森の魔物 弐






 欠食児童のようにイルカはがつがつとドンブリに食らいついていた。

 昨晩結局夜中まで悪戦苦闘したが縄はぴくりとも動かず、そのまま疲れ果てて寝てしまった。日頃の家事の激務から熟睡してしまいよだれまで垂らした。安眠を妨害してくれたのは飛んできたクナイ。イルカの顔をかすめるぎりぎりで木に刺さった。
 肝をつぶして下方を見れば魔物が立っていた。ゲームで徹夜したとカカシは子憎たらしいことを言う。だが、攻略したかとの問いには黙り込んだからイルカはいくぶん溜飲を下げた。しかしそれがカカシの機嫌を損ねてしまった。
「俺、これから朝の修行するから、下忍くんに協力してもらう」
 カカシは両手にクナイを取り出した。イルカが嫌な予感を感じるよりも前に、イルカ目がけてクナイが飛んできた。
 恐怖に、硬直して動けなかった。クナイはイルカの胸のあたりの縄に刺さった。ぞっとしたイルカが冷や汗を数滴かいているうちにも数本飛んできて、あやまたずイルカの腹のあたりの縄に刺さった。
「その調子〜。動くなよ〜」
 カカシの声に我にかえった。確かに、腕に間違いはない。縄のところで留めて、イルカの体には刺さらない。さすが上忍なのだろう。くやしいがそれは認める。だが、これは違うだろう。
「お前ぇ! くそガキ! 人に向けて、クナイを投げるなんてどういうつもりだ!」
「クナイは人に向けて投げるもんじゃないの? じゃなきゃ倒せないじゃん」
「俺は、敵じゃない! 修行の為に人をマトになんてするな!」
「説教する気かよ、俺に」
 カカシの声が剣呑になる。
「する! ああしてやるいくらでも! お前が間違っているからな!」
 歯をむき出してイルカは怒鳴りつけた。
 本当は少し怖かった。もしカカシが本気でクナイを投げつければイルカの額に命中させたり、縄を突き刺して心臓に突き刺すことだってできるから。
 それでも言葉は止まらない。カカシはガキだ。イルカだってガキだ。でも、それなりにしていいことの悪いことの区別はついている。これはしてはいけないことだ。
 イルカが力をこめて睨み付けていると、カカシが何か言おうとして口布の奥が動いた気がした。だがそれが言葉になる前にくるりと背を向けてしまい、そのまま、テントに入ってしまった。
 それから。
 そのままイルカは放置された。空腹と疲れのあまりまた眠ってしまった。そんなイルカを助けたのは、子供ばかりのこのテントから一番近いところに野営している、猿飛アスマ、マイト・ガイという上忍だった。



「しかしお前もいい度胸をしている! 吊されたまま寝てしまうとはな!」
 おかっぱ頭のガイは白い歯を光らせて片手で親指をたてた。イルカの周りにはいなかった熱い大人だ。
「カカシのヤローも面倒なことするなってーの。どうすんだよ子守がいなくなったらよー」
 顎髭を蓄えたアスマはくわえ煙草で面倒だと呟く。イルカの周りにはいなかった気怠い大人だ。
 イルカがきょろきょろと視線を動かしていると、二人はドンブリ、お茶を同時に差しだしてきた。
「もっと食え」
 タイプは違うが、二人とも優しい大人のようだ。
 カカシに吊されたイルカを助けてくれた。カカシとは同等の上忍だから遠慮はないのだろう。だからついイルカは現状の不満をぶつけてしまった。
「あ、あの上忍は最低です。確かに力はあるのかもしれませんけど、人を吊してクナイを投げつけるなんて、最悪です!」
 いきまくイルカに、二人は頷きながらも苦笑していた。
「まああいつもガキだからよ、大目に見てやってくれ。あいつなりにお前のことは気にいってると思うぜ。結構人見知りする奴だからよ、いやな相手は徹底的に無視するのにお前にはかまってほしいからつっかかってんだろ」
「いくさ場で生まれて育ったからな。青春、友情、熱血という言葉がわからんのだ。イルカは年が上だし、是非カカシに熱〜い思いを教えてやってくれ!」
 がくりとイルカは肩を落とした。所詮二人とも上忍だった。イルカの苦難などわかっちゃくれない。
 腹もくちくなったことだし、そろそろ戻ろうかと立ち上がりかけたイルカを二人は引き留めた。気が済むまで泊まっていけという。
「でも俺、レイタの面倒見ないと」
「大丈夫だろ。お前が来るまではあいつらが見てたんだからな」
「でも・・・」
 決断できないイルカを置いて、ガイがさっさと式を飛ばしてしまった。
 レイタのことが気にかかったが、確かにアスマの言う通りだ。イルカが来るまでは4人が世話をしていた。問題はない。あのテントの中にもともとイルカの場所などなかったのだからと考えて少し暗い気持ちになった。
 沈んだ気持ちを奮い立たせる為にと、イルカは上忍二人で生活しているわりには小汚いテントを掃除して、寝袋に入った。
 アスマのいびきとガイの寝言になかなか寝付くことができずにぼんやりと暗がりに目を開けていれば、このひと月ばかりの日々が浮かぶ。
 来てすぐに連れていたかれた森の中の広場のようなところで、床机に片足立てて座っていた子供。その横に数人の忍が立っており、誰がこの部隊の隊長なのか判断が付きかねて、イルカはとりあえず子供のすぐ横にいた、一番年がいっている忍に向かってぺこりと頭を下げたのだ。頭を下げられた忍はイルカの頭をむんずと掴むと、子供に向かって一礼させた。
 子供は、ほとんど見えない顔のなかでも露わになっている右目をうっすらと細めた。
「俺が隊長だよ。ば〜か。普通このシチュエーションならどう考えても俺がトップだろうがよ」
 がつんと鉄槌をおろされたようなショックのままにイルカは口走っていた。
「で、でも、子供だから!」
 子供は吹き出した。そのまま腹を抱えて笑う。周りの忍たちも失笑する。頭が冷えてきたイルカは、さすがに発言の常識のなさに赤面する。忍の端ではあるがそこに属する者として馬鹿なことを言った。あくまでも実力の世界。強ければ、それが正義だ。
 ひとしきり笑ったカカシは涙の滲む目でイルカを見た。
「お前、面白いやつ〜」
 そう言ったカカシの顔は無邪気で、孤児院の奴らを思い出し、うまくやっていけるかと思ったものだったのに。



 終戦が間近というのは本当なのだろう。森の中に存在する忍たちの気配は穏やかなもので、二人のテントに来てからイルカもまったりと過ごしていた。おさんどん的な役割は変わらないのだが、嫌味のようにこき使われることはなく、申し訳ないくらいに平穏だった。テントは何人かに別れて生活しており、皆それぞれに自分たちのことは自分たちでこなしていた。そこをカカシはわざわざイルカの為に洗濯ものを集めさせて洗わせていたわけだ。心遣いありがとう、上忍様。
 森に来てからすぐに魔物のテントに放り込まれたから、ゆっくり歩き回ったことがなかった。二人に連れられて散歩がてら森を歩いた。
 小休止中とはいえ、皆一年もの間いくさ場にいただけあり、油断なく日々鍛錬は欠かさない。武器を研ぐのは当たり前、互いに組み手をしたり、術を訓練したり、いつ敵が襲ってきてもぬかりはないようにしている。どちらかと言えば年が若い集団だ。アスマとガイはかなりの年上だとは思っていたが、実は19才であることを知り、正直に驚きすぎて二人に拳骨をくらった。
 若い集団ではあるが、その中でもカカシが一番年下で、一番、偉い。6才で中忍になり、7才でもう上忍。上忍としてのキャリアは一番長い。イルカにとってはちびで生意気なガキに過ぎないのに、皆命令に従う。それが、実力ということなのだろう。
 魔物たちから離れて一週間近くたとうとしていた。

「やっぱり才能って、あるんですよね・・・」
 二人のテントに寝起きするようになってから、毎日稽古をつけてもらっていた。今日はガイに体術の特訓を受けたが、相手の体のちょっとした動きで攻撃のパターンを読むということがどうしてもこなせず、頬に特大の一発を受けてしまい、時間をかけて腫れだしたいま、咀嚼するのも一苦労だった。
 イルカはドンブリを置いてしみじみと呟いた。とっくに食べ終わってお茶を飲んでいたアスマとガイは同時にイルカを見た。アスマは呆れたように煙草の煙を吹いてきた。
「そんなの当たり前だろうがよ。お前はそんなことに今頃気づいたのか?」
 馬鹿にするような言い方にイルカはむっとした。
「どうせ俺は、才能がないからいつまでも下忍のままですよ」
「それは違うぞイルカ! 才能がなんだ! 努力! 努力努力努力だ! 青春だ! 熱血だ!」
 努力・・・。
 はっきり言ってイルカがあまり好きではない言葉だ。努力はした。だが超えられないものがあるから悩む。ぐるぐるとまわる。努力が足らないだけだと言われてしまえば何も返せない。
「俺、もう寝ます」
 項垂れるイルカを二人の視線が追ってきたが、そのままイルカは背を向けた。

 中忍の選抜試験の最終選考までは順当に行く。だがそこでいつもつまずく。今までイルカの最終選考の戦う相手はいつも同じ木の葉の忍だ。互いに力を知った者同士、仲間はいつもイルカのことを運がいいと言うが、冗談じゃない。運が悪いとイルカは思う。他の里の忍なら、敵と考えてもいいからいくらでも戦える、思い切りやれるのに、それが仲間になっただけで、身が竦む。たとえ選抜の為とはいえ、本気の勝負。へたをすれば生きるか死ぬかになる。そんな戦いで、仲間に刃を向けること、技を繰り出すことがどうしてもためらわれた。もうこのまま、下忍のままでいるのもいいかもしれないと、最近イルカはこっそり思い始めていた。
 自分より年下の奴らに馬鹿にされることも本当はたいしたことじゃない。先生はまた来年の試験にイルカを押してくれる気でいるが、断ろうかと、考えていた。




 うつらうつらとしながら夢に出てきたのは孤児院のガキ共。イルカの後ろをいつもくっついて離れなかったちびたち。一番とろかったアイツは、一般の夫婦にもらわれていった。別れの朝、イルカの手をなかなか離さずに、ずっと俯いていた。しゃがんで目線を合わせたイルカを真っ赤な目で見返したのは・・・何故かカカシの顔だった。
「・・・・・・・・・!!」
 息が止まりそうになって、イルカは目を開けた。いやな汗をかいている。いやな夢を見た。夏用とはいえ寝袋はやはり暑い。胸元のチャックを下ろそうとしたが、手が、動かない。蓑虫のようにイルカは寝袋の上から縛られていた。背中が揺れている。えっほえっほと声が、下から、する。頭上の木々は視界を流れていく。木漏れ日の色合いは朝のまぶしさ。顔をぎこちなく横に巡らせば、
「お前本当に忍かよ?」
 案の定、カカシがいた。

 イルカの体を抱え上げて走っているのは手下の3人。先頭のテツはレイタをおんぶ紐で腹に抱いて、キヨ、タカ、が後ろでバランスよく支える。その横をカカシは併走していた。
「な、な、なんなんだよこれは! 降ろせよ!」
「降ろせってさ」
 ぴたりと止まった3人は、ていっとイルカを地面に投げた。受け身も取れずに、イルカはうつぶせに落ちた。
 もしここに、孤児院の仲間がいたら、俺のこと助けくれたよな・・・。イルカは地面に鼻先をめりこませたまま里へと意識を飛ばした。
「アスマとガイには言ってきたから、さっさと起きあがってレイタの面倒見ろよ」
 カカシが紐を切る。ぐずるレイタの声がする。だが起きあがりたくない。4人の顔を見たくない。今4人の顔を見たら、また後先考えずに怒鳴ってしまいそうだ。けれどレイタの声はどんどん大きくなる。ほおっておくことはできない。
 寝袋から出たイルカは俯いたままレイタを受け取った。
 癇癪を起こしそうになっていたレイタだが、イルカの土の付いた赤い鼻に目をとめて両手をばたばたと動かしてご機嫌になる。少しかさついたピンクの頬。柔らかく弾力がある。鼻くそのつまったところを指でとってやれば気のせいかレイタの顔がまた笑う。
 まあ少なくともレイタは、イルカを必要としてくれているわけだ。
 根が単純なイルカもご機嫌になり顔をあげれば、4人が周りを囲んで見ていた。食い入るように見ている。
「な、なんだよ?」
「べっつに〜。ガキの扱いだけはうまいもんだと思ってさ〜」
 自分もガキのくせに、カカシはしれっと答える。
 久しぶりに見る4人は相変わらずで威圧感たっぷりだ。
「下忍くんの休みは終わりだからな。これから少し忙しくなるからレイタの面倒しっかり見ろよ」
「忙しいって、何で?」
「完全撤退の準備だ〜よ」
 そう言ってぐるりを見回したカカシの顔は暢気なものだ。
 ガキのくせに、綺麗な顔をしている。イルカは訓練の際の不注意でもっとガキの頃鼻に傷をつけたし、今も頬をはらしている。カカシはそんな痛みとは無縁のような気がした。
「その傷、あいつらが殴ったりするわけねーけど、やられたのか?」
 何を言われたのかわからずカカシの横顔をじっと見ていたら、不意に手甲をつけた手が伸びてきて、イルカの頬を軽く撫でた。
 思いのほか優しい手つきでイルカはどんな裏があるのかと身構えつつ答えた。
「・・・稽古で、うまくかわせなくて」
「ガイか。だっせ〜」
「悪かったな。ガイさんの愛のムチなんだよ」
「一週間足らずでもうあいつの熱血に毒されてやんの」
 言われて、自然体で握り拳を作る自分にイルカは目を逸らす。
 テツからおんぶ紐を受けとってレイタを背負う。アスマとガイのところは居心地がよくて余計なことを考えてしまうから、こいつらと過ごす方がいいのかもしれないと思う。
「下忍くん」
 歩きだそうとしたイルカを呼びとめたカカシはその場に座らせた。自らも膝立ちになると、右手の手甲をはずして腫れ上がったイルカの頬を包んだ。訳がわからずに身を強ばらせたイルカの目の前にいるカカシは見たことがない真剣な顔をしていた。
「なんですか?・・・」
「俺、最近医療忍術の訓練もしているんだ。これくらいの傷なら治せる」
 カカシの小さな手の平からチャクラが練られている。カカシが、治してくれる? イルカはごくりと喉を鳴らした。
 膨れあがったチャクラ。温かな膜が張られるような感覚。そして次には・・・。
「いっっっっっってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーー!」
 腹の底から、魂の底から、イルカは叫んだ。
 まだ朝早い森の木々から鳥たちが羽ばたいていく。背中のレイタは呼応するように泣き出す。イルカは目の前がちかちかとする痛みの中、震える手を膝の上でぎゅっと握りしめ、歯を食いしばった。
 目の前で、火花が散っている。
「あれ〜? まだうまくできないんだ〜。そっか。急速に治癒させるにはもうちょいチャクラを練る必要があるわけだ。なるほどなるほど。あ、ごめんごめん下忍くん。半端なところで終わらせちゃったから痛みの頂点っぽいね。ま、痛みに耐えるのも忍者の仕事。訓練だと思ってさ、専門の奴呼んでくるまで耐えろよ〜」
 かすむ視界の中、カカシは笑っていた。
 俺って医療系の才能はないのかもなあ、と言いながら消えた。

 ドックンドックンと心臓が乗り移ったように鼓動を刻む頬に誓う。殺す。絶対にアイツは殺す!
 涙、鼻水をだらだらと垂らしながらもイルカは決意した。




   
 
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