少年上忍中年中忍 A






「ちょっといいですか、アスマ先生」
 上忍控え室にはタイミングがいいことに猿飛アスマだけがいた。だるそうにタバコを吹かしていたアスマはイルカに手招きする。失礼しますと入室したイルカはアスマの前のソファに腰掛けた。アスマはにやりとシニカルに口元を曲げて、たばこをはさんだ指でイルカの顔を指した。
「お疲れのようだな。眼の下のくま、ひどいぜ?」
「そうですか。ちょっと寝不足だからですかね。寄る年波には勝てませんよ」
「なんだよそりゃあ。まだ三十代だろ? お前より上の元気な奴らがきいたらあきれるぜ」
 今が働き盛りの二十代後半のアスマは豪快に笑う。アスマの気安さがイルカは好きだった。
「ええとですね、ちょっとお聞きしたいことがありまして」
「察するところカカシのことか」
「ビンゴです」
 話が早くて助かる。イルカはほっと息をついた。
 アスマがカカシと任務についたことが何回かあり、あまり人を寄せ付けないカカシの数少ない友人の一人だと聞いたのだ。
「あの、カカシ上忍って、以前から、子供っぽい方なんですか? と言ってもまだ十五で充分子供なのでさらに過去になるとますます子供ですよね。う〜ん」
 イルカは結局自分が何を確認したいとのわからなくなる。
「カカシにつきまとわれてるらしいな」
「はあ、まあ、そういうことです」
 イルカは、ははは、と引きつって笑った。
 どうしてかカカシになつかれた。
 一楽での一件ではカカシに嫌な思いをさせたと思ったのだ。きっとカカシはもうイルカに気安く話かけてはこないだろうと。それならそれでまあいいかとイルカは思っていたのだが、それは大きな間違いだった。
 翌日からもカカシのイルカへの接触は変わることなく、いや、エスカレートした。
 任務は絶対イルカから受けとると言う。任務報告書も絶対にイルカに提出すると言う。火影にも許しを得ているとのことで、おかげで受付のシフトがなくても毎日毎日カカシはイルカの元に来る。凄腕の上忍さまだとわかっていても実際のカカシはほっそりとした美少年然としており、職員室の女性たちは明らかにカカシのおとないを楽しみにしている空気が漂っていた。
 ただ任務を取りに来るだけならいいのだが、そこでカカシは出して貰ったお茶を飲んでお菓子を食べて、イルカの横で聞いてもいない日常のことを喋りだす。ナルトの話が出るときはこっそり聞き耳をたてているのだが、それ以外は適当に聞き流していると、いきなり黙り込む。書類を見ながら生返事を繰り返していたイルカがふと横を見れば、カカシは肩を落として口を尖らしている。
「イルカ先生、俺の言うこと、ちっとも聞いてないね。ナルトのことは真剣に聞くくせに。ひどいよ……」
 ぐすっと鼻をすする。その瞬間の職員室の空気は女性陣からのブリザード攻撃でイルカは凍り付く。
「イルカ先生。子供たちの話にきちんと耳を傾けるということは教師として基本的なことですよね」
「先生は何年アカデミー教師をしてらっしゃるんですか。情けないです」
 もっともなことだけに耳が痛い。もともと口達者な同僚に勝てた試しもない。イルカは書類を伏せるとカカシのほうをきちんと向いた。
「すみません。俺が悪かったです。でも聞いてないわけじゃないですよ。昨日、忍犬たちを洗ってやったんですよね?」
 イルカが促すとカカシは途端に復活してまた喋り出す。決して流ちょうなわけではない。一生懸命な姿はアカデミー入り立ての子供たちのようだ。頭の中で話題は溢れているのにそれが言葉にするスピードにおっつかず、もどかしさに苛立ちながらも懸命に話す。
 きっとカカシは幼い頃から大人の世界で忍として生きていたからこういうことは不得手なのだろうとさすがにイルカもしんみりする。そんな風に思ってしまったから、イルカはカカシの話をきちんと聞くようになった。おかげで今まで朝と午後にやっていた仕事ができずに持ち帰って毎晩寝不足となっていた。
「いや、好かれるのは嬉しいですよ。ただですね、朝はぎりぎりまで俺と話して遅刻ですし、報告書を持ってきた時もその日の任務のことを最初から最後まで細かく語るんです。俺が受付の時は定時まで待ってて、そこから話が始まります。さすがに毎日毎日ですと俺も申し訳ないですが疲れます。この間思わず友達いないのかと聞いちゃいましたよ。そしたら、アスマ先生と、ガイ先生の名前が出たので」
「言っておくがカカシは俺たちの前じゃあほとんど喋らないぜ。いるかいないのかわからないくらいに大人しくしてる」
「はあ。やっぱり、そうですよね」
 なんとなく予期していたことではあったのだ。きっとカカシはイルカの前でだけ、あからさまに子供に戻るのだと。
「俺の何がカカシ先生のつぼにはまったんですかね。しがないおっさん教師ですよ? 同じくらいの年の友達と遊ぶ方がよっぽど楽しいじゃないですか。俺なんて趣味は湯治で好物は一楽のラーメン。嫁さん候補もなし。きっとこのまままったり人生ですよ。面白いところもないですしね」
 幾分自虐的にイルカが肩を竦めれば、アスマはにやにやと笑みを深くした。
「イルカはいつから内勤になったんだ? 任務、そうだな、長期任務はいつからついてない?」
 いきなりな質問にイルカは記憶を掘り起こす。
「ええと、確か、二十五か六くらいの時に、ふたつきほど、任務に出ましたね。と言っても後方支援でしたけど。長期といえばそれが最後ですね」
 己のことながら、きちんとした任務にもう十年ちかく出てないのかと驚く。今更いくさ場には行けないだろう。任務とあらば行くしかないのだが、生きて帰れないかもしれない。
「俺の長期任務と、カカシ先生が何か?」
「カカシと昔会ってんじゃねえか。でなきゃいきなりはじめましてで知り合ったおっさん教師になつかねえだろ」
 いくらあいつが変人でもな、とアスマは最後に付け加えた。





 ごろりと何度目かの寝返りを打ったイルカはとうとうベッドから起きあがった。
「思い出せねえ」
 そしてまたばったりと身を沈める。
 ここ数日カカシは任務についており、イルカは戻ってきた日常をゆっくりと過ごすことができていた。
 アスマから言われたことを考えてみたが、どうにも思い出せない。そもそも十年以上前ということはカカシがちょうと中忍になった頃で、六歳くらいの小さな忍が大部隊にいればさすがに覚えていると思うのだが、まったく記憶にない。
 きっと出会ってなどいないと思いつつも、最近記憶力に自信がないため、もしやアルツハイマーか、と不安な風が心にぴゅーと吹く。
 しかしもし過去にカカシと出会っていたとしも、なつかれるようなことはない気がする。イルカは今までにいきなり出会った途端に好かれるなんて経験したことがない。我がごとながら特に目立った個性もなく、つまらないと言ってもいい普通の人間だからだ。
「寝よう寝よう」
 考えても仕方がないと改めて布団をかぶったところでどんどんと戸が叩かれる。まだ寝るには早い時間だが大きな音は近所迷惑だ。イルカが飛び出ると、そこには、カカシがいた。
「カカシ、先生。どうしたんですか」
 カカシは、黒のノースリーブにマントを羽織り、狐の面をあみだにかぶっていた。言わずと知れた暗部の装束。かすかに血の匂いがした。
「こんばんはイルカ先生。あの、イルカ先生に会いたいなって思って、任務終わったから、来ちゃった」
 照れて笑うカカシにイルカは唖然とする。ここまでなつかれると、嬉しいを通り越して、不気味だ。謎だ。
 もしもイルカが見目麗しい忍なら、もしや俺に懸想しているのか、ともしかしたら思わないでもないが、それはあり得ない。二百パーセントあり得ない。だがまあこんな夜更けに任務帰りに訪ねてくれた子供をほおっておくことはできない。イルカはカカシを家に招き入れた。
 マントを脱いだカカシは口布を下ろし部屋の中をきょろきょろと見回して、ほっと息をつくと体の緊張を解く。忍としての修正が危険がないかを無意識に確認したようだった。
 カカシの整い過ぎた顔の左目は赤く、たてに傷が入っていた。しかしその傷に痛々しさはなく、傷が縫合されたあとの肉の盛り上がりが生々しい色気を醸し出してた。
「おなかすいてないですか? ちょっとしたものなら作れますけど」
 オレンジジュースがちょうどあったから出してやる。喜んで喉を潤したカカシはにこりと笑った。
「俺、卵焼き食べたい」
「卵焼きなら俺得意ですよ」
 卵焼きと言い出すあたりまだまだ子供だなあとなんとなくイルカは苦笑する。もしや、と思って聞いてみた。
「砂糖、いれましょうか?」
「うんっ」
 元気いっぱいに頷くカカシはかわいいものだった。たとえ暗部の任務を終わらせてきたのだとしも、ただの無邪気な子供にしか見えなかった。
「どうぞ。結構自信作です」
「やったー」
 カカシはいただきますと行儀良く手を合わせて箸をとった。ついでに、とごはんもチンして運んでやった。その茶碗を手に取ったカカシは、ふとイルカを見た。
「これ、イルカ先生の茶碗? ちょっと小さいよね」
「ああ、それはナルト用です。あいつちょくちょくうちに来るんで」
「俺も、俺用の茶碗欲しい」
「は?」
 イルカがぼんやりとカカシの言葉を考えている間にさっと立ち上がったカカシは台所でごそごそやって、戻ってきた時には洗い場に伏せてあったイルカの茶碗にごはんを移し替えたものを持ってきた。
「ナルトの茶碗は使わないです。今度俺も茶碗持ってきますから」
 まるで決定事項のようにカカシは告げた。そしてごはんと卵焼きを満足げにほおばる。
「イルカ先生の手料理が今度食べたいです」
 カカシがきらめく瞳でねだるから思わず頷きそうになって、いや待てよ、とイルカは首を振る。
「あの〜カカシ先生? その、どうして俺の家に来たんですか?」
「だから、会いたかったからだって言ったでしょ」
「なにゆえに、俺に会いたかったんでしょうか?」
 カカシはちょうど食べ終わった茶碗を置いて、ちら、とイルカのことを横目で見た。
「そういうこと、普通聞くかなあ」
 カカシはいつものように口を尖らせる。いい加減見慣れたそのジェスチャーは、カカシが落ち込んだ時や気分を害した時に見せるものだった。
 しかしイルカにはわからないのだから仕方ない。なぜカカシがこんなおっさん教師にいきなり会いたくなるのかわかるわけないではないか。
「本当に、わからないので、お聞きしているのですが」
「はあ? 信じられないっ。俺暗部の任務こなしてきたんですよ? そういう時って気持ちがささくれ立つわけなんですよ。そしたら、里に戻ってきて、癒されたいと思うでしょ?」
「そうなんですか? 俺暗部に入ったことないし、恥ずかしながらきっつい前線で働いたことあまりないのでよくわからないんですけど」
「そういうもんなの! 俺なんかこういう時はいつもイルカ先生のこと……」
 急にカカシが口をつぐむ。口元に手を持っていき、固まってしまう。
「カカシ先生?」
 イルカが顔をのぞきこむと、「うわあ」と言ってカカシは飛び退いた。発熱したような真っ赤な顔に、もしやどこか怪我でもしたのかとイルカは心配になる。
「カカシ先生、具合悪いんじゃないですか?」
 手を伸ばして額にあてれば、更にカカシの熱は上がる。
「ちょっと、カカシ先生、熱凄いですよ。病院行きましょう。看てもらったほうがいいですよ」
 イルカが手を引こうとすれば、カカシは首を振る。
「ね、熱なんてない。俺どっこも怪我してないし」
「でも」
 なおもイルカが額に手を当てると、今度はその手をはたき落とされてしまった。
「さ、触らないでよ。ばかあ!」
「ばかあ?」
 カカシはイルカを置いてばたばたと出て行ってしまった。戸を開け放して。
 あわただしく、嵐のような来訪だった。
 真っ赤になって潤んでいた目。明らかに熱があった。それを気遣ったイルカは間違ったことはしていないはずだ。それを、手を払われて、ばか、と言われた。
 さすがに、むかむかと怒りが腹の底からわいてくる。
「これだからガキは困るんだよな。上忍さまって言っても中身はガキだ。ただのガキ!」
 がちゃんと台所に皿と茶碗を運んでがしがしと洗う。そういえばナルトの茶碗、と探せば、しっかりとゴミ箱に捨てられていた。








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