Nostalgia U






 記憶の中の“イルカ”。
 当たり前のように傍らにいた同じ顔。

 立てるか立てないかの時期にすでに忍としての訓練は開始されていた。
 イルカのなかで記憶として最初に残るのは、砂場で遊んでいた時に、“イルカ”が結んだ印で吹き飛ばされたこと。正確には、一緒に遊んでいた友達がちょっとした意地悪でイルカの遊具を取り上げた時に怒った“イルカ”が、明らかな意志を持って気をぶつけたのだ。それを咄嗟にかばったイルカが一緒に飛ばされ、結果、友達は気絶ですんだが、イルカは左の腕の骨を折り、入院を余儀なくされた。
 うみのの家がなによりも大切だった父は“イルカ”を叱ることはなく、逆にイルカが叱責を受けた。忍の訓練を受けているのに、何故きちんと受け身がとれずに無様に怪我などするのか、と。母はその時里外の長期任務にでていた。イルカが入院している間、一度も父は見舞いに来なかった。かわりとばかりに“イルカ”は訓練の合間に足繁くイルカの元を訪れ、日常の生活をことこまかに話してくれた。
 ごめんね、と同じ顔をしたものが、辛そうにイルカの腕を包帯の上からなぞる。
 痛かったよね? でもあいつなんかかばう必要なかったって思う。イルカは優しいね。僕もイルカみたいに優しくなりたいよ。
 “イルカ”はせつなげに呟いた。
 決して、イルカは人より優しいわけではない。ただ、体が動いただけだ。そこに思考を働かせる余裕はなかった。刹那に生き死にの判断を下せることこそが忍として重要だというなら、イルカにはとても難しいことだ。
 “イルカ”は、イルカの首筋に鼻面を当ててきた。まるで獣が仲間の匂い確かめるような仕草にイルカは嫌悪をつのらせる。はっきり言ってぞっとした。
 その頃はまだどちらの資質が上かの判断を父は下していなかったが、イルカにはわかった。間違いなく、うみのの家を継ぐのは“イルカ”だ。
 “イルカ”は獣の属性をその身に秘めている。





 長ずるにつれて訓練はますます激しさをまし、二人ともアカデミーに在籍していたが、力はすでに中忍としても充分なほどになっていたかもしれない。
 毎朝の訓練のあとアカデミーに行き、終わればすぐに戻ってまた訓練。父が居ないときは母が、二人ともがいないときはお互いで訓練した。
 他者とは必要以上に関わらせてくれない没交渉な狭い世界の中でも、イルカは持ち前の外向的な性格から友達を多く持っていた。両親がいない時は訓練をさぼって友達と遊んだ。“イルカ”が告げ口しないことはわかっていた。
 イルカには理解しがたいことだったが、“イルカ”はイルカにひとかたならぬ執心を見せていた。“イルカ”の世界に存在するのはイルカだけのように真っ直ぐに見つめてきた。同じ顔というだけでイルカにとっては苦痛なこと。いつしか“イルカ”と話すことさえも億劫で気分の悪いことになっていた。



 鼻梁を走った痛みに、イルカは悲鳴をあげて地面に転がった。
 下忍になったばかりで、父に連れられて、二人、任務に赴いた。
 任務自体はたいしたものではなく、あっさりと盗賊の首領を掴まえた。部下たちは死ぬ者、逃げる者と別れたが、依頼人はとにかく首領を連行してくれればそれでいいとのことで、お縄にした首領を里に連れ帰ればいいだけだったのに。
 首領がかわいがっていた柴犬の親子が、首領をかばうようにうなり声をあげて威嚇してきた。獣とはいえ、受けた愛情はしっかりと覚えている。黒々とした一途なその目がイルカには羨ましくも思えた。
 大木に縛り付けられた首領の男は逃げろと怒鳴るが、犬の親子は威嚇をやめない。どうしたものかとイルカがとまどいつつも一歩近づけば、子犬のほうが怖い者知らずにもイルカの足に噛みついてきた。
「イルカ!」
 父とテントから出てきた“イルカ”が子犬を引きはがした。イルカをかばうようにして子犬を睨みつける。それでも健気に主人をかばうように吠える犬にクナイを構える“イルカ”が、イルカには信じられなかった。
「いいよ。やめろよ」
「おまえたち、その犬を始末しろ」
 氷のような声に、イルカは身をこわばらせた。おそるおそる振り返れば、父が眉一つ動かさずに犬を見ていた。
「逃げる気もないようだ。ならば殺すしかあるまい」
「なにも、殺さなくても、いいでしょう?」
「いや。殺してしまったほうがいい。邪魔だ」
 イルカは冷酷な父にカッとなった。父に飛びかかろうとしたが、動いた影に身を反転させた。
「やめろ! “イルカ”、やめてくれ!」
 イルカの制止は全てが終わった時に響き渡った。
 父の命令のままクナイをふりかざした“イルカ”は首領の目の前で母犬の喉を切り、子犬のほうは臓腑が飛び出るまで切り刻んでいた。ぴくぴくと痙攣する小さなからだ。まだ事切れていない子犬の脳天にクナイを深々と突き刺して、首領の目の前に蹴りつけた。
 びちゃっと飛び散る血肉。その血は首領の顔にも飛んだ。
 うおおおお、と魂がちぎれそうな、屈強な首領の叫び。彼はイルカたちを罵っていたことが嘘のように滂沱となる。
 イルカだとて忍の端くれだ。まだ子供とはいえ人を殺したことはあるし、今日とて逆らう手下たちを何人か手にかけた。
 だが、それはあくまでも敵だから。殺さなければ自分が死ぬことになるから。犬たちを殺す必要は全くないではないか。しかも、あえて残酷に切り刻む必要がどこにあるというのか。
 呆然と立ちつくすイルカのもとにしゃがみ込んだ“イルカ”は忍服から膏薬を取り出し、丁寧に塗りつけ始める。ぼんやりと、結ばれた“イルカ”の頭部を見ていると、不意に顔を上げた。イルカのことをあやすようににこりと笑む。
「痛かった? 俺が殺したからもう心配ないよ」
 優しく優しくイルカの傷跡を撫でる“イルカ”の手にこそイルカは総毛だった。
「おまえは本当に役たたずだ」
 イルカの肩に、背後から父の手が置かれた。感情の感じ取れない声に、首筋の毛がちりちりと反応する。
「以前よりおまえの資質には疑いを持っていたが、今のことではっきりした。うみのの跡取りは“イルカ”だ」
 父の手に力が込められ、イルカは目を閉じる。わかっていたことだが、生来の負けず嫌いの性格から“イルカ”に負けないようにとそれなりに腕を磨いてはきたが、結局、徹しきることができなかった。かすかに起こる悔しいという気持ち。だがそれを凌駕する自由になれたという気持ち。そうだ。もう忍をやめてもいい。希望に目を開けたイルカの目の前には、研ぎ澄まされて、光るクナイ。
「役立たずは、必要ない。“イルカ”とまるきり同じでは不便だからな」
「父上!」
 自分と、同じ声。しかしそれを発したのはイルカの声帯ではなかった。せっぱつまった声をあげる弟は初めてだった。
 的確に鼻筋を一文字に切り裂いた父のクナイ。ぱっとあがる血しぶきが人ごとのように目に映る。そこに重なる“イルカ”の顔。大きく目を見開き、まるで自分が切り裂かれたような悲壮な辛そうな顔。
「イルカ!」
「あ、あ・・・・・・わああああああ!」
 遅れてきた痛みに、喉から悲鳴があがる。
 顔をおさえて膝をつき、そのまま転がった体を“イルカ”が必死で抱き留める。
「イルカ。大丈夫だから。気をしっかりもって」
 暴れるイルカを押さえつけた“イルカ”は、鼻の傷に舌をはわせて血を舐めとっていく。びくびくと震えるイルカにのしかかり、ざらざらとした舌が飽きることなくイルカの溢れる血を舐め、喉が鳴って嚥下されていることを知る。
 “イルカ”の頭上には暗い森と丸い月。逆光で浮かぶ“イルカ”は唇を赤く染め穏やかに笑っていた。
「安心して。イルカはきれいだから。俺と違って、きれい・・・・」
 うっとりと呟いた“イルカ”はイルカの鼻に吸い付いたまま、イルカの腰のあたりにのった体をゆるくうごめかす。イルカの頬に添えられていた手が片方下腹部におり、イルカのズボンの中から器用に性器を掴み出す。痛みに鼻はおろか激しい頭痛までおこしていたイルカだが、それでもいきなり“イルカ”が何をし始めるのかと体は縮こまる。
「だい、じょうぶ・・・。イルカ、おとなしくしてて・・・」
 吐息のようなかすれた声をあげたあと、“イルカ”は自らの忍服の中からも性器を取り出し、イルカのものと一緒に握った。
「ひっ・・・! やだ、やめろよ!」
 体と一緒ですっかり縮こまっているイルカのものと違って、“イルカ”のものは固くそそり立ち、濡れていた。その部分が力を得ることがあると知ってはいたが、イルカは一度もそうなったことはない。だが“イルカ”は手慣れた様子で、あろうことか二つのものを強くこすりだしたのだ。
「いた、痛い・・・。やめろ、“イルカ”!」
「我慢して。すぐに気持ちよくなるから。イルカ、このままじゃ、痛くて気絶しちゃうよ。イルカが痛いのはいやだ」
「やだ! 助けて! 父さん!」
 “イルカ”の肩を押して、首をのけぞらせて背後にいるはずの父を地面から仰ぎ見れば、腕を組んで冷めた目をした父が見下ろしていた。同じく月光の下、無表情で双子を見ている父はイルカには魔物のように映った。父は何もいわずに踵を返し、テントにひっこんだ。血の匂いの中、大木に縛られたまま号泣し続ける男と、双子だけが残される。
「イルカ、集中して」
 自らの先端からにじみ出る液体をイルカのほうにもなすりつけた“イルカ”はどろどろの二つの性器を愛しそうに扱き続ける。粘着質な音が下腹部から大きくなってくる。
「あ・・・・。や・・・」
「ああ、イルカ、感じてきたんだ」
 “イルカ”を押しのけようとしていた手は力をなくし、口元をふさぐ役目をになう。
「イルカのほうもぬるぬるしてきた。カワイイね。ぴくぴくしてるよ」
 頬を上気させた“イルカ”はイルカの目元を口づけたり舐めたりを飽きることなく繰り返す。
「も、もう、ヤダ。“イルカ”なんか、大・・・嫌い・・・」
 イルカが息も絶え絶えに呟くと、ぴたりと“イルカ”の手と、うごめかしていた腰が止まる。くやしいことに高ぶらされた体の熱は、やめてほしいと思うのに解放させたいとふたつの気持ちのせめぎ合いにはさまれていた。“イルカ”の顔が見ていられなくて閉じていた目を開ければ、“イルカ”が泣いていた。ぽたぽたと涙が落ちてくる。
「酷いよ、イルカ。俺はイルカのこと、大好きなのに。酷い」
「ひどい、のは、お前だろ。うざいから、泣くな・・・・・!」
 鼻はずきずき痛むのに、下肢も疼いて仕方がない。ひどい状況に耐えきれずにイルカは力のない両手をなんとか“イルカ”の頭部にまわして、痛みと疼きを逸らすために髪を握りこんだ。
「もう、わかったから・・・・・・早く、終わらせろ・・・!」
「・・・・・うん」
 視界の片隅で“イルカ”が幸せそうにうっそりと笑う。イルカの許しがでるや、さきほどまでとは比べられないくらいに激しく手を上下させ、意地悪く先端をもつつく。快楽なんてものを知らないイルカにとってはただ解放されたいだけの熱が下半身に集まるにすぎなかった。“イルカ”はどういう意図があるのか腰も激しく前後させてくる。
「“イルカ”! もう、もう、やめろ! っ・・・・・!」
 堪えることもできずに高い声をあげてイルカが放出したと同時に“イルカ”も白い液を飛び散らせていた。
 荒い息のまま倒れこんできた“イルカ”は頬を桃色に染めて、艶めいたまなざしで疲労困憊のイルカを見つめてきた。
「最高に気持ちよかった。イルカ、大好き」
 イルカの意識は初めての放出と切り裂かれた痛みに朦朧となっていた。体をずらした“イルカ”がもったいないね、と呟きながらイルカの胸のあたりに飛び散った精液と、自らの手を汚したものをまるで猫のようにしゃぶっていたのは夢の中の記憶のように曖昧となった。





 鼻の傷は出血が多量だったわりにはきれいに切り裂かれていたため、ぴたりとふさがった。
 “イルカ”はかいがいしく世話をしようとしたが、あえて近づけさせなかった。傷が治ってもアカデミーに行こうとしないイルカに両親は何も言わなかった。“イルカ”はイルカを一人締めできると喜んでいた。
 半年が瞬く間に過ぎた。その間“イルカ”は中忍試験に突破して、初の長期任務へと旅立っていった。
 “イルカ”が長期でいなくなる時をイルカはずっと待っていた。両親はイルカの申し出に反対しないだろうが、“イルカ”がいるとことが厄介だ。泣いてすがってでもイルカを引き留めようとするだろう。
 全ての準備を整えた夜にイルカは両親の前で正座した。
「俺は、うみのの家を出ます。籍から抹消してくださって結構です」
 静かに告げたイルカに父はぴく、とかすかに目元を引きつらせた。
「行く当ては? イルカ」
 母が確認の意味を込めて聞いてくる。本当は母は全て知っている。他ならぬ母がイルカに家を出ることを進めて落ち着く先も供に考えてくれたのだから。
 母は言った。古い血は必ず狂気をふくみはじめると。イルカは狂わないままでいられるなら、そのほうがいいと。それなら母も供にと言えば、静かに首を振って、行けないという。狂っていても人でなしでも父を愛しているから、と。父を愛して嫁いだ時点で結局自分も狂ってしまったのかもしれないと、母は寂しく呟いた。
 イルカは木の葉の里が統治する匠の隠れ里に身をよせることにした。同じ木の葉の里ではあるが、忍の足でも三日ほどの距離があり、火影の許可なしには足を踏み入れることは許されない。“イルカ”がイルカの場所を突き止めても、会いに行くことはできない。何故なら、火影に許可を与えてくれるなと頼み込んだから。母は火影の遠縁にあたる。このたびの事件に火影自身思うところがあったのだろう。もうすぐ跡目を継ぐ四代目にも申し伝えることを約束してくれた。
 父はイルカの動向には興味などないのかもしれない。まだ怪我が完治する前、あの時、何故“イルカ”を止めてくれなかったのかと責めれば、強者には弱者を好きにする権利があると、一言口にしただけだった。
 弁解も、詫びもなく、ただ忍としての優劣を口にした父に激しい嫌悪がわき、しかし次の瞬間には全身の力が抜けていくほどの諦めにおおわれた。
 父にはイルカの言葉が通じない。通じない人間にいくら叫んでも仕方がないではないか。
 イルカの行く先を聞き、ひとつ頷いた父は、息災でな、と告げただけだった。
 深々と頭を下げて、イルカは別れを告げた。里とも、両親とも、永遠の別れだ。けれど未練はかけらもない。あたらしい人生に向けて、生まれ変われるのだと希望だけがその身に満ちていた。





 その夜、イルカは母一人に見送られて里を旅立った。

 

 

T   V
 
NOVEL TOP