Nostalgia Epilogue
「そういうわけで、俺、長期任務に赴きます」
木枯らしが吹いた日。イルカはカカシ呼び出した。
大怪我をした事件から二人の仲が特に何か変わったということはなく、イルカはアカデミーと受け付けその他の業務、カカシは下忍担当の合間に高レベルの任務をこなすという変わらぬ日々を送っていた。
軽口をかわしたり、時間があえば飲みに行ったりという関係。忍になると宣言したイルカはカカシから知識を吸収しようとしているようでもあった。
「そういうわけでって、どういうわけなんですか・・・」
缶コーヒーを落とさなかっただけ褒めて欲しいとカカシは思う。イルカはいつぞやの公園のベンチに座って暢気に缶に口をつけていた。公園はすっかりできあがっていたが、冬の夕暮れ時に遊ぶ子供たちの姿はなかった。
「体はすっかりいいんですよ。リハビリの先生も合格点くれました。でもすぐに激しい任務は俺のレベルじゃ無理なんで、雲隠れの里が所属する雷の国での紛争が長引いているそうなんでそこへの支援部隊に志願しました。俺たち忍たちがメインの戦ではないんで、レベル的にはBの上ってとこです。それくらいなら肩ならしにはいいかなと思いましてね」
イルカはなんでもないことのように口にする。実際、なんでもないことなのだろう。報告してくれただけでもよしとしなければならないのかもしれない。それでもカカシは、仏頂面になる自分をおさえることはできなかった。
「2年なんて、長いし、しかも雷の国なんて、遠いじゃないですか・・・。ひどいです」
カカシがぽつりとこぼすと、イルカは笑った。カカシの好きな、優しい明るい顔で。
「たった2年ですよ。思っているより、あっという間です」
「でも、長引いての支援なら、また長引く可能性もありますよね」
「ええ。そればっかりは、ね」
飲みきったコーヒーを乱暴にゴミ箱に投げ捨てたカカシはイルカの横にどかりと座った。
「・・・そんなことないって、わかっているんですけど、ひょっとして、俺のことが鬱陶しいのかなって、勘ぐりたくもなります」
「そんなわけないじゃないですか」
イルカは宥めるように言うがカカシはいまいち信じ切れない。
負い目が、あるからだ。あいつに対して取り返しのつかない仕打ちをした自覚はある。もう詫びることも叶わない。イルカがそうしろと言うならいくらでも詫びるのに。
「ねえカカシさん」
思いがけず近い場所でイルカの声がして顔を上げると、イルカはカカシのすぐ横に顔を近づけてきた。
「俺、過去はもうどうでもいいんです。前を向いて、先だけを見て、生きていきたいんです。俺にそんなふうに思わせてくれたのは、カカシさんなんですよ。そのカカシさんが過去に振り回されないでくださいよ」
「俺を振り回しているのはイルカ先生です」
カカシの拗ねた発言にイルカは苦笑した。
「とにかく俺は行きます。カカシさんには餞別さしあげますよ」
イルカはポケットから取り出したものをカカシの前で開けて見せた。
カカシはぽかんと口を開ける。
「イルカ先生。それは・・・」
「弟が持っていた俺のじゃなくて、えーと、元は弟のものだった、今は俺のもののほうです。家の整理してたら、持ってました。捨ててなかったようです」
青い塗りの小さな首飾り。開いた鏡はしまい込まれていただけあって、きちんと姿を写すことができた。カカシの手の中に落として、イルカはもう一つ傷のついた緑の塗りのほうを取り出した。
「俺は、これを持って行きます。これだけが唯一持って行ってもいい過去かなって思えるんですよね」
「俺は、イルカ先生・・・」
「え?」
「俺は、連れて行ってくれないんですか?」
膝の上で拳を作ったカカシはこみ上げてくるものに逆らえずに口にしてしまっていた。
「好きなんです、イルカ先生。イルカ先生が、好きなんです」
「カカシさんのことも連れて行きますよ」
イルカはけろりと口にした。目を瞬いて首を傾げている。
「俺も、志願して、いいんですかね・・・?」
「馬鹿言わないでくださいよ。カカシさんにはここでやるべきことがあるでしょう」
すげなく否定され、カカシはずんと沈む。
「連れて行くって・・・」
「だから」
イルカは自分の胸に手をあてた。
「俺の体の中に、カカシさんの血が流れているじゃないですか。カカシさんあの時俺に輸血してくれたんでしょう? 俺の中にカカシさん、いるじゃないですか」
イルカは、思いがけないことを言う。確かに、あの時輸血を申し出たが、片目を移植しているカカシの血が受け入れられるはずもなく、力づくで手術室から追い出された。
「俺は、輸血なんてしていませんよ」
「わかってますよ。でもカカシさん暴れたんですってね? 自分の腕切って、俺の血を輸血しろって。そんなことしてあなたに輸血が必要になるところだったんじゃないですか?」
呆れながらもイルカはくすくす笑う。
「それなら、俺の血なんて、流れてないじゃないですか」
「流れてますよ。だってあなた、結構深く腕を切ったっていうじゃないですか。その血が飛び散って俺にもかかったって聞きました。その時、あなたの血は一滴二滴でも、俺に入りましたよ。だって俺感じますから。あなたがいるって」
にっこりと微笑まれて、カカシはもう堪えることができなかった。手を伸ばして、イルカを引き寄せて、ついばむような口づけを顔中に降らせた。
イルカはかすかに眉ねを寄せて困ったなという顔をしていたが、カカシを拒絶することはなく、カカシの気の済むまで好きにさせてくれた。
「時々ね、心臓が脈打つ時に、カカシさんを思う時があります」
ほんとに、時々ですけどね。
憎まれ口をたたくイルカを深く深く抱き込む。
「もし、弟の代わりとか、弟への後悔の償いから俺に優しくしたり、好きだっていうなら、そんなのごめんだって、思ってたんですよ」
イルカの心臓は早鐘のようだ。それ以上にきっと、カカシの心臓は止まりそうなくらいのリズムを刻んでいることだろう。
「でもカガミ先生に聞いたら、カカシさん、ちっとも弟には優しくしてなかったって。どっちかというとひどいことばっかりしてたって・・・ん、イテ」
こんな時に他のオトコの話は聞きたくなくて、軽く噛みついてみた。
「俺だから、俺にだから優しくしたいのかなって思ったりして。弟の代わりじゃなくて、俺だから・・・。なんて思ったら優越感を感じちゃったんですよね。やったって思った時に、あれ? なんでだ? って」
そろそろ本気をだして触れようかと首筋に吸い付いてみた。赤く太い線が残るそこを舌で何度も往復する。イルカはくすぐったいと身じろぐ。
「ねえ。優越感を感じた理由、俺が教えてあげてもいい?」
「やですよ。そういうものは自分で見つけないと、意味がないんです」
イルカの黒々とした目が、真っ直ぐ、カカシを見た。
手に入れたいもの。輝く星。ただひとつのもの。
イルカの胸の上で祈るように両手を組んで、告げた。
「愛してます」
一世一代の告白に、がらにもなく顔が熱くなり、めまいがするほどにこめかみが鳴った。
イルカはおどけてゆるゆると首を振った。
「俺は、わかりません、まだ・・・」
イルカはカカシを胸の上に抱きしめてくれた。触れる肌が熱いのは気のせいじゃないはずだ。カカシはそう思うことにした。
イルカが数十人のチームと里を離れる日。カカシは抜け忍にはならない距離までを追った。悟られることはなく木に隠れ気配を殺し、追随した。
ぎりぎりの場所で、大木のてっぺんに立つ。
追い風が、カカシの髪を揺らす。体がしなる。前へ前へとかきたてる。
草原の中の道。粒ほどの小ささになってしまっているが、イルカのことは見える。イルカだけは、見える。
イルカだけが。
そしてこれは未来の蛇足。
かつての恩師二人を訪れたナルトは、酒の席で黒髪の先生から、馬鹿な話として聞かされた。
2年間で戻ってこなかった人を追いかけるようにして上忍の先生は雷の国に向かった。きちんと手続きを踏まなかった為に危うく抜け忍にされるところだった。馬鹿な行動に怒った黒髪の先生は任務が終了するまでの半年の間、一回も口をきいてやらなかったという。
ひどいだろ? と眉を下げる銀髪の先生は、当たり前です、と強気な黒髪の先生の隣で文句を言いながらもとても幸せそうに笑っていた。
完
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