6.
「あのさ、なんで俺の名前知ってたの?」
イルカの目の前で面をとったカカシは真面目な顔で聞いてきた。
イルカが恋しているカカシよりは幼い顔をしたカカシ。けれど色違いの双眸に見つめられると昨夜の暴行も忘れてすがりつきたい気持ちが沸いてくる。
もう一人のカカシに出会って恋をしたのだと。だから、そのカカシとのあまりの落差に傷ついていると、訴えたかった。
カカシはイルカの答えをずっと持っている。思いがけず真剣な目をしてイルカからのきちんとした答えを得ようとしている。
今朝目覚めたときにすでにカカシはいなかったが、イルカの体は綺麗にされて怪我の手当てもされていた。無理矢理に熱をねじ込まれた時は物理的な苦しさとそれ以上に響く心への痛みに打ちのめされたが、今朝上忍の隊長から一日休養を申し渡された時には、正直驚いた。カカシが根回ししてくれていたことが意外だった。
だが閨の相手をしたからといって作業を休むなどそれはあまりに情けないから、いつもと同じように見張りに立ち、忍具の整理、日常のこまごまとしたことをこなした。
そんな一日の合間につらつらと考えることはできた。
ここにいるカカシを責めるのは筋違いということだ。同じはたけカカシでも二人が別人だということは身をもって知った。そのことにカカシは責任を持つ必要などない。
イルカが恋したカカシも言っていたではないか。自分の世界でのイルカは少し手厳しいと。ひょっとするとあのカカシが尻に敷かれているのかもしれない。自分なら、とイルカは考えると、きっとカカシの為なら何だってしてあげたいと思うし、甘やかしてあげたいとも思う。ほら、別人だ。イルカなりにそこまで冷静に考えることはできた。だからといって今目の前にいるカカシを受け入れることができるというわけではないが。
「あなたは、写輪眼で有名だからって理由は通じないですかね」
「俺は勝手に早合点しちゃったけどさ、違うでしょ? 俺はそこまで有名ではないよ。君はずっと里にいたわけだしね」
「名前を知っていたわけを聞いてどうしようっていうんです。別にどうでもいいことじゃないですか」
「そうともいえない。あんたがどこから知ったかによって、俺に対する情報の流れを読むことができるかもしれない」
カカシはあくまでも真剣に問いただそうとしている。
イルカは諦めに溜息をついた。少し投げやりな気持ちも働く。
「作り話みたいな話です。でも、本当のことです。誰が知らなくたって俺だけは本当だってこと、知っています。はたけ上忍が信じる信じないはご自由にどうぞ」
そう前置きして、イルカは語り出した。
子供の日の出会いから、1年前の再会。今更隠すのもわざとらしいから、その時に別世界のカカシに抱かれたことも言った。そのカカシを重ねてしまったから不遜な態度をとってしまったと、頭を下げておいた。
簡単に話をまとめたイルカは、ずっと下を向いたままだった顔を上げた。膝に肘をついてほおづえついていたカカシは瞳を細めていた。
「あんたが会ったっていうそいつはさ、やっぱりこっちと同じで九尾の事件なんかを経験してたわけ?」
イルカが頷けば、カカシは吐き捨てた。
「馬っ鹿じゃないの」
カカシは忌々しそうに顔を歪めた。イルカの話したことに疑問を差し挟みはせずに、思いがけない反応をしてきた。
「九尾とのいくさ場に行って里の壊滅やら四代目の死を見たってのにどうしてそんな脳天気でいられるかな〜」
「カ、カカシさんの何が脳天気だっていうんですか」
「あー、なれなれしく名前呼ばないでくれる? 俺もカカシなんだからさ」
苛立っているのか、カカシは乱暴に髪をかきまぜた。
「あんたはさ、今頃暢気に中忍やってるくらいだから九尾の頃なんて忍でもなかったわけだろ。あれは俺が見たなかで最悪のいくさ場だった。死んだ仲間をまともに埋葬することもできずに火遁でその場しのぎで燃やした。なかには半死状態の奴もいたかもしれない。けどそれを救っている余裕はなかった。春になってあの場所に行った時野犬に食い散らかされた死体がそこら中にあった。それを俺たちは片付けたんだ。あの年の冬は寒かったから、春になって急に暖かくなって中途半端に燃え残った死体は半端に腐って、匂って、ひどい状態だった! おまえは、知らないだろうが。それを知っているはずのもう一人のそいつはどうして暢気におまえなんかと寝てるんだよ? 気持ち悪いんだよ!」
カカシはイルカが思わず腰を浮かせるくらいの鋭い声をあげ、秀麗な顔を歪めた。
カカシの傷ついた顔に誘われるようにイルカは意識するより先に動いていた。思わず慰めるように髪に触れてしまうと、カカシに瞬時にたたき落とされた。
「だから触るなよ! 気持ち悪いって言ってるだろ!」
「はたけ上忍は、誰にも触れたくないんですか? 人間は汚いから、嫌なんですか?」
「うるさいな。嫌だったらセックスなんてしない。坊主にでもなってるさ」
「じゃあどうしてそんなに拒むんですか。何が怖いんですか」
怖い、と咄嗟に口をついてでた言葉に反応したのはイルカのほうだった。
目の前のカカシは嫌悪に満ちた顔でイルカを見ているがそこに侮蔑だけではない何かが見える気がして、イルカは目を細める。
怖い、となにげなく口にしてしまった言葉。だがそれがもしかしたらカカシの真実なのかもしれない。たくさんの悲惨ないくさ場を見てきたカカシ。きっとイルカが想像する以上の世界があったことだろう。幼い頃からそれを見続けていれば、知らず自己防衛の気持ちが働くのもうなずける。
黙ったイルカにカカシは反応した。
「なんだよその顔。ふざけるなよ」
ぎり、と顎をつかまれる。青と赤の目が怒りに燃えている。綺麗な瞳なのに、せっかくの輝きなのに膜がかかったように濁ってしまっている。そのことが悲しい。イルカの愛するカカシはそんな嵐のような時期を乗り切った大人だったからなのかもしれないが、優しく、澄んだ目をしていた。
イルカの同情めいた気持ちが表情に表れたのか、カカシは後ろの岩にイルカをたたきつけた。そこをすかさず追いつめられて、首に手をかけられる。カカシは怒りに燃えた目をしていた。
「おまえさ、何様のつもりだよ。何わかったような口きいてんだよ。俺はお前らみたいな役立たずが大嫌いなんだよ。ちょっと優しくしてやったからって調子にのるなよ。汚いくせに」
カカシの低い声音にイルカはひるまない。カカシはどこかムキになっている。
「調子になんか、のっていません。俺たちは、役立たずじゃないです。俺たちなりに出来ることを、やっています」
「それがたいしたことじゃないって言ってんの。ば〜か」
首にかけられた手が圧迫をかけてくる。イルカは睨み付けることでカカシに返した。
だが睨み付けながらも、イルカはともすれば泣き出してしまいたい無力感も感じていた。カカシを傷めてしまったことにイルカの手は届かない。助けたいなんておこがましいことで、カカシ自身が乗り越えていかなければならないことだから。イルカにできることがあるとすれば、傍らで手に触れて、そばにいることぐらいなのかもしれないが、カカシはそれを拒むだろう。いやそれ以前に、カカシの心情を勝手に解釈したことに不快感を表すことだろう。
首の締め付けはどんどん強くなる。呼吸が苦しくなる。潤む視界にカカシの姿がぼんやりとしてくる。震える手をそれでもんなんとかあげると、労るようにカカシの手に触れた。そっと撫でさする。
もしこのまま絞め殺されたとしても、ここにいるカカシのことを恨みには思えない。
馬鹿だなあ、俺、とイルカの口には自嘲めいた笑みが浮かぶ。
とにかくカカシが好きなんだなと思った。
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