秋の花火 参
 
 
 
 
 カカシは暗闇の中、布団の上に胡座をかいてまんじりともせずに腕を組んでいた。
 閉じていた目を開けてちらりと下肢を見れば、夜着の上からもあきらかな膨らみ。
 そうなのだ。カカシはおっ立てているのだ。
 あのあとイルカはカカシの状態に気づくと、笑ったまま気をきかせたのか風呂場を出て行った。子供に気を遣われて情けなくもあったが、とりあえず抜いておいた。しかし必死に浮かべた女の肢体ではなく、ぱんとよみがえったイルカの裸体にどくんと心臓がはねた。それが、気持ち良かったことがショックで、カカシはあっつい湯に一時間ちかくつかり、のぼせたような状態で上がると、そのまま布団に倒れこんだ。朝まで眠りをむさぼりたかったのに、なじみの感覚に目が覚めた。固く立ち上がった下肢にもう乾いた笑いしかでなかった。
「お稚児趣味はなかったんだけどな」
 呟いてはたと考える。イルカは特に見目麗しい美少年ではない。だから決してお稚児なんてものではなく、純粋に、イルカに欲情しているということか。
 子供に・・・。
 カカシは恨めしい目で自分の息子を凝視した。明らかにイルカに反応す馬鹿息子を思わずひっぱたいたらそのまま呻いてしばらく布団に沈む。
 あーあとため息をついて寝転がる。
 確かにイルカはかわいい。かわいいが、それはあくまでも小さな子供や動物をかわいいと思うような気持ちの延長で、欲情など抱くはずのないもののはずが、しっかりと妄想が走り始めている。
 子供特有のすべすべの体。未成熟な色香。
「うわー!」
 カカシは頭を抱えた。これでは変態ではないか。
「カカシさん」
 カカシを変態にする元凶がちょこんと枕元に座っていた。おそるおそるイルカを見れば、気遣うようにじっとカカシを見つめていた。
「本当に大丈夫? 僕また撫でていようか?」
 眠いのを我慢して毎晩カカシについていてくれたイルカは、真剣に心配してくれている。“月読”の後遺症はきっともう大丈夫なはずだ。それ以上によっぽどやっかいなことが今はカカシを悩ませる。石鹸の香りがするイルカに誘われるように手をのばした。
「ちょっと、抱っこしていいか?」
 返事を待たずに膝の上に抱きよせた。
「・・・カカシさん、当たるぞ。またおっ立てているのかよ」
「うーん。大人はた〜いへんなの。イルカも大きくなればわかるさ」
 向かい合って座らせて背に手をまわして囲ってしまう。イルカはなるべくカカシの股間から距離をおこうとぎりぎりまで腰を引く。
「だったらそろそろ恋人のところにでも帰ればいいだろ」
「恋人? いないよそんなの。帰るところもないし」
「じゃあ! じゃあ、ずっといればいいよ」
「うん。いたいけどね」
 カカシの曖昧な返答にイルカの表情がくもる。ここは本来カカシがいるべきところではないから、遠くない未来に別れは訪れるだろう。嘘はつきたくないから言葉を濁すしかない。唇を尖らせて俯くイルカのさらさらの髪をくしけずるように撫でると、そのうちイルカは力をぬいてカカシにもたれかかってきた。
「もうすぐ、一年たつね」
 訊くまでもない。九尾の事件からの日々。
「カカシさんは上忍だから、やっぱりあの時戦っていたの?」
「ああ。四代目のそばにいた。俺も、死ぬつもりだったんだけどな」
「でも、生きていてよかったね」
「イルカは? 生き残ってよかったか?」
 ひそやかな問いかけにイルカはカカシにしがみつく。
「よかったって、心の底から思いたいって思ってる」
「ガキのくせに難しいこと言うな」
 優しく優しくイルカの頭を撫でる。傷ついた子供を労るように。
「僕ね、化け狐と戦おうと思って父ちゃんと母ちゃんに着いて行ったんだ。戻れって言われたけど言うこときこうとしなかったら、父ちゃんに思いっきり殴られた。ほら、左の奥歯ないんだよ」
 イルカは口を開けて指をつっこんでカカシに見せようとする。暖かな息がかかりくらりとする。カカシはいちいち反応しようとするものを懸命になだめる。カカシの動揺に気づかずにイルカは自分の左の頬にそっと手を当てた。
「上忍がさ、加減も忘れて殴るんだぜ? 鬼だよね〜。鬼だけど、僕は間違いなく父ちゃんと母ちゃんにとっての一番だってわかった。だから二人が生きることを望んでくれたから、僕も自分が生きて良かったって思いたいんだ。本当は、ひとりぽっちは寂しいんだけどね・・・」
 イルカは小さく呟いて、鼻の傷を照れ隠しのようにかいた。
 大人のイルカと同じ仕草。そりゃそうだ。くせっていうのはそんなものだ。子供の頃から培われたものが重なって大人になる。カカシの腕のなかにいるのは子供のイルカで、子供相手に欲情を抱くのはさすがに変態だと思うから必死で言い聞かせていたのだが。
「今はカカシさんがいるから寂しくないよ」
 いずれくる別れを悟って、それでも健気に微笑むイルカの体温を感じているのにそこで耐えきれるほどカカシの理性は頑丈にできていなかったようだ。ブツッとどこかで何かが切れる音を聞いた気がした。
「カカシさん!?」
 いささか乱暴にイルカをかき抱くと、わけがわからず目を泳がせるその顔に喉がなる。頬を両手ではさんで口づけていた。
 イルカが状況についてこれないないうちに舌を入れて、逃げをうつ熱い舌をからめとって、唾液を注ぎ込む。ぎゅっと目をつむったイルカは必死の力でカカシの肩を叩く。そんなささいな抵抗などものともせずにそのまま押し倒して馬乗りになった。角度を変えて口づけを続けながら、腰をゆるりと動かし存在をイルカに知らしめる。カカシの行為の意味をさすがに悟ったのか、かっと目を見開いたイルカはカカシの顔をひきはがそうと渾身の力で髪を引っ張る。うるさいなあと少し面倒に感じて、カカシはパジャマの合間から手を差し入れて、力まかせにぼたんをとばして肌をさらした。やりたがっているくせにへんに恥じらう女はこうしてショックを与えて黙らせるのが・・・・・・女?
 女じゃない、イルカだ!
 のしかかっていた体をがばっと起こしたカカシは、頬を涙に濡らし、唇をかみしめて嗚咽を堪えようとしているイルカに内心青ざめる。なんてことを、してしまったんだ。
「ごめ・・・」
「ヘンタイ! ヘンタイヘンタイ! 僕は、女のかわりじゃ、ないっ!」
「かわりなんかじゃ」
「うるさいうるさい! 出てけよ!」
 耳をふさいだイルカはカカシを蹴りつけて体を丸めてしまった。
 体を震わせて、全身で傷ついたイルカをほうって出て行くことなどできるわけがない。けれどイルカを傷つけたのはカカシで、このまま放置すればイルカはせっかく信じた存在に深い傷をつけられたことになる。なによりも酷い傷を。
 喉がカラカラに乾く。イルカの唇の感触に夢中になって我を忘れた。忘れたあげく、普段の情交ののりで、適当な女のように乱暴に扱ってしまった。
「イルカ、俺は、」
「うるさいっ! 出てけって言ったろ!」
「やだ。出て行ったら、お前ずっと泣いてるだろ。そんなのイヤだ」
「! ふっざけんな! あんたが・・・」
 生来の気の強さからか、勢いよく体をおこしたイルカは言葉を失った。
 イルカの前には、しおれて正座したカカシが泣きそうな顔でイルカを見ていた。子供の、カカシが。
「カカシさん・・・? なんで、子供になってんだよ。何、考えてるんだよ・・・」
「イルカが、出ていけって言ったから」
「出て行ってないじゃん」
「・・・イルカを泣かせた俺は出て行った。今の俺、子供だから」
「なんだよ・・・。その理屈・・・」
 イルカは力が抜けたのかがっくりと項垂れる。そっと近づいたカカシはイルカの手に自分も今は同じサイズになった手を重ねた。イルカは驚いて手を引こうとするがカカシはそのまま押しつけた。
「ごめん。ごめんさい。でも俺、女の代わりでイルカを抱こうとしたんじゃない。イルカのことがどうしようもなく好きだから、好きだって気づいたから、抱きたくなった。イルカがいいから、欲しかったから」
 訴えかけるカカシにイルカは細いため息で返した。
「僕、男だし、子供なのに、カカシさん本当にヘンタイなんじゃないのか?」
「ヘンタイ、かもしれないけど、でも誤解ないように言っておくけど、イルカだから、好きなんだ。俺は今まで普通に女と付き合ってきた。イルカみたいな子供で男なんて、好きになったこと、ない。イルカがいい。イルカだけが欲しい」
「あー、もう! イルカイルカってうるさい!」
 イルカは両手でカカシのことを押した。後ろでに手をついたカカシは唇をわななかせてイルカを見た。しまった、といった顔をしたイルカは、胸元をかきあわせて俯いてしまった。
「イルカ・・・ごめん。ごめん」
「だからなんで! カカシさんまで、泣くんだよ・・・。僕のほうだろ泣いていいのは」
 イルカの言葉にカカシは頬に手をもっていった。濡れた感触に愕然とする。悲しくて、胸が苦しくて泣けてしまったなど、すぐに思い出せる記憶の範囲であっただろうか。しかもイルカの言うとおり、ここはカカシが泣いていい場面ではない。男に強姦されそうになったイルカが泣く権利がある。
 傷ついたイルカのそばを離れたくない。でも離れなければいけない。そう思うのに体が動かなくて、乱暴に涙を拭って畳に爪をたてた。
 柱の時計が時を刻む音が戻ってきたことに安堵する。いくらか冷静になれたということだ。ちらりとイルカを見れば、目があった。
 イルカは苦虫をかみつぶしたような表情をしたあと、両手で髪をかきむしった。
「あ〜ホントにもう〜! こっち来いカカシ!」
 わけがわからないながらも、恐る恐るカカシが近寄れば、強く、その胸に抱き込まれた。
「上忍なんだろ? そんな情けない面するな。カカシのこと嫌いじゃないから。さっきのことも、許すから。泣くなよ・・・」
 よしよしとあやすように頭を撫でられた。
 顔を上げれば、イルカは嘘じゃなく笑っている。
 イルカの優しさが嬉しくて、体が温かくて、堪えきれずに泣けてきた。情けない顔を見られてはいけないと必死の力でしがみついて、声を上げて泣いた。
 
 
「起きろカカシ!」
 ぼふんと頭に枕が落ちてきた。結構痛い。そばがら入りだから。
「・・・痛い」
 座った目のままで抱き込んだままのイルカを睨んだ。イルカはいっこうに緩まないカカシの腕から逃れようと必死で掴んだ枕をカカシに振り下ろしたわけだ。昨晩はあのまま泣きながらイルカと一緒に眠ってしまった。心持ち目蓋が重い。
「いいかげん離せって。アカデミーに遅刻しちまうだろ」
「ん〜、寝坊か?」
「あんたが起きないからだろ。この枕をぶつけるまでに僕がどれだけ苦労したと思ってるんだ」
 ぎりぎりと歯ぎしりするイルカからは昨晩の愛らしさは感じられず、本当に襲いかけたのかと首を傾げたくなった。
 イルカにぽかりと頭を殴られてようやくカカシは腕を外す。起きあがったイルカは体の底から息を吐き出した。
「カカシさん、やっぱすげえや。上忍なんだね。力は強いし、変化が解けてない。僕なんか一晩眠ったら絶対もとに戻ってるよ」
「それじゃあ変化をしての長期任務をこなせないだろう」
 カカシがさも当たり前のように言えばイルカは頬を膨らませた。
 ああ。やっぱり、可愛いな。
 ご機嫌なカカシがにこにことしているとイルカは二階に上がっていってしまった。カカシは頭の脇にあった枕をぎゅっと抱きしめる。一晩、イルカの体温を感じて眠ったことで顔がどうしてもにやけてしまう。幸せな気持ちが腹の底から染み出てくる。昨晩、イルカに無体を強いなくて本当によかった。取り返しのつかないことになっていたかもしれない。イルカに欲を持ってしまったことはもう否定できないが、それをうまく昇華させていけば、きっとうまくやっていける。
「カカシ。支度しろよ」
 にやけたままのカカシをイルカが不審そうに上から見下ろしていた。
「なあイルカ。さっきから気になっていたんだが、なんでいきなり呼び捨てなんだ?」
「え? だって今のカカシは子供じゃん。僕と一緒だから」
「・・・・・・そっか」
 イルカなりの理屈だがなるほどと思い頷いた。昨日の今日でもある。このまま子供の姿でいたほうがイルカを怖がらせたり警戒させずにすむだろう。
「で、なんで俺も支度しなきゃならないんだ? アカデミーには行けないぞ」
「今日はアカデミー休む。カカシを連れて行きたい場所があるんだ」
 にっこりとしたイルカにつられてカカシはふらふらと着替えをはじめた。
 
 
 忘れようがない忌々しい場所に二人は立っていた。
 九尾の狐が暴れて多くの忍が命を散らした森の中。森の中の禿げた一画は寒々しく、一年前の戦闘が終わったまま放置されている。焼けこげたりなぎ倒された木々に手をつける余裕はさすがにまだないのだろう。
 未来の世界ではこの場所に雑草は根をはやしているが、さすがに好んで近づく者はなく暗黙のうちに禁忌の場となっていた。
 抉られたままの土の中には同胞の血が深く染みこんでいることだろう。真ん中に立って空を見上げれば繁っていた木は全て燃やされ、切り取られた空がぽかりと見えた。
 イルカに倣って空を見て、ぐるりと周りの荒んだ光景を見て、最後にイルカを見た。真っ直ぐに見上げるまなざしは強く、天を射抜こうかという風情だ。引き結ばれた口元も凛々しく、一瞬カカシは見惚れた。
「もうすぐ、一年だろ、カカシ」
「そうだな。あっという間の一年だな・・・」
 カカシにとっては十二年たっている。だが記憶はいつまでも鮮明で色褪せてはくれない。心の中に薄ら寒いものを感じて、カカシはイルカの手をとっていた。イルカは不思議そうに瞬きをしたが、振り払ったりせずに握り返してくれた。
「花火を、あげようと思っているんだ」
「花火?」
 イルカは頷いてまた空を見上げた。
「僕の父ちゃんお祭り好きでさ、去年はとうとう自作の花火をあげるって作っていたんだけど、バケ狐のことで、夏祭りも中止になって忙しくしてたんだ。バケ狐を倒したらって言ってたんだけど」
 イルカの手に力がこもる。
「僕が代わりにあげる。花火をあげる・・・」
 決意を込めたまなざしでイルカはカカシを振り向いた。
「花火をあげたら、僕、進める気がするんだ」
 同じ目線にいるイルカが眩しくて、カカシは心臓が高鳴っていく。
「なんで、急に、教えてくれたんだ?」
「カカシ今は子供だし、それに・・・」
 イルカはうっすらと頬を赤らめて鼻をかいた。
「昨日、僕のこと、好きだって言ってくれただろ? そりゃあ、ちょっと怖かったけど、でも、嬉しかったんだ。僕だけだって言ってくれたこと」
 小さなつぶやきがカカシの胸に愛しさを溢れさせる。
 繋いでいた手を離さずに両手で包み込むと頬をすり寄せる。小さな手。まだ何も掴めない手。確実なのはここにあるぬくもり。カカシを満たすぬくもりだけだ。
「大好きだよ、イルカ」
 心の底からカカシは告げた。
 
 
 帰りもずっと手を繋いで歩いた。
 相変わらず人出は少なく、まるで世界に二人きりのような錯覚を起こす。
 イルカと出会った場所、金木犀の通りを過ぎる時、山吹色の粒から漂う香が瞬時カカシの目をくらませる。
 白い闇の中で刹那見えたのは眠ったままの本来の自分。枕元に立つアスマと紅の元に朗報を運んだのはガイ。自来也がツナデを連れてナルトと戻ってくる、と。
 三人ともが安堵の息をつく。朗報だ。確かに、朗報だが・・・。
「カカシ・・・?」
 いきなり立ち止まったカカシをイルカが振り返る。
 無垢な心を守りたいと思うのに。そばにいたいのに。
「カカシ?」
 うまく笑顔を見せる自信がなくて、塀の上の花を見上げた。
「うん。金木犀が・・・・・・」
「ああ、そうだね。秋だもんね」
 イルカの口元はどこか寂しげで、カカシの心を沈ませた。