森の魔物 参






 夕方に向かおうとする空はうっすらと紅の色を帯び、昼間はうるさいばかりの蝉の声も柔らかくコーティングされ、空気も熱を飽和させていく。
 河原には即席で作られた石の竈。その上にはドラム缶が置かれ、四つんばいになったイルカが真っ赤な顔で頬を膨らませて竹筒を吹いていた。
 カカシがどこからか調達してきた。いつも川で水浴びばかりだからお湯に浸かりたいと言い出した。勿論、準備は全部イルカの仕事だ。
 子供なら3人は入れそうな大きさの缶。たっぷり水を汲んで、集めた枯れ枝に火を付けて、肺活量の限界に挑むようにして湯を沸かす。視界はちかちか点滅するし頭はがんがんと痛い。絶対に酸素不足だ。パーになったらあの魔物のせいだ。
「もう、もう! やってられるかー!」
 ばたんとイルカは石の上に倒れこんだ。
 空が遠い。あの空は里まで続いている。帰りたい。いきなりほろりとイルカの心に郷愁が沸く。
「・・・沸いた?」
「沸かねえよ!」
 イルカの視界を遮ったのは丸い小さなハゲをたくさんこしらえたタカ。背中にはレイタをしょっている。
「なんだよ。やるよ、やりゃあいいんだろ」
 イルカはふて腐れて起きあがったが、タカは無言で竹筒をとるとイルカに代わって炎を燃え上がらせた。
「休んでいて、いいよ」
 ぼそぼそと口にしたタカは疲れ切ったイルカに代わって慣れた様子で息を吹きかけ、炎は勢いを増す。
 今度はどんなたくらみだ、とすっかり猜疑心の塊となっているイルカは伺うようにタカの背中を見た。だがタカは黙々と仕事をしている。作為のなさにイルカは拍子抜けがした。
「いいよ。俺の仕事なんだから。レイタが暑がると悪いからお前は向こうに行ってろ」
 居心地が悪くなったイルカは竹筒を奪い取るとタカをどかした。立ち上がったタカはしかしその場を離れずに、汗をだらだらと垂らして仕事をするイルカを見ていた。
 そのうちにドラム缶からはいいかんじで湯気が立ち、混ぜてみれば今が入り頃という温度だった。この場合やはり一番風呂はカカシなのだろうが、一向に戻ってこない。レイタを含め6人が入ればお湯はそれなりに汚れる。どうせあとで沸かしなおすことになりそうだから、先に入ってしまったほうがいい。
「タカ、俺たち先に入っちまおうぜ?」
 言いながらイルカは髪をおろし、ぽいぽいと服を脱いで、レイタを受け取ろうとした。
「あーーーー!」
 突然響いた聞き慣れた4重奏。目の前ではタカが、後方、森の出口の辺りではカカシ、テツ、キヨが、いっせいにイルカを指さしていた。
 イルカの、とある一カ所を。
「毛が生えている〜」


 毛だ、毛だ、とイルカを真ん中にして、上司であるガキどもは中腰になってイルカの股間を観察している。イルカの年なら生え始めて当然で、友達と誰が生えてるかのチェックをしたのはかなりの昔だ。アカデミーで供に学んでとうに中忍になっている仲間のなかには経験済みの奴だっている。
 俺たちなんかつるつるだぞーと言う魔物たちに些末な優越感を感じて、たいして生えているわけでもないのに腰に手なぞあててふんぞり返っていたイルカだったが、急にカカシが、毛をひっぱった。
「って! 何しやがる!」
「なんだよ〜本物かよ〜」
「あ、当たり前だ!」
 カカシを睨み付ければ、青い目が楽しそうにイルカを見ていた。イルカは途端に口をおさえる。中途半端な医療忍術を試されてから、イルカはカカシと口をきいていない。必要最低限、返事はするし命令は聞くが、それ以外一切の接触を絶っていた。いい加減イルカも学んだのだ。触らぬ神にたたりなしということを。
「お湯、沸きました」
 ズボンを穿いたイルカは顔を伏せたまま身を引いた。くるりとタカを振り向く。
「その頭、俺が剃ってやるよ。ハゲてんのカッコ悪ぃだろ」
 ここで共同生活をしているうちにそれなりに4人のことが見えてきた。タカは少し要領が悪いが優しい奴だった。レイタをイルカが背負い、河原にタカを座らせた。タカはぶんぶんと首を振って逃れようとするが、そこは年上の貫禄で一喝した。
「お前中忍なんだろ? 度胸決めて大人しくしてろ!」
 ぴたりとタカは背筋を伸ばす。
 イルカは代用のクナイを取り出した。いつも孤児院の子分たちの髪を切ってやっているからお手の物だ。あいつら、今頃どうしているかな、とまた郷愁に襲われる。いかんいかんと思いを抑えて、タカの後ろ頭に向き合えば、タカの横に残りの3人も正座していた。しかもイルカの方をむいて。
「俺たちのことも剃れ」
「はあ?」
「だから、剃れー」
 カカシ、テツ、キヨが口をそろえて言う。
 イルカはむかっ腹がたって、誓いも忘れてカカシを見た。
「そんなこと言って、つるつるにしてもいいんですか?」
「いいよ〜。邪魔だし」
 カカシは額宛てをはずした。そこから現れたのは赤のほむら。カカシは右と違う色の不思議な瞳を持っていた。
「なんだ、それ?」
「知らねえの? 写輪眼だよ」
 カカシはイルカに顔を近づけた。見たこともない模様を刻む目をイルカは食い入るように見ていたから、縦に走る生々しい傷跡に気づくのが遅かった。
「・・・それって、移植、したのか?」
「ん? 自前じゃあな〜いね」
「そっか・・・」
 イルカの心はずんと落ち込む。
 ちびでくそ生意気なガキだが、やはりカカシは上忍だ。九尾の傷跡がまだ残る里の為にいくさ場でずっと働いている。
 カカシは、6才で中忍になったと聞いた。才能があって優秀な忍だから、この部隊でも隊長の任を負っている。こんなに小さいガキなのに、実績を積んで、働いている。そうだ。カカシは立派な忍だ。テツ、キヨ、タカ、も中忍で、もちろん、敵を倒したことだってあるだろう。このいくさ場にもずっと逗留している。それに引き比べてイルカは未だに下忍。安穏と里で過ごしている。そこまで思い至るとさすがに恥ずかしくなって、イルカは叫んだ。
「よーし! お前らみんなまとめて俺が頭を洗ってやる!」
 そこになおれとばかりにイルカが指をさすから、勢いにおされて4人ともが頭を垂れる。カカシたちが調達してきた石鹸でがっしがっしと洗いながらも、イルカは胸の奥がもやもやとしてやりきれない重いかたまりが沈んでいくのを感していた。
 夕闇が訪れて、裸のまま河原で体を洗ってお湯に浸かったが、皆が皆、体に妙に生々しい傷を持っており、イルカは自分の健康に焼けてつるりとした肌を申し訳なく感じた。




 その夜は珍しくレイタがくずった。ミルクを与えても泣きやまず、イルカは小さなぬくもり抱きあげるとテントの外に出た。
 レイタのことを揺らして、あやしながら、イルカは森の空を見上げた。
 木に視界を邪魔されるが月の光は届く。再び欠けはじめた月。ここにきて、もうすぐひと月が経とうとしていた。
 ひと月経ってやっと今日、4人と馴染めた気がした。死んだ父ちゃんも言っていた。男同士は裸の付き合いが大事だと。
 4人の世話をしてやりながら、遅まきながらイルカは気づいたのだ。ひょっとして、イルカにかまって欲しくて、4人は腹立たしい態度をとってきたのではないかと。そう思って自然と頬の筋肉を緩めていたら、カカシが冷ややかに告げてくれた。単純、と。
「やっぱりむかつく・・・」
「誰のこと〜?」
 振り向けばカカシが後ろ頭に腕を組んで近づいてきた。額宛てはまたつけているが、口布はおろしていた。
「レイタのやつ、泣きやまないのか?」
 カカシはレイタの丸い頬を指先でつつく。大声で泣くわけではないが、レイタはぐずぐずと鼻を鳴らしていた。
「ミルクじゃないみたいだしおしめも替えたし、なんか、気に障るんでしょうね・・・」
「ふーん。機嫌が悪いってこと?」
「まあ、赤ん坊だってそんな時があってもおかしくないと思うし」
「なるほどねえ。じゃあレイタは忍にはならないほうがいいな」
 カカシの真意の読み取れない小さな声にイルカはどきりとした。忍は、感情をおさえなければならない。いついかなる時にも冷静にことに当たらなければならない。アカデミーで諳んじるまで言わされた言葉。けれどいつまでも実践できないままだ。
「俺も、忍、あってないと、思うんだよな」
 ぽろりと口にしてしまった。カカシは真っ直ぐ見つめ返してきた。
「なんで?」
「なんでって・・・。だって、俺、戦うことが、怖いんだと思う。中忍選抜試験も最後までいくけど、いつも木の葉の仲間が対戦相手で、うまく戦うことができない。他国の忍だったら戦える気がするけど、てもきっとそう思いたいだけで、どんな奴が相手でも、戦えない気がする」
 カカシは上忍だが子供だ。だからすらすらと弱音の愚痴をこぼしてしまった。カカシにじっと見られることが気恥ずかしく、レイタをあやすふりで目をそらした。
「ばっかじゃねーの」
 予測の範囲内の返答だが、突き刺さるものがある。目をそらしたことが腹立たしくて顔をあげれば、カカシは年相応の子供らしいあどけない顔をして首を傾げていた。
「みんな、怖いんじゃな〜いの? 戦うのが怖くない奴いたらそりゃあおかしいだろ。命のやりとりしてんだから、怖くて当たり前だろ? 俺だって毎度毎度怖いもん」
 さらりと言われてイルカは声を荒げていた。
「うそだ」
「うそじゃな〜いよ。この部隊にいる上忍の中で俺が多分一番恐がりだから隊長なんだろ。怖くない奴が仕切ったら無茶しちゃうじゃん?」
「怖がってたら、敵なんか、倒せないだろ」
「ん〜? 逆じゃないの? 怖いから、自分が死にたくないから、仲間を死なせたくないから、戦えるし、敵を倒せるだろ? その為には強くならないとって思うし〜」
「なんだよそれ・・・」
 イルカは唇をかむ。
「じゃあどうして、怖がりの俺が、いつまでたっても中忍になれないんだよ? お、俺だって、友達を、里を守りたいって思う。でも、頑張っても、できないことだってある。同じことやってもできないのは才能の差だろ。6才で中忍になっているお前と一緒にするなよ」
 興奮して、レイタをきつく抱きしめてしまっていた。ぐずっていたレイタがイルカの剣幕にびくりと小さな手を震わす。カカシは何度か瞬きを繰り返した。
「そりゃあ、才能っていうか、力の差はあるだろ? 違う人間なんだから当たり前じゃん」
「そうだよ。わかってんじゃん」
 イルカはレイタに、ごめんな、と小さく謝って笑いかける。レイタは涙に揺れる鳶色の目を細めて、無垢な笑顔を見せてくれる。
「ちょっとレイタかして」
 カカシは強引にイルカの手からレイタを奪ってしまった。結構慣れた手つきで上下に高く揺らしてあやすのだが、レイタは顔を歪めて泣き出した。
「ばっか。へたくそ」
 イルカの手に再び落ち着けば、レイタはぐずりながらも笑顔を見せる。
 カカシはつまらなさそうに鼻を鳴らす。
「あのさ、下忍くん」
 イルカは返事をせずにふて腐れたような顔でカカシを見た。
「力の差ってのはさ、得意技かそうじゃないかってことなんじゃないの?」
「は?」
「レイタあやすのうまいじゃん」
 カカシは、何気ない声で言った。そこに意図するものはなかったのかもしれない。素っ気ないと言ってもいい口調。けれどイルカの頭は一瞬にして血が上った。
「ば、馬鹿にして! どうせ俺は、子守としてここに呼ばれたよ。戦いがあったら俺なんか足手まといだったよな。そんなこと、俺が一番わかってるよ。俺が、役立たずだってことくらい・・・!」
「だからさー、役に立ってるだろ? 下忍くんが来るまでレイタの面倒みるの大変だったんだっつーの。今は大助かり」
「そんなの、お前がみれなくても子分供がみてるだろ」
「みてたけどさ〜、泣いて泣いてもう毎日寝不足。さすがに文句がでてやばかったんだよ。今はあいつらそれなりにうまいことみてるけど、下忍くんがいるいないで違うんだ〜よ」
「そんな、こと、ない・・・」
「べっつに信じなくてもいいけどさあ、とにかく役立ってるのはホント。つーか下忍くんてヒクツだよな。ジギャクテキって感じ」
「なんだと?」
 イルカが声を尖らせればカカシは意地悪そうに笑う。
「俺は俺は〜って、どうせどうせ〜って。言ってる暇あったら何かすればあ?」
 ものすごい正論だ。さすが上忍、と感服するべきなのかもしれないが、あいにくとイルカのカカシに対する心証は素直さからは遙かに遠ざかっていた。
「はたけ上忍」
 レイタを片腕で抱いたイルカは、空いた手でカカシの耳をつまんで引っ張った。
「俺が卑屈なら、お前は無礼者だ! いくら上忍だからって、年上の人間に対する礼儀をちったあ身につけろ!」
 耳鳴りを起こさせる自信はある。孤児院で鍛えられた声だ。カカシは耳を押さえると嫌そうに唇を尖らせた。
「うるさいなー。下忍くんは説教好きだな」
「それから!」
 腹の底からでるイルカの声にカカシはかすかに身を竦める。イルカはごほんと大人のような咳払いをして鼻の傷をかいた。
「俺の名前は下忍くんじゃあなくて、イルカだからな」
「知ってるよんなこと」
「それならこれからは下忍くんじゃなくて、イルカって呼べよ」
「やだ」
 カカシに即答で返されてイルカはせっかくのいい空気にぴしりとひびが入った気がした。しかしイルカが何か言う前に、カカシは横をむいたまま不機嫌な顔をして告げた。
「・・・イルカって呼んで欲しいなら、俺のことも、はたけ上忍とかお前じゃなくて、カカシって呼べよ」
 暗くても、月明かりのおかげでわかる。カカシの柔らかそうな頬はうっすらと色を掃いている。
 ひょっとして、ひょっとしなくても、照れて、いるのか・・・?
 そう思い至った途端、イルカも何故か頬が熱くなり、伝染したように照れてしまう。
「あ、えっと、カカシ上忍、とか?」
「カカシで、いい」
「で、でも。ほら、一応、ほら、階級が」
「いーからカカシ。じゃなきゃ俺は下忍くんのことヒクツくんて呼ぶ」
「てめえ! カカシ!」
 思わず言ってしまった。イルカは慌てて口元をおさえるが、カカシは得意そうに顔をあげた。
「その調子」
 いつもは無表情に近いカカシが楽しそうだから、イルカはこそばゆいような気持ちでレイタを抱く腕に力がこもった。
 胸に満ちてくる温かなもの。自然とほころぶ顔。互いが照れたように視線を見交わした時、風が、止まった。
 レイタの顔が歪む。カカシは厳しい上忍の顔になって空を見上げた。





   
 
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