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 イルカがカカシの治療に戻って数日。いつも脳天気だったイルカには珍しく、らしくなく眉間にしわを寄せるようになっていた。
 写輪眼の調子がかんばしくないことはわかっている。治療時間が長くなった。イルカの指が眼球の繊細な毛細血管をなぞるようにして何度も往復する。治療が終わると左目がぶわりと顔から浮き上がるような感覚があり、そこをイルカのチャクラがこめられた眼帯を当てることによって体になんとか納めているような感じだった。
「カカシさん」
 苦みを増した薬湯を含んでいると、イルカが難しい顔をして前に立った。
 カカシが無言で見つめ返すと、イルカはすっと目を逸らし、口元を引き結んで一呼吸整えた。
「……左目、調子悪いです。なんとか、カカシさんの体に納めているんですが、かなり、無理が来ています」
 ゆっくりと告げるイルカはあきらかに言葉を選んでいた。はっきり言え、と促したい気持ちはある。だがカカシも正直、写輪眼のことは怖かった。このままでいいわけがないことはわかっているが、理性と気持ちがかみ合わない。決定的な言葉を聞くのが怖くて、カカシは遠回しに告げた。
「俺は、この目を失いたくない。これは俺にとって、とても、とても、大事なものだから」
 カカシの言葉にイルカは目を見張る。何か言いたげに、カカシのことを見つめたのだが、結局、黙ったまま何度も何度も頷いて、その日は戻っていってしまった。







 それから数日イルカの代わりのジンとやらがまたカカシの元に来るようになった。イルカはどうしても至急で片付けなければならない仕事があるから、またしばらく来れないと。
 イルカがいない無味乾燥な日々。けれどカカシはそのことを不満に感じる余裕すら持てずにいた。
 写輪眼が、日を追うごとに不調になってきた。まるで意志ある者のようにカカシの体から抜け出そうとする。左目の神経が引っ張られているようだ。カカシの体から抜け出そうとする写輪眼と、それを引き留めるカカシの体。そのせめぎ合いはひどくなる一方で、眠れない日が続いていた。
 うつらうつらとした時には必ず同じ夢を見た。
 オビトが死んで、リンが写輪眼を移植した。移植した途端に左目は腐り落ちる。それをリンが集めてオビトの死体の陥没した眼窩に埋め込むと、写輪眼はまた形を取り戻す。それをまたリンが取りだしてカカシに埋める。
 腐る、落ちる、戻す、取り出す、埋める、腐る、落ちる・・・・・・。
 悪夢の連鎖は永遠に終わりそうになく、写輪眼はカカシを拒み続ける。本来の持ち主に戻せと責められているようだ。
 カカシが継血限界でもなんでもなく、写輪眼に適していないことなど百も承知だ。だがカカシはこれ以上失いたくないのだから、甘んじてその傷みに耐えていた。







「!」
 声を出すこともできずに飛び起きた。
 喉の奥から唸り声のようなものはあがるのだが、言葉として紡ぐことができない。呼吸がうまくできずにどっと冷や汗がでる。
 左目が、脳を焼き切るような激痛を与えてくる。視界は歪んで揺れて、嘔吐感がこみあげて、胃液を吐き出す。体を守ろうとする防衛本能ゆえか、手が、左目に伸びる。痛みの元凶を取り除こうとでもいうのか、意志に反して左の眼球の回りに指をたてる。
 ぶるぶると震えながらももう片方の手で押さえつける。
 獣じみた叫びを発してベッドから転げ落ちる。床の上でのたうつ体。その手は散らばっていたクナイを掴んでいた。
 駄目だ、と思う。思うのだが、クナイを握った手は石のように固まり、決して離すまいとする強さを感じた。
 床の上に仰向いた体。クナイの刃が左目に向かうのが、涙でぼやけた視界にやけにゆっくりと映る。失いたくないのに、痛みなんかに負けて、自らえぐり出そうとしている。
 誰か…、と、心で呼んでみる。
 誰でもいい。意志に反して左目に突き立てようとしているこの手を、誰か、止めて欲しい。
 絶望的な気持ちで、それでも祈るように、カカシは心の底から希求する。
 嫌だ、嫌だ。この目を、写輪眼を失うことだけは耐えられない。
 眼球に真っ直ぐ入り込もうとしたクナイの刃を逸らすことができたのは最後の抵抗だった。上目蓋につぷりと刃が刺さり、それが深く入り込もうとする力を止めることはもうできなかった。
 オビトが、リンが、先生が、遠くかすんでいく。またひとつの絆が断ち切られてしまう。嫌なのに、この痛みに耐えることができない。
 ぐうっと唇を噛みしめた、その時、血の匂いがした。
 ぽたりと生温かなものが頬に落ちる。
「駄目ですよ、カカシさん。こんな、傷つけたりしないでください」
 労るような温かな声。
 イルカが悲しげな顔で、それでも笑っている。だから安心してカカシは意識を手放した。







 駆けつけたのはイルカとジンだった。イルカはカカシがクナイを刺すのを止めようと咄嗟にクナイの刃を握りこんでしまい、右手を傷つけてしまったが、あの指だけはなぜか無傷だった。イルカの治療で落ち着きを取り戻したカカシはそれでも断続的にずきんずきんと痛みを与えてくる写輪眼に顔は強ばっていた。視界にはイルカの右手の白い包帯が目に鮮やかだ。
「落ち着きましたか」
 穏やかなイルカの声。カカシはかすかに頷くことで応えた。
 そして落ちる沈黙。イルカも、ジンも、何も言わずにベッドの上に腰掛けるカカシのことをじっと見ていた。
 何をどう言えばいいのだろう。
 写輪眼は限界だ。このままカカシの中に入ったままでは、カカシも、写輪眼も、駄目になる。それは言葉にするまでもなくわかっている。最初から、わかっていたことだ。けれど、それでも。
 カカシは失いたくないのだ。
「カカシさん」
 俯くカカシの前にイルカが進み出てきた。
 その手には両手の平におさまる大きさの銀色の箱。イルカはカカシの前で、かちゃりと蓋を開けた。







 そこに入っていたのは透明な培養液の中に浮かぶ眼球だった。












 

 

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