今日も今日とてイルカとカカシは裏街道にいた。小料理屋の2階で二人きりで銚子を傾けていた。
 
 
 イルカのこのひとつきほどの生活は乱れまくっていた。
 気づけば午前様。朝起きれば畳の上に二人でひっくりかえっており、カカシが上にのっていたり足下にいたり妙にくっついていたりと最初は鬱陶しさに蹴りつけてしまうことも多々あったが、さすがにイルカも慣れた。酔っぱらったカカシに口づけられた回数は数えることを途中で放棄した。だが舌を入れようとしてきてかみついた回数は3回。3回目は思い切りかみついたからカカシは数日の間まともに喋れなかった。
 昼間イルカはアカデミーで勤務。受け付けは上司に正直に事情を話したところ、無理のないシフトにしてもらえた。ダイゴのもとにも足を運び、進捗しない状況をそれでも報告していた。ダイゴはもういいと何度も言ってきたが、逆にイルカがムキになっていた。カカシを含め様々な人に協力してもらった手前、意地でもかの人を探し出したかった。
 そう。
 イルカはすぐにでも探しだして早々に日常に戻りたかったのだが、・・・。
「イルカ先生〜。飲んでますか〜?」
 お猪口を口元に運んだままかたまっていたイルカの腰のあたりにカカシが抱きついてきた。ごろごろとなついてくる姿が本当に鬱陶しい。酒で薄く色づいた頬はつやつやしている。脳天気な笑顔だ。
 裏街道に泊まった初日、眠れずに青ざめていたカカシを本気に心配したが、今となってはあれは芝居だったのかと勘ぐってしまうほど毎夜すやすやと眠っている。女性との濡れ場を目撃することはないから、きっと昼間にでもやっているのだろう。イルカはアカデミーと受け付けの業務があるから手があくのは夕刻からになる。必然的にカカシに頼ることになるが、カカシは調査をしているとは口では言っているが本当のところはわからない。イルカが裏街道にやってくると満面の笑顔のカカシに全身で迎えられて、様々な店に連れて行かれた。やれあそこの飯がいい、女がいい、踊りがいい、芝居がいい、謡曲がいい・・・。イルカに逆らうタイミングを与えずに、有無を言わさずに振り回すのだ。カカシはきまってその店の女の中に、ダイゴの探し人に似た者がいると言う。俺は直接女の顔を知らないから面識のあるイルカが見なければならない。裏街道にいる女はなにかと事情がある。もしも店から連れ出すことになった場合少しでも店に心証をよくしておいたほうがいい。だから店に金を落としたほうがいいと、なんだかよくわからない理屈に丸め込まれてしまったこの一ヶ月。
 遊んだ・・・。
 裏街道は決して女と寝るためだけの隠微な場所ではなく、飯もうまく、芸子たちも一流で、体を売っている女たちもただ買われ唯々諾々と従うようなことはなく、自分の意志で体を開いている。まるでくの一のように閨での技を磨き、そこに誇りさえ見いだしていた。
 しかしイルカは頑として女遊びは頷かず、さすがにカカシもその手の誘いは最初の数日であきらめたようだった。
 高級な料理、目の保養。寝不足気味のひとつきではあったが、それを上回る栄養に、イルカはこのひとつきで太った。3キロほど・・・。
 太ったのがまずかったのだろうか・・・。事情を聞いて融通をきかせてくれていた上司、同僚、当事者のダイゴにまで、さすがに言われてしまった。
 ひとつきたって見つからないなら、あとは同じことだと。とりあえず裏街道での調査は中止して、あとはゆっくりと様子を見る方がいいと。
 このひとつきの間、仕事をおろそかにしてきたりはしなかったが、授業中に子供たちの失敗した火遁の術で軽傷の火傷をおった回数と土遁で土の中に葬りさられそうになった回数と水遁で溺れそうになった回数は、ひとつきでやってしまうにはありえないような最高値をたたき出してしまった。受け付けで居眠りして、気のたった上忍にクナイをつきつけられたことも何度かあった。
 確かに、このあたりが潮時なのかもしれない。
「あれ〜イルカ先生?」
 腹のあたりにあるカカシの顔が上向いて眉間に皺のよったイルカをのぞき見た。
「イルカ先生さ、太った?」
 無意識ではあったが、イルカはお銚子をむんずとつかむとカカシの頭にこぼしていた。
「ちょっと、イルカ先生! なにするんですか〜」
 だらだらと頭から酒をたらしながらもカカシはへらへらしている。
「すいません。手がすべりました」
 全くすまないという気持ちをいれずに堅い声音で返したイルカはお膳を横にずらしてがっくりと項垂れた。
「カカシ先生・・・確かに俺は太りました。裏街道で過ごす間に、太りました。決して遊んでいたつもりはなかったんですが、そう見られても仕方ないですよね。それもいけなかったんだと思いますが、今日、上司からこれで最後にしろと、最後通告されてきました。調査は終了です!」
 自らの情けなさに歯がみしながら一息で言い切った。
 ひとつきの間、カカシに振り回されたことは確かだが、裏街道に思い切って踏みこめずにカカシの後ろで伺うようにしていたのはイルカだ。そんなことで、探せるわけなどなかったのだろう。最近ではタカナにまで心配されるような始末だった。
 慚愧の念でうめいているイルカの耳にカカシの明るい声が届いた。
「それなら丁度よかった。今日で終了できますよ」
「はあ?」
 間抜けに顔をあげればカカシは得意げに口元をつり上げていた。
「伊達に暇をもてあましていたわけではありません。女の行方はね、とっくにつかんでいましたよ。彼女はね、ダイゴと切れたあとすぐに旅の一座に入りましてね、大陸をまわっていたそうです。その一座は売れっ子で、まあそこら中の国からお呼びがかかるんですよ。行方をつかんだはいいんですが、裏街道に講演にくるのがひとつきほどあとだってことで・・・」
「すいません行方をご存じでいらっしゃったのなら俺のこのひとつきはなんだったのでしょうか? 裏街道に毎夜毎夜来る必要はなかったですよね?」
 呆然としながらもイルカは言い切った。
「そうですね〜。でもまあイルカ先生と遊びたかったし、イルカ先生気づかないし〜」
 カカシの細められた目が雄弁に語っている。
 普通、何か気づくだろ? と。
 イルカは畳につっぷしそうになるくらいに力が抜けた。
 確かに、そうだ。最初の頃から不審だった。どの店にでかけてもカカシは顔で、遊興費は”四代目”の経費か、特に懇意にしてる店は頑としてお代を受け取ろうとしなかった。カカシが裏街道の顔であることは最初の夜にわかっていたことだった。顔である男にとって一人の女の行方を探すことは決して難しいことではないはずだ。たまに、本当にたまだが、イルカが、思い切って酌をしてくれた女たちにタカナの母親らしき女性のことをきいても、皆判で押してように、存じませんねえと返してきた。つっこんで聞こうとすると必ず傍らのカカシが割って入った。「飲みましょうよイルカ先生〜」と。・・・根回しされていたのか。
「イルカ先生、本当になにも疑問に感じなかった?」
「聞かないでください。今自己嫌悪の極地にいるので」
「あはは。でもいーじゃないですか。遊びを知らないと、逆に身を持ち崩しますよ。いい経験したってことで。でも本当はこっちの遊びもしてほしかったんですけどね〜」
 イルカ先生頑固だから、とカカシは右手の小指をたててにやにやしている。丸め込まれてばかりも悔しいので、イルカは精一杯の虚勢を張った。
「もう一生分の遊びをしたカンジです。裏街道になんかもう、来ません」
 小馬鹿にするような言葉で返されるかと思ったのに、カカシはたてた片膝にかたほうの腕をぶらりと置いて小首をかしげた。
「そんな寂しいこと言わないでよイルカ先生。俺は、あなたとまだ遊びたりないんだけどな」
 優しく、ささやくような口調。伏し目がちになったカカシは所在なげに両手の指を組んだりほどいたりしている。
「ねえイルカ先生、ひとつきの間、全然楽しくなかった?」
 カカシの声が真剣だから、イルカも真面目に考えた。
 乱れまくったひとつき・・・。楽しくなかったか?
 そんなわけがない。本当に苦痛ならとっくにやめていた。
「楽しかったと、思います。だから、多分、ずるずるとカカシ先生に流されたんだと思います。あ、別にカカシ先生に責任をかぶせているわけじゃないですよ」
「わかってますよ。安心しました。」
 カカシの口元からきれいな白い歯がこぼれた。裏街道で過ごす間はカカシが口布をおろしている姿のほうが日常となっていたが、薄い口元から白い歯が控えめにのぞく表情はやはり新鮮だった。
 まるで愛しい者を見るように優しく笑んでいるカカシに、イルカは知らず懐かしさを覚えた。
「昔・・・、カカシ先生みたいにきれいに笑う人がいました。もしかしたら、俺の初恋の人だったのかもしれないな・・・」
 口にした途端にイルカは我に返った。カカシは目を丸くしている。
「あ、すいません。なんか俺、馬鹿なこと言いましたね。気にしないで・・・ってなんで抱きついてくるんですか」
「ん〜? 嬉しいから。イルカ先生の昔が初めて聞けた」
「昔って、大袈裟ですね」
「でも俺にとっては重大なんですよ」
 憮然とするイルカと違って、晴れ晴れとしたカカシは立ち上がった。
「そろそろ会場に行きましょうか。いい席とっておきましたんで」
 
 
 
 灯が灯った裏街道はいつものように賑わいをみせていた。
 仲見世のぼんぼりはいつの間にか若葉のオブジェが飾られ、櫻の頃を思い出して、改めてひとつき経ったのだなあとイルカは感慨深い。
 遊郭や飲み屋が並ぶ大通りを二人は着流した姿でゆったりと歩いていた。
 カカシは銀糸で織り込んだ光沢のある着物。イルカは深い紺色の着物。二人とも着物と揃いの羽織が粋で、それなりに遊び慣れたような雰囲気を醸し出していた。
 賑わいの人々の群れは皆同じ方向へと向かっていた。
「神社の境内に広場があったでしょ。あそこに特設された舞台で行われるんですよ」
 めまぐるしく視線を動かしていたイルカは素直に感嘆した。
「すごいですね〜。裏街道に来ているほとんどの人が見に行くんじゃないですか?」
「そうですね。今回見逃したら、次はいつかってくらい人気ですからね。まあなんていいますか、ラッキーでしたよね。こういう時はきっとうまくいきますよ」
 カカシにはなんの根拠もないのかもしれないが迷いのない言葉は嬉しかった。
 思えばこのひとつき、なんだかんだ言ってもカカシには世話になった。世話になったばかりでなく、遠慮のかけらもない言動でどちらが立場が上かよくわからないほどだった。
 楽しかったのだな、と素直に思える。それが今日で終わりかと思うと残念な気もした。
「カカシ先生、本当にありがとうございました。なんか俺カカシ先生の前ではかなり態度でかくて暴言ばっかり吐いてたような気がします」
「一応自覚はあったんですね」
「はあ。まあ・・・。でもカカシ先生の前だとのびのびできちゃうんですよね」
「ふーん? それは誰と居るときよりも?」
「そうですね。なんでですかね? カカシ先生は上忍なのに」
「ねえイルカ先生、手、繋いでいい?」
 急に立ち止まったカカシは右の手の平を差し出してきた。
 大きな手と、カカシの穏やかな顔を交互に見て、一瞬だがためらったあと、それでもイルカは手を差し出した。これでカカシとはあまり接することもないのかと、感傷めいた気持ちがあったのかもしれない。不思議と、男同士で、と不快な気持ちはわかなかった。イルカの手を強く握ったカカシは子供のようにぶらぶらと振って、満面の笑顔だ。
 男であるイルカの手を握っただけで、カカシが笑顔になるのは何故なのか、イルカにはわからない。じっとその横顔を見ていたら、カカシが視線を向けてきた。
「なんですか? いい男なんで見惚れていました?」
「それはありえないんですけど、カカシ先生、幸せそうだなと思いまして」
「うーん。イルカ先生と手、つないでいるからかな?」
「なんで俺と手つなぐと幸せなんです?」
「イルカ先生のことが好きだからかな?」
 あまりに軽くカカシが口にするから、イルカにとっては世間話の延長ほどの言葉にしか感じられない。日常の会話。だからイルカも普通に疑問を続けた。
「それは過去の話じゃないですか? それにカカシ先生は女性にもてるみたいだし、何で俺なんか好きなんですかね?」
「さあねえ・・・。こればっかりはわからないなあ。どうしてか今でもイルカ先生が好きみたいなんだよね。がさつだし、別に美少年でもないし、手が早いし、結構性格きついのにね。車輪眼のカカシでも太刀打ちできないな」
「よりによって男を好きになることないじゃないですか」
「全くですよ。でもイルカ先生といると、なんて言うか・・・」
 いきなり照れて口ごもったカカシだが、イルカの手をいっそう強く握りしめてきた。
「笑わないでくださいよ。イルカ先生といるのが、一番ゆったりと息をすることができるんですよね。おかげで女とのセックスにあまり頼らなくても眠れるようになってきたかな」
 カカシは赤面ものの台詞を口にしているのではないだろうか? と、頭の隅で思う。だが何の感慨も沸かずに、そうですか、とイルカは気のない返事しか返せない。
 会場を目指して道行く人がカカシさんのいい人かい? とからかいの声をかけてくるのにカカシはいちいち、そうなればいいけど、と答えている。
「ねえイルカ先生。好きな人と手つないで、あったかいな、って思って、幸せになれるのって一番単純で簡単な幸福だよね」
 俺はそう思うなあ。
 カカシは幸福をかみしめている。あけすけな、少年のような表情。イルカにはそれが息苦しくて、空を見上げた。
 空には三日月。鋭い鎌のような月は昔も今もそこにある。それを見て痛む胸は過去のことだ。
 からころと下駄の音が鳴る。
 カカシが感じるという幸せ。
 だがイルカは・・・。
 
 繋いだ手に感じるのは物理的に暖かいということ。それだけ。そこに伴ってもいいはずの感情が見いだせない。
 そのことを不幸だと感じたのははるか昔。それでいいと思い切ったのだが、カカシの幸せそうな顔に少しだけ心が痛んだ。
 
 
 

 

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