少年上忍中年中忍 C
「どう思いますガイ先生」
「ううむ。ちょっと考えさせてくれイルカよ」
ガイは腕を組んで目をつむると天井に顔を向けた。
イルカ御用達の安くてうまいがちょっぴり薄汚れている居酒屋のカウンターにガイと二人座っていた。ガイは若干二十だがすでにアカデミー卒業者の上忍師になること三回目でイルカとも親しくしていた。年齢差を感じさせない気さくなガイにイルカは親しみを感じていた。そんなガイとカカシが幼い頃からの知り合いと聞き、相談にきたというわけだ。
先日の銭湯の件からイルカはカカシを避けまくっていた。
はたけカカシは明らかにおかしい。得体の知れないものには近づかないほうがいい。それが長生きの秘訣だ。女性陣の非難をものともせずにとにかくカカシを避けに避けまくった。しかし逃げてばかりでは事は収まらない。イルカは平穏な日常を取り戻す為に行動することにしたのだ。
「幼なじみのガイ先生に言うことじゃないんですが、カカシ先生はおかしいです。なんで俺のあそこ触るんですか。しかも、大人に向かって、かわいいとか言って。言っておきますけど俺は普通ですから。ちなみにカカシ先生は……」
ごほんとわざとらしい咳払いで言葉をにごす。
「イルカよ。わかったぞ」
ガイがくわっと目を見開いた。そしてびしっと指を突きつけてきた。
「カカシはあそこのサイズをサンプルとして収集しているのではないか?」
「は? サンプル?」
「そうだ! きっと何かヒミツの任務を受けているに違いない! そうでなければなぜもっさいイルカのあれを握りこまねばならんのだ!」
「はあ……」
ガイの推理はどう考えても的はずれな気がするが、もっさいという部分には大きくうなずける。確かに何かやむにやまれぬ理由がなければイルカのアレを触る意味がない。
「なんかよくわかりませんが、何か理由があってのことなんでしょうね〜。ちなみにガイ先生も触られたことあるんですか?」
「それはない! カカシは俺が男同士のつきあいで風呂に誘ってもがんとして受付けんからな。だいたいあいつは変に潔癖なところがあるからな!」
ふん、とガイは鼻息を出す。
「きっとあいつはあそこの勝負で俺に負けるのが怖いのだ。俺はなんといっても木の葉の青き野獣のマイト・ガイだからなっ」
そんなカカシがイルカとは風呂に入りたいとわめくのはなぜなのだろう。
「うーん。ますますわからなくなってきましたけど、まあいいや」
生ビールのお代わりと串揚げの盛り合わせを注文する。
運ばれてきたビールで改めて乾杯だ。
「まあとにかく、俺はもうカカシ先生とは関わりませんから、いいです」
所詮、子供のきまぐれだろうから、そのうちにカカシは飽きるだろう。
そんな楽観視でイルカはその夜ガイと飲みに飲んで、結局そのままへべれけになり、店に近いガイのアパートに泊まることになった。
ビールだけでも大量に飲めば翌日に残るくらい酔うのだなあと知った。
いやしかし、これは年のせいかもしれない。現にガイは朝もはよから意気揚々と修行に行ってしまった。
今日が休みでよかったとしみじみ幸せをかみしめつつ、イルカは10時ちかくにぬぼっと起きた。まずはトイレに行ってゆっくりと出すものを出し、顔を洗う。洗面台で見た顔は無精ひげが生え、肌はかさつき、目は充血して精細を欠き、とろんとしていた。
「うっはー。汚ねえ顔」
呟いて、イルカは頬をばしりと叩く。これではいかんと今更ながら思う。
一人暮らしが長く安穏な暮らしをしているとどうも自分に対してどんどん手を抜いてしまう。のんびりまったりするのは大好きだが、時には緊張感を持って生活をしようといきなり決意した。
「カミソリ! カミソリ!」
風呂場でカミソリを探り当てると顎にあてる。まずはすっきりとして、よし今日は髪でも切りに行くか、と決めた。だが一宿一飯の恩で昼飯くらいは用意してから帰ろうと冷蔵庫の前で使えそうな食材をあさっていたら、いきなり玄関の戸が開いた。
「あ、お帰りなさい」
ガイだと思いこんでにっこり笑顔で顔を向ければ、そこにはカカシがいた。
仏頂面のカカシと、笑顔のイルカ。
そのままで、互いに固まる。
カカシと正面から顔を合わせるのは銭湯以来だ。ちょうどカカシも忙しかったようで、運良く難を逃れていた。それがこんなふうに心構えもなく鉢合わせするとは。
イルカは己の不運をかみしめた。
「イルカ先生……」
先に口を開いたのはカカシだった。強ばった顔のまま、なぜか目は潤んでいる。
「なんで、ガイの家なんかにいるのさ」
「あ、はあ、その、昨日一緒に飲んだくれまして、家に帰るの面倒だから、泊めてもらったんです」
カカシの気迫に押されて頭をかきながらいいわけがましく言ってしまう己を内心で嗤いながらイルカは応えた。
カカシは目をつり上げた。
「イルカ先生がよく行く居酒屋だよね? だったら俺の家のほうが近い。ガイのこのボロアパートより、20メートルは近い。今度から俺の家に泊まってよ」
「なんで俺がカカシ先生の家に泊まらないといけないんですか」
子供のかんしゃくに、ついイルカは責めるように言ってしまった。
しかしカカシはめげなかった。土足のまま台所に上がると、いきなりイルカの手を掴んだ。
「これ、俺の家の鍵。イルカ先生にあげようと思って、ずっと持ってた。これがあれば俺が任務でいなくても、入れるでしょ」
掌に鍵を押しつけられて、ぎゅっと握らされた。
げっそりと一気に疲れが押し寄せる。イルカは腹の底からの酒臭いため息をついた。
「……カカシ先生。カカシ先生の家の鍵なんて、いりません」
「なんで」
ここで“なんで”とストレートに返されて、やはりカカシは子供だ、とイルカの眉間には皺が刻まれる。しかもかなり聞き分けの悪い子供。イルカは、いらっとする気持ちを止められなかった。
「俺は、カカシ先生と家を行き来するような仲良しになる気はないんです。だいたいカカシ先生は上忍ですけど子供で、俺は、中年のおっさん教師です。あくまでも公の関係です。仲良くなんてなれるわけないでしょうが」
「そんなことない。だってイルカ先生ナルトとは仲いいでしょ。俺とだって、仲良くしてよ」
「ナルトは、特別です」
一人の生徒だけに目をかけるなど贔屓以外のなにものでもないが、事実、イルカはナルトがどの生徒よりかわいいし、将来が気になる。親のような、気持ちでいるのだ。
「どうして俺なんかにつきまとわれるのかわかりませんが、とにかく、はっきり言って」
迷惑なんです。
と、ずばりと言いたいところだったが、さすがに教師としてのイルカの意識がストップをかける。カカシは子供なのだ。慕ってくれる子供に迷惑だなどと言っていいわけがない。
言いよどんだイルカにカカシは詰め寄る。
「なに? はっきり言ってなんなの?」
「カカシ先生」
嘘を許さない真っ直ぐな瞳。
これは難しいところだ。本当のことを求める子供に、本当のことを言えばそれで済むのか? 嘘よりは本当のことがいいとしても、それで深く傷ついてしまったら、どうする。
とっさにうまいことも言えずに目を逸らすイルカは口で言うよりも充分に伝えてしまっていた。
カカシはイルカから身を引くと、うなだれる。
「俺のこと、迷惑なんだね」
「あ、いや、そんな! そんなことはないぞ!」
「嘘だ」
カカシはきゅっと唇をかみしめる。
すべらかな頬が紅潮して、今にも泣きそうだ。
ついさっきまでは本気でいい加減にしろと思っていたのだが、こうなるとイルカは弱い。子供が手放しで泣くときはいい。それはただ単にわがままからくることが多いから。だがこんなふうに泣きたいのを懸命に我慢している姿は堪える。
たとえイルカが悪くなくても。
「お前ら何をやっているのだ。人んちの玄関先で」
「ガイ先生」
降ってわいた助け船にイルカの表情はぱっと明るくなる。
修行を終えて汗のしずくもまぶしいガイが腰に手を当てて立っていた。
「む? 俺に何か用か、カカシよ」
そうだった。きっとカカシは用があるからガイの家に来たのだ。そのことにイルカは今の今まで思い至らなかった。
「そうだ、カカシ先生。俺これから飯作ろうと思ってたんですよ。一緒に食べていきませんか?」
卵焼き、作りますよ、と明るく言ったが、カカシは首を振った。
「いいです。ガイに、これ、渡しにきただけなんで」
カカシは玄関口に置きっぱなしにしていたビニール袋を指さす。
「俺、帰りますね……」
俯いたまま、ふらふらとカカシは行ってしまう。がん、と玄関で頭をぶつけてよろよろしながら去って行った。
「なんだったのだ、カカシの奴め」
ガイは首をかしげているが、イルカは己の失態を深く反省する。
カカシにまとわりつかれて迷惑していたのが本当だが、あんなふうに傷つけてしまうのはよくない。
いい年をして、己の未熟さ、馬鹿さ加減にイルカはその場でがっくりと膝をつきたいくらいだった。
まあでも。
これで本当にすっぱりとカカシはイルカから離れるだろう。
それはきっとカカシにとっていいことなのだから、それがせめてもの救いだと、無理にでも自分を納得させた。