はなつひかり V |
カカシが苛立ちのままに追い返した翌日も変わらぬ笑顔でイルカはやって来た。
そして、写輪眼の調子があまりよくない。ひと月ではメンテナンスが終わらないことをあっさりと告げた。
「なので、今までみたいにあまり激しい鍛錬はしないでくださいね。あと、治療のあとの薬がかなり苦くなります。すっごくまずいです」
そう言うイルカは本当にまずそうに顔をしかめる。そしてポケットの中からごそごそとキャンディーをとりだした。カラフルな包みに入った小さなキャンディーをいくつかカカシの手のひらに落とす。
「これ、薬飲んだあとに舐めて下さいね。すごーく甘いです」
一転して今度は子供のようなおおっぴらな笑顔を見せた。
イルカは相変わらずだった。
相変わらずよく喋った。
役にもたたないことをべらべらと喋り立てて、いい加減に辛抱できなくなったカカシが無言で睨み付けると、やっと口を閉ざして出て行くという日々。だんだんとイルカがカカシの元にとどまる時間が増えている。昼くらいまでだったのが、午後も遅くなるまでいることもある。いつの間にかカカシは聞くともなしにイルカの言葉に耳を傾けてしまっている。
脳天気な顔を前にしてしかめっ面でいるのも馬鹿らしくなり、とうとうカカシはイルカと向かい合って食卓についた。
テーブルの上にはイルカが調理したものが大皿に盛られている。見た目ではなく中身で勝負と最初に豪語しただけあって、適当な野菜炒めを作ってもカカシの口によくあった。いつもは反発心からイルカが帰ったあとで一人食すのを常としていたが、カカシは無言で向かい合った。
イルカはあからさまに嬉しそうに笑み崩れると、カカシのドンブリにも大盛りに白飯を盛りつけて、自らももりもりと咀嚼する。
口いっぱいに頬張る姿にカカシはすでにくせになっている溜息をついてイルカに問いかけた。
「お前って本当にマイペースだな。悩みとかもないだろ」
「失礼な。悩みくらいありますよ」
「どんな」
「それは秘密です」
口の周りに飯粒をつけたまま、唇を尖らせたイルカは人差し指を口の前でたてた。人工の透明な人差し指がむき出しのまま。違う世界のもののような可憐な指。だが片手にはドンブリ。真剣な顔が逆におかしかった。
カカシは自然と口元が緩んでいたらしい。
「カカシさん、笑ってくれた」
イルカからふっと肩の力が抜ける。白い頬がほんのりと赤くなり、照れているのかイルカはドンブリをかっこむ。
なんとまあ、素直に感情を露出させる男だ。カカシが笑うことで何故イルカが嬉しくならなければならないのだろう。その思考の流れがわからないが、カカシがそんなことを深く考える間もなくまたイルカは日常のちょっとしたことを話しだすのだ。
一人前になって家を与えられた。小さな庭には野菜をいくつか植えた。窓辺にはプランターがあり、緑を植えて、黄色い花も咲いている。料理の腕は仲間の中で一、二を争うほどで、一度里の火影にも食してもらったことがある、と。
黒い瞳をきらきらとさせて、よどみなく、楽しくて仕方ないとイルカは話す。
流れるような声がカカシの耳に決して不快でなく届いてくる。
いつの間にかカカシも、過去の幸せだったと思える頃の自分をとつとつと話しているのだった。
「俺ねえ、こう見えても分身は結構得意なんですよ」
イルカと向かい合っての食卓にも慣れてきた。そんな時。
昼食のあとにいきなりイルカが外に来て欲しいと誘ってきた。
外にいる間は眼帯の着用が義務づけられている。カカシはせかすイルカを待たせて外に出た。
もやがかった白い世界の中で、空からのかすかな陽がぼんやりと景色を浮きあがらせる。絵のような現実の触感が感じられない世界。
そんな中にいてもイルカは鮮明だった。黒々とした髪が存在を主張するのか、5人のイルカがカカシの前に立っていた。
チャクラの分配も完璧で、どれが本物なのか一見わからない。たった5人とはいえ完璧な分身にカカシは一瞬ほうけた。
「どうです? どれが本当の俺かわからないでしょう?」
5人のイルカが胸を張る。細い体を精一杯のけぞらせている。素直に感動してやるのも癪で、カカシは印を結ぶと、イルカを取り囲むようにして数十人に分身した。
「どうだ? 本物の俺がわかるか?」
目を見開いたイルカはごくりと喉を鳴らすと、5人が5人ともうろうろうろうろとカカシの回りを検分する。カカシは何食わぬ顔で立ってイルカの動向をさりげなく意識にとどめていたが、なんとなく、本物のイルカがわかってきた。
何が、どこが、というわけではない。
ただなんとなく。それだけの直感のようなものだった。
だから本物と思われるイルカがちょうど本物であるカカシの前に来たときに、先に告げてやろうと手を伸ばしたが、それと同じタイミングでイルカの手が頬に触れた。
「見ーつけた。本物のカカシさん」
「なっ……」
イルカの目が。
のぞき込む。ためらうことなく真っ直ぐに。
互いの分身は煙とともに解けた。
「カカシさん?」
イルカの目に映る自分。それを見たくなくて、カカシは無意識にイルカのことを突き飛ばしていた。
「カカシさんっ?」
よろめくイルカの不安げに揺れる顔。カカシはじくじくと傷みはじめた目を押さえて背を向けた。
「カカシさん? どうかしましたか? 目、傷むんですか……?」
カカシの不安を感じて気を遣うイルカ。なのに、カカシは振り向きもせずに吐き捨てた。
「うざい」と。
イルカの不在を訊いてみたのはあの日から10日くらい経ってからだった。
あれからカカシの元にはイルカではない人間が訪れて、必要な指示以外一言も喋らずに治療を施すと帰っていく。イルカでなくても誰でもいい、どうでもいいと思っていたのは勘違いだったようだ。
一人の時間を持て余す。イルカに慣らされて、共に過ごすことが自然になってしまっていた。
イルカが何故訪れなくなったのか、聞かないことにはストレスがたまって仕方なかった。だから聞いた。
「イルカは、他にも仕事があります。それに体調も少し崩しているので療養しています」
何か問題でも? と無表情に問いかける男は30くらいだろうか。黒髪を短く刈っている。細い目はどこか寒々しく、カカシのことをまるでモノのように見る。そんな視線は気にならない。望むところだ。ただカカシがどうしても気に入らないのは、男の指。
イルカよりも的確な治療を施しているのかもしれないが、右手の人工の指はイルカのように透明でなはく、灰色に濁っていた。
「あいつ、俺のこと担当するって言ってたけど、もうリタイア?」
小馬鹿にしたように告げれば、帰ろうとしていた男はくるりと振り向くと、思わぬことを言った。
「それで了承いただけますか」
「了承? 何を?」
「イルカをあなたの担当からはずしたいんですよ」
男の声音はあまりに平坦で、らしくないことだがカカシのほうが一瞬二の句が継げなかった。
「どうして、はずしたいんだ? 俺別に何もしてないぜ。まあせいぜい性教育をほんのすこーししたくらいか」
実地ではないけどね、と付け足すことは忘れなかった。
「イルカが言ったんですよ。もうあなたの担当は嫌だって」
カカシは吹き出した。
「うーそうそ。それはあり得ない。あいつ、俺を担当できて嬉しいって、きらっきらした目で言ってたぜ。それがいきなり担当やめたいなんて考えられないし、それにあいつ、プロなんだろ。いい加減なことはできないはずだ」
ここに世話になるようになった頃から思い返せば、イルカはいつだって真剣だった。助手として上の者の指示を仰ぎつつも自らの意見も述べて、それがいつも的確だったように感じられた。カカシも同じように自分のやるべきことに誇りを持ったプロだから、イルカの思いと医術に対する腕は信用していた。
男は入り口脇の壁にもたれかかると腕を組んで、値踏みするような不躾な視線で観察してきた。
カカシは質の悪いにやにやした笑いを口元に貼り付けて見返した。
「あなたは、毒なんですよ、カカシさん」
予想の範疇内のことを言われてカカシは呆れて天井を仰いだ。
「俺に言わせりゃあ、ここが無菌室すぎるんだよ。なんなんだよあんたらは。わっけわかんねえ知識を植え付けて……」
カカシの言葉を遮るように男は顔の前で軽くいなすように手を振った。
「それは言いっこなしで。わたしたちはお互い生きる世界が違います。それぞれのルールがあるんですよ」
反論を遮る言い方がかんに障る。枕元に置いてあったクナイを投げつける。男の顔の真横の壁に縫われるが、男は顔色一つ変えない。
「あいつがどうしても担当をはずされるなら仕方ない。けどあんたはやだね。てか、あんたが担当になったらきっと殺しちゃうかもしれないからね」
男はクナイを無造作にとるとカカシに投げてよこした。
「イルカは近日中にはまた戻ってきますよ。確かにイルカはあなたのことを好いています。けれど住む世界が違うのだから、余計なことは言わないでください。それが互いのためですよ」
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