はなつひかり Y |
銀のアルミケースの中にはクッションの役割を果たす敷物が詰められ、そこに丸いカプセルが鎮座し、その中に眼球が大事にしまいこまれていた。
じっと視線を注いでいたカカシは、いきなりそれをイルカの手からひったくった。カプセルを掴む手に知らず力がこもって、頑丈なカプセルはカカシの力などものともしないがかわりにぎしぎりと骨がきしむ。
その眼球は、紛れもなく写輪眼だった。
赤い虹彩。その上に重なるようにして浮かぶ勾玉の文様。精巧に刻まれた印にカカシは喘ぐように喉を鳴らした。
「俺が作りました」
イルカの声に顔を上げる。その顔は初めて見る自信に満ちあふれたものだった。
「カカシさんの為の義眼です。カカシさんにあわせて作りました。これを移植すれば、カカシさんは今以上の忍になれます。生来持っていた目と変わらない性能があります。早くこれを移植させてください」
イルカの声は真剣だった。空気までもはりつめている気配が皮膚を通して感じられる。
音がする。
夏の陽差しにやられて日射病にかかった時に頭の奥でするような音。それとも雨の音だろうか。空気に湿気った匂いが染み渡っている。今は一体昼なのだろうか、朝なのだろうか、夕方なのだろうか。
傷む目のせいかもしれない。思考能力が鈍っている。
どうしてイルカの作った目は、写輪眼の文様を刻んでいるのだろう。
「イルカ……」
くぐもった声をもらせば、イルカは頷いた。
「この、写輪眼の文様は……」
カカシが訊けば、イルカは笑顔を見せた。イルカらしい、少し照れたような、笑み。
「これ。これ、刻んだんです! 機能のことを考えたら必要のないものなんですけど、カカシさん、大切なものだって言っていたから、だから俺、刻みました」
思った通りの答え。
耳を塞いでしまえばよかったのかもしれない。目を瞑ってしまったらよかったのかもしれない。何も入れなければきっと世界は綺麗なままでいてくれるはずだったのに。
「イルカ」
「もうその写輪眼は限界です。すぐにでも移植しましょう」
眼帯の上から左目を押さえて肩を落とすカカシにイルカは身を乗り出してくる。
「イルカ」
「この目を植えればカカシさんはこんなに苦しむことはなくなります」
嬉しげに、誇らしげに明るい声を出すイルカ。
「イルカ……っ」
カカシはカプセルをイルカの胸に押しつけた。
「それは、俺には必要ない。持って帰ってくれ……」
「何言ってるんですか。必要です。カカシさんに必要だから作ったんです」
イルカは必死に言い募る。
「確かに、写輪眼としての能力はありません。でも元々カカシさんはうちは一族ではないし、写輪眼がなくたって、優秀な忍です。逆に写輪眼なんかがあるからカカシさんの本当の力が損なわれているんです。俺はずっと思ってました。そんな目は早くとってしまったほうがいいって。そうしないと、さっきみたいに、カカシさん自分のこと傷つけるじゃないですか」
「俺は、ここに治療をしに来たんだ。写輪眼をとるためじゃない」
カカシがゆるゆると首を振ると、イルカはカカシの手ごとカプセルを掴んだ。
「だから、写輪眼を取ってこの目を移植することが最善の治療なんです。今は、無理だけど、いつか写輪眼としての力だって使えるように、俺これからも研究します。だからっ……」
「イルカ」
堪えきれなかった。そう思ってイルカを遮るように口を開けたが、それは怒鳴りつけるようなものではなくて、感情のこもらない、平静なものだった。
項垂れていた顔をあげれば、床に跪いて身を乗り出していたイルカの顔が間近にあった。細い手で、カカシの手を握りつぶすように強く掴んでいる。その懸命な様を見ていると、腹の奥底を押し上げるような苦い気持ちが沸き上がってくるのを感じた。
「俺は絶対に写輪眼を捨てない。これは俺にとって代わりのきかないものだからだ」
カカシが告げたことにイルカは目を見開いた。
「代わりなんて! 俺がいつか、絶対に、同じものを作ります。だから今は」
「わからないのか? 俺は、お前が作ったものなんていらないんだよ。この、目が……」
眼帯をとったカカシはイルカに見せつけるように見開いた。
「オビトからもらったこの写輪眼が俺には必要なんだ。どんなに性能が悪くても、俺の体に合わなくても、それでも俺はこの目を手放す気はない。絶対に、代わりがきかないものだからだ」
カカシが断固とした気持ちで告げると、イルカの顔が徐々に絶望的に沈んでいく様が見て取れた。カプセルを掴む両手は震えていた。
「目なんて、いくらでも、どうにでも、なります。カカシさんは、一人しかいないじゃないですか」
小さな声でそれでも反論するイルカをカカシは鼻で笑った。
「俺はただの忍だ。里の道具だ。それこそ俺の代わりはいくらでもいる。俺も、お前もな」
イルカは激しく首を振った。
「違う、違います! カカシさんの代わりはいない!」
「黙れっ」
とうとうカカシはイルカを突き飛ばしてしまった。
イルカは受け身もとれずに倒れこみ、頭を打つ鈍い音がした。
無機質な音が緊張していた場の空気にひびを入れてくれたのかもしれない。イルカの白く青ざめた顔に伝う赤い血にカカシははっとなり瞬きをする。
体を起こしたイルカは、痛みに顔を歪めるでもなく、責めるでもなく、ただ真摯な眼差しでひたと見つめてくる。カカシは舌打ちした。
「鬱陶しいんだよ。どっかいっちまえ」
イルカに背を向けて横になる。謝罪の言葉など、今告げてもなんの意味もない。イルカはそんなことを望んでいない。
眼帯をはずした為か左目はまた激しい痛みをぶり返してきた。こめかみで脈打つ鼓動をカカシはひたすら聞いていた。
そばにあった気配が、静かに遠のいていく。
扉が開く。
「命より……」
イルカの小さな声がどうしてかきちんと耳に届いた。
「カカシさんの命より大切なものなんて、ないのに」
「無理しないで、眼帯当ててくれますか」
ジンの空々しい声がする。ごろりと体を返せば、壁際で腕を組んで寄りかかったまま、細い目が見下すかのようにカカシを見ていた。
ジンが何か言いたげな気配を察知したカカシは眼帯を素直に当てて、呼吸を整え落ち着くのを待った。
「で、何が言いたいんだ」
「いいわけみたいなことですが、とりあえず言わせてもらいますよ」
はぁと溜息を落としたジンは無表情のまま語り出した。
「あなたの目がそう遠くない未来にこうなることはイルカが最初に気付きました。イルカは、数年前からあなたの目に別の目を移植しなおしたほうがいいと主張して、先ほどの目をずっと作り続けていました。何回も失敗して、それでも諦めずに作り続けてきました」
鼻についた傷も作業中の事故でしたが、寝不足が原因ですよ、とジンは少し嫌味な口調で付け加えた。
「カカシさんに合う目を作ると言って、今回あなたがここに来てからはそりゃあもう、寝食を忘れるくらいに打ち込んでました」
カカシの元を訪れる時のイルカからはそんな気配は微塵も感じなかった。
「……あいつ、馬鹿だから、俺のこと、好きなんだろ」
「全く大馬鹿ですよ。あなたなんかの為に一生懸命に作って、あげくにこのざまだ」
吐き捨てるようなもの言いのくせにジンの表情は痛ましかった。
「俺はね、ずっとイルカに言ってきましたよ。カカシさんとは生きる場が違うから、あまり近づかないほうがいいってね。でもあいつは同じ木の葉の忍ですと言って、何もわかっちゃいなかった」
「だから、あいつ、馬鹿だから、一生わからないだろ」
そんな馬鹿なイルカのことが、カカシは気に入っていた。だが残酷な無邪気さが今は憎かった。
壁から体を起こしたジンは床に落ちたままだった銀のケースを拾った。イルカの血がついていたのか、角をそっと拭う。
「イルカは、間違ったことは言ってません。写輪眼をこのままにしておくと、カカシさん、あなたはいずれ自分で抉り出しますよ。さきほども俺たちが来なければそうしていたでしょう。まあ抉らずにすんでも、あなたの体との拒絶反応からそのうち失明するかもしれないですね。それでもその目を後生大事に持ち続けるんですか?
役にもたたない、腐った目を」
冷淡な声。ジンの細い目の奥が光る。静かに、けれどかなり怒っていたのだなとそこでやっとカカシは気付いた。
体を起こすとカカシも正面からジンを見返した。
「間違っていなければそれは正しいことなのか?」
「少なくとも、この件に関する限りは」
「じゃあ、写輪眼の文様を刻むことも正しいことなのか?」
ジンはふっと息をもらした。口元が緩く笑んでいる。
「それは、馬鹿なイルカなりのあなたへの愛情ですよ。カカシさんはきっと同じ文様がついていたら喜んでくれる。そう言って刻んでました。あなたにはわからないことですが、簡単なことではないんですよ。イルカの技術があったからこそできたことだ」
「俺はそんなこと、頼んじゃいない」
「だから、イルカの勝手な愛情ですよ。こうしたらあなたが喜んでくれると思ったんです」
「そりゃあ随分と見当違いだったな」
「所詮そんなものでしょう。ひとの心など読めません。想像するしかないんですから」
肩を竦めるジンの口調はどこか諦めにも似たものがあった。
カカシとて、イルカが何を思って文様を刻んだのか、そんなこと簡単にわかる。すべてカカシの為だ。カカシが望んだことだと思ったからだ。
その気持ちを素直に汲むことができないのは、カカシの問題で、それは要は、イルカのことを勝手にこうあってほしいと望んでいたからだ。
勝手に考えて勝手に失望して、ろくなものじゃない。
無言の睨み合いは、カカシが視線を逸らすことによって終わりを告げた。
「俺は、もうここにいる必要はないな。明日にでも出て行ったほうがいいのか?」
「いつでも出て行けるように準備だけはしておいてください。まずは三代目に報告をしなければならないので」
ジンは出て行く直前にさきほどのイルカのように言葉を落としていった。
「やっぱりあなたは毒でしたね、カカシさん」
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