Nostalgia V






 付き合っていたのかとカカシに問いかけたわけではなかった。
 火影にカカシのデータを見せてもらった時、言いづらそうに、けれど火影はしっかり教えてくれたから。暗部の間では有名な二人が恋人同士だったと。
 別にそのことをどうこう言うつもりはないが、弟の代わりに見られることは虫酸が走るほどに我慢がならないことだった。
「イルカ先生。それって火影さまに聞いたの?」
 戸口のところにいるイルカの元にカカシが近づいてきた。
 明るい部屋と常夜灯さえ消している暗い廊下との間に立つ二人の顔に微妙な影が落ちる。
「ええ。あなたのデータを拝見させて頂いた時に、聞きました」
「ふ〜ん。さっすが火影さま。あなどれないね」
 カカシは顎のあたりに手をおいてしきりに頷いている。
 イルカは大人になったイルカを知らない。この優男の風情を漂わせた忍に愛されて幸せだったというわけだ。本当にあいつは好き勝手して、いいように生きたわけだ。
「でもイルカ先生、いきなりどうしたの? あれ? ひょっとしてイルカ先生も俺に惚れちゃった? ・・・・・・んなわけないよね〜」
 イルカは馬鹿らしくて睨みつける気もしなかった。
「カカシ先生、さきほどは失礼しました。任務、ご苦労様でした」
「待って、イルカ先生」
 カカシの手が廊下に出ようとしたイルカの顔の前にのびて、狭い戸口で、イルカはカカシの両手に囲われるようなかたちになった。
 顔を向ければ、ほぼ同じ目線の至近距離にカカシの顔がある。
「こういうふうにあいつのことも扱っていたんですか?」
 自然な動きでカカシの片手は腰のほうに伸びてきた。イルカはさきほどしまったクナイをまたカカシに突きつけることにうんざりした。イルカを抱き寄せようとしていたカカシの手はとまり、降参、とばかりに両手をあげる。そのまま先に廊下に出てしまい、背中を向けたままひらひらと手を振って去っていく。
「イルカ先生。訂正しておきます」
 姿は見えなくなったが、闇の向こうからカカシの声がする。
「俺とイルカは付き合ってなんかいませんでしたよ」





 付き合ってなんかいなかった。それは本当だ。


  

□□□□□


  

 カカシがイルカと出会ったのは暗部に籍を置いた16の時。
 カカシより少し前に暗部に入隊していたイルカは、取り澄ました無表情さで敵を容赦なく屠り、仲間の中でも一目置かれ、ひときわ目立つ存在だった。誰とも交わろうとはせず、命令には従うがいつも一人でいることを好んでいた。
 そんなイルカがカカシに興味を示した時の気味悪さは今でも忘れない。
 二人で赴いた戦闘で、カカシは暗部の面を吹き飛ばされた。カカシは写輪眼を休める意味もあったが、素顔をさらすことをよしとしなかった。イルカがカカシの素顔を見たのは初めてのことだっただろう。敵を倒したがその場に自分も倒れこんだカカシのもとにやって来たイルカは、カカシの腹部の怪我を検分するより先に、爛々と輝かせた目でカカシの左目の傷に触れてきた。何度も何度も繊細な指先で傷をなぞるさまが気持ち悪かった。捕らえた獲物をいたぶる肉食獣のような冷たさにぞっとした。
 白い顔に光沢のある黒い髪。闇の生き物のようなコントラスト。
 イルカは、艶めいた微笑でカカシの傷を舐め上げた。



 その事件からイルカはカカシにまとわりつくようになり、あからさまに色めいた眼差しで見つめてくるようになった。
 面倒くさくなって抱いてみた。
 思った通り、イルカは歓喜の涙を浮かべるほどに乱れ、カカシを締め付けた。
 イルカはカカシの欲望には何でも応えた。カカシに、好きだ、愛しているだと囁いた。だが言葉を口に乗せる時決まってイルカはカカシの傷に触れてきた。最初はそれを許していたカカシだが、そのうち嫌悪がまさり、イルカが触れられないように後ろから貫くことに徹した。イルカは情事を重ねるうちに官能の度合いを深めていったが、その欲はどこか歪んでいるような気がして、カカシには耐え難かった。
 イルカがカカシのことを好いていたことは間違いないだろう。セックスに関することに限らず、カカシの言うことはなんでもきいた。カカシに嫌われることを何より恐れていたから。
 そして・・・・・・。
 イルカの思いがカカシにとって堪えようのないくらいに重く不快なものとなってきた頃に、イルカは逝った。


  

□□□□□


  

「イルカ先生、この間の晩に俺に突きつけてくれたクナイ、業物じゃない? あの鋭さは半端じゃなかったね」
 夕方の職員室。明日の演習で使用するクナイ、巻物の最終点検をしていたイルカの横に音もなくカカシが立った。カカシのほうに顔を向けるのも面倒で、素早く巻物を開いては閉じを繰り返しながらイルカはこたえた。
「業物なんて、なんで内勤の俺が持つ必要があるんです。自分で研いだものですよ」
「うっそ。まじ? すごいねイルカ先生。あれを自分で研いだなんてさ。ねね? 俺のも研いでよ」
 カカシは甘えるように声を上げる。実際おねだりする子供のように熱心に見つめてくる。
「百万両」
「はい?」
「一本につき百万両で研いでさしあげますよ」
 しれっとこたえるイルカに、職員室にいる者たちは皆内心で冷や汗をかいたことだろう。上忍にたいしてあまりに不遜ではないかと。しかしとうの言われたカカシはにこにこと笑顔のままだ。
「やった。じゃあとりあえず十本お願いするね」
「前払いで、今すぐ持ってきてください。もし研いだあと気に入らなくても返金はしません」
「いいよ。だってイルカ先生に研いでもらうだけで嬉しいし」
「それは、最初から俺の技術はあてにしていないってことですか?」
「違うよ。そうじゃなくて、イルカ先生に触ってもらえるだけで嬉しいってこと」
「すいませんカカシ先生。俺やっぱりしばらく忙しいんで、きちんとした研ぎ師のところで研いでもらってください。カカシ先生のように優秀な忍の方に俺ごときの研いだクナイでは劣ります」
「またまた。研ぎ師の跡目を継ぐ予定だったんでしょ」
 巻物を所定の位置に積み上げ、クナイを箱にしまったイルカは、カカシの二の腕をぎりぎりと掴んで、無言のまま廊下に連れ出した。
 そのまま歩き、渡り廊下のところまで連れてきた。手近な柱にもたれてイルカは苦虫をかみつぶしたような顔で大きく息を吐き出した。
「カカシ先生は一体なにをなさりたいんですか。なんで、俺にちょっかいだすんです。俺は、あいつじゃないんですよ?」
「あいつってあいつのこと?」
「ええ。あなたの恋人だったイルカですよ」
「だから違うってイルカ先生。俺はあいつと付き合っていなかったの。信じてよ」
「そうですか。それならそれでいいです」
「あ、信じてないでしょ。確かにあいつとは寝ていたけど、体の付き合いがあったら恋人なんでいつの時代の話ですか。しかも俺たち忍だってのに」
「だから、それはもうどうでもいいです。それより、俺のことを探ったりつきまとうのは止めて下さい」
「だって、うみのの家のことは火影さまに聞けって、イルカ先生が言ったんですよ」
「家のことを聞けって言ったんです。俺のことを聞けなんて一言も言ってません」
「同じことでしょ。今うみのの家はイルカ先生しかいないんだし。それに、研ぎ師の修行をしていたことなんて、イルカ先生の同僚なんてみんな知ってたし、隠すようなことじゃないでしょ」
 イルカは思わず額を抑えてうめいていた。
 カカシはイルカの言いたいことをのらりくらりともっともらしい言葉でかわす。カカシがイルカにつきまとう理由が全くわからない。いつぞやの夜、さすがにクナイまで突きつけたのは礼を失したかと思い、その後カカシが声をかけてきても大人しく応対していた。それがカカシを増長させたのかと、さすがにイルカも思わざるをえない。
「あ。櫻」
 イルカが苦悩しているというのにカカシは暢気にイルカの頭についた花びらを指でつまむとイルカの目の前に見せる。
 薄桃色の儚い花弁に、ふ、とイルカはやるせない気持ちに襲われる。
 無情だと、思う。人生なんて。運命なんて。こんなところに何故自分は立っているのだろう。生涯戻ることはないと決別した場所に未だに縛られたまま、飛び出せずにいる。里のため、と火影に言われたが、その役目はもう果たしたのではないか? きっともうナルトは大丈夫なはずだ。
「イルカ先生、どうしたの?」
 急に黙り込んだイルカを案じたのか、カカシの指先が頬に伸びてくる。いちいち触れてこようとする気安さは、やはりカカシが死んだイルカと今ここにいるイルカを重ねている証拠のような気がした。
 カカシの手を避けて、イルカは背筋を伸ばした。
「カカシ先生。俺、あなたと個人的に親しくなりたくないんです。あなたはあいつのことを知っている人で、しかも体の関係まであった人だ。そんな人とは口をききたくもないのが本音です。俺はあいつのことが大嫌いなんです。あいつのせいで俺は・・・・・・」
「正直言うとね、イルカ先生」
 カカシがイルカの言葉を遮って、仰向いて溜息をつく。
「俺もね、あいつのことが本当に嫌いだったんです。はっきり言って、俺あいつにつきまとわれていたんですよ。あんまりにもうざいから抱いてやったら、まあこれがなかなかいい感じでね、それからも性欲処理の為に何度も抱いてやりましたよ。あいつって淫乱でしたよ? 知ってました? 俺の喜んで銜えて自分から股開いてましたよ」
 いっそさわやかと言ってもいい笑顔でカカシはイルカを卑下する言葉を並べる。どういうつもりでカカシが楽しそうに述べるのかわからないが、そのことで勿論イルカが傷つくようなことはない。鼻に跡を刻まれた夜の弟の異常な姿は覚えている。イルカが少し他人と違った性癖を持ち合わせていてもなんの不思議もなかった。
「じゃあ、あいつに銜えられて喜んでいたカカシ先生も、すきものと言いますか、あいつと同じように淫乱なんじゃないですか」
 イルカが感慨もなく口にすればカカシは素直に頷いた。
「そ。俺も淫乱。あいつに舐めさせてぎゅうぎゅう締めてもらって大喜び。あいつとあのまま関係続けていたら命縮めていたな。腹上死とかしたら恥ずかしいからね。ま、丁度いい時に死んでくれたかな」
「俺にとっては最悪のタイミングでしたけどね。あいつが死んだから、俺は里に舞い戻ることになったんですから」
「そっか〜。本当にはた迷惑な男ですね」
「でもカカシ先生にはあいつをあしざまに言う権利はないですよ。少なくとも、あなたが今生きていることを後悔していないなら」
「あれ? 嫌いな弟をかばうの?」
「あいつのことが嫌いだという以上にカカシ先生のことが嫌いです」
 嫌いな弟ではあったが、死者を冒涜する趣味はない。
 イルカが冷たく告げた言葉を反芻するようにカカシの口元はかすかに動く。カカシが怒りにまかせてクナイでも振り上げてくれれば楽なのにとイルカは自暴自棄に考えた。
「ねえ、イルカ先生。本当はあいつのことそんなに嫌いじゃないでしょ」
「嫌いですよ。あいつも、里も」
「うそうそ。本当に嫌いだったら少しでもかばったりしないでしょ」
「知ったように、ひとの心を推し量るのはやめてください」
 イルカが睨み付ければ、怖い怖いと言ってカカシは肩を竦める。カカシと話していても不快感が増すだけだと気づいたイルカは踵を返そうとした。
「あれ? イルカ先生、行っちゃうの?」
イルカはそのまま火影の執務室に向かうことにした。本当に書庫の係にでもまわしてくれと頼み込もうという気持ちで。
「イールーカーせーんーせーいー。無視しないでよ」
 しつこく隣に並んだカカシに制御が難しいほどの苛立ちを覚えて怒鳴りつけようとした。
 しかし言葉を発する前に、イルカはカカシによって口を塞がれていた。カカシの、唇によって。うまい具合に口が開いていた為に進入してきた舌を咄嗟に噛んでやればカカシはきわどく身を離した。
 一瞬口の中に広がった血の味に嫌悪が沸いて、イルカは顔を背けて唾を吐き捨てていた。
「うっわ。イルカ先生容赦ないね〜。傷つくよ俺」
 言葉とは逆にカカシは軽薄に笑って唇の端についた血を指先で拭う。
「顔は似ているけど、違うもんだ。あいつは俺が舌を入れてやれば喜んでむかえて吸い付いて離れなかったけどね」
「俺は、あいつじゃないって、何度言わせればあなたは理解するんです? 上忍ってのは記憶力がないんですか?」
「いちいちトゲがあるよね」
 カカシは結局イルカのことをまともに相手する気がないのだろう。時間の無駄だと心底思ったイルカは再び背を向けると歩き出した。さすがにカカシは追ってこなかったが、イルカの背に向けて「またね」と声をかけた。

 

 

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