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 見上げた空は遠く高く澄みきっていた。
 蒼さと光に目が眩む。視線を転じて見下ろす山間の緑は様々な色あいを重ねてこれも遠くまで続いていた。
 暗部の仲間から声がかかる。出発だと。
 一度だけ目を瞑り、深く息を吸う。両目を開けて迷いを振り切った。
 そして手にしていた犬の面をかぶる。
 すでに走り出した仲間を追って岩を蹴り跳躍した。
 その瞬間、つきりと傷む左の目。
 もしもイルカを見つけることができなければ、この罪を抉りだしてしまえ。
 その決意と共にカカシは全力で走り出した。







 

□□□□








 

 2年ぶりに訪れるいつもの場所。
 白い景色。消毒液がしみこんだような、自然でありながら人工的な場所。
 カカシはなんとなく唾でも吐きかけたいような気分でそこに到着した。
 もやの奥から出迎えたのは見知った顔だった。
 立ち止まったカカシの前で徐々に輪郭がはっきりしてきた。
 黒髪を頭のてっぺんで結わえた姿を覚えている。イルカの黒い目は細められて笑顔を見せていた。
「お久しぶりですカカシさん。息災でなによりです」
「ああ。お前は変わらずあおっちろくてチビだな」
「これでも身長伸びたんですよ。2センチばかり」
 イルカはなぜか得意げに告げてきたが、カカシは特にコメントはしなかった。
 医療忍術に特殊な才を持った一族たちが集められた居住区。
 こんな木の葉の辺境に位置する区域に何も好きこのんで来たわけではない。これはカカシの義務なのだ。元は他人のものだった写輪眼。血継限界でもないカカシの体に移植されてしまったから、どうしたって負荷がかかる。そのメンテナンスが2年に一度必要になり、カカシはこの場に来ざるを得ないのだ。
 はっきり言ってカカシは結界で閉じられた無菌室のようなこの場所が嫌いだった。性に合わないとでもいうのか、雑菌を排除する場ではまるで外からの者はいらないもののような気になるからかもしれない。
 ぼんやりと滲みだす視界。いつも初日は体があてられる。外の世界の空気とこの世界がカカシの体の中でせめぎあう。自分よりもか細いイルカに肩を借りるのも嫌なのだが、平衡感覚が怪しくなり蛇行してしまう。仕方なしにイルカに支えられつつ用意された家に向かう。
 医術が必要な為に訪れる者に用意された石の家屋。そこのベッドに体を投げ出した。思ったよりも寝心地がいいが、病人の為なのだから当たり前なのかもしれない。
 目を閉じてもくらくらと頭が揺れて、目蓋の奥で明滅する光が鬱陶しい。
「カカシさん、明日の朝、写輪眼を取りに来ますので、今日はゆっくり休んで下さい」
 イルカは薄い布を掛けてくれたが、カカシは返事もせずに横を向いた。
 また憂鬱なひと月が始まる。
 初めて写輪眼が尋常でない痛みを訴えたのは移植から2年経った時だった。
 止められなければ無理矢理にでも抉りだしてしまっていたかもしれない。それから3代目の指示でこの場所に連れてこられた。
 初めての時カカシの写輪眼は取り出され、ひと月後に移植をしなおした。それですべては解決したと思ったのだが、2年ごとにメンテナンスが必要だと言われたのだ。
 あれから、ここを訪れるのは四度目になる。





 深い眠りから覚めると、昨晩の気分の悪さが嘘のように脳がクリアだった。
 外の井戸で顔を洗い息をつく。この区画はあまり晴れることがなくもやがかっている。昼の数時間だけ空からの光がわずかに明るさを届けてくれるだけだ。つくづく、不健康な場だ。意識しなくても仏頂面になるのは仕方がない。迎えが来るまでふて寝でもしようかと家に戻りかけたカカシだが、近づく気配に振り返る。
 朝もやの向こうからイルカが近づいてきた。結わえられて揺れる黒髪がやけに鮮やかに目に映る。イルカは片手に医療用のキットを持ち、片手はカカシに気づいて手を振ってきた。
「おはようございますカカシさん。よく眠れましたか?」
 イルカはいつも穏やかにカカシに笑いかける。カカシは何故かその落ち着きに苛立ち、考えてみればここを訪れるようになってからこのかたイルカに対して笑いかけたことはなかった。
「早速ですが、メンテの作業始めさせていただきます」
「ちょっと待てよ。お前は、助手じゃないのか?」
「前回までは。今回からカカシさんの担当は俺一人でやらせて頂きます」
「なんだと?」
 カカシは気色ばんだ。
「お前だけで大丈夫なのか?」
「大丈夫ですよ。師匠に認められましたし実地の試験も合格しました。俺ももう一人前ですから」
「一人前だと? お前いくつだ?」
 線が細く幼い顔だちをしたイルカはカカシには15、6くらいに見えた。
 カカシのことをにこにこと見上げたまま、イルカは首をかしげた。
「カカシさんは12で上忍になって、15で暗部に入ったって聞きましたけど」
「俺のことじゃなくて、お前……」
「もしもカカシさんが若いという理由だけで、上忍であることを認めてもらえないとしたら、それに従うんですか?」
 ぐっとカカシは言葉につまる。イルカの言いたいことは簡潔で明瞭だった。
 だが素直に認めることもできずに、カカシは身を翻して家の中に入った。
 ベッドの上に乱暴に腰を下ろしたカカシを気にしたふうもなく、イルカは近づいてきた。ちなみに俺はこれでも18です、と言いながらキットを開けて準備をする。自分とふたつしか違わないことにカカシは驚いたが、無言でいた。
 身を屈めて、失礼しますと声をかけてから、イルカは右手の人差し指にだけつけていた白いサックをとる。そこは人としてのものではなく、明らかに人工の指となっていた。
 透明な作りものの指。関節の線がきちんと入っている。青い静脈が幾重にも絡まって線となり、真っ白な骨を取り巻いていた。
 カカシの視線が動いたのに気付いたのか、イルカは自分から口にした。
「これが、一人前の証です。俺たちは認められたとき、この指をもらうんです」
 誇らしげな様子がうかがえる。イルカのはにかんだような笑顔がカカシの目に残った。







 

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 早朝に出発して昼前には予定の行程を順調にこなした。小休止の合図でカカシは近くのせせらぎで顔を洗おうと膝をついた。うっすらと汗をかいた首筋に鎖の感触。カカシはベストの下からペンダントをとりだした。
 その先には細い鎖に巻き取られた千切られた指先。透明で精巧な人工物。
 カカシは表情もなく、そっと指に口づけた。





 

 

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