森の魔物 壱






 じゃぶじゃぶとのどかな水音がする。
 空は遠く高く晴れ渡り、まぶしさに目を眇める。真夏、日差しの中にいたらものの数分、いや数秒で体は汗ばみ、だらりと不快な汗が伝ってくる。
 森の木々が大きく張り出しているからイルカは日陰の中にはいる。時折涼しい風も吹いてくるのだが、いかんせん、背負っているものが熱い。満腹になった乳飲み子はすやすやと昼寝中だ。
 イルカは1時間はそこにうずくまっていた。
 別にうずくまって蟻の行列を見ているとかそういうことではない。川べりでじゃぶじゃぶと音をたてているのは他ならぬイルカだ。じゃぶじゃぶと洗濯板と格闘しているのだこの1時間ほど。傍らにはこんもりと積まれた汚れ物。1時間たっても使用前、使用後が半々で、いつになったら終わるのかと口から乾いた笑いが漏れる。
 背中には赤ん坊。イルカの背中の寝心地がいいのか、暑さをものともせずに熟睡だ。
 イルカの腕にいっそう力がこもる。
 本来なら夏の川辺など極楽そのものなのだが、怒りのために外からは勿論内からも発熱して沸騰しそうになっていた。
 もしも今、昔話よろしく川上から桃でも流れて来ようものなら、まっぷたつにして切り刻んで、がつがつと食べたことだろう。いや二つにする前にあいつのこしゃくな顔を描いてぎとんぎとんにしてやる。
 妄想の世界でうふふと笑いながらイルカは思わず身を乗り出して川上を見た。
「さぼってるんじゃないよ」
 肩を押された。当然イルカはそのまま逆らうことなくばっしゃんと川に落ちた。浅瀬のため、だめ押しとばかりにごつんと額を石に打ち付ける。うまいこと赤ん坊は水に浸からない程度の水量。
 散々な状態ながらも後の報復が恐ろしいから洗濯板と洗濯物はがっしりと掴んでゆらりと振り返れば、案の定、そこには魔物がいた。



 魔物は手下を3人連れている。ボスと合わせて4人全員がイルカより年下なのに、腕を組んで並んでふんぞり返っている。銀の髪をした魔物が一番年下だ。このくそ熱いのに顔の下半分は口布で覆って、片目は額当てで隠した黒ずくめの衣装。名を、はたけカカシと言う上忍だ。ちびのくせに、11才のくせに上忍だ。
 手下は、縦より横のほうがでかい巨漢がテツ、はな垂れがキヨ、いがぐり頭にところどころハゲがあるのがタカ。3人は全く似ていないが三つ子で12才。むかつくが中忍だ。
 そしてイルカはと言えば、下忍になって3年がたっていた。
「一体洗濯ごときでいつまでかかってるんだよ。使えねえやつー」
「つかえねえやつー」
 3人が復唱する。イルカはこめかみの青筋を撫でながら気を落ち着かせた。
「そうは言っても俺、一人でこれだけの量やってんですよ? そりゃあ適当にやったらもっと早く終わりますよ。でもはたけ上忍、真っ白にしないとやり直しさせるじゃないですか」
 この小姑め! と言いたいところは飲み込む。
 この森に来た当初、孤児院で洗濯は慣れていたとはいえあまりの量と汚れっぷりにさすがにイルカもある程度手を抜かざるを得なかった。だがまあ綺麗に仕上げて持っていったと今でも自負しているが、それをこの上忍は駄目出しした。指先でつまんで匂いを嗅いでぺいっとイルカに投げつけた。
「こんなんじゃ駄目。それでなくても夏はばい菌が繁殖しやすいんだからさ」
 その時、イルカは咄嗟にやってしまったのだ。
 ぺしんと音がした。
 手のひらで、上忍の頭を叩いてしまった。
 九尾の事件で両親が死んだあと孤児院に入り、一番年が上であったが為に自然とイルカがリーダーになった。世話焼きな気質もあり皆をうまくまとめていた。年下の子たちがいいこと、きちんとしたことをやれば手放しで褒めたし、悪いことをすれば叱った。時には正当性を欠くこともあったがそれはそれ、仲間同士でずけずけと言い合うから、しこりも残さなかった。
 イルカの周りにいた子供は年下の孤児院の仲間かアカデミーの同期だったから、つい、無意識にやってしまったのだ。
 このいくさ場での最高責任者がわずか11才のこいつだとは重々承知していたが。
 叩いた勢いのままついでに説教までしてしまった。
「何がばい菌だよ。そんなにお上品なたちならこんなとこ来るなってんだ。だいたいこれだけの洗濯物を一人にやらせようってのが間違いなんだよ。これだから洗濯ひとつしたことないような奴はいやなんだよな〜」
 な〜、と言った口にままイルカは固まった。
 籐で編んだラグに胡座をかいていたはたけカカシは立ち上がると、頭ひとつ高いイルカを笑顔で見上げた。その笑顔にイルカは固まったのだ。
「お前、下忍のくせによく言った。度胸だけは褒めてやる。実践で役にたたない下忍くんは口だけは達者になるのかな〜。よーし。下忍くんにはここで俺たちの側役になってもらおう。俺たちの奴隷ね。はい決定」
「は?」
「だから奴隷。奴隷のお仕事は洗濯と子守と飯作り。低レベルすぎて俺たちには難しいんだよねー」
 カカシは振り返ると、入ってこいとテントの外に声をかけた。
 裏手からやって来たのは。
 いずれもイルカより年下、カカシとどっこいどっこいのガキ共が3人。しかし全員が額宛てをしている。イルカのようにたいした任務もこなしていない下忍のぴかぴかのものではない。イルカはいやな予感がした。
「こいつらは俺のフォーマンセルの仲間で、中忍。あ、全員下忍くんより年下。確か下忍くんは12才で下忍になって、今15だったっけ? もしかしていい仲間に恵まれなくて下忍のままかな? それとも大器晩成なのかな?」
 このちびは絶対に知っている。スリーマンセルの中で未だに下忍なのはイルカだけだといいうことを!
 体の脇に垂らした両手をぎゅうっと握ってイルカもなんとか口の端を吊り上げた。
「中忍の方々の子守なんて、下忍の俺には無理ですよ」
 カカシが顎をしゃくると、中忍のなかで横幅があるぼんやりとした奴が背を向けた。
 その背にはおんぶ紐に背負われた赤ん坊がちんまりとはりついていた。前から見ると肉の中に紐がめりこんでわからなかった。
 いくさ場に、どうして子供がいるのだろう。
「俺の子供」
「え゛!?」
 カカシの発言にイルカの声はひっくり返った。

 んなわけないっつーの。

 子供は森の中に捨てられていたとのこと。
 木の葉の里が所属する火の国の西。雨隠れの里との境を接する森での紛争は1年をかけても終わらなかった。膠着状態が続きいたずらに戦力を浪費するだけの戦に停戦の兆しが見えたのはここ一ヶ月ほどの間の外交による。木の葉に代わって火の国の直属になろうとしていた雨隠れだが、風の国からの要請でそちらに吸収されることになびきだしたのだ。
 イルカは下忍として地道な任務をこなしていたところに、スリーマンセルの頃の師にこの森のいくさ場への参加を勧められた。
 いくさは終わろうとしている。命の危険はないから、いくさ場の空気を学んでこいと、補充部隊の一員におしてくれたというのに・・・。
 ここでのイルカの役割は孤児院と代わらない。
 家事全般、乳飲み子の子守。嬉しくって泣けてくる。あとから知ったことだが、その腕を見込まれての推薦だったらしい。先生、俺のこと好きでですか? と里にいる師に呟いてみたくもなる。
「お。口答えする気か〜」
 カカシは猫が獲物をなぶるように嬉しそうだ。イルカが口答えをすればするほど奴らを喜ばせることはわかっているのだが、返さずにはいられないのがイルカの性分だった。
「なんで俺一人でこの部隊の20人分の洗濯しなきゃならないんですか。今は終戦を待つばかりで皆暇でしょう。誰か手伝ってくれたっていいじゃないですか!」
「俺たちは1年間の疲れを癒してるの。下忍くんが暢気に里で過ごしている間ずっと働かされていたからね。下忍くんより年下のこ・ど・も、なのにね〜」
 年下と子供を強調して、ね〜、と4人は顔を合わせる。昼ご飯の片付けを終えてイルカが洗濯に向かう時、4人はテントの中で昼寝していた。目を覚ましたらで暇つぶしとばかりにイルカをいびりにくる。青筋がぶち切れそうになって声を荒げそうになったイルカだが、怒りの気を敏感に察したのか乳飲み子ーレイタが火がついたように泣きだした。
「泣ーかーせーたーなー」
 4人がずいとイルカに迫る。イルカの怒りなど一瞬で引いてしまうような不穏な空気にイルカの喉がごくりと鳴る。
 おんぶ紐からレイタをおろすとあやすためにべろべろバーなどと古典的なことをやる。座ったままだとらちがあかないからイルカは立ち上がってそこいらを歩きながらレイタを揺らす。ほどなくしてレイタは泣きやみ、イルカが笑いかけると応えるように笑い返す。孤児院でも子守は得意だった。子供に好かれる質だと自負していたが、ここでは勝手が違う。奴らはイルカをいびることに喜びを見いだしている。とりあえずレイタを落ち着かせたから振り向けば、4人ともつまらなそうにイルカを見ていた。唇を尖らせている表情は何かを言いたそうなのだが。
「レイタに感謝しろよ〜」
 それ以上イルカをいびることなく、魔物は手下とともに去って行った。



 結局イルカは洗濯物に3時間をかけ、行商の老婆のように背負ったかごをカカシのテントに運んだ。固くしぼったものを次は干さなければならない。が、その前に児童4人の夕飯の作成がある。
「はたけ上忍。終わりました」
「今日もとろかったね。さっさと飯作って」
 カカシと手下は敷物に腹這いになって、手元を熱心に見つめていた。
 聞き慣れない機械音にイルカは後ろからのぞき込んだ。
 イルカは思わず声をあげた。
 4人の手元には、火の国の大手おもちゃメーカー火の粉堂が2ヶ月前に発売して売り切れ続出、いったい誰が手にいれたのかとい言われている幻のゲーム機、ハンドボーイがあった。格闘物、ロープレ物、シューティング物、ホラー物。カカシが遊んでいるのが、イルカが狙っていた格闘物だった!
「はたけ上忍、どうしたんですかそれ?」
 イルカはカカシの隣にぴったりと身を寄せた。
「買ってきたんだよ〜。暇なんだもん」
 カカシはゲーム機から目を反らさずになかなかの腕前で敵を粉砕している。
「でも俺も予約したけど買えなかったんですよ? なんで今頃買えるんですか?」
「直接製造元にいきゃあいいじゃん」
「製造元? 火の粉堂?」
「そ。大量に積み上げられていたから適当な金おいてきた〜」
「俺も! 俺も欲しい! はたけ上忍! 連れてって!」
「や〜だよ。何度も行くほどは暇じゃないし〜」
「そんなこと言わずにー! 欲しい! 欲しい欲しい欲しい! 俺も欲〜し〜い〜」
 イルカは我を忘れて駄々をこねた。
 色よい返事をくれないカカシの肩を揺らす。それは丁度カカシが敵に複合技を決めようとジャンプしたところだった。目にもとまらぬ早さで蹴りを出したあと、空中でそのままパンチの嵐。最後に地面に着地と同時に足を払う。
 だが。
 イルカの邪魔により、カカシの手元は狂った。
 ジャンプした瞬間に早業で対応しなければならないのに、一歩遅れた。敵のパンチが股間に食いこみ撃沈。しかもそれが運の悪いことに必殺の一撃になってしまい、命を3つも残してゲームオーバー。
 カカシのこぎれいな横顔に向かって、こりないイルカはまたやってしまった。
「っかだな〜。だっさ〜。それサイアク! 名前登録機能あるじゃん? 必殺の一撃で死ぬとそのキャラはラストステージにたどり着いてもハンデつきなんだぜ? ボスキャラ死ぬほど強いのにやばいってそれは〜。しかもキャラ登録3人までだろ? かー。一個捨てたな〜」
 な〜、と言った口のままイルカは固まった。
 発売前にうんちく本は熟読した。暗記するほどに読んだ。それほど思い入れがあったゲーム。だから我を忘れた・・・。
 むくりと起きあがったカカシはこれ見よがしにイルカの前にゲームを掲げた。馬の鼻面のニンジンよろしくイルカは鼻をうごめかす。
「下忍くん。晩飯作らなくていいよ。その代わり、俺が特訓してやろう」
 言うが早いか、カカシはレイタを手下に渡すと、イルカを縄でぐるぐると巻いた。あれよあれよという間にイルカは外に連れ出されて太い木の枝に吊された。
「下忍くん。縄抜けの訓練だ。俺の部下ならものの5秒で抜けられるけど下忍くんレベルでも一晩かければ抜けられるさ。大丈夫。頑張れ〜」
 手を振るカカシの笑顔は魔物のように整っていた。
 夜のとばりが降り始めた森にふくろうの声が一声響いた。





 
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