ひとつ    4    








 ふわふわと風が運ばれてくる。
 目を開ければ、カカシが片肘ついて横向きでイルカに添い寝をしていた。
 片手には団扇。イルカから奪った甚兵衛を着たカカシがイルカと目が合うとにこりとした。
「よく寝てたね。暑そうだから仰いでた」
 ひそやかな声で、囁く。イルカの額の汗を細い指先で拭う。ぼんやりとしたまま、イルカは何も考えずに喋りだした。
「…お祭り、行かなかったんですか?」
「イルカと行こうと思って誘いに来たけど寝てたから俺も寝ようと思ってさ。でーもこの暑さじゃねえ」
 困ったようにいいながらも、カカシは涼しげで、そばにいても体温が鬱陶しく感じることもない。なんだか近くて遠いものを感じた。
「はたけ上忍は、花火、好きですか?」
「う〜ん。そうだなあ」
 団扇からは途切れることなく緩く風が届く。
「好きとか嫌いとかよりもちゃんと見たことあったっけってとこだな俺の場合。ガキの頃に中忍になっていくさ場に出て、そのうち里が九尾にやられて暗部に入ってって感じで落ち着いて里に居たことがあまりない。今が一番里にいるな〜」
「はたけ上忍は、いつ中忍になったんですか?」
「ん? 6才の時」
「ろくさい!? すごい…」
 イルカは素直に感嘆した。6才の頃などイルカはアカデミーにも入学していなかった。毎日が楽しいだけの日々だった。
 イルカが目を丸くしていると、カカシがふふ、と小さく笑った。
「俺のこと、少しは興味でた? う〜れし〜いなっと」
 細められた目が優しくて、イルカは思わず問いかけてしまっていた。
「俺のこと、本当に、好きなんですか?」
「イルカが特別。イルカに触っても気持ち悪くない。それが好きってことなら、好きなんだろう〜ね」
 茶化しているが眼差しは真剣で、イルカは息苦しい。暗がりでも色合いの違う目に見つめられると、吸い込まれそうだ。
 カカシの目と同じ目。同じ人物のはずなのに違う二人。本当に自分はどちらのカカシが好きなのだろう。
「イルカは、花火嫌いなの?」
「俺は……昔は、好きでした。父さんが好きで、自分で、作ろうとするくらい好きで、俺も一緒になって手伝ったりして、でも今は、よくわかりません」
 ビールが今頃回ったのか、なんだか脳裏がぼんやりとする。
「父さんが作った花火を、あげたんです。あの森で、カカシさんと二人で、そしたら俺もうじうじしないで生きていけるかなあって思ったんです。ナルトにも会いに行って、中忍にもなって、俺は、大丈夫です。一人でも寂しくないです」
「寂しいよ。一人は、寂しい。一人で見るから花火も楽しくないんだよ」
 カカシは思いがけず少し強い口調で伝えてきた。
 寂しさは感じて当然のものだ。誰だってきっと寂しい。それを受け入れて寄り添っていけるくらいには、イルカは孤独に慣らされた。もしかするとずっといくさ場にいて、仲間とともに過ごす時間が長かったカカシのほうが、イルカよりも孤独への耐性がないのかもしれない。
「はたけ上忍は、寂しいんですか?」
「う〜ん。イルカにいつまでたってもはたけ上忍って呼ばれることが寂しい」
「何、言ってるんですか…」
 だってカカシはあの人だ。ここにいるのははたけ上忍だ。そうして区別しておかないと、二つのものがひとつになってしまうではないか。
 カカシに見つめられていることが居心地が悪く、イルカは片手で顔を隠した。
 そして急に落ちてくる静けさ。
 互いのかすかな息づかいと、団扇を仰ぐ音。りりりり…、と庭から届く虫の声。落ち着かない静寂にイルカは溜息をこぼした。思い切って体を起こそうとしたが、思いがけず強い力でカカシに肩を縫い止められていた。
 そのまま、カカシのかすかにかたむいた顔が降りてきて、口を塞がれた。
 閉ざされたままのイルカの唇をはむようにして羽のように優しく触れる。いたたまれなくて、イルカはカカシを押し返そうとした。
「やめてください。俺たち、こんなことするような関係じゃないです」
 カカシは唇を引いて、心持ち目を見開く。
「イルカに言われた通りこの半年の間はほっとんど右手で我慢してたんだよ〜。もちろんおかずはイルカ。俺の妄想の中じゃイルカってばすごいことになっているよ。やらしくて、かわいいの」
 カカシは茶化すように口にしたが、イルカは腹の奥からせりあがってくるものに口元が震え、険のある目で睨んでいた。
「俺、ここで、カカシさんに抱かれたんです。この居間で。
 あの人のこと本当に大好きだったから、喜んであの人の性器を銜えて、飲んで、自分でしてみせて、抱いてもらいました。自分からねだって、すがりついて…。あの人は、俺のこと、愛してくれました。俺は、俺が好きなのは、あの人です、あなたじゃ、ないんです」
 まるで駄々をこねる子供のようだ。舌足らずな震える声で話せば、カカシは困ったように見ている。扱いあぐねているような顔。
「あのさ、イルカ。俺ははたけカカシで、イルカが好きな奴もはたけカカシなんだろ。それなら俺たち同じ存在ってことでいいでしょ」
「違う。だって、はたけ上忍は、ビール、飲めないし、ひらがな知らないし、字、汚いし、クナイ投げるのへたくそだし、俺の自慢の風呂に感動してくれないし…!」
 泣くつもりなんてなかったのに、ぶわっと涙が盛り上がってくる。眼前のカカシはもやがかかっているが、どうやらおかしそうににやにやと笑っている。
「何が、おかしいんですか!」
「だってイルカってば子供みたいなんだもん。かわいいなあって思ったら笑えた」
「か、かわいくなんかないっ」
「はいはい。いいこいいこ」
 カカシは甘やかすように頭を撫でて、目尻の涙に吸い付く。
「泣かないでよ。俺が悪かったよ。ビール、飲めるように努力するし、ひらがなはもう覚えた。字はもっと練習する。クナイも明日投げます、絶対に命中させる。あと、風呂か。風呂は、好きも嫌いもないけど、イルカの家の風呂は大好きになる。他に何か注文ある?」
「ば、馬鹿にして!」
 イルカの振り上げた手はあっさりとカカシにとられる。
 手首をとられたイルカの手の平にカカシはキスしてきた。何度も何度も触れて、指の付け根を小さく咬んで、舐める。優しい愛撫にイルカの尖った気持ちが萎えていく。
「馬鹿になんかしてないって。好きな人の望むことは叶えてやりたいって思うモンじゃないの? 俺はイルカが好きだから、イルカからのクレームは善処しま〜す」
 イルカに覆い被さったカカシは頬を両手ではさんで、額と額を付き合わせてきた。
「好きだよイルカ。前にも言ったけど、俺でいいでしょ。俺にしときなよ」
 イルカの汗ばんだ体が不快ではないのだろうか。カカシはイルカの髪を何度もかき上げて梳いてくれる。
「俺は、よく、わからなくなってます…。カカシさんのこと好きなのに、はたけ上忍がしつこく俺のとこに来るから、なんとなくあなたのこと考えることが多くなって、ます。でもあの人が、ここにいないからって、はたけ上忍が代わりでいいなんて、そんなの、調子いいですよ。寂しいから、代わりが欲しいなんて」
 涙まじりの声で言い募ったイルカにカカシは吹き出した。
「なんだ。やっぱり、寂しいんじゃないの」
「寂しくなんて…!」
 今夜はいつもと違う自分だとなんとなくわかる。チハヤの突然の告白。昔を思い出す花火。だから普段は酔うほどの量ではないのに体中に回って思考回路が正常に働かない。
「あのねえ、イルカ。俺はさ、6才からいくさ場にいて、いつも死と隣り合わせのような生活をしてきたわけだ。そんな環境の中で俺なりに思ったのは、過去を振り返ってうじうじしてる暇があったら、前向きに、先のことを考えて生きていくほうがいいってことだな」
「うそ、だ。だってはたけ上忍は昔のひどい経験のせいで、潔癖症になったって、言ってたじゃないですか」
「あ、それ言われるとキツイんだけど、それもイルカには触れるし、克服しつつあるってことにしといてよ。それに潔癖性になった過去にうじうじしたくないから、ゴム使ってやってたんだし。ほら前向き」
 カカシは悪びれない。
「勝手です」
「そ。俺は勝手なの。イルカもね、もう少し勝手になりなよ。ここにいるのは俺なんだから、俺でいいの。代わりとかそうじゃないとか言ってぐじぐじ悩むな」
 揺るぎのないカカシの言葉に、イルカの手が自然にあがる。目の前にあるカカシの顔。左目の縦の傷をなぞった。赤い写輪眼。希有の瞳。熱心に傷をなぞるイルカを真似るように、カカシはイルカの鼻の傷に触れてくる。
「カカシさん! 俺、俺…」
 言わなければならないことがあるはずなのに、胸にたまった塊は簡単には溶けてくれずに、カカシにすがりついた。
 抱き返してくれる強い腕。その現実に、イルカは身を委ねた。





「すっごいこのお風呂気持ちいいね〜。檜でしょ。いやあ最高だ。あ、もちろんイルカの体の方がもっと気持ちよかったけどね」
 カカシは喜々として体を洗っている。
 対してイルカは未だ呆然としたまま、浴槽の中でぬるい湯に浸かっていた。
 行為が終わったあと、さすがに二人して汗だくになった。体が思うように動かないイルカはカカシに風呂場に運ばれ、のろのろしているうちに体を洗われた。イルカを浴槽に入れると、今度はカカシが体を洗い出した。湯船の中で自分の体を検分したイルカは、ありえないような場所に鬱血が散っていて、そのままくらりと湯に沈みそうになった。
 思い返したくもないが、なんだか執拗な抱かれかたをされた気がする。
 カカシの巧みな愛撫にすぐに反応を返す体をカカシはなかなか開放してくれずに、焦らされ、たまらず懇願してやっと与えられた。一回でも充分だったのに、三回も、吐精させられた。掻き出されたものの量にも唖然としたが、体の奥は火照るような熱をいまだ持ち続け、ぬるいはずの湯なのに熱がこもる。
「カカシさん…、なんか、ねちっこくなかったですか?」
「わかった?」
 やっぱり。
 イルカが浴槽の縁から睨みあげると、カカシは拗ねたように横をむいた。
「謝らないから。イルカが悪いし」
「何で俺が…!」
 勢いよく起きあがろうとしたが、情けないことに腰が痛い。
「だ〜ってさ、あいつに抱かれた時のこと、言うんだもんな。あんなこと聞いて平気でいられるわけないじゃん」
 俺のは生で舐めてくれなかったし、とカカシはぶつぶつ言っている。あのカカシと自分は同じだと言ったのはカカシだ。それなのに…。
 拗ねるカカシが無邪気に身勝手すぎて、イルカは力がぬけた。
「…いつか、気が向いたら、舐めますよ」
「よっし約束! はい」
 差しだされた泡のついた小指。イルカは苦笑して、そこに指を絡めて頷いた。



 イルカが風呂場から出てくると、縁側に座っていたカカシが手招いた。
 ここに来る前に買ってきたという手持ち花火のセット。
 二人で顔を付き合わせて、勢いよく炎が吹き出るものやら、バチバチと飛びちるものやら、静かに炎の花を咲かせるものやらで遊んだ。
「最初にこの家に来て無理矢理イルカのことやろうとして中途半端なことになっただろ? 正直言うとさ、あの時やっぱり無理かなあと思ったんだよね。でもここで諦めたらイルカに嫌な思いだけさせて終わりになっちゃうだろ。それは駄目だって思って、頑張ってみた」
 得意げに、けれどどこか気恥ずかしげに笑うカカシに、イルカは初めて自分から唇を寄せた。

 

 

 










読み物 TOP