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 イルカの指は驚くほどに繊細なタッチでカカシの目蓋に触れてくる。
 そよ風がかすめるような感触で細やかな印が結ばれてチャクラが流しこまれると、重く鈍さを訴えていた左目が軽くなる。
 イルカの人工の指が左目の写輪の模様に触れるか触れないかの位置で動かされるのを右目でうかがう。透明な指の中に浮かぶ気泡と青い静脈がぼんやりとにじむ。
 イルカが右の指先をサックで覆うのが治療が終わった合図だ。
 この区域に来てから一週間ほど。
 最初イルカは写輪眼を取り出すと言っていたが、目の様子を見たあとに少し様子を見ると方針を変えた。
 暗部の支給服を脱いだカカシは今はゆったりとしたズボンとシャツをまとっていた。
 日々は単調だ。いつもイルカは午前中にはカカシの元に訪れる。治療が終わりしばらくすると睡魔が襲う。眠りから覚めると鍛錬の為に外にでる。食事は自炊。適当にとっていた。ここに来てからまだイルカとしか顔を合わせていない。
 本日の治療も終わった。差しだされた薬湯を嫌そうにカカシが飲むと、イルカはくすくすと楽しそうに笑う。
 カカシは枕元に備えつけの台に手を伸ばした。ベッドに横になったまま愛読書を開くとイルカには一言も話しかけずに読書に没頭する。イルカも特に気にした風もなく二、三言葉を残して出て行くのだが、この日は違った。本を読もうとしたカカシの背に話しかけてきた。
「カカシさん、いつもその本読んでますけど、面白いんですか?」
「面白くなけりゃあ読まない」
「どんな内容なんです?」
 イルカが背後から乗り出してくる気配が鬱陶しい。カカシは背を向けたまま無言で本をイルカの鼻先につきつけた。イルカは本を受け取りどうやら読みだしたようだ。頁をめくる音がかすかに耳に届く。イルカに渡したのは愛読書のシリーズの中でもかなり濃密なハードな内容になっている。色のことを中途半端に覚えはじめたガキが読んだなら間違いなく下をおっ勃てることだろう。イルカがどの程度そのこと知っているか知らないが、こんなところに隔離されての生活なら言わずと知れたことだろう。
 そのうち前屈みで出て行くとふんでいたが、パタンと本を閉じる音がした。
「カカシさん、俺、よくわからないんですけど……」
 思いつめたような声音が気になりカカシが振り向けば、イルカは神妙な顔で本の表紙をじっと見つめていた。
「この女の人は暴行されて抵抗していたのにどうしていつの間にか喜んでるんですか? どう考えても無理矢理されているとしか思えないのに気持ちいいって言ってますし。体の中に入れられているバイブってなんですか? 膣から入れるということは子宮に入れるってことですよね? 振動するみたいだし、そんなもの入れて将来子供を産むかもしれないのに体に傷をつけたりすることになりませんか? 肛門にも入れてるみたいですけど、そこは入れる場所じゃなくて排泄する器官です。あと、男の人の性器を舐めてますが、」
 カカシはイルカの手から乱暴に本を取り上げた。
「おい、お前十八って言ってたよな? 女抱いたこともないのかよ?」
 イルカはまるで医学書を読んだかのような感想を並べ立ててくれた。
「女を抱く? それは子孫を残す為の行為ですよね? それは俺にはまだ資格がないし将来許しがでるかもわかりませんけど、それとこれとが関係あるんですか?」
 イルカはあくまでも邪気のない顔をして本気で疑問に思っている。
 カカシはらしくもなく溜息を落としていた。
「セックスはガキを作るためだけにするわけじゃねえだろ。どっちかってーと気持ちいいからやってんだろ。女のそこに入れりゃあ気持ちいいししゃぶってもらえりゃあ昇天だよ。女だってそこをいじくってもらえりゃあ気持ちいいんだよ。お前体のことに関しちゃプロなんだろうが……」
「そうですけど、だからわからないんです。この話はめちゃくちゃですよ。体に悪いことばかりしているのにどうして気持ちよくなるんですか」
「おっしゃるとおり、セックスは体に悪いだろうさ!」
 カカシはいらいらして頭をがりがりとかいたが、馬鹿らしくもなってきた。想像通り、この特殊な一族は隔離されているだけあり一般の知識が通用しないらしい。セックスのことなど忍者なら学ぶべきことでもあり、学ばなくとも回りからそれとなく知っていくようなことであるはずなのに。
 だが、教えられなくとも人は成長する。衝動がおこる。カカシは少し意地の悪い気持ちで尋ねた。
「お前、マスかいたこともないのかよ?」
「マス……」
「ああ、だから!」
 説明するのも面倒で、カカシはベッドの脇に立っているイルカの急所に手をのばした。
 そこには確かにカカシと同じ、男としての感触がある。布地の上からぎゅっと強く握ってイルカを見れば、顔をしかめていた。カカシはにんまりと顔を歪めた。
「ここを、自分の手でこすったりしないかってことだよ。今まで朝起きた時にここが固くなってたこともないのかよ? このさきっぽから白いの出したこともないのかよ!?」
 たたみかけるように訊けば、イルカは黒い目を瞬かせて目線を逸らした。だがカカシに視線を戻した時にはにこりと笑った。
「子供の頃に、数回そんなことがありました。朝起きた時びっくりしましたよ。でも成長の証だって言われて、治療を受けました」
「治療?」
「はい。だって、必要ないことですから。放っておくと成長を妨げるって」
 イルカは力の抜けたカカシの手をさりげなくどけた。そのまま出て行くかと思ったが、お茶を飲みましょうと言って湯を沸かしはじめた。
 ほっそりとした後ろ姿をカカシはまじまじと見つめる。カカシはこの場に来るのは四度目だが、イルカはもとより誰とも会話らしい会話をしたことがなかった。カカシは求めていなかったし、相手もカカシに必要なこと以外は話しかけてはこなかった。そんな中、イルカは比較的カカシに話をふってきたことが多かったが、天気の話をするようなものだった。それが今になってここがおかしな場であることを知ってしまった。
 驚きはするが予想できることでもあった。カカシはくぐもった声で笑った。
「やーっぱお前らおかしいよなあ。まあ俺もおかしいからな。いい勝負だ」
 紅茶のカップを持ってきたイルカはベッドの傍らのパイプ椅子に腰掛けた。
「おかしいですか? でも、カカシさんはおかしくないです。カカシさんは綺麗です」
 イルカの真っ直ぐな賛辞にカカシは受け取ったカップを取り落としそうになった。イルカは柔らかく笑んだままくすぐったそうに肩を竦めた。
「俺、昔からカカシさんに憧れてたんです。銀の髪も、色違いの目も綺麗ですよね。忍者としても優秀で、かっこいいです」
「勘弁しろよおい……」
 カカシは頭を抱えそうになった。イルカはカカシの困惑に気付かないのか勢いづいて話し続ける。
「里ではそういう本がはやっているんですか? 俺今まで一度しか里に行ったことないんです。活気があって楽しそうなところですよね」
「ごちゃごちゃしているだけだ」
 暗部に入ってからカカシもあまり里で長居することがない。鮮明に覚えているのは九尾の打撃で痛めつけられた里の姿だ。
「俺ねカカシさん。今回自分でカカシさんの面倒看させて下さいって師匠に頼んだんです」
 カップに口をつけたままカカシが上目遣いに見遣れば、イルカはいくぶん頬を紅潮させていた。
「だから、頑張って全力で看させていただきますから」
「何で?」
「え?」
「何で俺のこと看ようなんて思ったわけ。自覚あるから言うけど、俺扱いづらいだろ。感じ悪いし」
 イルカは結わえた髪が勢いよく揺れるくらい顔を横に振った。
「いいえ全然! 俺、カカシさんと話していると楽しいです。だからもっとカカシさんと話してみたいなって思って。俺は凄く嬉しいんですけど、迷惑でしたか……?」
「迷惑だな」
 カカシは一言で切り捨てた。イルカは目に見えて気落ちする。肩が落ちる。無言で立ち上がって水場でカップを洗うと、部屋を出て行った。小さな声でごめんなさい、と呟いて。
 イルカを傷つけたかったわけではないが結果的にそうなってしまった。そう自覚することがまた苛立つ。飲み終えたカップを床にたたき付けようとしたがさすがにそれはやめた。
 ベッドの上で仰向けに寝ころんで、天井の黒いしみをぼんやりと映す。イルカの項垂れた首筋に落ちていた後れ毛がなぜか目の奥に残る。
 苛立ちをイルカにぶつけてしまったことはわかっている。なぜ苛立つのか、それもわかっている。自分の体なのだから自分が一番よくわかる。
 親友の形見の左目が限界を訴えているからだ。
 この体では駄目だ、と。
 まがいものの、体では。





 

 

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