雪ごもり   前編          西木様よりの頂き物v






 大量に雪が降った寒い冬の早朝、カカシはいつもの通勤の道でまるまるとふくらんだイルカを見つけた。よたよたと一歩一歩足を踏みしめて雪の道をゆっくりと歩いている。嬉しくなって、うしろから両手で思いきり押した。
「おはよう! イルカ先生!」
 あわあわと両手を振り回すから片手に持っていたクーラーボックスがぶんぶん回る。それを数回繰り返してバッタリとイルカはうつぶせに雪の中に突っ伏した。少し離れた場所にクーラーボックスも落下して雪に埋まる。
 雪にめりこんだ丸いかたまりにカカシは吹き出した。
「カカシ先生〜」
 うらめしそうにイルカが重そうに体を起こす。しかしつっぱねた両手で体を起こすことに難儀しているので、カカシは仕方なく手をかした。
 黒ずんだ顔を心持ち怒りのためか赤くさせてふくれ面だ。
「ひどいじゃないですか。毎朝毎朝・・・」
「だって仕方ないでしょう。イルカ先生まんまるで、つい転がしたくなるんですよ」
 カカシが悪びれずに告げるとイルカはますます仏頂面となる。
 本日もイルカは重装備。
 まず上半身はババシャツならぬジジシャツを3枚重ねホッカイロを背中じゅうに張り巡らし、ボア素材の忍服の上にOサイズのベストを着る。下半身は木の葉股引の最高級品保温効果抜群のものを穿いて、靴下はアンゴラ素材のものを2枚重ねてもちろん脚絆ではなく長靴を履く。しかも裏地つき。首は厳重にマフラーがまかれ、ふわふわの耳当てを付けて最後にぼんぼんつきの毛糸の帽子を被って朝の出勤準備完了だった。
「でもねイルカ先生、そんな動きにくい格好で敵に襲われたらひととまりもありませんよ?」
「大丈夫です。ここは木の葉の里だし、だいいち俺を襲う意味がないでしょうが」
 それは確かにそうだが、あまりの緊張感のなさにカカシは呆れかえるのを通り越して笑ってしまうのだ。
 カカシは思い出す。
 大寒波に見舞われた今年の木の葉の冬、いつものように慰霊碑で時間をつぶしたカカシはアカデミーに向かう道すがら、いきなり雪だるまに話しかけられて肝をつぶした。咄嗟にクナイを構えて辺りに気を配るが、どこにも殺気はない。カカシ以外の唯一の気配は、道の脇に除雪されてうずたかく積まれた雪にめり込んでいる見知った顔だけだった。
「アカデミーとっくに始まってますよね。何遊んでいるんですかイルカ先生」
「・・・・・はまってしまいまして、抜け出られなくなったんです」
 照れを隠すためだったのだろうが自由に動く片手で鼻先をかいて笑うイルカは、冬だというにに黒ずんで日に焼けてぶさいくだった。トラップでもあるまいに抜け出せないだなどと呆れたが、ぶくぶくに着込んだイルカにとっては困難なことだったのだろう。
 カカシが無反応でいるのに思うところがあったのか、イルカは本当に一人では抜け出られないところをアピールしようと、腰から下あたりにある雪に両手をついてうんしょうんしょと力を入れてみせる。その必死な赤い顔のまた不細工なことと言ったらなかった。はっきり言ってきれいなものが好きなカカシにとっては見ていて気分のいいものではなかったから、さっさと火遁の印を組んだ。
 一瞬にしてあたりの雪はなぎ払われ、勢いあまってイルカの服も少しちりちりと焦がした。
「イルカ先生。中忍なんだから、火遁、組めるよね」
 カカシが嫌味たっぷりに言えば、イルカは無邪気に答えた。
「俺、寒いのが苦手なんですけど、雪は大好きなんですよ」
 だから雪を消したくはなかったと口にしたイルカが面白くて、あれから、2週間、時間が合う時は毎日イルカをからかうために同じ通勤路をたどっていた。
「しかし毎日わざわざ雪の多い道をゆっくりたどることもないんじゃないですか? そのために早く家を出るなんてアホですね」
「うるさいなあカカシ先生は。雪ってきれいじゃないですか。ロマンてものがないんですかね」
 ロマンというよりマロンのような顔をしたイルカが唇をとがらす。
 雪は確かにきれいなのだろうが、それは窓越しに静かに降るさまを見たり、なにも遮るものがない雪原、雪に囲まれた湖、高い山の冠雪、などをイメージするのだが、どうもイルカはただ降ってきて、道の脇にこんもりと積まれているような情緒のないものまでとにかく雪の全てがいいと言うのだ。
「そんなに雪がいいならかまくらでも作って住めばいんじゃないですかあ?」
「だから、寒いのは駄目なんです。だから苦労してるんじゃないですか」
 よたよたと歩くイルカの歩調に合わせているともどかしいことこのうえない。せめて片手のクーラーボックスでも持ってやるかとカカシは手をだした。
「これは何が入っているんですか? アカデミーでワカサギ釣りでもするんですか」
「何バカなこと言ってるんですか。今日はアカデミーのほうで当直なんで、鍋の材料です」
 それは是非ご相伴にあずかりたいとカカシはちゃっかり思ったが、イルカに先手を打たれてしまった。
「これは二人分です。俺と、ナルトの分なんで、カカシ先生の分はありません」
「うわあ、けち」
 カカシはぽいっとクーラーを持つ手を離し少し遠くに放り投げた。わたわたとイルカが食材に向かっている間に、マフラー以外は普段通りの身軽なカカシはその場を後にした。




 イルカはカカシが初めて担当した子供たちの元担任で、特に親しくはなく、ちょっとした知り合い程度の関係。うるわしい女性だったなら積極的に繋がりを持ちたいと思ったかもしれないが、むさくるしくぶさいくなヤローに興味はないのだ。笑うと人なつっこく、まあ百歩譲ってかわいらしい表情になると言ってやってもいいが、固そうな黒髪をひっつめて年中黒く焼けた顔はあまりアップで見たいものではなかった。
 そんなイルカが窓の下、アカデミーのグラウンドを生徒と駆け回っている。
 さすがにいつもの忍服だが帽子と耳当ては着用。忍服の下にはカイロがてんこ盛りで貼られているはずだ。以前写輪眼でこっそり確認してみたから間違いない。
「おーおー。寒い中面倒くせえことやってんな」
 アカデミーの職員が誰でも利用できる食堂の窓際でコーヒーなぞ飲みながらイルカウォッチングをしていたカカシの向かい側にアスマが座った。暖かい室内のガラスはくもっている。アスマは無造作に拭うとカカシと同じように下を見た。
「ガキ共相手に雪合戦か。あれも仕事のうちなのか」
「どちらかというと、イルカ先生がガキ共に遊んでもらっているって構図かな」
 カカシが知ったように告げると、アスマは面白そうに煙草の煙を吐き出した。カカシとアスマはそれなりに互いの嗜好を認識するくらいの付き合いはあった。人にもものにも極端に興味の範囲が限定されるカカシが今さらイルカの話題についてくることがおかしかったのだろう。
「紅が言ってたんだがよ、おまえ最近イルカだるまによくちょっかいかけてるらしいじゃねえか」
「ああ。あの先生、面白いんだよ。おもちゃだね」
「ふん。一理あるな」
 イルカの人目を気にしないあの格好はアカデミーでは有名なことだった。
 着ぶくれたままどすどすと歩き回り、授業中は暖房を背負って教壇にたち、何度か服を焦がす始末。屋外の演習はやりたくないと火影に泣きついたという噂もある。しばらくの間は黙認されていたようだが、さすがにしめしがつかないと授業中に着ぶくれることは厳禁となった。だが、それ以外では速攻で着ぶくれているらしい。
「額宛てのところ膨らんでるだろ? あれイルカ先生自分で裏にふわふわのボアを縫いつけたんだってさ。アホだねほんとに」
「そいつあ確かにあほだな」
 くぐもった笑いをひとしきり漏らしたあと、アスマは不意に真顔でイルカをじっと見て、カカシに向き直った。
「しかし前から気にはなっていたんだがよ、イルカのやつ、顔色悪すぎねえか」
「えー? 単なる地黒で日焼けじゃないの? こっそり日サロに行ってたりして」
「いやしかしなあ、ちょっと不自然なくらい黒いだろ。こんなこと言いたかねえが、知り合いで肝臓やられて亡くなったやつが、あんな黒ずんだ顔色だったんだよ。一応検査とか受けたほうがいいんじゃねえか?」
「ええー。心配症だなアスマ。見かけによらず」
 一言余計だとアスマには殴られた。
 イルカと病気など、天と地ほどにかけ離れてことに思える。屈託なく子供たちと騒ぐイルカ。脳天気なイルカ。少しだけ心配な気がするカカシだった。





 当直室のこたつにどてらを着込んで貫禄充分なイルカがナルトと幸せそうに鍋をつついていた。ありがちなところだがチゲ鍋。部屋中に充満するキムチの匂いにふらふらとカカシは持参した茶碗を持ってこたつに滑り込んでいた。
「カカシ先生。あなたの分はないと言ったじゃないですか」
「今度おごりますから食わせてくださいよ〜。俺腹ペコなんです」
「よーし。約束ですよ。ナルト、きちんとメモっておけ」
「約束は守りますよ〜。俺上忍なんですよ。全く」
 ぶつぶつ言いながらもカカシは、許可を得た鍋に箸をのばして肉を中心にぱくぱくと口に放りこむ。
「カカシ先生。やっぱり肉ばっかりかよ!」
「ナルトは野菜食いなさいって普段から言ってるだろ〜」
 騒ぐ子供に素早く白菜とニラを渡し、カカシは豚肉を余念なく食す。
 ぎゃーぎゃー騒ぐ子供を適当にいなしながら、頬を膨らませてふーふーお椀をふいているイルカを盗み見る。ストーブは燃えさかりこたつの中は熱く、加えて鍋の熱気と人間三人の熱気。ここは熱い。ナルトは額に汗をかいているがイルカは黒く赤い顔をしているが汗はでていない。そう言えば、さっき箸を渡されるときに一瞬ふれた指先がものすごく冷たかった。冷え性ですませられないくらいの冷たさだった。
 まさかとは思うがアスマの言葉がよみがえる。
 こんなに暢気に平和そうにナルトとほんぼのしているイルカが病気?
「あの〜、イルカ先生。つかぬことをうかがいますが、最近体の調子はどうですか?」
「体? 寒くて調子でないですね」
 ほっと溜息をつきながらもイルカの頬は丸々としている。絶対に健康体のはずだとは思うが、念のためと言葉をつぐ。
「アカデミーの職員たちは健康診断なんか定期的に受けてますよね。結果は良好ですか?」
「いーえー。最近ちょっと・・・・・」
 思わせぶりなイルカはさらに溜息を深くする。肉を食べる手を休めてまでイルカの言葉を待ったカカシは、次の瞬間にはイルカをぶっ飛ばしたくなった。
「食べすぎで、コレステロール、脂肪が増えているって言われちゃました〜」





 腹がくちくなり寝っ転がった男三人。
 二人で食べるべきところを三人で食べたのに、この異常な満腹感。これを二人で食べる気だったというのか。
 なんとか起きあがったカカシはすでに寝息をたてはじめているナルトをつついた。
「ほら、帰るぞナルト」
「カカシ先生、ナルトは今日ここに泊まりますんで」
 片付けをしようと立ち上がったイルカは、むにゃむにゃと「満腹だってばよ〜」と呟くナルトを抱き上げて、奥の三畳間の部屋の布団のところに連れて行った。てきぱきとナルトを着替えさせる姿は、父親・・・というより肝っ玉母さんのようだ。どてらが似合う。
 ナルトを布団に押しこんだイルカはこたつの上を片付けて、マフラーをぐるぐる巻き付けてぼんぼんつきの帽子を被った。
「さ。カカシ先生はねぼすけなんですからもう帰って下さいね。ナルトは明日きちんと起こして行かせますから」
 イルカに押し出されてカカシも廊下に出る。懐中電灯を手にしたイルカは今夜一回目の見回りに出るというわけか。
 そこでカカシは閃いた。
「イルカ先生。ナルトは湯たんぽの代わりですね〜」
「はは。ばればれですかね? 当直室って見ての通り、暖房がこたつとストーブで、見回っている間は消さないといけないじゃないですか。部屋が寒いのに布団も寒いんじゃ仮眠とるにも寝れないんですよ」
 ぶるぶるとイルカは身震いする。暖かい子供を抱っこして眠ったりしたら逆にイルカはこの一回の見回りだけで朝まで熟睡なのではないか?
「本当に寒いの駄目なんですね〜」
 呆れたカカシに、お恥ずかしながら、と照れ笑いを浮かべるイルカの無骨な顔。確かに黒ずんでいるが艶はいい。しかもあんなに鍋をたらふく食していた。イルカは健康体だと確信してカカシは帰って行った。



 木枯らしが吹き荒れた数日後、上忍仲間と飲みに行った帰り道にカカシは向こうから歩いてくるナルトを見つけた。ナルトはいつもの格好にマフラーだけを巻いていた。確かアレはイルカに編んでもらったナルト模様のマフラー。
「おーいナルト。子供は野菜を食べて寝る時間だぞ」
「カカシ先生! なんだよ、明日は休みだろ?」
 赤い頬をしたナルトが嬉しそうに駆け寄ってくる。何故か背中にはリュックをしょっていた。カカシの視線に気づいたナルトはにししと笑った。
「今日はイルカ先生んちにお泊まりなんだってばよ」
「ふ〜ん。相変わらず仲いいね」
「なんかさ、なんかさ、寒くなってからイルカ先生優しいんだってばよ。毎日風呂入りに来てもいいし、泊まってもいいって言ってくれるんだってばよ」
 ナルトは無邪気に喜んでいるが、イルカの魂胆がわかるカカシは口元を引きつらせて笑うしかなかった。
「イルカ先生ジジイだから風呂大好きでさ、温泉引いちゃったんだってばよ。広いしサイコー!」
「温泉ねえ。で、ナルトは一緒に風呂に入って一緒に寝るわけだ。むさ苦しくないのか〜?」
「ムサクルシイ?」
「う〜ん。イルカ先生ってなんかもっさりしてるだろ?」
「モッサリ?」
 ナルトのボキャブラリーの貧困さにカカシは同意を求めることを諦めた。
「ああ〜。まあ、風邪引くなよ。イルカ先生によろしくな」
「イルカ先生はつるつるだってばよ!」
 ナルトが来た方向に歩きだしたカカシに、鼻水をすすりながらのナルトの声が追いかけてくる。なんというか、イルカとかけ離れた形容表現に、カカシはくるりと振り返っていた。
「つるつる? イルカ先生が?」
「つるつる!」
 ナルトは馬鹿みたいに繰り返したが、カカシの脳裏に浮かぶイルカは着ぶくれて、赤黒い。ごわごわの肌と髪。あれのどこがつるつるなんだ?
「つる・・・・・つる・・・・・?」
 こてん、と首を傾げたカカシはいいタイミングで響いたナルトのくしゃみに悟った。
 あのイルカにつるつるだと言える箇所は一つしかない!

 アソコだ。

「じゃなー。カカシ先生も風邪引くなよ〜」
 手を振るナルトに返しながら、カカシは新しいからかいのネタにほくそ笑んだ。



 

後編