9.


 



 カカシの顔を見ることができなかった。見たら泣いてしまいそうだった。
 カカシはなぜいきなりあんな風に触れてきたのだろう。嫌悪していた人肌に触れ、それ以上のことに及んだ。しかもイルカの吐精したものに口をつけようとした。
 正直、イルカは快楽を得た。あそこを触られれば感じるのはわかっている。だがそれ以上に、カカシの手であるということで、興奮した。
 カカシの手・・・・・・。
 イルカは、もう一人のカカシを思っていた。イルカの脳裏を占めていたのは、愛してくれた優しいカカシだ。この世界のカカシよりも大人だったカカシ。
 カカシの手でイカされたが、あれは自慰だ。あの手に慰められながら、もう一人のカカシを思っていた。だからイルカは自分のことが汚いと思う。先ほどのカカシにどんな意図があったのか知らないが、イルカに触れる手は優しかった。優しく、興奮を表しながら熱い息を吐いていた。咬まれるように唇は合わされ、流れ込む唾液にさえ愛しさを覚えた。
 それは、カカシのものだと思ったから。違うカカシを思って欲を吐き出した自分は汚い。汚い存在だ。





「イルカ、どうかしたのか?」
 一週間ほど前の戦闘ででた負傷者は10名ほどだった。
 一つのテントに集められて、中忍たちが順番に介護をしている。午後になりイルカたち数名の者が交代して包帯を取り替えたり、薬を飲ませたりをした。皆のケアが終わり一息つき、イルカはなかでも一番の重傷者であるチハヤの元に座った。
 チハヤは腹部に敵の術を受けてかなりの出血をした。暗部の虎面の女性が優秀な医療忍術のエキスパートだったから助かったようなものだ。もし彼女がいなければ、と考えるとぞっとする。チハヤは一命を取りとめたが、丸二日眠ったままで、その間イルカも気が気ではなかった。カカシに中途半端に抱かれた不安定な心を沈める気持ちもあり、一心に介護していた。
 チハヤは頬がこけて目は落ちくぼみ、ひどい顔色だが、それでも静かな笑顔は顕在だった。敵の奇襲を受けた後は流れるようにしていくさは集結に向かいつつある。暗部の4人を中心にして敵の隊長に操られていた部下たちはすべて捕らえ、あとは肝心の隊長と賛同した数人の者を捕まえればよかった。それも時間の問題。隠れている岩の窪地に追いつめつつあった。
「うん。もうすぐいくさが終わるから、ほっとして、気が抜けたのかな」
 滲み出る汗を拭ってやりながら、なにげなく応える。チハヤはやはり聡い。もちろんごまかされてくれない。イルカが言葉を続けるのを待っている。
 自分でもよくわからない気持ちを告げることは難しく、イルカは頭をフル回転させてなにげないことを口にした。
「チハヤはさ、彼女と、寝たのか……?」
「はあ?」
「だからさ、ここに来る前、したのかって。だって結婚の約束したんだろ」
「なんだよいきなり」
 チハヤは弱々しく苦笑した。
「あの暗部の人とは、どうしたんだ?」
 イルカがひどい抱かれかたをしたことは知っている。だがその後のことはチハヤが意識の淵をさまよっていた間のことだ。
「あの人とは、とりあえずはもう大丈夫。ほら、暗部の犬の面をつけた人がいただろ。その人父さんの友達だった人で、話をつけてくれたんだ。だからもう心配ない」
 あまりチハヤの前で嘘をつけないイルカだが、話の半分は本当だ。加えて笑ってみせればチハヤはそれ以上のことを追求してこなかった。
「それよりどうなんだよ。彼女とはやっちゃったのか?」
 イルカはことさら明るい声で聞いてみた。もうすぐ里に帰れる。彼女を思い出すことでチハヤには少しでも早く元気になって欲しかった。
「あいつとは、してねえよ。まあ、キスぐらいしてきたけどな」
「ほんとかよ〜? 今更隠すなよな」
 チハヤは呆れたような息を吐いた。
「ばっか。本当だって。俺、ここに来る前だったんだぜ? そりゃああいつのことは好きだし、絶対一緒になりたいけど、初めての長期戦でいくさ場でどうなるかわからない。それなのに、やっちまってさ、もしだけど俺が死んだら、かわいそうだろ?」
 イルカは目を見張った。
「・・・もし、本当に死んだら、チハヤこそ未練が残るだろ? チハヤは、それでいいのか?」
「未練ねえ・・・」
 チハヤは横を向いた体勢が少し辛くなったのか天幕の上を向いて、どこか遠くを見た。
「逆にやっちまってたほうが未練が残るような気もする」
「彼女に忘れられることは悲しくないのか?」
 イルカはムキになって詰問口調になっていた。イルカはカカシのことを忘れたくなかったし、忘れられたくなかった。未練を残したくないから、あの奇跡の夜に余すことなく愛したし、愛してもらった。だが、チハヤは逆のことを言う。チハヤは目線だけをイルカにちらりと動かした。
「忘れない。あいつは俺が死んだって忘れない。どっか頭の隅にでもおいてくれて生きていくさ。そしていい相手を見つけるだろ?」
「それが、辛くないのか?」
「辛くない。俺があいつのこと大好きだってことは消えないだろ。それこそ墓場まで持って行くことだからな」
 チハヤはきっぱりと言い切った。偽りのない確かな声にイルカは俯いた。
「……俺は、間違っていたのかな」
 ぽつりと、自分の中に落とし込むように呟いた。もしも、もしもここに来る前のあの夜にカカシに抱かれていなければ、ここでこんなにも複雑な気持ちに悩むことはなかったのだろうか。この世界のカカシと純粋に向き合うことができたのだろうか。
「ばっかイルカ。お前悩みすぎ。人それぞれだろ。俺の主義が正しいとは言えないぞ。もしかするとさ、あいつは俺としたいと思っていたかもしれない。でも控えめな奴だから、自分からは言えなかった。今頃は恨みに思っているかもしれない。帰ってきたら見てろよ〜と、怒ってるかもしれないわけだ」
 そんなわけがない。そうでなければ欠かすことなくチハヤに頼りを寄越すわけがない。情緒不安定気味のイルカを気遣ってチハヤは軽い話題にしてくれている。
「イルカはイルカらしくしてりゃあいいんだよ。あんま頭使うな。得意じゃないだろ」
「うるせぇ・・・」
 イルカはチハヤの頬を軽く引っ張った。唇を尖らせたイルカにチハヤはその調子、と頷いた。
「間違ってるとか、そんなふうに言うなよ。お前は一生懸命なだけなんだよ」
 言葉を変えれば馬鹿とも言うけどな、と一言付け加えるのをチハヤは忘れなかった。





 疲れたから少し眠るというチハヤをおいて外に出た。
 天幕の外は日が差しているとはいえ冷気にぶるりと体が震える。今朝数名が先に里への伝令として出発した。あとは順次撤退していくことになるが、イルカはチハヤ達負傷者たちとともに戻ることが決まっていた。暗部の4人はまた次のいくさ場への旅立つ。
 カカシと離れられることに正直安堵している。優しくされればその分どんどんあのカカシへと気持ちが傾いていくだろう。違う世界のカカシが好きなのに、優しくされるだけで傾きそうないい加減な自分の気持ちが嫌だ。
 怖い。怖いことだらけだ。
「ちょっと」
 腕を引かれる。ぼんやり歩いていたから気づかなかった。カカシが横にいた。あの朝以来だ。面をつけたままイルカの腕を掴んでそのまま自分のテントのほうに連れて行く。イルカの足はうまく進まず、半ばもつれるようにして連れて行かれた。
 身を竦ませているイルカの前で面をとり口布を下げて一息つく。近づいたカカシは驚くことに手甲もとってさりげない動きでイルカの頬に触れてきた。イルカは体を強ばらせた。
「顔あげてよ、イルカ」
 そこに命令の気持ちを感じれば意地でもあげたくなかったが、懇願の響きを感じてしまい、イルカはのろのろと顔をあげた。目の前にはふて腐れたような顔をしたカカシがいた。あのカカシとは違う、少し幼いカカシ。年相応の表情。
「あの天幕にあまり行くなよ。匂い、つくだろ」
「匂い・・・?」
「そう。けが人は匂う。臭いだろ」
 カカシの忌々しげな呟きにイルカはかっとなった。
「臭くなんかないです。みんな、懸命に闘って、それで怪我をしたんです。仲間なのに・・・」
「ああ、いいよもう」
 苛立った声をあげたカカシの胸のなかにイルカは抱き込まれた。イルカと大差ない体格のカカシなのに、こめられる力は強かった。
「はたけ、上忍・・・?」
 イルカは棒立ちのまま体が震えるのを感じた。
 頬にはカカシの肌が直に触れている。あんなにも接触を嫌がっていたカカシ。どうしたというのだろう。
「あの、はたけ上忍、どうかしたんですか?」
「ん〜? 別に。ただ、イルカはあったかいから。俺ずっと今日は外をまわっていたから寒いの。あっためて」
 耳元で囁かれる声にイルカのほうの緊張が高まる。
 カカシはイルカの体をはなすと、両肩から手をまわしてイルカの首の後ろでゆるく交差させた。
「ね、イルカ、脱いで」
 とんでもないことをさらりと口にする。勿論イルカは首を振った。
「ね、脱いでよ。お願い」
「いやです」
 声にだして、ひたすら首を振る。
「じゃあいいよ」
 イルカがほっとしたのも一瞬で、カカシはにんまりと口の端を吊り上げた。
「俺が脱がせるよ」
「はたけ上忍!」
 ベストに手をかけられ、イルカはカカシの腕に触れてしまった。その途端、カカシに乱暴に払われる。強い光を宿していた。
「イルカからは触るなよ。俺が、確かめたいんだからさ」
「確かめるって、何を・・・」
 カカシはイルカの声を無視して、鼻歌でも唄いそうな雰囲気で服を脱がしはじめる。ジッパーをおろし、アンダーをまくられ、イルカはのろのろとではあるが、従わざるを得なかった。
 上半身裸のイルカを首を傾げてカカシはまじまじと見つめる。イルカは消え入りたいような気持ちで俯く。いったいカカシはどうしてしまったのだろう。接触をあんなにも拒絶していたのに。カカシの手が伸びて、イルカの胸をかすかに撫でる。
「この間も思ったけど、細いよね。もう少し筋肉つけたほうがいい。ちゃんと食べてる?」
 さわりさわりと、羽毛のような触れ方にイルカはますます身を竦ませる。いたずらな指先が先端に触れた時にはびくりと反応してしまった。だがそれは快楽の予兆というよりも、得体の知れない恐怖の為だった。カカシは相好を崩して、跪くと片方の大腿部の手裏剣ポーチをするするとはずし、下履きも脱がし、とうとうイルカを裸にしてしまった。下肢を隠したかったが、それはますます自分の中の羞恥を煽ると思い、イルカは堪えた。体の横に両腕を垂らして、ひたすらに俯いていると、下からすくわれるようにしてキスされた。カカシは笑っている。
「こっち。おいで」
 手を引かれ、ベッドの上に服を着たままのカカシと向かい合って横たわる。イルカは最後の抵抗とばかりにとまどいながらも口にした。
「俺、作業があるんです・・・。こんなこと・・・」
「いいのいいの。これも立派な作業でしょ」
 カカシの手はイルカの髪紐をとって優しくときほぐす。イルカは息を潜めて瞬きも忘れてカカシの動きに冷や汗さえ滲む。カカシの手は案の定下肢にむかい、イルカは絶望感に目を閉じる。
「イルカのここって、ほんと、綺麗だよね」
 指先が、触れる。手のひらに載せられる。
「大丈夫そうだから、ちょっと舐めてみたいって思うんだけど、でもまだね・・・」
 カカシの手は今度は頬に触れた。こめかみをさすられて、額に、目蓋に唇が降る。ときおりはいたずらな舌が触れる。無言で促されて、イルカは目を開けた。
 カカシの色違いの目は穏やかな眼差しでイルカを映していた。
「イルカは、汚いとは思わない」
 カカシは真面目な顔で断言し、イルカを抱き込んだ。
「少し、休もう。なにもしないから、ここにいてよ」
 言うが早いかカカシはすぐに寝息をたてはじめた。
 カカシの胸の中、穏やかな鼓動を耳にしながらも、イルカは体をかたく強ばらせたまま横になっていた。
 最初の夜も、強姦めいた抱かれかたをされた時もこんな恐怖は感じなかった。だが今のカカシは怖い。得体の知れない恐怖だと、そう思いたいが、イルカは本当はわかっている。イルカの中で二人のカカシは別の存在、人間だということで落ち着いたのに、今更、ふたつの存在が重なろうとしている。同じ人間なのだからそれは自然なことなのかもしれないが、イルカは、それが怖い。二人は似て非なる存在だ。もしもここにいるカカシに全てを預けて、また深く傷つけられたらと思うと・・・。
 そんな他愛ない想像だけでも、イルカの顔は泣きそうに歪められた。

 

 

  
 
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