タカナは自宅に戻し、イルカはカカシと連れだって病院に来た。ダイゴの見舞いに行きたいというカカシを断る理由もなく、帰還して二週間、ようやく半身を起こすことができるようになったダイゴは二人を穏やかに迎えてくれた。
 頭部には包帯が厳重に巻かれている。それ以外おもてだって傷はないのだが、脳の一部の損傷により右目の視力は失われ、背中の傷は生涯車いすでの生活を強いることになった。
「タカナは無事に連れ戻した。おまえに似て、無鉄砲だなあいつ」
「せめて親思いだと言ってほしいな」
 くぐもった声。舌の動きも少しままならない。さきほどカカシには仕方のないことだと告げたが、幼い頃から知っているダイゴが満足に体が動かない境遇になったことはやはりせつなかった。
「イルカ、なんで隊長と?」
 不思議そうなダイゴの鳶色の目はカカシに注がれた。
「偶然イルカ先生をあそこで見つけてね。まあ、ちょっとばかり手助けしたってとこかな」 
 カカシは肩をすくめてイルカを見る。イルカは瞬時に自分の失態を思い出し、一瞬表情がかたまった。
 ダイゴはそんな様子から何か察するものがあったのか、口元の笑みを深くした。
「イルカ。おまえあそこ苦手だったもんな」
 スリーマンセル時代、散々に裏で遊んでいた男は余裕の顔だ。
「うるさい。苦手じゃなくて嫌いなんだ。おまえと違ってな」
「そうだな。悪かった。タカナのために、迷惑かけたな」
 重傷のけが人に思いやられ、イルカは内心舌打ちしたいような気分だった。
「タカナの母親探しはこれからも続ける。絶対なんて約束はしないが、消息は掴んでみせる」
「そのことだけどイルカ」
 目を伏せて、少しの間。ひとつ息を吐き出して、顔をあげたダイゴの表情は力が抜けたようになっていた。
「もう、いいんだ。考えてみたら、勝手な話だ。調子いいよな。親に逆らえずに別れておきながら、今更、自分の体が不自由になったらそばにいて欲しいなんて、彼女もきっと迷惑だろう」
 妙に悟ったような言い方が気に入らない。ダイゴがふつうの体ならぶん殴っていたところだ。
「迷惑かどうかはその女性に聞かなきゃわからないな」
 思いやりのかけらもない冷たい声でイルカは返した。腕を組んで睨み付ければイルカの怒りが伝わったのか、ダイゴはちぢこまる。上忍であることで立場はダイゴが上だが、私生活は圧倒的にイルカが強かった。
「いいかダイゴ。今更なのはおまえのその言葉だ。今更! そんなこと言うな。本来なら墓場まで持って行ってタカナには伝えないようにしていたことを、結局おまえがばらしたんじゃないか。そのせいで息子はあんないかがわしい場所に足を踏み入れたんだ。それこそ責任とれ! いいか? こうなったらあいつの母親の消息は絶対に掴む。結婚していようがお前への恨みつらみを言われようが、余すことなく伝える。いいな?」
 ひと息に言い切り、肩の力を抜く。
「あと、調子いいとか、言うなよ。みんなそんなもんだろ? 辛いときには一番大事な人にそばにいてほしいさ。おまえばかりが勝手なわけじゃない。それに、俺は知ってるんだぞ〜」
 秘密を打ちあけるようにおどけて顔を近付けた。ダイゴはわずかながら身をひいた。
「なんだよ」
「おまえが彼女に操たてて、別れてからほかの女とやってないってこと」
「なっ!」
「ガキの頃から裏町に通い詰めて、節操なしの下半身を誇っていたおまえがなあ」
「な、お、あ……」
 ダイゴの顔はガーと赤くなり、脳の機能うんぬんではなく、まともに言葉をあやつれなくなっている。
 これ以上病人をからかうのもさすがに気の毒かと、イルカはひらひらと手を振って病室をあとにした。
 
 
 馬鹿だな、ダイゴは。
 彼女と別れたのだって、親父さんに泣きつかれたからだ。あの時すでに不治の病を患っていた親を振り切ってまでも彼女を選ぶことはできなかった。選べなかったから、誓いをたてた。生涯、彼女以外、愛さないと。
 ホントに、馬鹿だ。もっと求めることにどん欲になればいいのに。
 だがこの先どうやって彼女を探したものか? どう考えても裏街道にまた行かなければならない。あんなところ、二度と行きたくないのに……。
「イルカ先生〜?」
「うわあっ」
 目の前、どアップで、焦点のあわない距離にカカシの顔があった。大きく飛び退いて、病院の中庭であることに気づく。カカシの存在を思い切り失念していた。
「何度呼んだと思っているんですか〜。ひどいですよ〜。無視なんて」
「す、すいません」
 拗ねたようなカカシはやれやれとため息をついて、ベンチに座る。隠されていない右目に促されて、イルカも隣に腰をおろした。
 中庭には散歩する人、車いすに押される人、医師たち、見舞い客などが雑多に取り混ざっていた。もうすぐ昼になろうとする。人の行き来もせわしない。そういえば午後から受け付け業務だったなと思い返していたが、傍らの視線に気づいた。
 カカシは完全に不機嫌丸出しで、口布の向こうの口がムッとしていることがわかった。
「言った途端にまた俺のこと無視? 今俺の存在忘れていたよね」
 正直に、ハイ、と頷くのはさすがにまずいと思い、おし黙る。なんでカカシはいつまでもここにいるのだろう。ダイゴの見舞いと称してついてきたが、二言三言かわしただけで、あとはイルカとダイゴのやりとり見ていた。
「あ。俺のこと早くどっか行かないかなあと思っているでしょ」
「違います。なんでいつまでもここにいるのかなあと考えていただけです」
「それ同じことだよね」
 カカシに責められている状態がなんだか馬鹿らしくなってきた。
 カカシに向き直ると深々と頭を下げた。
「このたびはまことにありがとうございました。カカシ先生は長期休暇に入られるんですよね。どうぞ、楽しんでください」
「休暇という名目の待機なんだけどね。それよりイルカ先生、俺、協力してあげようか?」
「協力?」
「そ。ダイゴの女探すんでしょ。そしたらいやでも裏街に行かなきゃならない。イルカ先生、一人で立ちうちできる?」
 頬の肉が盛り上がるカカシの笑顔。思い切りつまんでやりたくなったが、昨日の失態を見られているため、取り繕うこともできない。けれどカカシに素直に頼むことなどごめんだ。
 昔、ナルトたちを通じて付き合いがあった頃はあまり意識していなかったが、カカシが身分違いの上忍であるという前に、ようは、この男が苦手なのだ。
「なんとかします。カカシ先生の手は患わせません」
「無理しないで。人の好意は素直に受けましょうよ〜」
「好意? 悪意の間違いじゃないですか?」
 吐き捨てるように口にしてしまったあとで、さすがに言い過ぎたかとカカシを伺えば、カカシは盛大なため息をついていた。
「どうしてそう頑ななのかなあ」
「すいませんね。ご存じかと思いますが、直情系の中忍なもので」
「おまけに僻みっぽい」
「カカシ先生はあいかわらず意地が悪いですね」
 そうだ、カカシは変わっていない。昔と同じでイルカの心をむき出しにする。カカシがあけすけになんでも言ってくるから、イルカも素直な自分を吐き出していた。今の不毛な口論も、上忍に対する礼儀に全く欠けている。
「カカシ先生は、どうして俺に対して丁寧に応対してくれるんですか」
「いきなりなんですか。別に理由はないですよ。なんとなくですね」
「でも俺は中忍です」
「またそうやって……」
「そうですね。確かに俺は僻みっぽいです。それは、自覚してます」
 体の力がぬけた。久しぶりに会ったというのに、カカシにはずいぶんみっともないところを見られた。今更、取り繕う必要はないのかもしれない。
「じゃあカカシ先生、お言葉に甘えて、裏街道の調査は」
「一緒にやりましょうね」
 笑顔のままイルカはかたまった。
「今、なんと?」
「女捜しは俺とイルカ先生の二人でやりますっていいました」
「いやです。あそこには行きません」
「イルカ先生だめだよそんなんじゃ」
 カカシはいきなりイルカの肩を掴むと、正面から見据えてきた。
「若い男が女遊びをしたことがないなんて不健康だよ」
「あいにくとすこぶる健康です。先日の検診でもひとっつも悪いところはありませんでした」
「いーや! こ・こ・ろ・が、不健康だね」            
 とん、と胸をつかれた。
 口元がおののきそうになるのを必死に堪えた。眼だけは、見開いてしまう。直球だ。的確に、ついてくる。
「俺は、嫌いなんです。カカシ先生みたいに、下半身に節操がないわけじゃないので。カカシ先生は種がないのをいいことに好き勝手に遊んで……。すみません、……言い過ぎました」
 痛いところえをつかれたせいで、イルカの理性は一瞬とんだ。カカシ本人が気にしていないとはいえ、人として、言っていいことと悪いことの区別もつかないとは、我ながら呆れかえる。
 しかし落ち込むイルカをよそにカカシは首をかしげている。
「イルカ先生なに気にしてるの? 確かに種なしで好き勝手できるのは事実だし、俺は全く苦にしていないけど?」
「そうかも、しれませんが、俺は、自分が、情けないです」
「俺に申し訳ないって思うの?」
「はあ。反省してます」
「なら、俺と一緒に女探ししましょう。ついでに女遊びも」
 女遊び、という言葉に気がなえそうになったが、素直に頷いていた。
 いい機会なのかもしれない。過去に縛られた自分から少しでも脱却できるかもしれない。
「わかりました。一緒に、探しましょう。でも、俺に女をあてがうとか、へんなことは企てないでくださいよ」
 ここで釘をさしておかないと、なしくずしに玄人の女と同衾、なんてことにされかねない。
「イルカ先生って、女嫌い? それとも男のほうが趣味なんですか?」
 真剣な顔をして聞いてくるカカシに手をあげそうになったが、堪える。
「……女の人は嫌いではありませんが、少し、苦手なことは確かです。男の趣味は全くありません」
 青筋のたつこめかみをトントンとたたいて怒りを散らす。
「苦手?」
「母が、少し、怖い女性だったもので」
「あ。マザコン」
「男はみんな多かれ少なかれマザコンなんだよ!」
 堪えきれずに怒鳴ってしまった。散歩中の人々の視線を一瞬あびてしまい、我にかえる。カカシは吹き出していた。
「イルカ先生って、からかい甲斐があるね〜」
 これ以上ここに居たらろくなことにならない。イルカは立ち上がった。
「それでは、カカシ先生。俺はこれから受け付けの仕事なんで、終わり次第”四代目”に行きます。先に行っていてください」
「はいはい〜。待ってますから〜」
 何が楽しいのか、にこやかに笑むカカシに一礼して、イルカは病院を後にした。
 

 

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