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 火影の命に背き、あまつさえ仲間を負傷させて逃亡したイルカは暗部に追われることになった。
 カカシを含めて4人。もちろんイルカ一人にあてがわれた人数ではなく、あの区域を襲った他里の動向をさぐる目的もあった。その途中でイルカを見つけて、生きて里に連れ帰ることが命令だった。
 小休止をとった後、竹藪の中で襲撃を受けた。
 問答無用で囲まれ、そこら中からクナイが飛んできたが、木の葉の精鋭である暗部にとっては赤子の手をひねるようなものだった。
 クナイを弾き、敵に肉迫して仕留めながら、カカシはただ、イルカを思った。
 イルカに、思いを馳せた。





 

□□□□




 

 目覚めは唐突だった。いきなり身を起こしたカカシはくらくらする頭に耐えて、無意識に左眼を確認していた。
 きちんと両目がある。イルカに貫かれたはずなのに、怖いくらいにクリアに映る。
 ごくりと喉が鳴る。ベッドからふらりと降りて、そこでやっと、床に落ちているあの指と、ジンに気付いた。震える手が向かったのは、イルカの右指だった。
 冷たい指。噛みきられた跡。血も流れていないそれはまさに人工物のようだった。
 カカシが眠っていた間にいったい何が起こったというのか。気絶する前の記憶は夢ではないはずだ。この体はイルカの熱を感じた。イルカの柔らかな笑みがきちんと思い出せる。
 息を吐いて、ぎゅっと指を握る。傍らに倒れたままのジンに近づいた。
「おい。起きろよ、あんた……。ジン」
 横に倒れた体を揺する。仰向いた体にはっと息がつまる。ジンの左目には傷が走り血を流していた。
 かすかに後じさったカカシの耳にくぐもった声が届く。
 ジンはゆっくりと体を起こして呻いた。左目を押さえてゆるゆると首を振る。
「イル、カは……? イルカは、どこだ……」
 しゃがれた声。口元を歪めたジンは残る片方の眼でカカシのことを睨み付けてきた。凄惨な色合いだったが、カカシはひるみはしなかった。
「それは、俺が聞きたいことだ。あいつはどこ行ったんだ」
 負傷しているジンにかまうことなくカカシは詰め寄る。
 ジンは無言のまま、カカシのことを見た。カカシの、写輪眼を。何かを探るような、視線。そして耐えるように引き結ばれた口元。伏せられる直前に見た眼には愁いがあった。
「イルカは……あなたを選んだんですよ」
「選んだ……」
「そう。満足ですか? イルカは里の命に逆らってあなたの写輪眼を生かすことを選んだんですよ。その役立たずの写輪眼をね」
 吐き捨てるように告げられた言葉がよくわからずにカカシはぼうっとする。瞬きを不自然に繰り返す。手の平の右指にすがるように強く握りしめる。
「生かす……? なんだ、それ。あの馬鹿、なにをしでかしたんだ」
 視界が点滅する。
 夢うつつの中で、カカシは自分がなんと答えたのか、覚えている。写輪眼が大事だと。失いたくないと、告げたのだ。
 イルカは。
 イルカは頷いた。すべてを許すような眼で、頷いてくれたのだ。
「イルカは、何を、した?」
 カカシの呆然とした声に、ジンは重い溜息を落とした。
「治療したんですよ。その眼。写輪眼をカカシさんにつなげる唯一の方法はあったんです。ただハンデを伴う。元々あなたは血継限界ではないですからね。その眼をつなぎ留めるには相当のチャクラを必要とします。これから写輪眼を使うたびに考えられないくらいに体力を消耗します。よほどの敵にあたらない限り、写輪眼の力を全開にしないほうがいいでしょうよ」
 その瞬間、カカシは右指を握りしめたままの拳を、床に振り下ろしていた。
「っ……!」
 何度も、何度も、打ち下ろす。
 その、傷み。カカシが今感じている傷みはイルカのものだ。笑顔で体を差しだしてカカシに捧げてきたイルカのものだ。
 皮が破けて血が流れた拳をカカシは噛む。
 馬鹿なイルカ。馬鹿なカカシ。
 あの時に、写輪眼を諦めると言っていれば、イルカはこんな暴挙にでなかっただろう。
 だが、きっと何度あの瞬間を繰り返されても、カカシは写輪眼を選ぶ。写輪眼を失うことはカカシ自身の存在を失うに等しいからだ。
 イルカは、カカシの前では常に笑顔でいたような気がする。あの笑顔に包まれて、カカシは幸せを感じていた。
 イルカを思い出すと、ぐっと胸に迫ってくる感覚。苦しい。けれどそれだけではない。呼吸がままならないような、心臓が不規則に乱れるような、説明しがたい感覚。
「俺は……」
 口元を押さえて、息を整える。せり上がってくるこの感情がやっとわかる。
 きっと、もっと前から知っていた。イルカを見るたびに溢れてきた焦燥の正体。
 愛しい。
 イルカの存在が愛しいと、不意に、思った。
「……俺は、イルカを追う。あいつを、連れ戻す」
「ああ是非そうしてくださいよ。連れ戻して、牢屋にでも、処刑台にでも送ってやればいい。恩人のイルカをね」
「あいつを殺させやしない」
 断固として言い切ったカカシに、ジンは探るように眼を細めた。
「それは、誓いますか? 誓えますか?」
「誓う。絶対だ」
 カカシはジンを睨み付けた。ジンも視線を逸らさない。互いがイルカのことを思っているのは同じだ。
 結局、視線を逸らしたのはジンだった。
「もし、その誓いを破ったら、俺があなたを殺しますよ。絶対に許さない」
 ジンは吐き捨てるように口にした。
 カカシは立ち上がる。まだくらりと頭が揺れるが、憔悴していた昨夜までが嘘のようだ。漲る力に、自分の力を信じることができる。
 部屋を出ようとして、ふと、振り返った。
「あんたのその眼、イルカがやったのか?」
「もみ合いましてね。わざとじゃない。イルカは死にそうな顔をして出て行きましたよ。ひたすら謝ってね」
「じゃあ、この、指は……」
 手の平に載る透明なちぎれた指。イルカの証。
「それは、イルカが自分の歯で千切りましたよ。もうその指を持つ資格がないと言ってね。俺たちの指は、俺たち自身にしか、傷つけることも、破損することもできない。だから、それを捨てるということは、ここでの特殊な医療技術者としての生を、捨てることなんです。あいつは、自分の仕事に誇りを持ってやっていました。あいつには才能もあった。だから、俺は、なんとしてでも、イルカにあなたのことを諦めさせたかった。治療を施した者ならもう一度逆の治療を施せば、その写輪眼を元のポンコツに戻すこともできたから、俺はそうさせようとしたんです。でも最後まで拒まれて、あいつ馬鹿だから、指を千切ってしまいましたよ。それがなけりゃあもう特殊な治療なんてできませんから」
 淡々と語るジン。だが言葉の最後は苦しそうだった。引き留められなかった後悔が、垣間見えた。
「イルカに、伝えて下さい。俺の眼のことは心配無用だと。こんなもの、いくらでも替えがきく。けどイルカ自身は……」
 替えがきかないかったんですけどね。
 去り際にジンが残した言葉をカカシも噛みしめた。





 

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 イルカの追跡に出発したのは、失踪の事実を知ってから二日目の朝だった。
 里への連絡、火影の判断を待って、応援が到着してからの旅立ちとなった。




 

 

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