後添い   後編    










 カカシは瞬く間に消えた。
「せっかちな人だなあ」
 イルカはカカシの残した団子を頬張りながら、火影岩を見つめる。
 幼い頃に火影が灯してくれた火は、今でもイルカの中に静かに燃えている。悲しみを表すことができずに友達の前で笑い、本当はくずおれそうになっていた心を救ってくれたのは火影だ。火影とずっと供に居たくて、アカデミーの教師になった。大好きな火影と一緒に暮らしたいと思い始めて、考えたあげくの結論が奥さんになればということだった。夜の営みをカカシから学びつつ告白の機会を伺っていた。
 そんな時、火影岩を前にしての授業中に火影が現れて、里への思いを気負うことなく語られ、イルカはその瞬間に気づいたのだ。妻などにならなくても火影と供にいさせてもらえればそれでいいということに。
 中忍選抜試験が終わったらカカシとの体の関係はすっぱり精算して、火影のそばで生きようと思っていたのに・・・。
 団子をかじったままイルカは項垂れる。
 火影に大好きだと告げることなく逝かれたことだけは心残りだ。だから、火影の代わりに、木の葉丸を立派に育てて恩に報いようと決めたのだ。
 イルカはおもむろに立ち上がると、火影岩に向かって叫んだ。
「火影さまー! 俺は、母親として、木の葉丸を立派に育てますー! 見守っていてくださいねー!」
 ぶんぶんと岩に向かって手を振るイルカを茶屋の客たちは遠巻きに見ていた。



「俺がもてあそばれるなんてー!」
 馴染みの小さな居酒屋でカカシは本日10杯目の中ジョッキを空けてつっぷした。もともと酒は強いのだが、今夜ばかりは全く酔えない。酔うどころかますます心は冴えてくる。
 イルカは自分にべた惚れだと思っていたのに、なんてことはない、三代目との未来の為に利用されたというわけだ。
「ってもお前イルカのこと本気じゃなかったんだろ? お互いさまじゃないのか?」
 無理矢理付き合わされたアスマは暢気に煙草をふかしつつちびりちびりと舐めるように猪口に口をつけている。
「本気じゃ、なかったけど! 気づいたら骨抜きにされていたんだよ!」
 やけくそのようにカカシは叫んだ。
「だいたいなあ、俺としていたことを火影様とやったら間違いなく、火影様は死んでいたね。ジジイには刺激強すぎて一発でおだぶつだったな」
「お前らそんなに凄いことやってたのかよ・・・」
「聞きたい〜? もったいないから教えてやらないけどねー」
 舌をだしたカカシにアスマは思わず煙草の灰をなすりつけそうになった。
「金をもらっても聞きたかねえよ」
 アスマが額をおさえた隙にカカシはとっくりを奪って飲んでしまった。すかさず店員を呼んで一升瓶を持ってこいと言いつけた。目の据わったカカシに恐れをなしたのか店員は超特急で酒を持ってきた。カカシはあっという間に一気飲みをして、酒臭い太い息を吐いた。
 さすがのアスマも唖然として、くわえていた煙草の灰が唇に到達するままにまかせてしまい、一升瓶を抱えたカカシに咳き込んだ拍子の灰を吹き付けてしまった。
 地の底から響くように笑ったカカシは突然立ち上がった。
「・・・・・・突っ込んでやる」
 アスマを含めて店の者全てが半径1メートルほどあけてカカシを囲んだ。今のカカシからなら一般の者でも立ちのぼる黒いチャクラを感じることができるはずだ。
「この瓶を、あの人に、突っ込んでやる!」
 奇声を発して、カカシは空の一升瓶をぶんぶんと振り回した。
「てめえ! めちゃくちゃ酔っぱらってんじゃねーか!」
 アスマの怒号と居あわせた客たち店員たちの叫びが夜の木の葉に響いた。



 無邪気で残酷なハニーもああ見えて中忍。半壊滅状態に追い込まれた木の葉の為にせっせと任務に赴いている。アカデミーが休講の今、下忍担当の名目があるカカシよりも任務をこなす回数は多いようで、衝撃的な告白からまともに話もできずにいた。
 イルカに宣言したとおり、カカシはこのまま身を引くつもりはない。なんといっても火影は死んでいる。死人にはイルカを抱きしめてやることはできないのだから。開発途上のイルカはきっとそのうち体の火照りに耐えられなくなって、カカシさん、抱いてください! なんて言ってくれるはずだ・・・かもしれない・・・・・・そうであってほしい。
 そんなことを思ってカカシのほうこそ日々悶々と過ごしていた。
 思い出すのはイルカの温かな腕、ちょっと美化された笑顔。とにかくなんでもいいからイルカがいい。たとえ火影のために夜の修行に励んでいたとはいえ、日常のなにげない時にまで演技をするような器用さはイルカにはない。カカシが惹かれたイルカは素のままのイルカなのだから。
「イルカせんせー・・・・・・」
 今夜もカカシは火影の自宅の向かいの木の上に座って、明かりの漏れる家を眺めていた。



「カカシ先生ー!」
 夜中だった。寝入りばなにドアが開く。がばりと起きあがったカカシの胸の中にイルカが飛びこんできた。
「イ、イルカ先生、ど、どうしたんですか?」
 イルカは顔中ぐしゃぐしゃにして泣いていた。ひっひっ、と嗚咽をもらしながらカカシの服に鼻水を拭い付けている。しがみついてくるぬくもりが愛しくて、カカシは胡座をかいた膝の上に抱き上げてイルカが落ち着くまで背中をさすってやった。


「き、きいて、ください! こ、木の葉丸が・・・!」
 カカシはティッシュでイルカの赤い鼻をかんでやる。結っていない髪を梳いて、目元についばむようなキスを落とす。
「木の葉丸が、どうしたんですか?」
「木の葉丸がー木の葉丸がー・・・」
 歯を食いしばったイルカをよしよしと撫でてやれば再びだらだらと泣き出した。頭をぶつけてきたイルカに押されてカカシはベッドの上に仰向けになった。カカシの胸にすがったままイルカは溜めていたものを吐き出した。
「木の葉丸が! やっぱり母ちゃんは女の人じゃなきゃやだ、イルカ先生は男だから母ちゃんにはなれないんだコレって、言ったんですぅ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
 イルカの頭を撫でていたカカシの手がぴたりと止まる。口元がひくひくとしだす。
「ジジイの奥さんなんて、おか、おか、おかしいって! イルカ先生はイルカ先生だって! 俺、俺、ショックで、出てきました!」
 今更ながら気づいたが、イルカは巨大な風呂敷包み持ってきていた。ベッドの脇にでんと置かれている。
 う〜う〜と唸りながらイルカは泣いているが、カカシは内心、緩む口元を立て直すのに必死で、とうとう口布をした。
 でかした木の葉丸! さすが火影の孫だけある! ここだ。ここでイルカを懐柔できなければ、里一の技師の名がすたるというものだ。
 一瞬にして体勢を入れかえて、イルカに乗る。泣きはらしたイルカが捨てられた犬のようなつぶらな目で見ている。実際今のイルカは捨てられたようなものだ。カカシは口から心臓が飛び出そうだった。
「イルカ先生。俺は、あなたがなんでも、かまいません。おおおお、俺と!」
 鼻の穴が広がるのをなんとかおさえて、告げた。
「ケッコンしてください!」
 言った。言ってしまった。カカシが吹きかけた鼻息でイルカの前髪がかすかに揺れる。
 イルカは何も言わない。じっと、カカシを見るから、カカシも目をそらせない。もしここでイルカが頷かなかったら“足腰立たなくなるまでやりまくりの刑”で言うことをきかせてやると考えていた。
「カカシ先生・・・」
「はいっ!」
 意気込んだカカシにイルカは冷めた目つきで返してきた。
「男同士はケッコンできません」
 そのまま数秒、カカシは石と化した。

「えーと、イルカ先生は、火影様の、後妻になったというか、なろうとしていたん、ですよね?」
「そうですよ」
「それは、要するに、ケッコンってことですよね?」
「違います。男同士だから内縁になります」
 どっちでもいいじゃん。という言葉は懸命にも飲みこむ。イルカの言いたいことはカカシには意味不明だが、ここでうまいこと言わなければならないと、レーダーは反応する。
「え〜とえ〜と、イルカ先生。俺の、ですね、その・・・・」
 結婚は駄目だ。そうじゃなくて。
「カカシ先生。重いからのいてください」
「いや、だから、俺の! あ、愛人になってくださいっ」
「あい、じん・・・」
「そうです! 愛する人、だから愛人」
 カカシは我ながらうまいこと言ったと思う。恋人では駄目だ。それはインパクトがなさすぎる。
 イルカは何事か考えていたようだが、頷いた。
「わかりました。火影様に変わるような人が現れるまで、よろしくお願いします」
 カカシの口はぱかりと開いた。
 それって、俺じゃないんですか?



 木の葉丸に手ひどい打撃を受けたイルカだが、その後も元気に変わることなく任務をこなしている。
 確かに男が奥さんなんておかしいですよねー、と籍をいれたわけでもないのに押しかけ妻を気どっていたことなどさらりと過去に流してしまい、時たま火影の家に通って木の葉丸の面倒を見ている。教員住宅を借りなおして住んでいる。
 イルカの精神構造はカカシには謎だ。けれど最大のライバルがいない今、カカシは気長に待つことにした。
 今日も二人抱き合って疲れ果て、カカシはイルカを抱きしめて眠る。