宵の口だというのに、裏街道は賑わいを見せていた。
灯るぼんぼりに櫻のデコレーションが施されている。すれ違う人々の身につけるものは薄手の布地が多い。頬をなぶる風は暖かく、日中の日差しの匂いがかすかに含まれていた。 そうか。春なんだと、改めて気づく。
最近の忙しさにとり紛れ、季節のうつろいに鈍感になっていた。これではだめだなと、苦笑がもれていた。
”四代目”の朱塗りの門をくぐると、今日も今日とて店は繁盛しているようだ。ここの女たちは体を売ることを目的としているわけではなく、あくまでも芸で楽しませることを第一義にしているとのことで、気がむけば、寝る。決定権は女たちにある。上質な女を求めて密かに大名クラスの者たちも通ってくるらしい。受け付けの合間に同僚から仕入れた話だが、さすがにオーナーがカカシだということを知っている者はいなかった。
涼やかに襟を抜き、粋に着物を着こなした女たちが、媚びることなく客を出迎えている。ぼんやりと立ち止まって眺めてしまったが、腹の底のほうからこみあげてくるものの不快さにイルカは慌てて裏口のほうにまわった。
潜り戸を抜けると、手狭な庭にでた。下働きの者たちがせわしなく働いているなか、一人をつかまえてカカシの居所を聞く。言われた通りの部屋に長い廊下を抜けてすすんだ。「カカシ先生、入りますよ」
気配がしたから、一声かけて思いきりよく障子を開けた。途端、目に飛び込んできたのは、畳の上で女を組み敷くカカシの姿だった。
腰の帯でかろうじて着物がまとわりついているような、足を大きく広げた女の間に入り込んだカカシは、豊満な胸にむしゃぶりついていた。どうやらまだ入れてはいないらしいが、カカシよりも女のほうが赤い顔をして、臨戦態勢のようだ。そこまで一瞬にして観察してしまう忍の目に嫌気を覚えつつも、ここは一旦場をはずして一息つかせてやるほうが女に対して親切かと、イルカは「お邪魔しました」と告げて音もなく障子をしめた。
さてどうしたものか。夕飯をとらずに来たから、終わるまで食事でもとって待っていようか。”四代目”の料理はそこらの老舗の店など目ではないほどいいと、その手のことにうるさい同僚が言っていた。
そんな算段をつらつらと考えながら廊下を曲がったイルカを呼び止める声があった。
「ちょっと、待ってよイルカ先生!」
ああ、でも、ここは忙しいから、別の店に行ったほうがいいかもれない。
「イルカ先生!」
いきなり肩を掴まれた。体勢を崩しながらも振り向くと、着物をきくずしたままのカカシが、頬に赤い紅の跡をつけたまま立っていた。女の白粉の匂いが香る。
「カカシ先生、もう、終わったんですか? ずいぶん早いんですね」
「イルカ先生……、真っ青だよ?」
目を見張ったカカシが、その手をイルカの頬にのばしてきた。それを思わずたたき落としたイルカは、たまらない衝動で、カカシの頬を張っていた。
「真面目に協力してくれる気がないのなら願い下げです」
「だから、協力するって言ってるじゃない」
頬に痛みなど感じていないだろうが、ふて腐れた様子のカカシは唇を尖らせる。
「イルカ先生遅いから、退屈だったし」
「あなたは退屈だと明るいうちからセックスするわけですか」
「明るかろうがなんだろうがしたい時にはしますよ。それよりイルカ先生の反応はなんなの? 普通あーゆーとこ見たらなんか言うでしょ」
「別に、カカシ先生のしたいことを邪魔する気もないし、否定する気もないですよ。ただ、俺が言いたいのは……」
「じゃあどうして真っ青な顔してるの? そんな、引いちゃうようなことしてた? まだ入れてもいなかったのに。赤くなるならわかるけどね」
真っ青?
自らの頬に手を当てれば、確かに、冷たい。
全く、いつまでたっても……。
「カカシ先生、カカシ先生にとって普通なことでも、俺には我慢できないことがあります。勿論、その逆もあると思います。俺は、その、あなたのように、女性とのことを軽く考えることができないんです。だから、俺の目につくような場所で、さきほどのようなことはやめてほしいんです」
顎に片手をあてたカカシは不躾なほどにイルカをじろじろ見ている。イルカの真意を探りだそうとでもいうのか、容赦なく視線をぶつけてくる。”四代目”はカカシの店なのだからカカシは好きに振る舞う権利がある。イルカの言葉はカカシの行動を制限することになるが、あんな場面にたびたびでくわすようなことは遠慮願いたい。くだんの女性を捜すのはカカシの手を借りることが得策なのはわかるが、こんな目にあうのなら、自分一人の力で地道に探すほうがいい。
「わかりましたイルカ先生。イルカ先生には濡れ場見せないようにします」
イルカの悲壮な気持ちをよそに、カカシはあっさりと頷いた。着物を整えて、紅をぬぐう。
「なんですかねー、イル先生は潔癖すぎるというか、堅すぎるというか、めんどくさいというか……」
「俺やっぱり一人で探します」
「だからあ!」
背を向けようとしたイルカの二の腕をカカシは掴んだ。
「そんな面倒なイルカ先生にいっちょつきあうかという気になったのは俺なので、自分の言葉に責任は持ちます」
カカシから子供のような無邪気な笑みがこぼれた。
カカシがにっこりと笑うから、イルカの尖っていた気持ちは溶けた。
「じゃあ、約束ですよカカシ先生」
「約束です」
……と、誠実に頷いた男は今、目の前で芸子を相手に茶碗を打ち鳴らしどんちゃん騒ぎをしている。
”四代目”の宴会場のひとつは30畳くらいの広さだろうか。上座に二つ膳を並べ、カカシとイルカが座る。広間には着飾った芸者たちが二十名ほど集まり、三味線を弾く者、手を打ちならして踊る者、酌をする者、とさまざまだ。それを囃し立てるカカシ。うっすらと赤みの差した頬が憎い。
「カカシ先生、これは一体、どういうことなんですか?」
「芸者遊びですよ芸者遊び〜」
あははと笑ってカカシは酒をあおる。水のようにあおっている。
「俺は人捜しをお願いしたはずですが……」
「わかってますよ〜。約束したじゃないですか〜」
約束、という言葉にイルカは切れた。
「あんた! いったいどれだけ俺を馬鹿にすれば気がずむんだ!」
「やめてくださいよ〜。ほんとに乱暴だなあ」
鼻先があたらんばかりの近さでカカシの胸倉をつかんだ。目の前のカカシはへらっと笑っている。酒臭い。実は結構酔っているのかもしれない。
「あー怖い顔ー」
茶化すように言って、カカシは尖らせた唇をそっとイルカのそれに触れさせた。
「!!!」
思い切り突き飛ばすと、カカシは後ろでに手をついてにんまりしている。
「イルカ先生の唇ゲット〜」
「あ、あ、あ、あんたは〜」
頭の中がかきまぜられたみたいに混乱した。わけがわからず手を振り上げたイルカはカカシはたやすく押さえ込まれ、目隠しをされてしまった。
「ほら、女のコたちが手を叩くから、鬼を捕まえてきなさいよ」
ドンと押される。
「ほらほらイルカさん、こっちですよ〜」
「鬼はサキですよ」
ころころと笑う女たちの柔らかな声がイルカを囃し立てる。イルカの周りを女たちはふわふわと回っている。時折頬に暖かな甘い息が吹きかけられ、いよいよイルカは進退窮まった。
イルカはいきなりしゃがみこむと両手で顔を覆った。
「じ、十数えます。鬼は、サキさんですね」
覚悟を決めた。これ以上取り乱したらカカシと女たちを調子ずかせるだけだ。耳に入る嬌声は小鳥のさえずりだとでも思おう。律儀に十数えて、勢いよく立ち上がった。
「イルカさん、こっちよ」
「あら、サキはわたしよ」
「わたしはカエデよ」
手が打ち鳴らされるほうへふらふらと向かう。抱きついて、触れあうことがこの遊びの醍醐味なのかもしれないが、それができない。触れることをなるべく回避しようと、ぎこちなく、ためらいがちに伸ばす手を女たちの柔らかな手が掴む。そのたびにいちいち大袈裟に反応して、女たちの失笑をかう。初心なおひとねえ、などど喉の奥で笑っている。
自棄になって始めたが、一向に鬼を捕まえることができず、イルカの動きは鈍くなってきた。と同時に投げやりな気持ちが湧いてくる。それに……女たちの明るい声に混じって届く三味線の音が耳につくようになってきた。軽快な撥さばきはこの場にふさわしく切れがよく底抜けに明るい。即興でうまく場の空気にあわせて弾きならしている。この宴会場にいる誰が、イルカ以外の誰がこの音を耳障りに感じるというのだろう。イルカだとて、流麗なリズムを美しいと感じたいのに。けれどどうしようもなく、不快で、恐ろしい音に感じてしまうのだ。
もう駄目だ、と気が萎えた瞬間に足をもつれさせていた。無様に倒れると覚悟していたが、抱き留められて、もつれるように倒れていた。
「イルカ先生掴まえた〜」
カカシを下敷きにしてしまったイルカだが、すぐに身を起こそうとしたのにカカシは逆にイルカをぎゅうっと抱きしめてくる。苦しいくらいに。
「カカシ先生! あなたは鬼じゃないでしょう」
「えー、そうでしたっけ」
「そうです。さっさと離してください」
目隠しの布をむしり取ると、イルカの体の下でカカシは緩みっぱなしの顔をして上機嫌に笑っていた。あどけないと言ってもいい表情に、イルカはアカデミーの子供たちを思い出す。
「カカシ先生楽しそうですね」
「そうですね。イルカ先生面白いから」
「俺は楽しくありません」
「そう?」
へにょっと溶けるようなだらしない笑みを漏らしたカカシは畳の上で大の字になってしまった。
「もう気持ちいいからここで寝ちゃいます」
「は? ちょっと、カカシさん?」
イルカがのぞき込んだ時にはすでにカカシは寝息をたてていた。鼻をつまんでもフガフガというだけで起きやしない。いくらここが安全な場所だとはいえ、緊張感がなさすぎないか?
無防備すぎる上忍にイルカが呆れている間に女たちはてきぱきと宴の片付けを始めた。三味線の音は止み、膳をかたし、取り払っていた襖を戻し、小さなごみが散らばる畳の上を拭いて、二組の布団を持ってきた。寝てしまったカカシの上には羽布団を掛け、その横にイルカ用の布団を敷いた。
「カカシ様から今夜はここにお休みになるようにとのおおせですので」
「え? 俺、帰りますよ」
立ち上がりかけたイルカを困ったような目で制した女は、少し年はいっているが品のある美しい顔だちをしていた。優しいまなざしでカカシを見つめている。
「カカシ様がこんなに楽しげなのは久方ぶりです。戦場から戻られてから、裏町でのびのびとしておられたようですが、どこかぼうっとされて、無意識のうちにため息をつくことも多くて……」
天下泰平の顔をして眠るカカシをイルカは思わずじっくりうかがってしまう。
「イルカ様、勝手なお願いなのは重々承知ですが、泊まっていってください。帰ってしまわれるとわたくしどもがカカシ様に叱られてしまいます」
そんな風に言われたら、イルカに断れるはずもない。女のカカシを労るような気持ちもわかるから素直に頷くことができた。どうやら”四代目”で働く者たちは皆カカシのことが好きなのだろう。
ごゆるりと、と笑顔を残して女たちは去って行った。
暗がりに橙の明かり取りがひとつ。格子戸の外には月が細くとどまっている。一息つきたくて観音開きの戸を開けた。春の、ぬるい風邪がはいってくる。顔の真ん中を横切る傷が、じくっと痛む気がした。
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