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 とろりとした液体がイルカの指の間から零れていく。
 なすすべもなく、カカシはただ見ていた。微動だにできず、イルカがきつく握りしめて、最後にはしずくを振り払うさまをずっと見ていた。
「ありがとうカカシさん。俺、自信持ちますね」
 イルカは晴れ晴れとした表情で去って行こうとする。
 カカシの横を擦り抜けるイルカ。
 カカシは、振り返ることはできなかった。だがどうしても、言わずにはいられなかった。
「どうして……! 壊してしまうことは、ない……っ」
 しぼりだすようなカカシの声とは対照的に、イルカの声は乾いていた。
「だって、カカシさんが必要としないのなら、いらないんです。あれはカカシさんの為に作ったものなんです。だから、カカシさんがいらないなら、いらない」
 そんな風に言い返されたらカカシには何も告げる権利はなくなるではないか。ただぐっと拳に力を入れて、叫び出しそうになる衝動を堪える。
 だが立ち去ろうとしたイルカの気配が、急に止まった。「あ……」と何かに気付いたように漏れる声。
 歩を戻したイルカはカカシの二の腕を掴む。仕方なしに振り向いたカカシは、間近にあるイルカと視線を絡ませた。
 イルカの大きな目は見開かれ、口は呆然と開いていた。
「俺、わかりました。やっぱり、俺が……」








□□□

  

 間違っていたことは百も承知だ。
 カカシが自分で言ったように、カカシは個人としての存在ではなく、里のもの。上忍として力のある者が、対処のできることを拒んで、自滅しようとする。それを許すほど里の意志は甘くない。
 戦闘のあった夜の不意の気配に、憔悴していたカカシはたいした抵抗もできずに薬を打たれて連れ去られた。この区域のどこかなのだろうが、湿りけに冷えた空気が、石の壁から伝わってくる。固い寝台に横たわったカカシのかすんだ脳裏に、冴えた声が届く。
 多分、ジンだ。
「明日には写輪眼は取りますよ。あなたは眠ったまま医療班に連れられて里に帰還します。療養して、代わりの目がご希望ならいくらでもどうにでもできますが、写輪眼は保管されて、いつかそれに見合う体を持った者の為か、もしくはうちは一族の為に使われます。悪く思わないでくださいね。里の火影の命です」
 ちっとも悪いなんて思っていない。むしろざまあみろとでも聞こえる声音。
「最初から、こうなることくらい、考えられましたよね。わかっていたのに、何故逆らうんです? イルカの目を、もらっておけばよかった。あなた上忍のくせに馬鹿ですね」
 言われるまでもない。己が馬鹿だととっくに自覚している。だが自覚しているくせに治せないのだから、本当に馬鹿なのだろう。
 この後に及んで、もう何も言うことはない。
 ただ一つの心残りであることを訊く以外には。
「イ……ル、カ、は……」
 唇の動きだけのかすれた声をジンは聞き取ったようだ。何か言おうと動く気配。だが結局はそのままに、閉ざされる扉。
 急速に失せていく意識の中で、カカシは思う。
 イルカは、泣いているかもしれない……。







 俺が 間違っていました ごめんなさい カカシさん



 間違ってないさ イルカも 俺も
 ただ 選びたいものが違うだけだ



 だって 俺 ひどいこと言いました カカシさんの大切な写輪眼のこと 侮辱した 俺が作った目は所詮作りモノで あんなもの いくらでも作りなおせるから 壊したってどうでもいいって思います でも そんなくだらないものと カカシさんの大事なものを一緒に考えるなんてこと しちゃいけなかった
 ごめんなさい 本当に ごめんなさい



 違う それは違うイルカ
 ただのツクリモノなんかじゃあない お前が心を込めて 俺の為に作ってくれたものだ くだらなくない 大切なものだ 



 カカシさんは 優しいね     ありがとう






 まるで水面を漂っているようなうつろな感覚。現実とは思えない浮遊感、酩酊のなかでうっすらと目を開ける。写輪眼は重いまま。かすんだ視界には、うすい背が映る。
 横たわるカカシのベッドに、イルカが腰掛けている。
 起きあがれないカカシからは背中越しの斜めの姿しか見えない。髪を下ろしたまま、俯いている。
 イルカ……、と唇を動かしてみるが、思うようにいかない。けれどぴくりと反応したイルカはそっと振り向いた。口の端を引き上げて、にこりと笑む。ぼんやりとしているのに、黒髪と引き結んだ口元が不思議と鮮明だった。
 イルカは何も言ってくれない。たった今、うつつのなかで話していたのは間違いなくイルカのはずなのに。
 カカシは鉛のように重い右の手を動かして、イルカの右の手の甲に載せる。冷たい手を握ってやることができないのがもどかしい。
 眠らされてからどれくらいの時間が経ったのかわからないが、イルカがここにいるということは、写輪眼に引導を渡してくれるのはイルカということか。それなら、それで、いい。イルカがこの目を取ることは正しいことだと思った。
 遠くで、水音がする。
 断続的に、響いてくる。なんの気なしにその音を数えてみる。
 ずっとずっと子供の頃、こんな他愛ないことで友人たちと競ったことを思い出す。軒下に置いた缶。そこに落ちてくる木の葉のしずく。満杯になるまでの水滴の数。夢中になって数えて、途中でわけがわからなくなって、いつもどちらが勝ったか判別つかずにじゃれあって喧嘩した。
 無邪気な、幸せだけの記憶。イルカの冷たい手も、そんなくだらなくも愛すべきことを知っているのだろうか?
 ここでの生活がイルカの場所なのだとしても、青白い顔、やせっぽっちの体を伸ばせる陽差しに満ちた世界に連れ出してやりたかったと今更だが思う。
 イルカの手が、気持ちぬくもりを持ってきたことに安堵して、カカシはそっと体の力を抜いた。
「カカシさん」
 頬に触れた手。重いまぶたを開ければ、眼前にイルカの無表情な顔があった。どこにも傷はなさそうだ。昨日の戦闘でイルカが無事だったことが嬉しい。
「カカシさん」
 二度、力強い声で名を呼ばれる。イルカに笑って欲しいから、カカシが先にひくつく口元で笑いかけてみる。
「カカシさんは、写輪眼を、失いたくないですか」
 イルカは、カカシの耳元でまるで秘め事のように囁いた。
 写輪眼を、失いたくないか……?
 脳裏に浸みてくる言葉がカカシの諦めに覆われていた意識に浸透してきて、覚醒させる。
 ぎゅっと一度目と瞑り、思いきって意志をもって目を開けてみれば、イルカが、春の陽差しのように温かくカカシのことを見つめていた。
 だからカカシは許されるのだと思った。
 諾、と頷いていいのだと、思ったのだ。
「うしな、い、たくない……しゃりん、がんは、おれに、とって、なにより、たいせつな、もの、だ……か……」
 最後まで言い終わらないうちに、イルカが頷いた。
「わかりました。俺が、カカシさんの希望を叶えます」
 優しい優しいイルカの笑顔。カカシに向けてくる穏やかな気持ち、あい。
 それにどれだけ甘えていたのかわからなかった。
 その時に頷いたことをカカシはとてつもなく後悔することになる。





  

 おもむろに立ち上がったイルカは、部屋の四方に移動して、またカカシの元に戻ってきた。
 何か、部屋の中が結界のようなもので囲まれたことはわかる。
 右手の指先がカカシののど元に触れると、不意に体の感覚が鋭敏になる。鉛のように重く自分の体とは思えない違和感が消え、いつも通りの自分の体だと思えた。だが、体は動かせない。
 イルカはカカシの下肢のほうに移動すると、ためらうことなく着衣に手をかける。信じられないことにカカシの局部を取りだしたのだ。
 叫びたくてもあまりの驚愕に咄嗟に声がでない。イルカはそんなカカシの動揺を置いて、両手を使って明らかな意図を持って触りだしたのだ。
「俺、馬鹿だし、よくわからないから、あまり効果はないかもしれないけど、少しでも、痛みが、緩和されると、思うから……」
 たどたどしく口にしつつ、イルカはいじる手をやめない。ひんやりとしたイルカの手が動くごとにむずがゆいような感覚がはい上がる。なんとかイルカを止めようと必死で首をあげた。そして視界に映ったのは、情けないことに反応し始めて硬度を持ったそこにイルカが身を乗り出して、精一杯に開けた口に銜えてしまったところだった。
 ひゅっと喉の奥が鳴る。
 イルカは真剣な目をしていた。唇に力を込めて、ぎゅうっと絞り込むようにして、滑らせる。じゅっじゅっと水っぽい音をたてて、口の中を往復させる。カカシ自身のものがイルカの口を犯すさまにカカシは釘付けになる。イルカは辛いのか目が潤み始め、唾液を垂らしたまま口を離して咳き込んだ。はあはあと荒い息遣い、上気した頬。視線の先でイルカは目が合うと無邪気に安心させるように頷いた。舌を伸ばして、下のほうからざらりと舐め上げて、先端には吸い付く。カカシのものは完全に屹立して、絶え間なく濡らしはじめていた。
 カカシも、息があがって仕方ない。どくどくと脈打つのは心臓ばかりでなく、下肢も開放を求めて打ち震えた。
「も、やめ、ろ……。イルカっ!」
「待って、カカシさん……。もう少し、だから」
 ベッドに乗り上げたイルカは下の着衣を下着ごと足から抜いて、カカシをまたぐ。膝立ちになり、後ろにまわした手でカカシのモノを掴むと、ゆっくりと腰を落としていく。
 しかしイルカはわかっていない。女でもないのに、ほぐしもせずに入るわけがないではないか。ましてやイルカはこんなこと、したことないはずだ。
 案の定イルカの奥が素直に受け入れるわけがなく、カカシの欲はその周囲をぬるりぬるりと滑る。イルカは焦って泣きそうな顔になるが、カカシはそんなかすかな刺激でもいちいち快感に繋がり熱い息が漏れる。
「あれ? どうして……? だって、あの本だと、こうして、入れて、た、から、だから」
 イルカになんの意図があるか知らないが、カカシはたまらず口を出していた。
「ゆ、び……。何か、滑るもので、ほぐ、せ……」
 きょとんと泣きそうなあどけない顔を傾けたイルカだが、何かに気付いたように頷くと、近くにおいてあったキットからチューブ状の薬を取りだして奥に塗り込み始める。ん、ん、と鼻から息を漏らしながら絶え入るような顔をして時たま口を舌で湿らせる姿がカカシを刺激する。目を奪われたと言ってもいい。ぼんやりとしたカカシが見ている先で、しばしののち、イルカはとうとうカカシに深く沈み込んだ。
 めりっと何かが裂ける。血の匂い。
「い、た……っ」
 小さな掠れた声に、しかめた表情に、狭いイルカの中にぎゅうぎゅうに収まったカカシがどくんと脈打つ。
「ああ!」
 のけぞるイルカの細い首筋にかぶりつきたい衝動が起こる。たまらず、下から軽く揺すり上げると、イルカが懇願する。
「や、だ。待っ。痛いよ、カカシさん」
 イルカの頬を伝う涙にはっとなる。だがあまりの気持ちよさにくらくらとする。
「……おまえ、一体、なに、考えて、いるんだ」
 カカシの上で息を整えたイルカは、唇を噛んで汗ばんだ蒼白な顔のままカカシに被さってきた。
「俺、本当に、馬鹿だから、間違っているかもしれないし、よく、わからないけど、少しでも、カカシさんの、気が、まぎれればって、思って……」
 イルカは自ら腰を揺らめかす。唇を噛んだまま、カカシを煽るように揺する。血と、カカシの出しているものが手伝ってぬめった箇所はとろけるような快楽をじわりじわりと与えてくる。
「イ、ル、カ……」
 熱い息で名を呼ぶと、伸びてくるイルカの右手。
 透明な無垢の指が、左目に伸ばされる。
 光が満ちて、発光している。かざされる希望のような尊い光をじっと、恍惚とした気持ちで見つめていると、ずぶりと写輪眼に突き立てられた。
「っ!!!!!」
 それからのことは朦朧とする意識と脳髄を抉るような、生きたまま解体されているような痛みの中でおこった。
 イルカは右手の指を突き立てたまま、他の指で印を結びチャクラを錬ってカカシの治療を始めた。
 痛みにたまらず叫び出すカカシのことをおいて淡々と作業をするイルカだが、カカシを宥めるように絶え間なくゆるやかに腰を揺らして快楽を起こし、時たま頬や口に口づけを落とす。
「大丈夫。大丈夫ですカカシさん。俺を、信じて。俺は、絶対にあなたのこと、裏切らない」
 イルカの低い声が舌をかみ切りそうなほどに取り乱したカカシのことを引き留める。
 髪を撫でる手。頬に触れる柔らかな口。優しい声に、息遣いに、いつしか左目にささった指のことも忘れ、とても幸せな気持ちでカカシは意識を手放した。
 最後に、イルカは笑っていた。儚げに、それでも笑ってくれていた。



 カカシさん



 ありがとう



 聞こえたそれは、空耳だったのかもしれない。

  



 目覚めたカカシが目にしたのは、血を流し床に倒れているジン。
 その傍に。
 透明な人差し指が千切られてあった。





 

 

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