後添い   前編    










 柔らかく降る雨は里全体がかの人の死を悼んでいるようだった。
 泣きぬれる木の葉丸を抱きしめ、ナルトに向けられたイルカの言葉にカカシは覚醒する思いがした。

「理屈じゃない」

 そうだ、理屈じゃない。理由なんて探す必要はない。イルカに惹かれているのはもう疑いうようのない事実だ。
 今までイルカの優しさに甘えるだけで返すことをしなかった。照れくさいが好きだとはっきり告げて、未来を供に生きて欲しいと告げよう。あなたとなら生きていけると、言おう。そうしたら、イルカはびっくりして、けれどはにかむように笑って、抱きしめてくれるかもしれない。あの優しい手が、カカシだけのものになるのだ。



 通い慣れたイルカのアパートのドアの前で呼吸を落ち着ける為に深呼吸をした。がらにもなく、緊張している。SS任務にでも向かうように、手のひらはじっとりと濡れている。緊張して当然か。これは一生に一度の告白だ。男同士だが、結婚を申し込むようなものなのだから。
 ドアを、ノックした。返事がない。いや落ち着いて気配を読めば、部屋の中にイルカはいない。日曜の朝からどこに行ったのだイルカは? せっかくイルカを連れて慰霊碑に行き、報告をしようと思っていたのに。
 ノブをまわしてみたら、開く。鍵がかかっていない。勝手知ったる他人の家の遠慮のなさでドアを開ければ、イルカの存在以前に、部屋自体がもぬけの殻だった。
 わけがわからず台所と6畳一間の狭いところを見渡せば部屋の片隅に、ちんまりと積み上げられている物があった。
 カカシがイルカの家に起きっぱなしにしていた愛読書数冊。その上には、カカシさんへ、とたたまれた手紙が置いてあった。
 ぺらりとめくれば、そこには一言。

“今までありがとうございました。俺、火影様の家に行きます。”

「・・・・・・・・・・」
 単純な文面だ。書いてあることは子供でもわかる。けれど意味がわからない。
 火影の家に行く? 行くのはいいがどうして家を片付けて行かなければならない?
 それにもっと重要なことは、これは、これではまるで、別れの言葉のようではないか!
 そこまで理解がおよんだ瞬間、カカシは脱兎の如く駆けだした。



「イルカ先生! な、な、なんなんですかこれは! まるで別れるみたいじゃないですか俺たち!」
 門をぶち破る勢いで火影の家に駆けこめば、腰にエプロンを巻き付けたイルカが忙しく立ち働いていた。
 里の長の火影には火影専用に受け継がれる邸宅がある。亡くなった今、火影の私物は全て身内の者が住む自宅に運ばれていた。使用人に指示を与えながら、イルカは笑顔で振り返った。
「何言ってるんですかカカシさん。俺たち別れたりしませんよ。これからも里の忍同士、階級は違えどよろしくお願いします」
「え? え? え? じゃあ、この書き置きはなんですか? どうして火影様の自宅に引っ越すんです?」
「ああ。だって俺、火影様の後添いですもん」
 イルカは心なし頬を染めた。
 後添い。なんて古風な言い方。カカシの知識に間違いがなければ、後妻・・・。
「って火影様は死んだんですよ? いやそれよりもあなた男じゃないですか!」
「な〜にいきなり常識ぶったこと言ってるんですかカカシさん。俺たち男同士で散々セックスしてたじゃないですか〜」
 イルカは豪快に笑う。
「あ、そう! そうですよ! 俺たち、セックスもして、恋人同士ですよね? なのにどうしてイルカ先生が火影様の後妻になるんですか? わけわかりませんよ。火影様死んでいるし!」
 カカシがわめくから、奥のほうから木の葉丸が顔を覗かせた。火影の葬儀からわずか三日しかたっていない。未だ目蓋をはらした顔が痛々しい。
「イルカ先生。どうしたんだコレ」
「木の葉丸。ここではお母さんだろ?」
 イルカは木の葉丸を抱き上げて笑いかける。
「でも、イルカ先生がジジイの奥さんなら、ババアだろコレ」
「うーん。そうだな。でもさすがにばあちゃんと呼ばれるのはいやだなあ」
「そうか・・・。じゃあ、母ちゃんかコレ・・・」
「そうだ。そのほうがいいだろ?」
 木の葉丸は二親の顔を覚えていない。はにかみながらも母ちゃんと口にすればイルカがほおずりをして喜ぶ。
「ちょっと! 何二人の世界に入ってるんですか! 俺を置いていくな!」
 カカシがせっぱ詰まった顔で叫べば、イルカは眉根を寄せて明らかに不機嫌そうな顔で溜息をついた。カカシが初めて見る顔だった。
「ごめんな木の葉丸。母ちゃんカカシ先生と話があるから、ちょっと出てくるな。ああ、すぐに帰ってくるから」
 エプロンをとったイルカは先に立って歩き出した。



 カカシはきちんと覚えている。イルカがカカシに告白してきたのは、部下たちを通じて知り合ってまだ間もない頃。
 昼下がりのアカデミーの木陰で愛読書を片手に休んでいたら、目の前に影が落ちた。
 肩をいからせて桃色の頬をしたイルカが、付き合って下さいと頭を下げた。カカシが呆然としている間に、お願いしますお願いしますとぺこぺこと頭を下げる。それはもう必死な様子で、カカシはつられるようにして頷いていた。
 その時のイルカの輝く笑顔はよかった。目尻に涙を溜めながら、ありがとうございますとさらに頭を下げ、体全体から喜びが溢れ出るようだった。
「告白してきたの、イルカ先生じゃないですか・・・」
 行くあてもなく、木の葉茶通りの一軒の甘味屋に入る。外の席に座れば火影岩を見上げることができた。
 イルカはみたらし団子をかじりながら、ぼんやり火影岩を眺めている。
 付き合うことになって、相手の嗜好やらを知る間もなく、カカシはイルカと体の関係を持った。カカシはまずは体から入るようにしている。いつもそうしてきた。好きになるかどうかはそれからでいい。どうしようもなく好きになった後で体の相性が悪ければそれはそれでキツイから。
 イルカもカカシも男と寝るのは初めてだったが、カカシは知識だけは腐るほど持っていた。だからまあ試すようなつもりで抱いてみた。悪くはなかった。けれど特に良くもない。男の体なのだから従順にカカシを受け入れただけでも御の字なのかもしれなかったが。
 イルカは男だから面倒なことはなかったし、いつでもカカシをまるごと受け入れてくれた。居心地が良く、笑う顔がかわいくて、たいして良くなかったはずの体も愛しく思えるようになっていた。
「カカシ先生・・・」
 お茶を飲んで喉を湿らせたイルカはカカシをじっと見つめた。
「俺、あなたに好きだなんて言ったことありましたっけ?」
「・・・・・・は?」
「ですから、付き合ってくださいとは言いました。でも、好きだなんて絶対に言ってません」
「・・・・・・へ?」
「だって俺が好きなのは昔からずっと火影様だけですもん。火影様一筋」
 きゃっ、と頬を両手でおさえたイルカにカカシの口元は引きつる。
「・・・じゃあ、どうして俺に、付き合ってなんて言ったんです? どうして、セックスなんて、したんです?」
「それなんですけどね・・・」
 腕を組んだイルカはしばし何かを考えていたようだが、息を吐き出して横にいるカカシに頭を下げた。
「ごめんなさいカカシさん。俺、あなたを利用しました」
 イルカの言い分はこうだった。
 火影への思慕が恋心に変わり、後妻になりたくて悶々としていた。だが男とのセックスのいろはの‘い’も知らないイルカは悩んでいた。そこに現れたのがはたけカカシ。男とのセックスはどうかは知らないが、廓の女を疼かせるほどのものを持っているとその道に詳しい同僚から耳にして、ご教授願うことにしたのだ。
「だから、‘付き合って’なんですか?」
「そうですそうです」
「勉強だから俺の言うことなんでも聞いて、くれたんですか?」
「そーです! じゃなきゃあいくら男同士でも付き合っている人間が浮気して笑って許すわけないでしょう? 俺は一途な人が好きなんです」
 そうだ。イルカはいつも優しかった。カカシが適当に女と寝てきても迎えてくれ、転がり込んだら世話をしてくれて、時々苛立ちをぶつけるような乱暴なセックスをしても、許して、抱きしめてくれた。そんなイルカに甘えて、いつしか、イルカを本当に愛しく思い始めたのに・・・。それが、それが全て、火影の為だったというのか!
 カカシはゆらりと立ち上がった。
 幽鬼のごとき青白い顔でイルカを見下ろした。
「イルカ先生、俺は、諦めませんよ・・・」
 ふふふ、とカカシは薄く笑う。
「え? 何がですか?」
「俺は、あんたのことが好きなんです」
「ええ!? 初めて知りました」
「今まで言ったことあると思うんですがね・・・」
「だってあの最中に言うのなんて社交辞令のようなものなんじゃないですか?」
 イルカは首をかしげる。その仕草が憎たらしいがまたかわいい。
「あなた、俺とのセックスで結構感じるようになってきましたよね。俺と別れて、耐えられるんですか?」
 カカシが意地悪な気持ちで告げてもイルカは無邪気に笑う。
「だってカカシさんうまいんですもん。俺他には男と寝たことないけど、多分、うまいんでしょうね。うまい人とやればそりゃあ気持ちいいでしょうよ。もし耐えられなくなったらお願いしていいですか? あ、カカシさんも俺とどうしてもしたくなったらお相手しますよ。でももうサービスはしません。勉強する必要なくなったんで」
「じゃあ! 今まで舐めてくれたり乗ってくれたり真っ昼間の往来で言うには憚られることを散々してくれたのはみんな火影のジジイとする為だったんですか!?」
「だからさっきからそうだって言ってるじゃないですかー」
 青白いカカシの顔が真っ白になった。燃え尽きた。トン、と指の先でつついただけで今のカカシはくずおれる。そこを気力で支え、歯を食いしばる。鼻の奥がつーんとする。にこやかなイルカの顔が潤んでくる。
「あんたは、あんたは! お、俺を、もてあそんだんだ!!」
 腹の底から叫んでカカシは消えた。

 

 

 

後編