森の魔物 伍






 皆の輪からイルカはよろけながらもカカシに近づいた。
 誰もが動けずに呆然とするなかで最初に動けたのはイルカだった。
 横向きに倒れたカカシの前で座り込む。忍服はぼろぼろで、口布もほとんど破れて顔が露出されていた。紙のように白い顔がまるで死人のようで、イルカは咄嗟にカカシの心臓のあたりに耳をあてた。
 カカシと話をしたのはついさっきのことだ。体の温かさとか、声とか、きちんとイルカの中にあるのに。それがもうこの瞬間には失われるなんてこと、許せるはずがない。イルカは呻くように叫んでいた。
「カカシ・・・・・!」
「うるさい。重い」
 イルカが顔を上げれば、カカシはぱちりと目を開けていた。イルカは涙を溢れさせた。そのまま、カカシの首根っこにしがみつく。
「よ、かった・・・。カカシ、カカシ、カカシ〜」
 おーいおーいと声をあげて泣くイルカの頭をカカシはぽかりと叩いた。
「泣いてる場合じゃねえんだよだから。撤収の準備」
 負傷しても変わらぬカカシに、まずは皆が安堵の吐息を漏らした。





 終わってみればわずか一晩の出来事。夏の朝はしらじらと明け始めていた。
 誰よりも手当が先に必要なはずのカカシだったが、まずは他の者に施してからでないと受けないと頑として言い張り、医療忍術のエキスパートの年長の上忍は苦笑しながらも命令に従った。
 カカシはアスマとガイのテントに運ばれた。イルカは、目を開けたとはいえ青白い顔をしたままのカカシが心配だったが、自分のやるべきことをやらなければならないと思い、捻挫した足首は固定して、自分たちのテントに向かった。
 テツ、キヨ、タカも行くと言ったが、3人も疲れている。イルカはレイタを預けて一人で行くことにした。
 テントの撤去をするだけのこと。もし。もしもだが残っていた敵が襲ってきたら、その時は刺し違ってでも食い止める気持ちでいた。
 テントの中は寝起きのまま乱雑としており、それぞれの寝袋が散らばっていた。
 片付けは手慣れたもので、ものの10分程度で終わらせることができた。忍具以外に4人の私物と言っていいのはこのひと月の間に手に入れたゲーム機くらいだ。4つのゲーム機を大切にしまう。これがあの4人のものだと思うととても大切なもののような気がしてくる。そして、イルカにはこれを持つ資格はなかったのだなと思う。
 実際の力の差はもとより、忍としての心構えがなさすぎる。里に帰ったら修行に励んで、来年こそは受かるつもりで中忍選抜試験に臨もう。もしも受からなければ、忍自体をやめてしまうぐらいの気持ちでいよう。



 荷物をまとめ、たたんだテントを抱えて皆の元に戻った。
 広場にはいつのまにか暗部が数名到着しており、畏怖と羨望の象徴である動物のお面をつけたまま、カカシに代わって部隊をまとめることになった副隊長の恰幅のいい上忍と話をしていた。
 残りの忍たちも忙しく立ち働き、点在していたテントはいつの間にかカカシが休んでいるものと、他負傷者が手当を受けている大きめのものひとつを残してたたまれていた。
 3人の姿が見えない。
 イルカは落ちつかなく視線をさまよわせたあと、結局カカシが寝ているテントに近づき、入り口のところで入ろうかどうしょうかためらいつつもその場で腰を下ろした。
 何か小さく話している声はするのだが、内容までは聞き取れない。ほとんど読心術のような状態で話しているのかもしれない。
 カカシと話がしたい。
 それは明確に内容を持つわけではないがとにかく何かを話したい。カカシの好きなものや嫌いなもの、ゲームの話だっていい。普通の話がしたかった。イルカが大人げなく意地をはっていたから、せっかく交流を深めることができたかもしれないひと月を無駄にしてしまった。
 もうすぐこの場は撤退する。負傷したカカシはひょっとすると別働隊でここで別れの可能性が高い。そうしたら、いくさ場を転々とするカカシとは今度いつ会えるかわからない。
 ここで悩んでいても仕方ないかと、イルカは思い切ってテントの入り口の布をめくりあげようとした。
「ふざけるな!」
 その時なかから聞こえたのはアスマの声。
「そうだぞカカシ! 青春のやせ我慢にも限度がある!」
 続くガイの声。そして、がたがたと音がする。イルカに耐えられるわけがない。テントの中に飛び込んでいた。
「アスマさん、ガイさん」
 飛び込んで、真っ先に目に映ったのは、押さえつけられたカカシ。上半身裸で、両脇にはカカシのそれぞれの手をおさえつけているアスマとガイ。わけがわからないながらも、赤黒く鬱血したカカシの肌にイルカはわれを忘れた。
「何してるんですか二人とも! カカシ、怪我してるのに」
 二人を突き飛ばして、イルカはカカシの前で腕を広げた。まなじりをあげて睨みつける。
「何があったか知りませんけど、やめて下さい。確かにカカシはクソ生意気でむかつくことが多いちびだけど、立派に隊長としての責任を果たしたじゃないですか! それをこんな、いじめるような真似して、ひどいです!」
 わあっと言い切ったイルカの前で、アスマとガイは目を見合わせる。そしてもう一度イルカを見る。アスマは面倒くせえと口の中で呟きながら煙草を取り出す。顎に片手を当てたガイはしきりに頷いている。
「うんうん。イルカは青春だな。だがカカシに青春指導はまだできていなかったようだ」
「何言ってるんですかガイさん」
 ガイはびっと親指をたてて白い歯をきらめかせた。
「カカシは重傷だ。それをやせ我慢しているから、俺とアスマで無理矢理連れて行こうとしていたわけだ。だがこいつは意地でも拒もうとするから少し痛めつけてでもと、荒療治をしようとしていた! カカシはひねくれもん過ぎる。青春は素直でないといかんな。な、イルカよ」
 最後にはがっしとガイに両肩を掴まれた。
「うるせーよガイ。自分で基本的なことは施したから大丈夫なんだよ」
「けっ。大丈夫なもんかよ。脂汗かいてるくせしてよ」
 イルカはカカシを振り向いた。
 カカシは目を逸らしてしまう。裸の体を見れば、確かに外傷はないのだが、内出血している赤黒い跡は生々しく、いつもは涼しい顔をしたカカシの顔はじっとりと汗をかいており、息をつく音が聞こえてくる。
「カカシのこと、連れて行っていいですか」
 許可をもとめるというより確認の為に聞いた。イルカはカカシに背を向けると無理矢理におぶってしまう。アスマもガイも引き留めはせずに、イルカにまかせてくれた。





 なるべく振動を与えないように静かに歩く。カカシは4つ年下ということを差し引いても驚くほど軽くてイルカにはショックだった。孤児院でカカシと同い年の誰にもおよばない。小さな身に引きくらべて追わされる責任はなんて重いのだろう。
 カカシは大人しくイルカにおぶわれ、両手を肩においてくれていた。首筋の辺りにカカシの息があたることに安堵する。本当に、カカシが死ななくてよかった。
「イルカ」
 イルカはずっと黙り込んでいた。それをいぶかったのか、気遣うようなカカシの声だった。
「イルカ、怒ってるのか?」
「ああ。怒ってる。めちゃくちゃ怒ってる」
 しゅん、とカカシの気配が沈む。イルカは苦笑した。
「ばーか。カカシに怒っているわけないだろ。自分に怒っているんだよ」
「なんで・・・?」
「自分が情けなくてさ。カカシもテツもキヨもタカも俺より小さいのに立派に忍として働いているだろ? 俺はものすごい甘ったれだったってわかった。だから、里に戻ったら修行積んで絶対に来年の中忍試験受ける。受けて、受かってみせるからな。カカシに約束する」
 イルカの決意の言葉に、背中のカカシが小さく笑った。
「そっか・・・。せいぜい、幻術には気をつけろよ」
「まかせろ。今回のことで幻術破りは完璧だ」
「よっく言うよ〜」
 カカシが、笑っている。生きているから、笑える。当たり前のことで、腹の底から暖かくなってくる幸せをイルカは知った。



 昼までにまだかなりの時間があるのだが、夏の陽は天頂のポジジョンにじりじり移りつつ、容赦ない日差しを照らしていた。昨晩からにかけての出来事が嘘のような平穏。昨日のドラム缶にまた火をおこして、イルカとカカシは一緒にお湯に浸かっていた。
 ぬるめの湯が疲れた体に心地いい。
 おんぶしたカカシを河原に連れてきて、泥や血で汚れた体を洗ってやった。なるべく体に負担をかけないように気をつけたが、時たま顔をしかめるカカシにはらはらして仕方なかった。
 自分で医療忍術を施したとはいえ、カカシの肌は元の白い部分をさがすのが困難なほど鬱血部分が広がっていた。本当に痛くないのかとイルカは何度も聞いたが、見た目がひどいだけだと言う。カカシに無理をしている様子はなく、イルカも引かざるをえなかった。
 やっと湯に浸かった時にはイルカは思った以上に疲れていた。
 思わず溜息をついてしまえば、カカシが口の端をあげてにんまりしていた。
「年よりくせえな〜。イルカはお疲れかあ?」
 からかわれても、今のイルカには反撃する余裕はない。カカシの口の端も赤く腫れ上がっており、明るい陽の元で見ると、倒れ込んでもおかしくないような体中の赤黒い跡に気が滅入った。
「俺、役立たずでごめんな、カカシ」
「なんだよ。イルカが役立たずなんて今更だろ?」
「うん・・・。そうなんだけどさ」
 イルカは俯く。口のあたりが湯に潜ってしまい、ぶくぶくと泡をたててみる。わかっていることだが、改めてズバリと言われると傷つく自分がいる。それが未熟なんだと思う。
 ああ。このまま底まで沈んでしまいそうだ。
「イルカ、こら」
 いきなり頬を両側からつままれて顔を上向かせられる。
 目の前のカカシは水の膜のむこうで歪んでいた。
「ほんっとによく泣くなあ」
 子供のくせに、大人びた手つきでカカシはイルカの涙を乱暴に拭った。そのままイルカの頭を抱きしめた。
「こういうこと何度も言いたくねんだけどな、イルカは馬鹿だから言ってやる。イルカはイルカの与えられた仕事をちゃんとこなして、役だったんだからな。いくさ場に呼びつけられて子守かよって、心外だったかもしれないけど、レイタには必要だったんだ。だから立派に仕事をしたんだって、胸はれよ。な?」
 耳元に響くカカシの声は深くイルカの心に届いた。思いやりに満ちたその声に、イルカはまた泣いていた。情けないと思いつつも止まらない。
「イ〜ル〜カ〜」
「・・・っって!」
 いきなりカカシはイルカの下の毛をひっぱった。
「あ。抜けた」
「い、いてーじゃねーか!」
 痛さゆえの涙で睨めば、カカシはなにくわぬ顔ですましていた。
「もう毛もはやした大人なんだろう? つるつるのガキの俺が我慢してるんだからイルカもいいかげん泣くなよな」
 カカシが指先につまんでいる毛はひったくった。なんとなく羞恥に顔が赤らんだまま、お湯をカカシの顔にかけた。
「お、けが人にむかって何すんだよ」
「急にけが人ぶるな!」
 ばしゃばしゃばしゃとかけ続ければカカシも応戦してきた。二人して盛大にかけっこをしていたら、いつの間にか湯は少なくなり、イルカより頭ひとつ低いカカシの膝の少し上あたりまでになっていた。
 息をつきながらずぶぬれの互いを見て、同時に吹き出していた。カカシは肋骨のあたりをおさえながらも二人の笑い声は夏の空に向かって抜けていった。





 カカシと連れ立って笑いながら集合場所に戻ったイルカをむかえたのは3人の悲痛な泣き顔。
 テツの腕の中にはすでに息絶えたレイタが布にくるまれていた。





 いいわけめいた言葉を連ねるカカシを振り切って来た道を走って戻る。
 森で見つけた時から長くないことはわかっていた。でも見捨てるに忍びなく、面倒を見てやりたいと思った。その為にきちんと世話ができる者が必要だった・・・・。
 そうかよそうかよ。それなら俺はレイタの死を看取る為に呼ばれたようなものかよ!
 なのに。
 結局最後の最後、看取ることもできずに、死なせた。
 そんな自分が不甲斐なくて、そのくせあの場にいたら4人に当たり散らしそうで、イルカは逃げた。
 テントがあった場所で、大の字に寝ころんだ。
 全力疾走したばかりの苦しい息のまま光を閉ざす高い木々を見る。
 顔の前に両手をかざす。手の輪郭がぼやける。ぼやけて仕方ない。
 レイタの小さいけれど確かな感触をこの手は絶対に忘れない。抱きしめた時の柔らかさ頼りなさ。無心な笑顔、泣き顔、言葉をなさない声。泣き声。生きている存在の、ぬくもり。
 絶対に、忘れない。この森で泣くのはこれが最後。





 慌ただしい出発はその日の夜。
 カカシを含む一部の負傷者はこのまま里に戻らずに、火の国のとある街で傷を癒すことになった。
 レイタは明日、荼毘に付されるという。それを見送ることはイルカには許されず、今夜旅立つ。そのことにかすかに安堵している自分がいることがイルカにはわかっていた。
「色々、世話になったな」
 4人の前で頭を下げれば、カカシ以外は皆明らかに悲しい顔でイルカをじっと見る。まるで、行くな、と言っているようだ。
「レイタのこと、よろしく頼むな」
 タカは泣き出してしまった。イルカが剃ってやった丸い頭をよしよしと撫でてやる。階級が上の中忍だが、守ってやりたい弟のようだ。
「イルカ。餞別にこれやる」
 カカシが布袋を差しだしてきた。覗いてみれば、4つのゲーム機。イルカは4人の顔をあっけにとられて見回した。
「俺がもらっていいのかよ」
「だから餞別。ありがたくもらっておけよ」
 カカシが子憎たらしい言い方をしてそっぽを向いた。
 イルカの顔からは笑顔がこぼれた。
「わかった。借りておく。次会った時に返す」
 イルカの約束の言葉に、4人ともが同じように目を見開き、くいいるようにイルカを見た。
 手を広げたイルカは、4人まとめて抱きしめた。
「お前らのこと大好きだからな。また会おうぜ」
 最後は笑顔で。それが暗黙の了解。
 イルカは大きく手を振って、森に別れを告げた。
 魔物なんかではなかった。少し恥ずかしいが、今なら思える。



   この森には、小さな腕白な天使たちがいたのかもしれない。





 里に帰ってから修行、任務とそれなりに多忙な日々を送っていたイルカが4つのゲーム機を手にすることできたのは、あれからふた月くらいは経っていた頃だろうか・・・。
「あーいーつーらー!!!」
 孤児院にイルカの怒号が響く。
 ゲーム機の初期登録の名前は全てイルカ。登録変更できない。やりはじめたばかりの弱キャラの頃。
 イルカはゲームをやるたびに、ゾンビに殺され、銃で撃たれ、敵に必殺の一撃を食らい、ダンジョンで迷い続け、とうとうストレスを爆発させた。
 そして。結局全てのゲーム機を破壊してしまった。





 
仔供部屋 TOP





お・ま・け