少年上忍中年中忍 D





 しかしなぜかイルカは今カカシの自宅にいる。
 上忍宿舎の部屋のひとつ。カカシは手裏剣模様の布団をかけて寝込んでいた。
 ことは数時間前にさかのぼる。
「あの〜、どうして俺がカカシ先生のお見舞いに行くのでしょうか?」
「カカシのたっての希望じゃ」
「カカシ先生は倒れてそのまままだ眼を覚まさないとさきほど聞きましたが」
「うわごとで、イルカのことを呼ぶそうじゃ」
 火影はなんの疑問も待たずにいるようだが、実はカカシは夢の中でもイルカのことを呪っているのではないかと思いイルカはぷるぷると首を振る。
「いや、あの、俺はカカシ先生に嫌われてます。きっと眼覚ましたあと俺が来たことを知ったらカカシ先生に殺されますよ」
「まあとにかくじゃ」
 えへんと咳払いした火影はイルカに命令した。
「カカシの見舞いに行け。これはわしからの直々の任務じゃからな」
 カカシに甘い火影に言われて、それ以上イルカは反論できずに適当な見舞いのフルーツを持ってカカシの自宅に赴いたというわけだ。
 カカシは任務を激しくこなしていたとのことだが、連続しての激務ゆえか、昨晩帰還してそのまま倒れて眼を覚まさない。
 久しぶりに間近で見るカカシは青ざめた顔で苦しげに眉根が寄せられていた。シンプルな部屋のベッドの枕元には2,3才くらいの幼いカカシが、その師や仲間と共に映る写真と、ナルトたち七班の面々と映っている写真が飾られていた。
 とても上忍師とは思えない。ナルトたちと同じようにまだまだ子供の姿に、ふう、とイルカは息をつく。うっかり忘れそうになるが、カカシは子供だったのだなあと改めて気づくのだ。
 手にとっていた写真たてを元の場所に戻した時にかたりと音をたてた。
 その途端、ぱちりとカカシの眼が開いて、イルカは飛び上がっていた。
「うわあ! 眼ぇ覚ました!」
 イルカは壁際まで後退してしまい、カカシを見守る。カカシはしばらくぼんやりと瞬きを繰り返していたが、くるりと顔を向けた先にイルカのことを認めると、明らかに避けるように背を向けた。
「カカシ先生。気分は、どうですか? 医者を呼びましょうか?」
 イルカは内心の動揺を隠して、そっと近づく。また椅子に腰掛けると、声をかける。
「おなか、すいてませんか? 俺くだもの買ってきたんで、りんごとかむきますよ」
 カカシはふるふると頭を振る。カカシの取り扱いがわからずに、はあ、とイルカは内心で思わずため息をついてしまう。
 先日、ガイの家で気まずい別れ方をして以来だ。なぜイルカがいるのだと、きっとカカシもとまどっているのだろう。
「眼、覚ましてよかったです。火影さまに報告しておきますね。あまり、無理しちゃダメですよ。最近カカシ先生働き過ぎです」
 お大事に、とイルカは退散しようとしたが、にゅ、と伸びてきた手が、イルカの右の手首を掴んでいた。
「カカシ先生?」
 これは、帰るなという意思表示ととっていいのか、迷うところだが、とにかくイルカはもう一度座った。
「あの、カカシ先生?」
 カカシは、かぶった布団の中でもぞもぞと動き、イルカの方に体の向きを変えた。布団をそっと下げて、眼から上だけが見える。久しぶりに間近で見た色違いの眼が潤んでイルカのことを見た。頼りなげな姿がつきんと胸を打つ。
「どうして、倒れたか、聞かないんですか?」
 小さな声が問いかけてくる。
「どうしてって、過労ですよね」
 カカシは、違う、と否定する。
「どうしてか聞いてください」
 気弱な声なのに有無を言わせぬ響きもあって、イルカは請われるままに問いかけた。
「どうして、倒れたんですか?」
「……」
 聞けと言っておきながら、カカシは黙ってしまう。子供のわがままか、と思わないでもないが、弱っている人間を打ちのめすような気はさらさらない。イルカは辛抱強く待った。
 かっちこっちと目覚まし時計の音がする。思わずイルカが欠伸をしたタイミングでカカシが何かを言った。
「……マス」
「はい? ます?」
 聞き取れなくて身をのりだせば、カカシが思い切りよく布団をめくった。
 カカシは、真っ赤な顔をしていた。イルカの前に、右手を広げて差し出す。
「手がふやけるほど、マスかいたんですっ。そのせいで任務に身が入らなくて、敵にやられそうになったこともたくさんあった。もう眠れなくて、たいした任務じゃあないのに、失敗しそうになって、めちゃくちゃだ」
 ぐす、とカカシは鼻をすする。結構泣き虫なのだなとぼんやりと思いつつ、イルカはカカシの発言に脱力した。
 要するに、カカシは青春真っ盛りで、ピンク色の妄想に我を忘れてしまったということか。
 馬鹿らしいやら微笑ましいやらでイルカは乾いた笑いをたてた。
「えーと、まあ、カカシ先生、若いですからね、仕方ないですよ。俺にだって覚えはあります。だからそんなに落ち込むことないですって」
 適当なことを言う。はるか昔の青い時代。それでも思い出す限り、そんなにマスかきに没頭した覚えはない。
 イルカの気休めのような言葉にそれでもカカシは耳を傾けていた。
「俺、もう、苦しくて」
「え? 片思いですか?」
 こくりとカカシが頷く。むむ、とイルカは唸る。こんな美少年が恋いこがれる相手がいるとは。一体どんな子なのだろう。
「思い切って、告白してみたらどうですか? カカシ先生かっこいいですから、きっといい結果でますよ」
「かっこいい? 俺が?」
 思いがけないことを聞いたとでも言うようにカカシはぱちぱちと瞬きをする。長い睫毛が音をたてるようだ。
「自信を持ってください。俺受付にいるからわかります。女性たちは老いも若きもカカシ先生のことかっこいいって言ってますよ」
「かっこいいって、イルカ先生も、思うの?」
「もちろんです。カカシ先生美少年ってやつじゃないですか」
 イルカは太鼓判を押すように大きく頷いた。すると、カカシはよかったあと息を吐き出した。
「俺、絶対イルカ先生に嫌われていると思ってたんだ」
 カカシは無邪気な笑顔を見せた。
 そうですね、あまり好きではありません、どちらかと言うと苦手です。なんてことは言わない。
「俺の方こそ、カカシ先生に嫌われていると思ってましたよ」
「違うよ。俺は、イルカ先生のこと……」
 カカシはきゅっと口を結んで、ちらちらとイルカを見る。口元を両手の指先で押さえて、イルカを見て、じわじわと眼が潤む。
「あの……」
 なんというか、桃色の空気が押し寄せてきたような気がする。カカシから流れてくる、不穏、と言ってもいい空気にイルカの野生の勘が尻込みする。
 だらーと背に汗が伝う。やばい。なんだかわからないがやばい。
「あ、あの、カカシ先生。俺、もうそろそろ」
「好きっ。イルカ先生が好きなんですっ」
 ストレートに告げて、カカシは、言っちゃった! と両手で顔を隠す。
「もう、イルカ先生のことおかずにして、毎晩毎晩、いえ、朝でも昼でも、やってました。お風呂で触ったイルカ先生のあそことか手の感触とか匂いとか思い出してやっちゃいました。イルカ先生のこと思い出すと馬鹿みたいに固くなっちゃって、我慢できなくて、任務中に敵と闘いながらやっちゃうこともあったんです!」
 カカシはひたすら照れまくりながら恐ろしいことを口にしているが、イルカは全身の毛が総毛立つ感覚を久しぶりに味わっていた。手強い任務で敵と対峙した時のようだ。いや、それ以上の緊張感が満ちる。
 おかず? この俺をおかず? しかも敵と闘いながら? そんな奴に倒される敵もどうかしている。最後の一撃をお見舞いした手は白く濡れてましたってか? おかしい、改めてはたけカカシは変だ。
 イルカはそろりそろりと後じさり、とにかくこの部屋を出ようと目論んだが、気づいたカカシからクナイが飛んできた。
「ひいっ」
 ドアのところ、頬すれすれにクナイが刺さる。
「まだ話の途中ですよイルカ先生」
 蛇に睨まれた蛙のようにイルカは動けなくなる。ベッドから起きあがったカカシはイルカに近づき、うっとりと見上げてきた。
「ねえイルカ先生。俺のこと、覚えてないの?」
「ど、どこかでお会いしましたでしょうか?」
「ひどい。あんなに優しくしてくれたのに」
「ちょっと! 誤解を招く表現はやめてくださいよ。俺年寄りだから昔のこと覚えてません」
「年をとると昔のことのほうをよく思い出すんじゃないの?」
 さりげなく傷つくことを言ってくれる。子供は容赦ない。
「9年前だよ。俺が中忍になっての任務。前線にイルカ先生救援物資届けに来たでしょ。その時だよ。俺は大部隊の一画で働いてたんだけど、俺のこと狙ってる馬鹿がいたんだよ。俺、かわいかったから」
「そうでしょうねー……」
「でも俺強かったしいつも自分でなんとかしてたけど、一度だけ油断して、犯られそうになったことがあったんだよ。その時、イルカ先生が俺のこと助けてくれた。本当に覚えてないの?」
 じっと詰め寄られてイルカは必死になって記憶の引き出しを開けまくる。開けては閉じ開けては閉じを猛スピードで繰り返すが、出てきやしない。
「そっ、それは、俺と似た誰かだったのでは? 俺ってよく似た人がたーくさんいるんですよ!」
 必死の思いで口にしたがカカシは思い切り首を振った。
「絶対イルカ先生。だって鼻の傷、あったもん」
「これくらいの傷、他にも」
 ばきっ、とイルカの顔の横にカカシの拳が炸裂する。壁に亀裂が走る。下から見上げてくるカカシの顔は怖いくらいで、そして、必死だった。
「ずっと、憧れてた。ずっと好きだった。もう気がおかしくなるくらいイルカ先生のことばっかり思ってた。俺が初めて抜いたのは10歳の時でもちろんイルカ先生のこと考えてした。やっと里に常駐できて、イルカ先生のそばにいられることになったのに、イルカ先生、俺に優しくないし」
 カカシの声はだんだんと小さくなり、俯いた顔をそのままイルカの胸に当てた。ぎゃーとイルカは声にならない悲鳴を上げる。
 カカシはイルカのベストを両手でぎゅっと掴んだ。
「俺のこと、嫌い?」
 湿っぽい声を上げてイルカのことを見上げるカカシからは壮絶な色香が漂う。もしもイルカがもう少し若ければ、その色気によろりとなってしまったかもしれない。だが、イルカは三十も半ば。最近朝もめっきり勃たない。そう、イルカは枯れ気味なのだ。
 枯れ気味なイルカにとってはカカシから発っせられる色香など、恐ろしい青春の残照でしかなかった。
「おおおおおおお、お、俺、35ですよ? おやじです。カカシ先生の親でもいいくらいの年です」
「うん。知ってる」
「そろそろ加齢臭とか漂うお年頃なんです! 加齢臭って、カレーのことじゃないですよ? 年とるとなぜか分泌される何とも言えない臭いです!」
「知ってる。激萌え……!」
 くんくんとカカシが鼻をうごめかすから、イルカはひぃっと飛び上がりそうになる。
「全然、匂わないよ? 匂ってもイルカ先生から分泌されるものなら俺にとってはなんでも好き」
「ぶ、ぶんぴつ!」
 ぞぞぞーっとイルカの背筋を寒いものが駆け抜ける。パニック寸前のイルカだが、それでもない知恵を振り絞る。
「そうそう、白髪! この間ナルトにとってもらったら、禿げるって言われてやめたんです。それくらいいっぱいあるんですよ」
「ナルトのことは言わないでよ」
 カカシは睨み付けてくる。
「今度から俺が抜いてあげる。でも白髪でもいいよ。俺とおそろいでしょ?」
「いえいえ! 全然違います。だってカカシ先生のは銀髪って奴で。俺のは単に老いた結果と言いますか」
「そんなことない。イルカ先生は若いよ」
 何を言っても、カカシにはイルカの言葉が全く通じない。同じ人間とは思えない。やはり上忍で写輪眼なんか持っちゃうとちょっと違う人種になっちゃうってことか? しかしここで負けてたまるかとイルカは言葉を重ねる。
「腹! 腹腹! 腹、たるんできちゃって、ビールっ腹ですよ。ラーメン腹かな? もう横に割れまくって、たて割れなんて遠い昔の話です。やですね〜中年は」
 あはあはとやけくそ気味にイルカは笑うが、カカシはいきなりイルカのアンダーの下から手を差し入れて、イルカの腹をむにょりと掴んだ。ぎゃっとイルカは叫ぶ。
 カカシはうっとりと呟くのだ。
「やわらかい。すごい、いいね」
 いい? なにがいいのだ? まったくもってよくない!
 はあ、とカカシは熱い息を零す。繊細な手で、そっとイルカの頬に触れる。力をこめているわけではないのに、イルカをその場に固めるのに充分な力を持っていた。
「ねえイルカ先生。もう俺限界。ほら」
 カカシは下肢を押しつけてくる。そこは布越しでもびんびんに固くなっていることがよおくわかり、イルカはだらだらと冷や汗をかく。
「イルカ先生が俺の気持ちに気づいてくれるまで我慢しようって思ったんだ。でも全然気づいてくれないし、にぶいにもほどがあるよ。普通、あそこまであからさまにアプローチしたら気づくよね」
 カカシは恨めしげに睨んでくるが、しかしイルカはうぬぼれ屋ではないのだ。もしもっと若ければそういう発想も少しはあったかもしれないが、こんなおっさんが20も下の美少年に好かれるなんて脳天気な思考になるわけがないではないか。そんな奴がいたらイルカに言わせればよほどのアホかナルシストだ。
「俺は、そんな、カカシ先生に好かれるような者では……!」
「せっかくイルカ先生がこんなにそばにいるのに、なんで1人でしなきゃならないんだって悲しくなっちゃったよ」
 イルカの話など聞いちゃいないカカシの親指が、そっとイルカの唇を撫でる。
「かさかさだね。俺が、柔らかくしてあげる」
 伸び上がったカカシは、ちろりと舌を出すと、イルカの唇を舐めあげた。
 あまりの事態にぴきーんとイルカは金縛りにあったように動けなくなる。そしていきなり視界が回る。15の小僧に抱えられた体は、ベッドの上に押し倒されていた。
 イルカの上で、カカシは舌なめずりしていた。
「やらせて、イルカ先生。天国に連れてってあげるから」
「っうわ! ちょっと! やめろ! 離せ!」
 イルカが暴れるとカカシは舌打ちをした。
「暴れないでよ。大人しくして」
「誰がっ! 離せ! ヘンタイ! こらっ」
 イルカが必死の形相で暴れると、いきなりカカシの美貌は壮絶に冷えた。
「うるさいなあ! 四の五の言わずにやらせてよっ」
 そこが、イルカの限界だった。
 無我夢中でカカシのことを突き飛ばす。そのまま後ろを振り向かず、脱兎の勢いで、逃げた……。








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