10.


 



 腕の中にあったぬくもりが不意に離れた。
 カカシの目が開く。朝の光のなか、イルカは服を着始めていた。
 ここ最近なじんでしまった裸が視界にある。不意の敵襲から隊が落ち着きを取り戻したあとから、イルカにはカカシのテントで寝起きさせている。かといって何かするというわけではなく、他愛ない話をしているだけだが、イルカから話してくることはなく、カカシからの問いにイルカが答えるという会話だった。そこから知ったのは、イルカはカカシよりひとつ年下で、両親は忍で九尾の事件で亡くなった。それくらいのことだった。もう一人のカカシとやらのことを詳しく聞こうとしたがイルカは頑なに口をつぐみ、なんとなくカカシも聞きづらいような、聞きたくないような気持ちになり、二人の間の話にのぼることはなかった。
 ここ数日の間、毎晩裸のイルカを抱きしめて眠っている。カカシも思い切って裸になろうかと何度も思いはするのだが、長年の習性と正直恐怖感もあり、服を脱ぐことをためらわせていた。
 痩せっぽっちのイルカの白い体は思わず手を伸ばしたくなる衝動に駆られるのだが、それを手放しに受け入れるにはまだ時間が必要だと思う。だからカカシはイルカからぬくもりだけををもらっていた。
 毎晩のことなのに、イルカはカカシが言わなければ脱ごうとしない。だが、ためらいが長いとカカシに脱がされてしまうということは学んだから、いやいやながらも脱いでいく。恥じ入ったように俯いたままベッドに入っていく。慣れたいという気持ちがあって、カカシは必ずイルカの体に手のひらを這わせる。硬く硬く身をこわばらせているイルカに悪いとも思うのだが、やめられなかった。きつく目を閉じて、耐えるようなイルカの表情に腹の奥から得体の知れないもやもやとしたものが這い上がってくる。だがそれがどんなものなのか未だに見極めることができずにいた。
 イルカのことは汚くないと言った言葉は本当だ。本当だが、全てに触れて手に入れてしまうにはまだためらいがある。イルカを胸に抱きながら、イルカを喘がせたときの熱い息や艶めいた表情が浮かぶこともあり、そんなときは下肢に熱が集まる。だが、それに気付くとイルカの体はおびえたようにびくりと震えて、体からはどっと汗が吹き出る。一瞬凶悪な気持ちが涌いて、イルカの急所を握りこんでしまうこともあった。するとイルカは、カカシの二の腕をぎゅっと掴み、懇願するような少し潤んだ目で見つめてくる。すがるように見られて、カカシの凶暴な気持ちは霧散する。自分の行動に後悔して、謝罪するように気持ちをこめてイルカの髪をすく。宥めるように口付ける。
 すると、ますます体が縮こまるイルカに、カカシの胸はうすら寒くなる。
 イルカに触れたい? 触れるのが怖い? 触れたくない?
 ぐるぐると回る思考にカカシはいつも最後には気持ちを放り投げた。





 とうとう、敵は全て捕らえた。激しく抵抗したため、捕縛がかなわずに皆死亡した。
 返り血を浴びてチャクラも消耗したカカシは地面に足を大きく広げて後ろでをつき座り込んだ。
「あー。思ったよりかかったね」
 犬面の男も体の半分をおおきく血に染めていた。敵の血と、自らの血での出血だった。右の大腿部に器用に包帯を巻きながら男もカカシの横に座っていた。岩のくぼ地には風も入り込まず、血の匂いがこもる。殺伐とした空気に似合わず昼下がりのいくさ場とは思えない静寂だった。虎面の女と鳥面の男は後方での戦いだったために特に負傷はなく、いち早く隊に戻り事後処理を始めていた。
「ここでのいくさも終わって、俺たちは明日早朝にはまた移動だ。イルカもお役ごめんでほっとするだろ」
 犬面の男は揶揄するように言った。
「なんだよお役ごめんって。俺はねえ、イルカのこと抱いちゃいないから」
「うそつけ。いつもあいつは青白い顔で明らかに寝不足ですって風情だ。お前が寝かせてないんだろ」
「勝手に言ってろよ」
 ぶっきらぼうなカカシの様子を照れととったのか、犬面の男がくぐもった声で笑った。
「まあひどいことはしていないようだな。きちんと別れてやれよ」
「それなんだけどね・・・・・・、イルカのこと、連れて行ったら、駄目かな」
 包帯を巻く手がぴたりと止まる。犬面の男は顔をむけてきた。
「カカシ、自分が何を言っているかわかっているのか」
「やっぱり駄目かねえ。俺さ、今リハビリ中なのよ。ここでイルカと離れると、また元に戻っちゃうんじゃないかな、と思って。せっかくだからここらで俺もかわろうかなと、健気に思っちゃってるわけ」
 意外に聡い男に気付かれたくなくて、カカシはおどけて口にした。
 言ってることのだいたいは本当だ。だが大きく占めている気持ちは、簡単なこと。イルカと離れたくなかった。
「イルカのことは汚いって思わなくなったからさ、毎晩裸に触れて自分に慣れさせてるんだ。もう少し時間がたったら、ちゃんとセックスもできそうだし」
「いい加減にしとけよカカシ」
 犬面の男がぴしりと厳しい声をだした。
「お前のイルカへの扱いはモノじゃねえか。何がリハビリだ」
「物なんて思っていない。イルカのことは大事だ」
「だから、大事な、物なんだろ? なんにも変わっていないじゃねえかお前は」
 断言されてさすがにカカシはむっとする。
「違う。イルカには俺は触れることができる。じかに触れることができる。今まで物扱いしてた相手には絶対に直接触れなかったし、触れさせなかった。イルカには許している。イルカは物じゃない」
「確かにそう思っているっていうなら、直接抱いてみろ。そしたら少なくてもイルカは特別だって信じてやる」
「あんたに信じてもらわなくたっていいよ」
「じゃあせいぜい明日までにイルカに信じてもらえばいい」
 そのまま二人は険悪なまま本隊に戻った。





 無性に不安な気持ちにおそわれてカカシはイルカの姿を探した。
 イルカのことを物だなどと今は絶対に思っていないが、もしかすると、イルカはそう思っていて、カカシが触れると身を竦ませるのかもしれない。出会ってたいした日々がたったわけではないが、最初の頃にような強い目で見てくることもなく、目を逸らすようにばかりなっていた。
 強い目で見て欲しい。真っ直ぐに、見つめ返して欲しい。そうすればきっとイルカの中の真実に少しでもたどり着けるような気がする。
 イルカは丁度傷病者のテントから仲間と出てきたところだった。二人とも汚れた包帯やら布をたっぷり抱えている。あれを処分しにいくのだろう。イルカの腕が他人の血や膿で汚れたものに触れていることに胸の中に黒い気持ちが広がる。病人の元になど行くなと言ったのに。汚い、あんな汚ならしいものをイルカが平気で素手で抱えていることに腹がたつが、それ以上にカカシの胸に焦燥感をおこすのは、隣の仲間と親しげな笑顔で会話してることだった。隣の男が汚い包帯を抱えたままの手でイルカの肩をこずいた時にはカカシの体は動いていた。
 音もなく、すべるようにイルカの目の前に立つ。
 イルカは驚きに目を見張る。またたきを繰り返す隙に、乱暴な手でイルカの抱える布をはねのけた。
 狐面の暗部の横暴は中忍たちにすでに恐怖として植え付けられている。イルカの仲間は後じさり、表情はひきつる。イルカは両手から払われた布に一瞬呆然となり、だがすぐに久しぶりにカカシのことを睨みつけてきた。
「はたけ上忍、どういうつもりですか」
「どうもこうも、あんたはあんな汚いもの持たないでよ。病人のテントにも行くなって言ったよね」
「俺の仕事です」
「こんな誰でもできる仕事は他の奴らにやらしときなよ。イルカは俺のとこに来なきゃいけないんだから汚して欲しくないんだよね」
「はたけ上忍の元に行く前にはきちんと水浴びして、消毒してから行ってます。俺から何か臭うなら言ってください。善処します。それでも何か文句があるのなら、もう俺にかまわないでください」
 かまうなと言うイルカの言葉が何よりの本音に聞こえた。黒々とした目がカカシを射抜く。きつい目をする、と改めて思う。
「・・・病人ってのは、死臭がする。はらわたが腐るようなものをなかに抱えている。それは体の奥を蝕む。だから、イルカは行くな。あんた最近顔色悪いのそのせいだろ」
「死臭なんかしません! 俺の顔色が悪いのは関係ありません。縁起の悪いこと言わないでください」
「ああ、もう、うるさい」
 面倒になったカカシは無意識のうちにも凶暴なチャクラを放出してしまった。イルカの隣にいたはずの中忍はテントに逃げるように戻ってしまった。イルカは怒りゆえか顔を上気させてカカシから目を逸らさない。その瞳があまりに強くて、カカシはめまいさえ覚える。見たかった強い光。だが憎しみに近いような色ならいらない。そうではなくて、身内から溢れんばかりの光。それが欲しい。
 汚物を拾おうとしゃがもうとしたイルカの二の腕をとる。手甲の爪が食い込みそうなほどに握る。骨がきしむ音がする。
「はたけ上忍、離してください」
「決めた。無理でもなんでも、イルカのこと、連れて行く」
 ここで離したら、きっとイルカは自ら汚いところへ飛び込んで行ってしまう。それは嫌だ。イルカのことが好きなのかは知らないが気に入っている。素肌に触れても嫌悪はわかない。これは特別な人間だ。
「連れて行く? どこへ・・・・・」
 戸惑うイルカの半開きの口をふさぎたい衝動に駆られた時、テントの中から血相変えて出てきた中忍がイルカの名を呼んだ。

 

 

  
 
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