Nostalgia \






 真っ白なおろしたての着物に腕を通すとそれだけで身がひきしまるような気がする。折り目正しく着こなして、邪魔な袂はたすきがけにする。一筋の乱れもなく髪も結い上げた。
 火影に用意してもらった和室。正座するイルカの傍らには山と積まれたクナイ。それを全て自分一人で磨き上げるということに体が震える。武者震いに不敵な笑みを浮かべて、イルカは無造作に一本を取り上げると目の前に掲げた。
 クナイを通して光を見る。光をとらえる。瀕死のクナイに命を吹き込む。
 クナイを磨き上げることで自分を磨きあげていたのだなと今更ながら思う。深呼吸をしたイルカは全ての雑念を捨てて、研ぎ石に向き合った。





 火影の私邸を訪れたカカシはいつものようにはなれに向かい、細心の注意で気配を消して戸の前で胡座をかいた。
 すでに真夜中を過ぎた時刻。部屋の中からは耳に慣れた石を擦る音が聞こえる。
 カカシはその音に身をゆだねるような気持ちで、目を閉じた。



 あの夜、イルカはカカシが手をとることを許してくれた。
 雨のやんだ夜道を何も喋らずに歩いた。イルカの手を引くようにして、星が散った夜空の下を言葉を交わすこともなく歩いた。イルカはカカシが集めた忍の装束をもう片方の腕で抱えていた。
 イルカの過去を少し聞いただけで全てをわかるわけがないのはわかっている。だが口にしたことに嘘はひとつもない。イルカはきちんと闘ってきた。彼なりの不器用なやり方で真摯に生きてきたことだろう。だからその道筋を否定してほしくない。
 イルカは今夜も夜通し、やまと積まれたクナイと向き合っていることだろう。規則正しく石をする音。時たまやむのはきっと光に掲げてためつすがめつしているからだろう。
 数日前、イルカのほうからカカシを訪ねてきた。雨の夜の出来事などなかったようなそぶりで、クナイをかして欲しいと言ってきた。約束ですから研がせて頂きますと言われ、慌てたカカシは家中のクナイをホルスターにおさめているのまで出してイルカに呆れられた。呆れながらも笑ってくれたから、その笑顔が穏やかだったから、安心した。
 イルカが笑ってくれると嬉しい。心が満ちてくる。あいつとの焦燥ばかりに身をやつした日々とは違う。今も、イルカの気配を感じるだけで自然と口元がゆるみ、刻む鼓動までおだやかに感じて、まどろみたくなる。
 相手に背中を預ける為には、信頼はもちろん当たり前だが、殺されてもいいというくらいの覚悟が必要だ。暗部にいた頃、カカシにそんな存在はいなかった。いやきっと、暗部の人間にとって本当の意味で背を向けて全くの無防備でいられる存在などいないのだろう。だから、無防備すぎるあいつの背を傷つけてやりたかった。
 だが今のカカシはイルカに対して無条件に白旗を揚げている。イルカになら背を切りつけられても後悔はない。なんて危険な存在。危険で愛しい存在。
 イルカが火影宅のはなれを借りてクナイを研ぎ出してから、カカシの寝床はこの部屋の前になった。イルカの気配を濃密に感じて目をつむる。純度の高い質のいい眠りがカカシの体の中に満ちてくるから。



 とろりとしたタールのような白い霧。
 動かす体にまとわりつくような、重さのある白い手が屈強の暗部たちの動きすら鈍くする。一体どれほどの時間歩き続けているのか、時間の感覚が曖昧になる。ひたすらに歩いている。この湿原を渡りきらないと命はない。ここさえ超えれば味方が待っている。
 カカシは自らしんがりを希望した。カカシのあらゆる意味で見通しのきく目が必要だったから。
 何度か追っ手と交戦するうちにカカシだけが遅れをとった。味方の気配が全く読み取れない。なのに後方の敵の気配は肉迫してくる。さすがに焦りが生まれ、3人の敵からの攻撃をかわしそこねて、肩にクナイがささった。もう敵は全ていない。だが、肩からじわりと広がる鈍痛、そしてしびれ。毒が塗られていたのだろう。
 白い闇は目が開いているからなのか閉じているからなのかわからない。揺れる体。倒れそうになる。前のめりに落ちていく体。それを支えてくれた確かな両腕。
「カカシ・・・」
 顔を上げればあいつがいた。細い四肢から想像できない力強さでカカシを支えていた。
「カカシ。しっかり目を開けて」
 叱咤というには震えていた声。泣きそうな顔で、カカシをしっかりと抱き留めた。

(目を開けて・・・・・・)

「!」
 まるで耳元でたった今囁かれたような生々しさにカカシは覚醒した。起きた瞬間には忍としての感覚がフルに回転する。
 鼻をうごめかさなくともおびただしい血の匂いにカカシは立ち上がった。
「イルカ先生!」
 戸が横に滑る。
 部屋の中。行灯とろうそくの薄明かりの真ん中で倒れ込むイルカ。正座していた姿勢からそのまま不自然に倒れ込んだ姿。首の付け根から溢れた血。イルカの手にはクナイ。真っ赤に染まったイルカ。白い装束は赤く、クナイは血の中で暗く光っていた。
 カカシは声にならない叫びを上げた。




□□□□□




「イルカってへんだよな。気味悪ぃよ」
 アカデミーの帰り、両親が任務に出ているのをいいことに、イルカは修行をさぼって数人の友人たちと木の葉の繁華街とでもいうべき場所に遊びにきていた。ゲームセンターがあり、おもに一般の子供たちの遊び場となっていた。
 イルカがちょうどゲームオーバーとなってしまった画面から顔を上げると、勝利したばかりのはずの友達は浮かない顔をしてぼそりと告げたのだ。
「あー、もちろんお前のことじゃねえよ。弟のほうだよ」
 皆が苦笑する。イルカが普段から弟を嫌っていることを知っているから、身内とはいっても口にすることに躊躇はないのだろう。
「あいつさ、こわくね? 飼育小屋のうさぎ殺ったのってあいつじゃねえの?」
「だよなー。自分で殺ったからさ、死体の処理もかってでたんだよ」
「あんなバラバラにされたのオレ気持ち悪くて見れねえよ」
「うん。女子とか吐いてたよな」
 兄のイルカ以外とは徹底して交わろうとしないイルカ。中忍の教師の言うことはきくが内心舐めた様子がかいま見えた。
 今朝、飼育小屋当番の生徒が小屋に行くと、飼っていたウサギが惨殺されていた。四肢をばらばらにされ、内蔵は抉られ、まるで検分されたようなありさまだった。犯人はわからない。アカデミーに自由に行きできるのは里の人間全てだ。そんな中で疑われるイルカはよほど浮いた存在ということだ。イルカとて、思う。確かに弟なら無力なウサギを裂くことくらいたやすく、一分の憐憫の情もなくやり遂げるだろう。だが、違う。だからイルカは笑った。
「ちげえよ。あいつはやってねえよ。あいつなら、もっとうまくやる」
「うまくって?」
 イルカは大人びた仕草で肩を竦め、俯いたまま笑った。
「内蔵引き裂いて、ぐちゃぐちゃにして、また綺麗に縫いあわせてくぐつの術かなんかでしばらく生かして生かしたまま腐らせるとか、さ」
 顔を上げたイルカはにこりと笑った。
 イルカの声も表情も明るかったから、友人たちは気づかなかった。
 イルカも、弟と同じことができる技量と心を持っているということを。



 弟とともにこなした訓練で一番楽しかったのは、心躍ったのは、山奥に出向いて野犬を狩ったことだ。
 父が仕入れてきた任務。兄弟二人に命令して、近隣の里にまで下りてきて住民たちに害をなし始めた野犬たちを皆殺しにしろ、と。
 7才か8才にはなっていた。50頭以上はいた大小様々の犬たちを追いつめて料理することは楽しかった。あの時が一番弟と心が近づけた時だったのかもしれない。二人で作戦をたて、トラップを仕掛け、半分は戦闘中に殺し、残り半分は捕らえた。
 その犬たちを使って、クナイや手裏剣を使って敵を仕留める訓練をしようと言い出したのはイルカのほうだ。
 何故って。
 いずれ敵方の忍を相手にする時、敵は動く。生きている。その訓練のためにはたとえ犬でも実際に動いているものを相手にするほうが訓練になる。
 イルカの提案を弟は喜び、二人で協力しあって山奥を駆け回り、紅葉の赤よりもさらに濃く山を染め上げた。
 最初は二人に果敢に挑んできた野犬も、畜生とはいえ容赦なく屠られていく同属たちに恐怖でも感じたのか、甲高い声をあげて逃げまどい始めた。
 最後に残った大型犬の体を裂き、耳をちぎり、背に何本もクナイを突き立てた。それでも逃げる姿が不思議だった。どこまでやれば終わりがくるのか、限度が掴めずにさすがにイルカはあせりはじめた。
 あせっていたがゆえにいつの間にか里のほうにまで降りてしまったことに、川辺に犬を追いつめてようやく気づいた。川を背にして血にまみれて犬は朝日の中で黒光りするほどだった。クナイを突き立てられ、片目はつぶれ、尾も耳もなく、一塊の肉塊のような姿。それでもなんとか立ったまま、最後の気力でか対峙するイルカを見ていた。
 虫の息の姿が酷く惨めなのに、最後の最後で取り戻した矜持でか、野犬はイルカに向かってこようかというような気力もみせた。
 低いうなり声。飛びかかろうとする前傾姿勢。
 ここにきてようやくイルカは自分が何をしようとしていたのか、冷静に考えるだけの余裕が生まれた。父の手をはなれ、二人だけで挑んだ任務。血に酔うかのように殺し続けた。朝日の中にさらされた犬の狂気めいた姿。風が運ぶむせるほどの血の匂い。
 どうして一息に殺さなかった? 嬲るようなことをする必要はなかったはずだ。確かに、実際の戦いになれば敵は動く。動いた敵を追いつめたなら、ひと突きで殺せばいい。それが礼儀ではないのか。
 今にも飛びかからんばかりの犬の前で、イルカは印を結び出す。無惨な姿をこれ以上さらすべきではないと思うから、火遁を仕掛けた。
 飛びかかった瞬間に燃え上がる犬の体。断末魔の悲鳴を上げながら見る間に燃え落ちていく。肉の焼ける匂いが鼻を付く。勢いを増す火勢に犬の体は見る間に姿を変えていく。目を逸らしたい。逸らしてはいけない。立ちつくしたままきつく拳を握りしめる。噛みしめた歯。口内にひろがる血の味。
 人として、忍として、何が正しいのかわからない。そんな小難しいことを考えられる年ではない。ただ、自分が間違っていることをうっすらと感じた。
 追いついてきた弟は、涙を流すイルカだけを気にかけ、燃えかすとなった犬には一瞥さへ与えなかった。
 泣かないで。泣かないで、イルカ。ぼくがいるよ。ぼくが守ってあげるから。
 それがイルカがうみのの血に感じた最初の違和感だった。




ダブルイルカ 旅宿のラクダさんより

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「俺って、結構畜生じゃん」

 目覚めて最初に思ったのはそんなこと。
 声に出したのかどうかは覚えていない。そのまま再びの眠りについてしまったから。



 病院には入れ替わり立ち替わりナルトはもちろん、生徒や同僚や、火影にまで見舞いに来てもらった。とにかく一命を取り留めたことを喜んでくれ、研ぎ師の跡取りになるほどの腕がきいてあきれると茶化してくれた。ベッドに縫いつけられたまま、イルカも笑うことができた。首の根を深くカッ切った為、首から肩にかけて厚く包帯が巻かれていた。出血多量のため死にかけたにしては暢気な自分がおかしかった。
 イルカを最初に見つけたのはカカシだと、火影が言っていた。あの夜に限らず、カカシはクナイを研ぎ出したイルカを見守るように毎晩部屋の外に寄り添っていたそうだ。そんなこと、全く気づかなかった。さすが上忍というべきか、イルカのほうが熱中しすぎていたのか。とにかくカカシに会いたいと思ったが、あいにくとイルカが生死の境をさまよっているうちに急の任務に借り出され、カカシが帰って来ないうちに、イルカは退院の日をむかえた。




 リハビリを始めた。
 そろそろ秋の気配が窓辺に、もぐりこんだ布団の隙間からも入りこみ始める季節になっていた。アカデミーのほうも顔を出して、体に負担がかからない程度の業務を始めている。怪我をする前に途中で放りだしてしまったクナイも少しずつ少しずつ研ぎ、終わらせた。
 ただ、カカシのクナイが一本足りない。火影に聞いても置き忘れてはいないとのこと。ならば所在は問うまでもない。カカシ本人が持って行った。
 心残りの一本のクナイ。カカシが戻ってきてくれなければ終わらせようがない。カカシの任務は一体いつまでかかるのか。火影に無理を言って問いただしたところでは、暗部としての任務に赴いたという。死ととなりあわせの、弟も属していた世界。忍としての、究極の場所。
「遠いよなあ」
 小さく呟いたイルカは疲れた溜息をもらして布団にもぐりこんだ。




 風。
 夜気の匂い。触れる手の感触。頬をなぞる。かたちを確かめるような動きに、イルカは重い目蓋を開けざるをえない。
 案の定、イルカの姿をのぞき込む銀の髪が見えた。

 

 

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