Nostalgia T






 磨き上げられたクナイが早朝の日に鈍く光る。熟練の鋭いまなざしはふたつのクナイをためつすがめつして微塵の差も見逃さずに優劣の判断を下そうとしていた。老いてはいても矍鑠とした名人は背筋を気持ちいいくらいに伸ばして一時間ほどクナイを手にしていた。老人の前に正座する若者二人も微動だにせずに師がクナイを検分するさまを固唾を飲んで見つめていた。

 繻子の台座の上にクナイは戻された。無言で顔を上げた師は、鼻梁に一文字の傷をもつ若者に向けて、頷いた。
 その瞬間。彼の表情は歓喜に輝く。それは初めて自分の人生を手に入れた瞬間だった。




 けれど・・・・・。




 差し出した手を、掴んでくれる人はいなかった。  彼はその手をきつく握りしめて、もう二度と決して開かないこと、誰にむけてものばしたりしないことを誓った。


  


  

 火影からデータを見せてもらった時からいやな予感はしていた。暗部出身なら、当然面識があるはずだ。暗部まで勤め上げた男が何故下忍の教官などするのか。しかも今まで落としまくっていたというのに、今回に限って、大事なナルトが受けた時に限って合格をだすだなどと。なんの嫌味だ。ナルトの合格は嬉しいが、反面苦々しく思う気持ちも正直あった。
 イルカは全く知らなかったが、里の上忍の間に限らず他国にも名を馳せるほどの有名人とのこと。忍のなかの忍という人間。イルカが一番嫌悪する種類だった。


「始めましてカカシ先生。ナルトの担任をしていたうみのイルカです」
 出会いは下忍3人が初の任務を行い、その報告書を手にした男が一人訪れた午後の受付所。混み合った受付所で機械的に書類をさばいていたイルカは、すっと出された報告書が7班のものであることを目敏くとらえると、おもむろに顔を上げた。
 目の前には、あやしい風体の男が立っていた。
 銀の髪ははねまくり、片目は額宛てで覆い、鼻の上までアンダーを上げている。ああ暑苦しい。内心の不快感をおくびにも出さずに笑顔を向けたイルカに、7班の指導教官であるはたけカカシは半眼だった目を大きく見開いた。優秀な忍がそれでいいのかと疑問に感じるほどにその感情の発露は顕著で、息をのむほどに驚いていた。
 隣で同じく書類をさばいていた同僚が目配せしてくる。彼とはアカデミーに来てからの付き合いで、イルカをとりまく事情を心得ている。そんな彼にとっても、はたけカカシの反応は久しぶりのものだったのだろう。
 イルカはかすかに息を吐いた。
 案の定、あいつを知っているということか。もう5年もたつのに、今更こんな目にあうとは思わなかった。火影に頼んで近いうちに暗い書庫の整理係にでもしてもらおう。
「カカシ先生、報告書に問題はありません。ご苦労様でした。早速あいつらに初めての給金を渡してやってくださいね」
 早くどけよ、と言いたいところを遠回しに告げる。
「イ、ルカ?・・・・・」
 惚けたように名を呼ばれ不快感が募る。勝手に人の名を呼ぶな。ああでも、この男が呼んでいるのはあいつのことか。面倒だが、最初にしっかり告げておかないと後々も関わることになるかもしれない。それは勘弁してもらいたい。イルカは同僚にむかって顔の前で片手をあげた。
「カカシ先生、俺、あと30分くらいで少し出られるんで、もしよろしければ少しお話しますか?」
 イルカの提案にカカシは一も二もなく頷いた。



 5年前、自分の人生を勝ち取ったのと時を同じくしてイルカは結局運命に取り込まれ、閉じこめられることになった。里で一番と評判の研ぎ師に弟子入りして厳しい修行に耐え、認められ、跡目を継げることになったのに、叶わぬ夢となった。せめて力が及ばなかったならもう少し心穏やかで居られたのだろうが、自分のほうが勝っていたのに、継ぐことができなかった。
 それも全て、あいつが殉職したせいで。
 同僚は文句は言わないだろうが、手短に話をすませて戻らなければとイルカが廊下に飛び出ると、はたけカカシは廊下の壁にもたれてイルカを待っていた。イルカが頭を下げる前に身をおこして会釈してきた。腰の低い上忍もいるのだなと妙なところを感心したがとにかく急がなければならない。手近な空き部屋にカカシを伴って入ると、イルカは正面から向き直った。
「カカシ先生は暗部にいらしたので、あいつのこと知っているんですよね。あいつは俺の弟でうみの家の跡取りでした。でもご存じの通りあいつ殉職しました。代わって俺がうみのを継ぐことになったんですよ。それだけですので。では」
 一息で言い切ってさっさと踵を返したイルカの片方の二の腕は、カカシに掴まれていた。
 眉根がよるのをなんとか押さえて、イルカは笑顔で振り返った。カカシは困ったような微妙な表情をしている。
「もう少し、話したいんだけど」
「あの、仕事なんです。休憩短いんで、トイレにも行かないと」
「じゃあ、仕事が終わったあとでも」
「すみません、何の話をするんですか?」
「え・・・。だから、イルカのこと」
「あいつの何を話すんです? ああ、言っておきますけど、あいつの戦場での様子とか最後とかは聞かなくても結構です。この5年の間に聞かされましたから」
 冷淡な言い方で告げると、カカシはさすがに表情をなくす。その隙に腕を取り戻し部屋からでて行こうと戸に手をかけたところでまた、手が伸びてきた。
 仕方なくもう一度振り返ったイルカは今度は不快な顔を取り繕うことができなかった。
「カカシ先生・・・」
「イルカと、最後にいたのは、俺なんです。あいつが隊の仲間をかばって・・・・」
「で、その礼でも言いたいんですか? どういたしまして。あいつが部隊を救ったってことは知ってますよ。その中にカカシ先生もいたんですか。あいつに助けてもらった命、せいぜい大事にしてくださいね。それでは」
「ちょっと・・・・・・!」
 優秀と聞いてたわりには随分と感情的な忍だ。イルカの肩を強く掴んで見えている目は剣呑な光を宿す。イルカもそらすことなく見返すと、カカシは伏し目になり、そっと手を離した。
「すいません。俺ちょっと、びっくりして、動揺しています」
「いえ。こちらこそ。あいつのこと知ってる方に会うの、俺も久しぶりだったんで。あいつずっと外まわりでしたからね」
「俺も、そうです。イルカとは15の時に暗部で知り合って、死ぬまで一緒でした・・・。あれ? イルカ先生も、“イルカ”って名前なの?」
 今更なことをカカシがあどけなく聞いてくるからイルカは苦笑した。
「そうですよ同じ名前です。うみのの家は双子が産まれた時は同じ名前をつけます。優秀なほうが跡目を継ぎます。まあ、その優秀なほうが死んだ時は今の俺みたいなのが代わりになるってわけです。うみの家の事情は火影さまにでも聞いてください。俺本当に戻らないと」
 たたみかけた言葉をカカシが咀嚼しているうちにイルカは部屋をでた。
 接触を続けたいと思わないくらいには感じが悪かったことだろう。
 弟であるイルカとイルカが過ごしたのは遠い昔だ。落ちこぼれだった自分と違いあいつはキャリアを重ねて暗部にまで入った。イルカとの思い出など嫌なことばかり。死んでまであいつはイルカを悩ませる。イルカにつながることは全て排除してしまいたいのが正直なところ。もうすぐ約束の期限もくる、そうしたらイルカは里を出る心づもりでいた。





「こんばんはイルカ先生」
 その日イルカは睡魔とたたかいながら夜間受け付けの当番をこなしていた。コーヒーを何杯も飲んでいるが、日頃の疲れからどうしても船をこいでしまう。こんな夜中に決済票を提出しにくる者がいるとは思えないが当番だから仕方がない。仮眠をとっている者との交代まであと数十分だ。
 ぼやける視界は重いまぶたが蓋をしようとする。そこに飛び込んできたのがカカシだった。
「イルカ先生、よだれ、垂れてますよ〜」
 カカシは楽しそうに笑ってイルカの唇の端を指す。慌てて手をもっていったイルカはさらりとした感触に、からかわれたことを知った。
 憮然とするイルカをカカシはますます楽しそうに見ている。
 あの出会いからこっち、すでにひとつきは経過した。
 避けてくれることを確信していたイルカの意に反して、カカシはアカデミー、受け付けに限らずイルカを見つけたらにこやかに話しかけてくる。イルカから話しかけることは一度もない。付き合いたくない相手に愛想を振りまくほどお人好しではないのだ。あたりさわりのない応対に普通の人間ならとっくに話しかけることを止めるだろうにカカシは違った。カカシがいつでもにこやかなのに反してイルカはますます無表情に徹していた。
 カカシは上忍ではあるが、別に直属の上司というわけではない。所詮イルカの代わりに忍に籍を置くイルカにとって上に対する礼儀など必要最低限で充分だった。
「ご苦労様です。報告書ですね。お預かりします」
 繰り返される台詞とそれに伴ってでてくる笑顔は手慣れたものだ。
 カカシが請け負ったのはAランク。下忍担当をしていながらご苦労なことだ。さる大名の私事。人が5人死んでいる、敵が雇った他国の忍。昨晩おこったこと。そのまま提出にきたというわけか。
 顔を上げれば、5センチと離れていないところにカカシの顔があった。血のにおいはしない。イルカごときでは嗅ぎ取れないのかもしれないが、なんとなく、血の匂いをさせないような男なのではないかと思った。けぶるような灰がかった青い目がイルカを映す。その目に、イルカの面影でも見いだそうとしているのだろうか。本当に勘弁して欲しい。
「お疲れ様でした。ゆっくり休んでください。カカシ先生は3日間休日申請もできますので。ご希望でしたら庶務に申し伝えておきますが」
 不意に、カカシの案外と細い指先が、イルカの鼻の傷を撫でた。嫌悪にカッとなったが、やんわりとイルカはその手を払っていた。
「触らないでください」
「火影さまに聞いたよ。その傷、父親につけられたんだって?」
「そうですよ。それが何か?」
「うみの家は木の葉の始まった頃から、血系限界ではないが優秀な忍を出す家系で、九尾の災厄の時も封印の一端を担ったそうですね」
「ええ。そのおかげで俺は忍に舞い戻ったんですよ。ご存知だと思いますが、封印を幇助した巻物にとってはその一族の名前の存続が意味をなしますからね。うみの家の“うみのイルカ”の名を木の葉の忍の末席から消すわけにはいかないんです。まだ、ナルトは九尾を制御できていませんからね」
「あれ? そんなことまで俺に言っていいの?」
「いいんじゃないですか? カカシ先生はナルトの監視なんですよね」
「うん、まあ、ナルトのことはいいよ。俺が興味あるのはイルカ先生のこと」
 カカシは受け付けの長テーブルに勝手に腰掛けた。イルカを振り向いて口布を下ろした顔でにこりと笑む。
「あいつは、顔に傷なんかなくて、きれいな顔をしていたよ。俺も敵わないくらいのすごい忍でね、自分の体が傷つくことあまりなかったね」
「謙遜しますね。あいつは確かに優秀でしたけど、カカシ先生も随分優秀なんですよね。アカデミーでも有名ですよ」
「ホント? イルカ先生はどう思う?」
「どうってなんですか。ナルトの上官てとこですかね。それだけです」
「なーんだ。つまんないの」
 カカシは天を仰いで肩をすくませる。
 すっかり眠気がとんでしまったイルカはいつまでもこの場にとどまるカカシが鬱陶しくて仕方がない。もうすぐ交代で眠れるのだ。カカシさえ去ってくれれば少し早めの交代だって可能だ。
「あの、カカシ先生」
「あいつね、いつもにこにこ笑ってた。敵を殺すときでも笑ってた。あいつなりの自己防衛手段だったのかな」
「カカシ先生。弟の話はやめてください。聞きたくないんで」
「なんで?」
 テーブルから降りたカカシは今度はかがんだ姿勢のまま組んだ手に顎をのせてイルカの目をのぞきこんでくる。見透かすような目の色がイヤでイルカは目を伏せる。
「はっきり言って、嫌いだからですよ。同族嫌悪です。自分にそっくりの人間が好きなわけないでしょう。それでなくてもガキの頃からあいつと比べられてきたんですから」
「ハハ。容赦ないねイルカ先生。あいつと違って厳しいんだ」
「いちいち、あいつと比べないでください。気分悪いです」
「へえ。“イルカ”って怒るとそういう顔になるんだ」
 楽しげに声をあげたカカシにもうイルカは耐えられなかった。クナイを無言でカカシの鼻先につきつけた。真夜中の受け付け所に、更なる静寂が降りる。
「あんたいい性格してるなあ。人がいやがることして楽しいかよ」
「うーん、楽しいね。イルカ先生の場合は」
 イルカは乾いた笑いを口の端にのせ、クナイを一寸押しだそうと力を入れたがさすがにカカシは身を引いた。カカシはなぜか吹き出した。
「すごいねイルカ先生、上忍にたいして一歩も引かないね。怖いものしらずだ。もしかして俺に甘えてる? 俺があんたを傷つけたりしないってわかっているんだ」
「あいにくですけど、俺はカカシ先生に限らず上忍だろうがなんだろうが忍なんて怖くもないし大嫌いなんだよ。もしここであんたが暴力を振るえば火影に泣きついてやる」
「泣きつくこともできないようにしちゃうかもよ?」
 イルカの不遜なものいいに一向に頓着することなく笑顔を崩さないカカシに、イルカの怒りの熱も引いていく。クナイをしまうとパイプ椅子から立ち上がり、報告書入れの鍵を閉めた。カカシは一連のイルカの動きをじっと見ている。
 戸のところで立ち止まったイルカは振り返って表情ないままカカシを見た。
 首を傾げてじっとイルカの言葉を待っている。その目はイルカを見ているが、本当はもう一人のイルカを見ているのだろうか。


「カカシ先生・・・・」
 あいつは、幸せだったのだろうか。この男とともに生きて。


「カカシ先生はあいつと付き合っていたんですよね」

 

 

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