眠りの中で結んだ印が連れて行った。
 
 
 
 
 
金木犀の香る小径へと・・・・。
 
 
 

 

秋の花火 壱
 
 

 

 
 力をなくした日差しに夏は去りつつあるこことを知る。かまびすしく鳴いていた蝉の声がだんだんと遠のき、夕刻から夜にかけては虫の音との絶妙な調和をなす。そうして、秋の世界が徐々に力をつけていく。
 その香りから、きっと誰もが知っている花の名が思い出せずにカカシは呆然と立ちつくしていた。塀の向こうからのぞく山吹色の小さなつぶのような花。猫背を少し伸ばして見つめるが、そこに名前が書いてあるわけでもなく、きつい香りばかりが脳を満たす。
 そもそも自分がどこにいるのかカカシにはわからない。空間の雰囲気から木の葉の里には間違いないが、カカシの生活の範囲であるアカデミーを中心にした木の葉の中心からは離れている気がする。普段踏み込まない領域にきょろきょろとあたりを見渡す。
 閑静な住宅地なのかもしれないが、オレンジの日差しに映る景色は静かすぎて、侘びしささえ感じる。木の葉の里は周囲を高い山と深い森に囲まれていることから隠れ里としての機能は十分に果たしているが、そこを無理に切り開いた土地に人々が住み着いたのだから、とにかく建物は密集している。緑の香や人に息苦しさされ覚えるというのに、この場に生の気配はどことなく希薄で、塀の向こうからのぞく家々は屋根瓦が吹き飛んでいたり、壁にはひびが入っていたり、大木が不自然な部分からへし折られたりしている。カカシが立っている通りも、土が抉られていたり、黄土色の塀のところどころ、あかね色の夕日を受けてさらに色濃い黒い染みが点在している。
 殺伐とした、といったほうが正しい光景かもしれない。そんな中、人っ子一人いない通りに充満する花の香が生命を感じさせて、カカシの気を引くのだろうか。
 木の葉の里のはずが、らしくない風景。だが、カカシは知っている。生命のうすい木の葉の里・・・。
「なあ、この花、なんて名前か知っているか?」
 食い入るように花を見つめるカカシの後ろを通り過ぎようとした人間に、カカシは思わず話しかけていた。
「金木犀だろ。おじさんそんなことも知らないのか?」
 聞き捨てならない言葉にくるりと振り向けば、腕を組んでえらそうな子供が、カカシを見上げていた。生意気な子供にがつんと言おうとしたカカシの口は思いもしない人物にぱかりと口があく。
「イルカ先生・・・」
「え? おじさんなんで僕の名前知ってるんだよ? でも僕、先生じゃないぞ」
 ひっつめた黒髪に、黒目がちの目。なによりも間違いようがない、鼻梁を横に走る一文字の傷。ミニチュアイルカ。
「そうか・・・」
 カカシは唐突に思い出した。
 
 うちはイタチの“月読”にやられて気を失った。その直前ガイが助けに入ったことは覚えている。だからきっと命は無事だ。死んではいない。
 無事のはずだが、何故満身創痍だったというのにいつもと同じ忍服で体調は良好で見知らぬ通りに立っているのだろう。しかも目の前にはミニチュアイルカ。
「なあおじさん大丈夫か?」
 微妙に体をひきつつも、黙り込んだカカシが心配なのか、下からのぞき込んでくる。
「うーん。君の名前はうみのイルカかな?」
「なんでなんで? 僕おじさんのこと知らないのに・・・」
「ハハハ〜。上忍になると心の中も読むことができるんだな〜」
「マジで? どうりで俺のとうちゃんとかあちゃんに俺のイタズラいつもばれてたのか・・・」
 カカシの言葉を真剣に信じるミニチュアのこめかみを両側からこぶしにした手でぐりぐりとしめつけた。
「いて、いててててて・・・! おじさん、何すんだよ! いてーじゃねーか!」
「額宛てがずり落ちそうな小僧が上忍つかまえておじさん呼ばわりはよくないなあ」
「おじさん上忍なのかよ? 知らないよそんなの! いたったっ! ぼ、暴力反対!」
「俺ははたけカカシというんだよ、イルカ先生。知ってるくせに」
「だから! なんで僕が先生なんだって! 僕はアカデミーの生徒だ!」
 突然手を離したカカシは猫背をさらに丸めて涙目のミニチュアをじっと見た。顔の半分以上は隠れ片目は額宛てで隠れている十分に怪しい人相のカカシにミニチュアはびくついている。カカシは悪びれずににっこりと目を細めた。
「あー、つかぬことを聞いてしまうが、イルカ先生は何歳かな?」
「・・・十四・・・」
 確か、カカシの知っているイルカは二十五のはず。ということは、十一年前。九尾により里が大打撃を被ってから、一年。たった、一年。どうりで、里から命の気配が希薄なはずだ。九尾は里の民家まではこなかったがそのチャクラが瘴気を呼び起こし、緑は多くが枯れ果て、精神の脆い人間を殺め、過敏な人間を多数狂わせた。塀の向こうに住む人々はきっとまだ息をひそめて生きている。特に、夕方から夜に向かう黄昏どきはまだまだ怖いのだろう。
 十一年前。カカシは暗部にいた。主に里外で、木の葉を他国の脅威から守っていた。
「なあおじさん、具合でも悪いのか?」
 こりずにおじさんと口にするが、イルカはそれでもカカシの心配をしているようだ。一つしか違わないのに、随分と暢気な世界にいたものだ。どうりで、中忍選抜試験の時に甘いことを言ってきたわけだ。
「なあイルカくん。俺は具合が悪いんだ。イルカくんの家に泊めてもらっていいかな?」
「おじさん、家ないのか?」
「ない」
 カカシはきっぱり言い切った。家どころか、この世界では存在自体居場所がない。ミニチュアが拒絶すればそれはそれでかまわないと軽い気持ちでいたが、イルカは妙に大人びた仕草で肩をすくめた。
「仕方ねえなあ。僕んち誰もいないし広いから泊めてやるよ。困った時はお互い様だ。おじさん木の葉の忍なら、家族みたいなもんだろ」
 あっさりと頷いたイルカは背を向けるともう歩き出した。
 誰もいない。そういえば、イルカは九尾の災厄で忍であった両親ともに亡くしていたっけ。
 おおらかというか、警戒心がないというか・・・。九尾の事件をくぐり抜けてわずか一年の人間にてしては脳天気なものだ。
「おじさーん、置いていくぞー」
 足の速い子供が手を振る。カカシもさきほどのイルカと同じように肩をすくめて歩き出した。
 
 
 
 金木犀の小径から曲がり角をひとつふたつ過ぎて、イルカの家に着いた。
 古びた潜り戸から入ると家庭菜園が庭の片隅にこじんまりと作られていた。夏の収穫が終わったのか、掘り返されている土は次の作物が植えられるのを待っているようだ。
 家の裏手、庭側から入ったことになる。縁側のそばには水を汲み上げるポンプがあり、盥がふせられ、物干しには衣類がいくつか干されていた。
 二階建ての標準的な家屋。一階には炊事場まで入れて四部屋、風呂、二階は二部屋というところか。縁側から続く襖が開け放された居間にサンダルを脱いだイルカは入っていくと、ぼうっとしたカカシにあがるように促してきた。体が汚れていないかと脚絆を脱ぎながら考えたが、さっぱりとした体が不思議だった。カカシの中ではイタチと戦ったところで記憶が終わっているのだから、もっと体中がぼろぼろなイメージがあった。
「おじ・・・じゃなくて、カカシさん、お茶でいい? それとも木の葉ビールでも飲む?」
 年期の入った縦長の卓袱台の前でうすい座布団に座ったカカシに、イルカが台所から声をかける。
「おまえ、いっちょまえにビールなんか飲んでいるのか?」
「違うよ。とうちゃんの残りもの。こういうのって、別に腐らないんだろ?」
 父親の残り、ということは、一年前からあるビールということか。
「賞味期限、書いてないのか?」
「えー?」
 缶の底部を見たイルカはそのままビールを冷蔵庫にしまった。
「三ヶ月ぐらい前に切れてる。お茶でいいよね」
「・・・いや、ビールでいい」
「でも・・・」
「いいから、ビールくれよ」
 イルカは何かいいたそうだったが、結局なにも言わずに差し出した。カカシが礼を言うとぎこちなく微笑み、そういえば糠漬けがあったと、また台所でがさがさと探し出す。
 その糠漬けはきっと母親が漬けたものなのだろう。居間と障子で仕切られた部屋の曇りガラスの向こうには積まれた巻物が見える。今はいない両親のものなのだろうか。イルカは思い出の中に囲まれて生きている。それがいいのか悪いのかカカシにはわからない。ただなんとなく、ビールも糠漬けも早くなくしたほうがいい気がして、受け取った。気のぬけかけたビールが思った以上に苦かった。
 
 ミニチュアイルカはべらべらとよく喋る子供だった。十四といっていたが、ナルトなみによく喋る。聞いてもいないのにアカデミーでの自分のこと、イタズラをした成果、友達のことをとめどなく語っている。聞けば、九尾の騒動のため、イルカは下忍にはなっているが任務を引率してくれる上忍はそれどころではなく、今はすべての下忍たちはアマデミーで待機の状態でいるとのこと。早く中忍試験を受けたいのにとイルカの愚痴めいた言にカカシが気のない返事をしているところりと話題を変える。庭の菜園での収穫のことやら天候の話やら。カカシの左目に走る傷を見ては自分とおそろいだと騒ぎ、車輪眼には感嘆し、あまりのうるささに普段は酔うはずもない程度の期限切れのビール数本も手伝ってカカシは悪酔いしそうだった。
 イルカとはたいした付き合いをしていたわけではないが、立ち話や、たまに時間があえば飲みにいくぐらいの仲ではあった。こんなにも喋る男だったろうか? それとも上忍に対する遠慮といったものがあったのだろうか。
「イルカ、俺そろそろ寝たいんだけどな・・・」
「あ、そうか。ごめんごめん。風呂できてるから、一緒に入ろうよ」
 イルカは立ち上がったが、カカシとしては風呂はゆっくり一人でつかりたい。
「今カカシさんが何考えているか当ててやろうか? 狭い風呂で二人なんて窮屈だとか思ってるだろ」
 無言のままカカシが肯定すると、イルカは得意げに歯をだして笑った。
「いいからいいから」
 乗り気じゃないカカシの手を引いたイルカは、台所をぬけて風呂場に導いた。
「どうだ、すげーだろ!」
 にしし、と鼻の下をすって、イルカは得意満面だ。
 湯気がもうもうとたちこめる風呂場は、大人4,5人が余裕でゆったりできる湯船も体を流すところも総檜作りで、心休まる木の香がする。唖然とするカカシからの言葉をイルカは待っている。どうだ、どうだ、とその目が言っている。
「・・・すごい、な」
「だろー? とうちゃんもかあちゃんも、勿論僕も風呂大好きでさ、この家で風呂場が一番力はいってるんだ」
 これで一緒に入っても問題ないよな、とイルカは景気よく脱ぎ始める。つられるようにカカシも脱いで、二人仲良く湯船につかることになった。
 
「ごくらくごくらく〜」
 と足をばしゃばしゃさせて鼻歌を唄っていたイルカだったが、体を洗おうと洗い場の椅子に腰掛けたカカシをじっと凝視して黙り込んだ。
 黒々とした目が瞬きも忘れてカカシの顔と、下肢を移動するのはさすがのカカシもいたたまれなくなった。
「言いたいことがあるなら言ってくれ」
「え? いや、カカシさんの下の毛ってさ、黒くないんだなーと思って」
「・・・そりゃあ、髪の色がこれで、下だけ黒かったらいやだろう」
「え? そうなのか? 髪の色と同じ? じゃあ、赤い髪とか金の髪とか茶色い髪とか、あ、火影さまは白いから、やっぱそうすっとみんな上と同じなのかあ」
 火影の場合は年のせいだとはあえて言わない。へー、そうなんだー、とやけに素直にイルカが感動しているすきに、カカシは石鹸を泡立てていた。しかし再びイルカが凝視しているから、カカシは湯船の端にへばりついているイルカの柔らかな頬を泡立つ手でぐにっとつまんだ。
「今度はなにかなあ?」
「カカヒひゃん、おおひいね」
「・・・それは誰と比べてなのか言ってみろ」
「とうしゃん」
 だと思った。
 カカシは思い出した。いつだったか、木の葉温泉地でイルカと偶然でくわしたことがあり、なんとなく一緒に行動したことがある。その時イルカは今のミニチュアと同じことを言った。まず毛の色が違うことに感動し、次には自分の一物とカカシのそれとを明らかに見比べて、大きいですねー、男らしいですねーと妙に感心して頷いていた。カカシは自分の大きさなどよくわからないが、きっとあのときのイルカも自分の父親と比べていたのだろう。全く、成長がない。
 カカシが頬から手を離しても、イルカはじーっと座った目でカカシの下肢を見て、寂しくため息をついた。
「いいなあ。僕なんか毛もはえていないし、小さいし」
 こしこし、とちょうどその部分を洗っていたカカシは思わず息子を握りこんでしまった。
 確か、イルカは十四・・・。
 にんまり口の端をつり上げたカカシは立ち上がると、イルカの脇に手を差し入れる。有無を言わさずそのまま湯船からあげてしまった。
「なにすんだよ」
 ばたばたと暴れるイルカの両足は自らの脇の下に挟んで封じて、イルカの背に手をまわす。バランスの悪いイルカはカカシの肩に両手を載せた。いい具合に目のあたりにきたイルカの、まだ剥けてもいないかわいらしい息子ちゃんを観察した。ピンク色をしてつやつやして妙に可愛らしい。ちらりとイルカを伺えば、唇をへの字にして頬が染まっているのは風呂のせいか羞恥のせいか、微妙なところだ。
 十四。十四にしては十二のナルトやサスケよりもおそまつな気がする。体もどことなく貧相で、あばら骨が浮き出ている。自分を省みるに、暗部にいた頃のカカシは任務の合間にあっちのテクにも磨きをかけ、そこそこの成果をあげていた。
「かわいーねー。でも安心しろ。大人になればちゃんと毛もはえていたし、それなりの大きさに育っていた」
「ほんと?」
「ああ。俺は見た」
「そっかーよかったー。生えるし大きくなるのかー」
 カカシの言葉の奇妙な部分はイルカには届いていないようだ。しきりに安堵をかみしめている。本来なら相談できたかもしれない父親はいない。十四にしては成長の遅い自分を気にしているのだろうが今の荒れた木の葉ではシモの問題など本人以外にとっては滑稽なだけだ。イルカは自分の小さなものを片手にのせてうんうんと納得したのかしきりに頷いている。
「ありがと。カカシさん」
 あげくに、にっこりと安心しきった無防備な笑顔を向けられ、カカシの胃袋のあたりがもぞっとうごめく。内心首をかしげながらもカカシはイルカを湯船に戻すと、あとはひたすらに体を洗った。
 
 なんとなく、本当にかすかなものだが、よく知ったつやめいた感覚が下半身に集まりそうな気配。それを無意識にも必死に散らした。
 
 
 こうしてカカシはミニチュアイルカとの初日を終わらせた。