Nostalgia W






「ヘタクソ。もういい」
 カカシは膝でイルカの肩を押した。カカシの股の間に顔を埋めて懸命に高ぶらせようとしていたイルカの口からカカシの性器がぬるんと出てきた。イルカの口から出たそれは確かに全く力を持っていなかった。
 イルカは赤く熟れたような唇をひきつらせて無理に笑った。
「ごめん・・・でも、まだ始めたばかりだから、もう少し・・・」
「いいんだよもう。お前は出て行け」
 カカシの心ない言葉にイルカは口元をわななかせる。
 カカシは服を着たまま股間をくつろがせているだけだったが、イルカは全裸でカカシに跪いていた。
 暗部の任務としてこの土地にやってきたのはひとつき前。膠着した状態に皆が焦れていた。
「カカシ、俺、じゃあ、自分でやろうか? それとも・・・」
 イルカは懸命にカカシの機嫌をとろうとするがその時二人のテントにくの一が入ってきた。
「寒いわカカシ。あっためてよ」
 肉感的な女はカカシに抱きついて簡易ベッドの上に押し倒した。目を見張るイルカに二人は侮蔑めいた視線を向けてすぐに服を脱ぎ捨てるとセックスを始めた。
「イルカ、邪魔。出て行け」
 女の胸にしゃぶりつけながら絶えず下肢をいじり嬌声をあげさせるカカシが冷めた目でイルカを見る。イルカは耐えきれずに裸のまま、テントの外にでた。
 女の中で何回か果てたカカシが朝方女を追い出しうとうとして、用を足そうとテントを出ると、入り口の脇にイルカが全裸のまま膝を抱えて寒さに耐えて眠っていた。
 黒髪の間からのぞく青白い顔。目尻に残る涙のあと。カカシは引かれるようにイルカに手を伸ばしさらりと髪をかき上げて、同じようにしゃがみこんでイルカを胸に抱きしめてみた。冷たい体に触れていると、体の奥底からこみ上げてくるものがある。その正体を見極める前にイルカが目を開けて茫洋とした視線のままにカカシをとらえた。
 カカシを見て、無邪気に微笑んだ。子供のような汚れのない笑顔に胸を突かれ、イルカを抱きしめるカカシの腕には力がこもった。

  

□□□□□


  

 カカシの前で師弟は向き合っていた。
 真っ赤な目をこするナルトの前に膝を折ったイルカはぶっさいくな顔してるぞお前ぇ、と優しく言ってナルトの頬を包み込んだ。
「それ以上泣いてるとサクラにも嫌われるぞ」
「うるせえってばよイルカ先生は」
「ほお。教師にうるさいとはお前も言うようになったなあ」
 イルカは笑ったままナルトの丸い頬を両側からひっぱった。いてえってばよとナルトは頬をさするが目は笑っている。ナルトが落ち着いたことに安堵したのかイルカも頷いた。
 本日の七班の任務はいつもの如くマダムしじみの愛猫トラ捕獲だった。もう何度目になるかわからない捕獲は手慣れたもので、すぐにトラを捕まえることはできたのだが、そこからがいつもと違った。
 トラは何者かによって両耳をちぎられた状態で発見された。命に別状はなかったが心ない者の仕打ちがナルトたちの心を打ちのめした。サスケとサクラは帰宅したが、イルカはアカデミーに行くと言い出した。イルカの元に行くことは分かり切ったことだった。
「なあナルト、マダムしじみはトラが生きていたことを喜んでくれたんだろ」
「そうだけど、トラ、もうリボン結んでやれねえってばよ」
「耳が駄目なら、尻尾とか、首でもいいんじゃねえか?」
 イルカがわざと茶化すように言うとナルトは軽くねめつけてきた。
「俺、許せねえってばよ。なんで、トラにあんなことできるんだってばよ」
 素直に怒りの感情をみせるナルトの頭をイルカはかきまぜた。
「トラが生きていてよかったな、ナルト」
「でも・・・! 耳が・・・」
「ああ。でも生きてる。どんな姿でも生きてる。それでいいんじゃねえか? マダムしじみもそう思ってるだろ」
「・・・・・・」
 こくりと頷いたナルトは、顔を上げたときいつも通りの笑顔を見せていた。
「今度またラーメン奢ってくれってばよ!」
「一度くらいお前ぇが奢れよ」
「大人が子供にたかるなよなー」
 にししと笑ったナルトは飛ぶようにしてじゃあねーと駆けて行った。
 立ち上がったイルカはナルトの小さな背を穏やかな顔で見送っている。カカシに向ける憎々しげな表情とは天地の差だ。静かなその顔はカカシがよく知っているイルカのものとも違い、アカデミーのイルカという男はようはこんなふうに穏やかに生きていくことを望んでいるということなのかもしれない。忍でい続ければそれは無理なことだろう。
 イルカはナルトの背が見えなくなるとカカシには一瞥も与えずに去っていった。
 あの日、イルカをからかって口づけてからイルカは徹底的にカカシを無視している。受け付けもはずれてアカデミーの教師と書庫の整理の当番をしているらしい。
 イルカにちょっかいをかけることはわけないが、最近はイルカを観察していた。
 遠目でうかがうイルカは真面目にアカデミーの業務をこなし、同僚とも仲が良く頼りにもされ、生活そのものは満ち足りているようだ。満足してもよさそうな暮らしだろうに、不意の隙間の無防備な一瞬にイルカの表情は消える。友人たちの輪の中や、道ばたで空を見上げたとき、イルカはどこか遠くを見ている。
 あのイルカもそうだった。カカシを見ていながらもそうでない時があった。
「厄介な兄弟だよ・・・ホント」
 そう思う自分も厄介だとカカシはわかっている。
 背を丸め歩き出し、ポケットの中の小さな固い感触を握りしめた。





 アカデミーに新しい教師が赴任してきた。
 外回りで長く里を離れていた上忍はイルカよりも2,3年下で、人なつこそうな丸い目をしていた。
 カガミと名乗ったその男は朝礼で自己紹介し、教師の中からイルカの顔を見つけると、あー! と指さして反応した。その瞬間にイルカは頭痛を覚える。カカシに続いてまたイルカを見知った人間が身近にきた。
「あれ〜? えー? イルカとそっくりじゃん。しかも同じ名前?」
 面倒だと思いながらもイルカは、双子であること、うみのの家は双子は同じ名前をつける慣例であることだけを説明した。カガミはいたく感心して頷いたあと、よろしくと手を差しだしてきた。笑顔を向けられ、イルカもぎこちないながらも口元をつりあげた。



 それからカガミは何かとイルカにまとわりつき、接触をはかってきた。
 教案についての説明などをしている時などカガミはじっとイルカの顔を見つめている時があり、そんな時はおそらく弟のイルカのことを思い出してでもいるのかもしれないと思ったが、いちいち口に出してはこないから放っておいた。
 ある日カガミとカカシが親しげに話している姿を見かけた。もともと気さくなカガミだがカカシに対して肘でつついたりしている姿から二人が旧知の仲であることを伺わせた。アカデミーの廊下でほんの少し立ち止まっただけだったが、カカシは目敏くイルカに気づいた。
 カガミに相づちを打ちながら唯一覗いている目をかすかに細めた。探るように見てくる目が嫌でイルカはすぐに目を反らしてその場を去った。後ろから聞こえる笑い声がたまらなく嫌だった。



「ねえイルカ先生。俺と付き合って下さいよ」
 世間話の延長のように、カガミはイルカに告げた。
 職員室には二人きり。残業で残っていたが一服いれようとお茶を飲みながら授業のことなど話していた不意の間にカガミは口にした。
 にこにこと笑っている顔からは真意が伺えない。伺えないが、イルカには男と付き合う趣味はなかった。
「お断りします」
 あっさりと答えたイルカにカガミはめげない。
「お試しでいいですから、付き合いましょうよ。今彼女とかいないんでしょ?」
「お断りです」
 同じ言葉を繰り返したイルカは湯飲みを流しに置くと帰り支度を始めた。これ以上カガミからの告白を聞いていたらきっとカカシにしたように最後にはクナイを突きつけてしまうかもしれない。
「イルカ先生。お願いします」
 カガミに腕を掴まれ、イルカは真っ直ぐにカガミを見た。
「カガミ先生は、俺の弟の代わりに俺を見ていますよね?」
 ずばりと告げれば、カガミは悪びれずに頷いた。
「そうだね。俺、イルカのこと好きだったんだ。でもあいつはカカシさんに夢中だったから、俺の入り込む余地はなかった。でもイルカ先生は別にカカシさんと付き合っているわけじゃないし、俺にもチャンスはあるでしょ」
「カガミ先生。そういう発言が俺に対してどれほど失礼なことかわかってますか?」
「わかっているよ。でも顔が同じだってだけで付き合ってなんて言わないよ。イルカ先生のことだって好きだよ。確かに最初は重ねてしまうかもしれないけど、でも、イルカはもういない。仕方ないでしょう?」
 カガミの言い分にイルカは頭痛を覚えた。
 あいつは男をたらし込む名人だったってことか。
「なんて言われようとカガミ先生と付き合う気はありませんから」
「なんで? やっぱり本当はカカシさんのことが好きなんですか?」
「そんなわけないじゃないですか・・・」
 脱力したイルカの呟くような声にカガミの声が重なった。
「カカシさん、あいつに随分ひどいことしてましたよ。あいつの前で平気で他の人間抱いたり、あいつに他の人間とやらせたり、複数を相手にさせたり・・・」
「その複数の中にカガミ先生も含まれていたわけですか?」
「・・・そうだよ。あいつにわざわざ女に変化させて、やらせたりしていた。俺は、イルカのことが好きだったから、どんなことでも、イルカを抱きたかったから・・・」
「好きっていうのは随分便利な言葉ですね」
 イルカはもう溜息しかでてこなかった。
 昔、あいつもイルカに好きだと告げて勝手なことをしてくれたものだ。好きであればなんでも許される免罪符になるとでも思っているのだろうか。
「カガミ先生。カカシさんがどんなことをあいつにやらせたにしろ、それに従ったのはあいつの意志です。好きだから、何でも許せたんでしょうよ。そういうことですよね?」
 イルカが馬鹿にしたように鼻で笑えばカガミは押し黙り、その隙にイルカは職員室をあとにした。





 カガミはめげずにイルカをくどこうとする。それはもうあからさまで、職員の中にもおもしろがる者やイルカのあまりの冷たさにカガミに同情めいた声をあげる者もいる。
 カカシが現れ、カガミが現れ、イルカの日常は騒々しくなってきた。
 そこから逃れたくてイルカは誰とも付き合わずにすむ書庫の管理を多めに入れてもらっていた。
 アカデミーの半地下に位置する書庫の中で、いつもの如くイルカは巻物の整理をしていた。
 通気の為の小窓の向こうには揺れる草が見え、そこから春の柔らかい午後の風が時たまふわりと吹いてくる。
 書見の上に広げた巻物の摩耗の著しい部分を修繕して、それでも補えないようなものは火影のチャクラを練りこんだ墨で新しいものへ書き写していた。
 地道で根気のいるこの作業は勿論火影の信頼を得ている忍でないと任されることはないが、火影の信頼を天秤にかけてもあまりありがたがる仕事ではない。だがイルカはもともと研ぎ師の跡目を継ぐためにずっと修行をしていた。集中してひとつごとに一人向き合う仕事は好ましいことだった。
 内勤でクナイを振るうことなど滅多にないのだが、家での隙間の時間にはいつも自然と研ぐことに向き合う。捨てられずにいる道具を広げて、友人に頼まれたもの、ナルトに与えたいものなどを研いでいる。研ぎ石を擦る音が耳に心地よく、時間が経つのも忘れて没頭できた。
「イルカ先生。いい顔してるね」
 イルカの横に立ったのはカカシ。しかしイルカは集中を乱されることはなく滑らかに筆を動かしていた。
「ねえイルカ先生。ナルトに聞いたけど、俺とは仲良くできないって言ったんですって?」
「・・・・・・言いましたよ。子供を使って仲を取り持たせようとするなんて、馬鹿な発想ですね」
 返事をするか一瞬迷ったが、もういい加減カカシとの関係をなしにしてしまいたかった。その為には話さなければならない。
「ナルトは俺のこともイルカ先生のことも好きだから悲しんでたよ」
「表面上のできもしない約束をするよりはいい。俺はナルトに対して誠実でいたいので」
「容赦ないね〜」
 巻物の書き写しが終わった。乾かすために床のスペースに置いて立ち上がりざま振り向くと、カカシは巻物をつきだしてきた。
「これ、九尾の時に使った巻物。うみのの名前が入っているやつ。本物だよ」
 さすがのイルカも目を見張る。本来は火影の執務室にあるもの。偽物、と考えたが、本物でなければイルカにとって意味がないものだとカカシはわかっている。
「これ。あげようか? こんなものがあるからイルカ先生窮屈なんでしょ? こんなの、もう意味なんてない。俺なりにナルトを観察してわかった。ナルトから九尾は出てきやしない。確かに不安定な部分もまだあるけど、こんなものでナルトは左右されたりしない。ほら、意味ないよね」
 はらりと巻物の紐が解かれた。十数年経っているとは思えない黄ばみが少ない白い紙に黒々とした文字。そこにうみのの、父の筆跡、名前を目に留めて、イルカの唇は震える。
「火影様も言ってましたよ。この封印には正直もうあまり重要性はないって。ああでも誤解のないように言っておきますが、あなたが里に戻された時にはまだ意味のあるものだったんですよ。ナルトは真っ直ぐに育ったんですね」
「そんなこと、あなたに言われなくたって・・・・・」
 自分の声が震えそうになる理由をイルカは考えたくなかった。
「まあこんなものの為にイルカ先生は人生狂わされちゃったわけだ。木の葉の里に殉じた両親や好き勝手して死んだイルカはいいよね。全部イルカ先生に押しつけてはいさようならだもん。イルカ先生一人貧乏クジだ。かわいそー」
 巻物を両手で広げたカカシは、それをおもむろに引き裂いた。裂かれる父の筆跡。イルカの手は伸びて、二つになった巻物をカカシと向かい合って持つかたちとなった。
「やめてください! 意味なんかなくても、命を落とした先人に失礼じゃないですか!」
「かばう必要ないじゃない。大嫌いなんでしょ? うみのの家なんて」
「嫌いですよ。でも、でも!・・・・・・」
 本当はイルカにももうわかっている。イルカが嫌いなのは、耐え難いのは、弟でもうみのの家でもなく、結局は忍という生き様だ。里の人々を守るため、幸せにするため、それはいいことだ。間違っていない。けれどそれなら、忍として生きる者の幸せは二の次にされなければならないものなのか。それを敢えて選んだ者はいいだろうが、イルカは違う。忍として生きるレールに乗せられることが耐えられない人間だ。
 両親も弟のイルカも忍として生きておそらく後悔はないのだろうが、生きた証としてのものが消えればそれこそ無だ。ないものにして欲しくない。
 必死なイルカをまたたきもせずに数秒見つめて、カカシは不意に手を離した。
「イルカ先生。やっぱり、イルカのことも嫌っていないじゃない」
「嫌いですよ。嫌いだけど・・・」
 イルカの前に、カカシの手のひらが向けられた。手甲をはめた手の上には、首に飾る蓋つきの小さな平たい鏡が置かれていた。鎖は半端な位置で切れてべっ甲の塗りはところどころ剥げて摩耗している。もとは緑の塗りだった。
 イルカが緑、弟が青。母がくれたものだ。互いがそばにいなくて不安を感じたら、これを見なさい。そうすればもう一人の自分が見ていてくれるからと。そんな言葉さえ覚えていることがはがゆい。
 母は何を思ってこれを渡したのだろう。もう一人の自分など、存在が不快なだけなのに。
 里をあとにした幼いあの日にこれは母に渡した。それを何故カカシだ持っているかなど、聞くまでもない。あいつが、持っていたからだ。
「これ、わかるよね? あいつの形見。イルカ先生に渡すよ。俺が持っていても仕方がない」
「・・・・・・俺が持つよりも、カカシ先生が持つ方が、あいつは嬉しいと思いますが」
「まあ開けてみなよ」
 カカシに促され、指先で開いた小さな蓋。くぐもってほとんど鏡としての用をなしていないその面には、横に一筋、傷が残されていた。

 

 

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