それが、運命なら   9







 追いつめた敵を大木に縫いつけて、額にクナイを打ち付けた。響き渡る絶叫。年若いおそらく十代半ばであろう忍は痙攣したように身を震わせて、絶命した。
 だらしなく舌を出し、両の目は見開かれたまま死んだ。左手は肘からない。腹からは腸が飛び出ていた。ぼたぼたと血が落ちていく。その血はカカシの足下も濡らしていった。
 追いついた仲間が、息を飲む気配がする。カカシの残忍な殺戮をいい加減見慣れてきたであろうに、今日の敵は若すぎた。舌打ちとともに、バケモノが、と罵る声が届く。
 その声をあざけるようにカカシは額に打ったままだったクナイをさらに深く刺す。ごりごりと骨を削る音が届く。死んだはずの体がびくびくと一、二度震える。死体にむち打つまねをしているカカシをとうとう仲間が制した。肩に手をかけられたのが鬱陶しくて振り払う。そのまま呼び止める声を無視して跳躍した。
 敵の術者は死んだ。もうここに用はなかった。カカシたち暗部の者たちはまた次の命じられた場へと旅立つことになる。



 カカシはふたつきほど前から暗部に戻って、任務地を転々としていた。次から次へと命じられる任務。木の葉の里はそれほどに今疲弊していた。五代目火影が就任したとはいえ、大蛇丸に痛み付けられた跡はまだ癒えることなく、ここがふんばりどころだった。
 散らばった隊の者たちが集められている間にカカシは大木の枝に膝を抱えて腰掛けた。血濡れた体。まとわりついた血の匂いが最近は消えない。必要以上に残酷に殺しすぎると、カカシの昔なじみの仲間は眉をひそめた。
 膝の間に顔を埋めて、カカシは目を閉じた。思い描く必要なんてない。いつも、いつだって、思い出すのはあのヒト。イルカだけだ。イルカに会いたい。会って抱きしめたい。こんな血まみれな体でもイルカは怯まない。優しく抱き締めてくれる。わかっている。わかっているから、触れることはできない。



「暗部に、戻るんですか」
 イルカは途端に浮かない顔になった。カカシが明日からのことを前日の夜に告げたことが不満だろうし、それ以上に、カカシのことを心配してか表情が曇る。
「五代目の命令なんです。今、里は大変だから」
 カカシは仕方ないことだと口にする。もちろん、イルカとて今は動ける忍、力のある忍がすべて必要であることはわかっている。わかってはいるが、目覚めたばかりのカカシをいきなり暗部に戻すという方針に納得いかないものも感じているのだろう。
 結局最後の夕食は少しぎこちないままに進んだ。
 明日からの準備をして風呂に浸かり、寝仕度を整えたカカシは寝室に向かおうとしたが、キッチンにイルカの気配がした。キッチンの椅子に座ったイルカは電灯もつけずに、猪口を傾けていた。
「イルカ先生も明日任務でしょ。もう寝たほうがいいですよ」
 カカシが声をかけてもイルカは返事をしない。心配になったカカシは向かい側に腰掛けた。イルカの顔は暗がりでも少し赤くて、それなりの量を過ごしたことがうかがえた。
「イルカ先生。寝ましょう。ね?」
「カカシ先生」
 猪口を取り上げようと伸ばしたカカシの手をイルカは掴んだ。思いの外強い力にカカシは息をつめる。イルカは一瞬強い目でカカシを睨んだが、それはすぐに力を無くして伏し目となった。
「カカシ先生、俺に、嘘ついてませんか?」
 カカシは内心の動揺をおくびにも出さずに笑った。
「嘘なんてついてませんよ。明日から俺は暗部に戻って仕事です。火影様に聞いてみればいい」
「そうじゃなくて……」
 イルカは唇をかむ。きっとイルカは何かを感じているのだろう。それはイルカがカカシのことを思ってくれているからだ。だからカカシの微妙な変化に敏感に気づいてくれる。それはとても嬉しいことなのに、今のカカシにとっては苦しいことでもあった。
「本当に、嘘なんかついてませんよ。でももしイルカ先生がそう思っちゃったなら、ごめんなさい」
 イルカの心配を払拭したくて、カカシは労るように笑んでみせた。イルカは少しの間カカシのことをじっと見ていたが、頷いて、立ち上がった。
 ベッドに入ると、イルカはカカシの顔を両の手ではさみ、目蓋に、目尻に、鼻に、唇に、と羽のように触れてきた。鼻から抜けるようなイルカの熱い吐息がこぼれ、イルカは高ぶっている下肢を無意識にもカカシに寄せてきた。
 いつもなら、カカシはイルカの求めに応じて触れただろう。だがカカシの手は動かない。イルカの好きにさせながらも宥めるようにイルカの肩を撫でた。そのうちにイルカの手はカカシの下肢に向かい、寝間着の上から欲を促すように撫でさする。しかしいつまでたっても反応しないカカシに、さすがにイルカは違和感を覚えたのか、潤んだ黒い瞳をひたと見据えてきた。イルカに何か言わせる前に、カカシは謝った。
「ごめんね。きっと俺、らしくもなくナーバスになっているんですよ。暗部は、あまりいい思い出がないから」
 イルカは痛ましげに表情を歪ませた。そしてそのままベッドから出て行こうとした。
「待って、イルカ先生。そのまま」
 カカシはイルカの下着の下に手を入れた。驚くイルカをよそに、すでにはりつめている慣れ親しんだ性器をいじる。
「カカシさん、いいです。俺、自分で」
「黙って。俺に、イルカ先生の顔、見せて」
 耳元に吐息を落とせば、イルカは素直に向かいあったカカシにしがみついてきた。さすがに自分だけが高ぶらせられることに羞恥を感じるのか、イルカは顔を隠そうとする。その手を押さえて、静かに悶えるイルカを間近で見つめた。
 上気した頬。細められてまなじりから水滴をこぼす透明な闇の目。カカシの名を小さく呼ぶ低く耳に心地いい声。
 前をいじるだけでは堪えられずにカカシのもう片方の手は後ろに伸ばされる。
 指を二本いれて、イルカの感じる場所をしつように擦れば、イルカは素直に甘い息を吐いて悶えた。
 大好きな、ただ一人のヒト。忘れるわけがない。忘れられるわけがないが、より深く刻み込みたくて、カカシはその夜イルカ一人を散々に喘がせた。
 カカシの下肢は最後まで欲望を示すことはなかった。

 何度か吐精したイルカは日頃の疲れもあってか、カカシがタオルで拭ってやっている間に寝息をたてはじめた。
 イルカが完全に眠ったことを確かめると、いつものように胸の中にイルカを抱き込んだ。本当はカカシとて深く繋がりたかった。暗部の任務は流動的で、里にいつ帰還するのかもわからない。イルカと次いつ触れあえるかなどわからないのだから。
 けれど。
 触れてはいけない。
 あの時から、カカシにとってイルカは禁忌となった。





 綱手が告げた言葉がカカシのなかで意味をなすまでに数秒を要した。
「五代目、何を……」
 カカシは笑おうと思うのに、真剣な綱手の目に射抜かれていやな汗が背を伝うのを感じた。
「俺は、イルカと別れたりしません。イルカと離れたら、生きていたく、ありません」
 断言したカカシに綱手は机に両手を打ち付けた。
「甘ったれたこと言ってんじゃないよガキが。あたしはね、あんたの二倍は生きてんだ。だから生きていたくないような思いはもっといくらでも味わった。でもね、死のうなんてことは思わなかったよ。人は生きないといけないんだ。生きてりゃ、希望はある。何かが、変わるかも知れない。あたしがいい例じゃないか。そうだろ、カカシ」
 綱手の声音は最後は優しかった。包み込むような優しい眼差しは、カカシに対する同情があった。それは決して上から見下ろすようなものではなく、共感といってもいいものだった。
 この女性が、愛する者を二人も亡くしていることは知っている。それでも彼女は生きてきた。絶望に苛まれながらも、それでも生き続けてきた。
 澄んだ、きつい目の色がかなしい。
 カカシが項垂れると、綱手は、すまないね、と小さく呟いた。





 ケモノの姿の時にイルカと出会って救われたこと。イルカと再会したこと。愛したこと。愛してもらえるようになったこと。そのすべてに意味があって、今こうして離されていることにも意味があって、最後にはやはりイルカに行き着けるのだろうか。そんな、果てのない思いを抱えて生きていくのは辛過ぎる。
 暗部に戻ってからのカカシは、耐え難い思いを敵にぶつけた。
 二人の出会いの発端となったのは、カカシが術をかけられたことだ。だから、術者は特に容赦しなかった。八つ当たりめいた気持ちもあったが、カカシが術にかかることなく人のままでいたなら、イルカとあんなふうに出会うことはなかったし、今引き離されていることもなかった。子供たちを通じて、もっと普通に出会えていたのに。
 すべてが仮定の話。だがそんなものにでもすがらなければカカシは本当にどうにかなってしまいそうだった。
 イルカだけが欲しいのに。イルカがいれば何もいらないのに。
 どうして、こんな寒々しい場所で、血をまといつかせているのだろう……? 一人で、生きているのだろう……。







 里への一時的な帰還が許されたのは3ヶ月後だった。
 数日間の完全休養が与えられて、またいくさ場に行く。血臭をまとってかすかにも笑わなくなったカカシをさすがに仲間は心配した。ゆっくり休めと皆から労られても、それでもカカシはそんな気遣いさえも鬱陶しく感じられるだけだった。
 里に戻ってもイルカには会えない。では何のために里に戻るのだろう。イルカが生きていればいい、それだけでいいなんて、今更思えない。イルカの温かな心と、熱い体を知ってしまったのに、それを手放して遠くから見ているだけだなんて、嫌だ。
 けれどイルカの姿が見たくて、どうしても見たくて、気配を殺してイルカの姿を追った。
 休校していたアカデミーも再開され、イルカは以前のように里に待機組の忍に戻っていた。授業と受け付け業務で日々を過ごしているようで、遠くからでも目にする顔は穏やかだった。その姿に安堵すると同時にいたたまれない気持ちにもなる。あの笑顔をカカシは間近で見ることができない。あんなにも熱く触れあった体を抱きしめることもできない。それならばイルカから目をそむければいいのにそれもできなくて、焦燥感をもてあましながらもイルカを見つめていた。
 アカデミーからの帰りの道すがら、時たまイルカが立ち止まることがある。カカシが隠れている方向にあやまたず視線を向けてくれるとき、カカシの中には歓喜が沸き上がるが、飛び出したい気持ちを必死で押しとどめる。
 イルカの前に姿を見せたら、絶対に、触れてしまうから。



 明日からまた任務に向かわなければならない最後の夜、カカシは二人の家にやってきた。
 塀のすぐそばにある大木に登れば身を隠すことができる。そこでじっとしていれば、眠るイルカを朝まで見ることができた。
 イルカは窓の方に背を向けて体を丸めていた。
 数え切れないくらいに愛し合った場所。素直に快楽に溺れてすがりつくイルカが愛しくて、いつも朝まで離せなかった。こんなに近くにいるのに、なんて遠いのだろう。カカシの手は、体は、イルカの体温を覚えているのに、それは思い出になっていく。
 イルカに触れたい。触れたい、触れたい。
 馬鹿みたいに、イルカだけを思う。
 苦しくて潤む視界の向こうで、急にイルカが起きあがった。ベッドから起きあがると窓まで近づき、大きく開けはなった。
「カカシさん」
 イルカのよく通る大きめの声が、カカシの名を呼んだ。呼んでくれた。それだけでカカシの心臓は高鳴る。闇のなかにイルカの白い顔が浮かぶ。おろすと結構な長さになる黒髪が白い顔にまとわりついている。射抜くような強い視線がカカシが身を隠す場所に真っ直ぐ注がれる。
「カカシさん。どうしてそんなところに隠れているんですか。あなたが任務から戻っていることは知っていました。こそこそしてないで、出てきて下さい」
 イルカらしい、真っ直ぐな問いかけ。カカシは目を逸らすことができずに、ただ息をころした。
「何があったか知りません。だってカカシさんが何も言ってくれないから。俺に知りようがないでしょう」
 イルカは怒っている。そりゃあそうだ。カカシは何も言わずにイルカから逃げ回っているのだから。
 カカシがいるところを、イルカはじっと見ている。カカシからの届く声を待っている。
 今すぐに、抱きしめたい。イルカの匂いを嗅いで安心したい。
 爪が食い込むほどに手を握りしめないと、カカシの体は意志に反してイルカに引き寄せられそうだった。
 カカシは言葉を返すことができない。風が葉を揺らすかすかな音に交じって、イルカが落とす溜息が届いた。
 イルカは背を向けて、そのまま移動すると部屋の電気をつけた。まぶしさに一瞬目がくらんだカカシだが、視界の中、イルカはするすると夜着を落としていった。電灯の下で懐かしいイルカの体がカカシの網膜に焼き付く。イルカは明らかにカカシに見せつけるようにして真っ直ぐ立っていた。
 カカシが知っている頃よりも痩せた。毎日睦みあっていた頃には途絶えなかった花びらを散らしたような鬱血が一つもない。当たり前だが、それが無性に寂しい。間違いなく二人は離れているのだと見せつけられている気がした。
 イルカの裸体を見ているだけでカカシの下肢は緩くではあるが反応しだす。イルカにむしゃぶりつきたい。本能を押し止める理性が壊れてしまえばいいと願う。
 しばらくの間カカシを睨み付けていたイルカだが、ベッドの上に戻ると、大きく足を開き、まだ萎えている中心を両手に掴む。
 イルカが何を見せつけようとしているかは明白で、堪えきれずにカカシは飛んだ。
 カカシの名を呼ぶイルカの鋭い声を振り切って跳躍した。
 あれ以上あそこにとどまれば、カカシは間違いなくイルカを抱いてしまっただろう。
 それだけは、できないのに……。







 それだけを、求める。





 

 

  
 
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