとつまるところだが、しかし今は仕事中。カカシに集中を妨げられ、いつもはもっとさばける報告書がなかなか進まない。
「火影さま〜」
「ああ、わかったわかった」
火影は片方の手をひょい、と振る。途端にどこかから現れた数人の屈強な忍が受付の机の端の方に一人用の小さな机を用意する。なんだなんだと視線が釘付けになる。そんなイルカのことを背後からひっついているカカシごとひょいと持ちあげてその机の前において、イルカが座っていた席には別の忍がさっさと座って受け付け業務は再開された。
ものの数秒で手際のいい仕事っぷりだった。
しかし感心している場合ではない。
「火影さま!」
イルカはヒステリックに叫んだ。
「おぬしはそこで仕事をするがよかろう。さすればマイペースでできるはずじゃ」
さあ仕事仕事、と火影はわざとらしくいきなりやる気を出しててきぱきと任務の振り分けをはじめる。
ぽかん、とイルカは固まってしまった。
「ありがとー火影さまー」
カカシは大喜びでイルカに更なる力をこめてぎゅうと抱きついた。
「これでもっとお話できるね!」
カカシはご満悦でべらべらと喋り出すが、この状況でイルカの元に報告書を提出する馬鹿はいない。結局イルカはそのままカカシの話を聞き続けることになった。
「行く。絶対行くからな」
鼻息荒くイルカは手を挙げた。
場所は職員室。その夜の飲み会の出欠確認を幹事がとっていた。イルカの前をスルーしようとしたから、イルカはがしっと幹事の手を掴んだ。
イルカの意気込みをよそに、幹事の同僚は片方の眉をひょいと器用にあげた。
「イルカはおもりがあるだろ?」
「おもりなんてない! 絶対行くからな。行くったら行くぞ」
イルカの気迫に、幹事の男はわかったと頷いた。
火影の陰謀で、あれからずっとイルカは心休まる暇がない。カカシは任務がない時にはきっちり受付にきて、よくもまあこれだけ毎回ネタがあるものだと感心するくらい喋ってはご満悦だ。
イルカに告白したことをまわりにも吹聴して、どうどうとイルカに秋波を送る。まあどうせ子供のきまぐれだろうと、その辺りのカカシの気持ちを周りが本気にしないのはありがたいが、カカシにまとわりつかれている事実に変わりはないため、イルカは日々心が休まることがない。
とにかくカカシは開いた時間があるとマメにイルカの元に顔を出し、家とアカデミーの行き来もストーカーのようにつきまとってくる。イルカはだんだんといい大人のふりをするのが馬鹿らしくなり、邪険な態度にでるのだが、カカシはめげない。最後の部分でイルカが強く出れないことを知っているからかもしれない。
酒でもかっくらわないとやってられるかという心境だ。
「なあイルカ。はたけ少年と付き合ってやりゃあいいじゃん」
幹事の同僚はがしがしとテストの丸付けをしているイルカの横に座った。思いがけないことを言われてイルカは目を見張る。
「おっとみなまで聞け。いいか? いかにイルカが冴えない中年だってことをわからしてやるんだよ。そしたら百年の恋だって冷めるだろ」
さくっと失礼なことを言ってくれるが、この男がスマートないい男だから文句も言えない。イルカと同い年だが、あか抜けて、彼女が途切れたことがない。独身を楽しみたいとの主張。イルカのようにやむを得ず独身でいるのとは訳が違う。
「そんなこと言ってなあ、もしカカシ先生が本気にしたらどうするんだよ。あの人結構粘着系だぞ」
「気の迷いだって。イルカはいろんな意味で枯れ果てちまっているがあっちはこれからの上忍さまだろ。美少年だしいい男になるぜ。それがいつまでもイルカに関わってるわけないって。イルカにも覚えがあるだろ。ガキの頃はなんでこんなのにって後から思える奴のこと好きだったりしただろうが」
と言われて思い返す過去のこと。
言われてみれば、アカデミー入学したばかりの頃にお熱をあげた隣の席の子は、よくよく考えたらたいして可愛い子ではなかった。なのにイルカはその子のためなら火の中水の中、結構いいように使われていた。
「俺にもあったんだよそういうことが」
同僚はいきなり語り出した。
「3年くらい前だったかな。任務先の依頼人の娘に大まじめに告白されてさ。その子7才だぜ。邪険にはできないから、任務期間が長かったってものあって付き合いますって返事してやったんだよ」
「げっ。ロリコンか!」
イルカが茶化すとぽかりと殴られた。
「手つないで散歩したりおままごと遊びにも付き合ったり、俺なりに頑張って恋人のフリをしてやったさ」
「そんなことして、本気にされなかったのか?」
「だからそのあたりが子供なんだって」
同僚はふふん、と鼻先で笑った。
「俺が里に帰るって日にお別れの挨拶に行ったんだよ。姫のこと里に一緒に連れて行きたいって大まじめに願い出たんだよ。そしたらさ、いきなり泣きだしちまって」
父と母の元を離れるのはいやじゃと泣かれて、姫とは別れてきたという。
「そりゃあカカシ先生の場合とちょっと違うんじゃねえか?」
「そうだけどさ、子供が飽きやすいってことは事実だろ」
同僚は暢気に言ってくれるがイルカは楽観視できない。
カカシの言っていることを信じるなら、カカシがイルカに惚れたのは6才くらいの時だという。それからずっとこんなおっさんを好きでいるなど、全く飽きっぽくない。想像の中で好きなままでいるのはわかるとして、現物に会っても熱烈に好きなままだなどと、おかしいではないか。
はふ、とイルカはため息を落とす。
「まあとにかく、彼女でも作ればいいんだよな。そしたらカカシ先生もわかってくれるんだよな」
イルカはその言葉をほとんど自分に言い聞かせるようにして、大きく頷いた。