木の葉の裏街道と呼ばれる通りがある。
通常任務を受けた場合、旅に出る場合など、国と国との行き来は基本的にはもちろん「あ」「ん」の扉、表の大門から他国に赴くのだが、その扉とは真逆、国を囲む森の奥深くを抜けると、裏街道が開けるのだ。
裏街道の存在はある程度の年齢にならないと教えてもらえない。ある程度の年齢とはすなわち、人肌のぬくもりを欲するようになる年齢。早熟な忍のたまごたちは平均して12.3でその存在を知る。中忍になっていることが基本条件でもあった。
イルカとて無論その存在は知っていた。スリーマンセルの仲間の一人が聞いてもいないのに教えてくれた。そいつはお盛んな奴だったから、中忍になったそばから足繁く通い詰めていたようだが、イルカがそこに向かうのは生まれて三十年ちかくで、初めてのことだった。
木々の梢から梢を音もなく飛びすすみながら、自らの表情が加速して苦々しくなってくるのがわかる。もともと、足を踏み入れたくない場所だ。それが、いやでも出向かなければならないはめに陥った。
アカデミーの7歳児を連れ戻すために。
表門とは違い、明らかに怪しげな濃い朱塗りの鉄門が入り口だ。簡単な結界が張られているがおざなりなもので、たいした用をなしていない。
門は開いている。傍らの木戸のところに門番小屋がある。そこの小窓からイルカは顔をのぞかせた。
「ちょっといいか」
控えめに声をかけたが、奥まったところで椅子に腰掛けて背中を丸めて本を読みふけっている小柄な男は気づかない。
「おい」
身を乗り出して声のトーンに力を入れると、いきなり男は顔を上げた。
「アカデミーの生徒、子供なんだが、ここに紛れ込んだ。門を通過するのを見ていないか?」
声をかけた手前聞いてみたが、忍とは思えない気配に、期待はできない。
案の定男はまたたきを繰り返して、イルカのことをじっと伺った後、しかし予想外なことにいきなり吹き出した。
「野暮だねえ、先生」
「先生? どうして俺が教師だってわかるんだ?」
イルカの返答に再び男は吹き出した。
「ここに額あてつけて、おかたい忍服のまま来るなんて、そりゃあアカデミーの先生くらいのもんだろ」
男は楽しそうだが、イルカは面白くない。憮然として背を向けると男が呼びとめてきた。「おっと先生、ガキなら何人か通ったが、色目的でないガキなら3時間くらい前かねえ」
振り向けば、口元に笑いを残したままだが、男の目の色に嘘はない。正直イルカは驚いていた。さすが門番をまかされるだけあって、見るべきところは見ているということか。
「助かった。ありがとう」
「礼にはおよばないよ。確かにここに入っていったが、どの店かはわからない。探すのも一筋縄じゃあ行かないよ」
含むような男の物言いに、内心イルカは不安になる。いったいこの先には何が待っているのだろう。小さく吐息をついてしまった。男は少し人の悪い笑みを浮かべた。
「先生、ガキの心配もいいがあんたも気をつけたほうがいい。郭の女ってのは初心なお人に結構弱いからね」
「……忠告、ありがとうよ」
「いいってことさ。ああついでに、どうしても困ったら裏通り一の高級妓楼”四代目”を訪ねるといい。三重の塔が目印だ」
”四代目”。ずいぶんご大層な名前をつけたものだ。
重い気分をひきずったままでイルカは未知の世界へと足を踏み入れた。
「おにいさ〜ん、よっておくれよ」
「あ〜らつれないねえ」
「野暮ったい額宛なんて外しちまいなよ」
女たちの黄色い声とでもいうのか嬌声とでもいうようなものが、ひっきりなしにイルカを追う。鉄門から小暗い通りを抜けてひらけたのは仲見世と呼ばれる大通り。ぼんぼりが軒を連ね、路上では客引きをする女たちが溢れている。演技めいた仕草で格子戸から手をさしのべる女たちもいる。体を売ることの後ろ暗さはかけらもなく、女たちは明るい。
「おにいさん」
右に左にと女たちの顔を確かめながらふらふらと歩いていたイルカをとうとう一人の女がつかまえた。
「遊んでいこうよ。サービスするよ」
幼い顔だちの、笑顔が底抜けに明るい女。イルカに触れる手は小さく柔らかい。
「は、はなせ」
「カワイイねお兄さん、真っ赤だよ」
かわいい? どう見ても自分より年下の女にいわれても嬉しい言葉ではない。
「いいから、はなせ」
「い・や」
動揺するイルカをまわりの遊女たちが囃し立てる。
甘ったるい白粉の匂い。耳につく笑い声。派手な色彩の着物。はだけて浮き上がる皮膚。頭の奥がツキンと痛む。冷や汗が、背を伝う。体の危険信号に奥歯を噛みしめる。女の手を乱暴に振り払う直前だった。
「はなしてあげなよ。本気で嫌がっているよ」
柔らかな声。やんわりとイルカと女の手を離してくれた人物。青ざめていることは自覚したまま顔を向ければ、そこには懐かしい人間がたっていた。
「カカシ、先生……」
「こ〜んばんは、イルカ先生」
カカシは粋に薄紫の着物を着流した姿で、左目には黒い眼帯を当てていた。口布は当てておらず、端正な顔は少し鋭角が際立ち、一年前よりも痩せていた。けれど、笑っている。変わらぬ顔で、元気そうに。
「あなたは、無事だったんですね」
「ええ。おかげさまで。長期休暇ですよ」
笑うと細くなる目がひどく優しい。一年間、過酷な戦場で大隊長としての責務を全うしてきた厳しさはそこからはうかがえなかった。
「ナルトもサスケもサクラも、中忍になりましたよ」
「そうですか。イルカ先生はあいかわらず?」
「ええ。アカデミーで……」
暢気に話をしていたが、そんな場合ではないことに気づく。当初の目的を思い出し、イルカは身を翻した。
「イルカ先生?」
「すいませんカカシ先生。オレ、急いでいるんで」
「イルカ先生、目的の女は逃げたりしないよ?」
「そんなんじゃありませんっ。人捜しです」
律儀に振り返ったイルカをカカシはさらに追求する。
「人捜しって、ここで捜すの? 大変だよ。どうするの、セックスしてたらさ」
「し、してません! 7歳の子供がどうしてそんなことしなきゃならないんですか」
「え? オレはしてましたよ」
さも当たり前のように返されて、イルカのこめかみには青筋が浮く。あのときの台詞をまた口にしてやろうか。あなたとは違う、と。
「イルカ先生って、あいかわらず直情系だねえ」
呆れているのか感心しているのか、微妙なニュアンスでしきりに頷くカカシにさらに青筋が浮き立つ。
「そういうわけで、オレ、急いでいるんで」
「でもさっきからイルカ先生店のぞいていたでしょ。あれはなんで? やっぱりついでに遊ぼうかって思って女を物色でもしてたんじゃないの?」
「違います」
きっぱり否定して、なんとか口元をつり上げることができたのは上出来だ。このただれた上忍と話している時間が惜しい。
「じゃあ、オレ本当に」
「一緒に捜してあげますよ〜う。知らない仲でもないんだしー、先生よりここは断然詳しいしー」
イルカは明らかに拒絶反応を示しているのに、気にするふうでもなく、カカシはイルカの手を引いて歩き出す。
「ちょっと! カカシさんっ」
「まあまあ、久しぶりに会ったんだし、里のことなんかも道々聞かせてくださいよ」
「それは後日いくらでもお聞かせします。とにかく今は……」
「子供ね。7歳くらいだとやばいね」
「は?」
いきなりカカシが口にしたことに、イルカは横顔をのぞき込む。カカシはにんまり笑って答えない。性格悪い、こいつ。
イルカは歯ぎしりするような思いでカカシの隣に並んだ。勿論、手はふりほどく。
「カカシ先生」
イルカに答えようとしたカカシだが、大通りを闊歩していると、すれ違う芸子たちがひっきりなしに声をかける。格子戸の向こうからもカカシの名を熱く呼ぶ女たちがいる。客として歩いている男たちまで、なかには軽く会釈する者までいて、カカシが裏街道のちょっとした顔であることがよくわかった。まあ、顔がよくて人当たりもいい、女たちにも優しいのだろう。きっと、もてることだろう。同じ男として羨ましいと思う気持ち半分、お盛んですねと馬鹿にする気持ちが半分だった。
結局カカシとイルカが落ち着いて話すことができたのは竹の腰掛けが外に設置してある飲み屋だった。
「カカシ先生、さきほどのことですが」
熱燗を勧められたがかたくなに固持した。茶を一口、喉をしめらせてからカカシに詰め寄った。
「子供だと、何が大変なんですか?」
「ああ。大変というか、やばいけどいいことですね」
「いいこと? なんですか? ますますわかりませんよ」
ムキになって睨み付ければカカシはにこおと笑う。
「イルカ先生って、本当に野暮ったいね。いい大人なんだから、少しは察してよ」
「大人だろうがなんだろうが、わからないものはわかりませんよ。いいですよ。答えてくれないならもういいです!」
鼻息も荒く立ち上がったイルカの手をカカシはまたつかんだ。
「だから、ここは裏通りなんだよ。子供だろうがなんだろうが、足を踏み入れたら誘惑がまっているの。アンタも誘われたでしょ。子供はね、そっちの趣味の奴らにはたまらないんだよね。陰間茶屋とかに連れ込まれているかもしれないってことでやばいかなあとは思ったわけ。初めてがケツじゃあちょっとかわいそうかなと。でもまあ、いい経験にもなるかなあ。めでたく初体験〜てね」
脳天気に笑うカカシの脳天をたたき割りたいくらいに殺意は沸いた。沸騰する感情のままに胸倉をつかみあげた。
「どこ? どこなんだ? 陰間茶屋って!」
「イルカ先生乱暴〜」
「カカシさんっ」
「そんな興奮しないでよ。えーと、この通りをふたつかみっつくらい入ったあと小道を進んで左に曲がって……」
「もういいっ!」
カカシを突き放すように手を離すと、飛ぶように駆けだした。