ひとつ 1
目を覚ました時の状況が咄嗟に理解できなかった。なぜならそれは理解以前の認識の範疇の外にあることだったから。
あのいくさ場から戻って半年。例年より多く降った雨は緑多い木の葉の里を潤し活気づかせてくれた。天に鎮座する太陽は力を強め、夏に向かって季節は動きつつあった。
昼間イルカは任務が終わるとチハヤの入院する病院に行った。
季節はどんどん力を得るのに、チハヤの容態は正直かんばしくない。強い薬を打ち続ける作用で体はやせ細り、昼夜の別なく眠る時間が多くなり、命の火が一日一日削りとられていくようすが目に見えるようだった。チハヤの婚約者も日々憔悴して、傍で見ているイルカも辛かったが、一番辛いのはチハヤだ。チハヤが笑うならイルカも笑顔を見せた。
落ちこんだ気持ちのまま帰宅し、適当な食事を済ませ、風呂に浸かり、布団に入ったのは結構早い時間だった。チハヤのことを考えるといつもは睡魔もやすやすとは訪れてくれないが、任務がきつかったのか、数回の寝返りでうとうととしだした。
そう。そこまでが眠るまでの記憶だ。だからもちろん目を覚ますときは朝であることが当然だと、考えるまでもなく思っていた。
それが。
「あれ〜、目覚ましちゃったね」
イルカの傍らには、忘れようもない人間がいた。
「カカシ、さん……?」
ぼやける視界の中に優しい笑顔が映り、イルカは咄嗟に大好きなあの人を描いたが、そんなわけがない。散々見慣れた暗部服を着た、はたけカカシがイルカをのぞき込んでいた。
「久しぶりだね。少しやつれたかな」
カカシは、やけに機嫌がよく、イルカの顔をのぞき込んでくる。
カカシがいきなり深夜にイルカの枕元にいることよりもとにかく今の問題は、イルカが全裸だということだ。
口元が強ばる。気のせいにしたいが、体がだるい。明らかに動きが鈍い。それに、香のようなゆるい匂いがする。
「どう、して、あなたが、ここに……。それに、どうして、俺の、体、へん、なんですか」
「それは俺が薬使ったから〜」
「くすり……」
その言葉はイルカの中でじんわりと広がり、どういう事態か思い至った時には殴られたような衝撃を覚えた。もうろうとしてはいるがカカシに対する怒りが湧いてくる。気力で起きあがろうとするが、両肘をついて、お情け程度に頭を上げることしかできない。
「ああ、無理しないほうがいいよ。まだ薬焚いたままだから、大人しく寝ててよ」
「だれっ、が、あんたなんかの、いいなりに…!」
口ではなんとか言い返しても力が入らないのは事実でぎりぎりと歯がみしてカカシを睨み付けた。カカシは余裕のていでにんまりとすると、鼻歌なぞを唄いながら次々と服を脱いでいく。あっという間にカカシも裸になった。
いそいそと近づいてくるカカシにイルカははっきりと恐怖を覚えた。
「あのいくさ場ではひどいこといっぱいしてごめんね。俺もまだまだガキだったってことで水に流してね」
のしかかってきたカカシの満面の笑顔が怖い。だがそれを悟られるのも癪で、イルカはせいいっぱいの気持ちで睨みつけた。
「そんな怖い顔しないでよ。俺さ、イルカの友達ちゃんと助けたからやっと会いにきたんだ。ご褒美ちょうだいよ」
カカシはためらうことなくイルカの頬に触れると、鼻の傷のあたりに音をたてて口づけてきた。
イルカはカカシが触れてきたことより、カカシが口にしたことのほうに気がむいていた。
「チハヤの、こと、ですか?」
「うん。そんな名前だったっけ。さっき病院に行って、医療班立ち会いの元で術を施してきたから2,3ヶ月で元通りになるんじゃない?」
「ほんとう、ですか……」
「なーんで嘘つく必要あるの。そんなことしたらますますイルカに嫌われちゃうでしょ」
拗ねたようにカカシは口を尖らせる。色違いのその目に嘘は感じられずに、イルカは強ばっていた体から力が抜けていくのがわかった。カカシが何を考えているのかはわからないが、チハヤを助けてくれたことが事実ならカカシに対するわだかまりが少しばかりそげ落ちていく。
「あり、がとう、ございます」
「喜んでくれた? じゃあ今度は俺にご褒美ちょうだいね」
口にするやいなや、カカシはイルカにキスしてきた。ただのキスではない、口を引き結ぶことも叶わないイルカの中に舌を悠々といれて貪るようなキス。好き勝手にされて、口元が唾液でべとべとになる頃にやっと離してもらえた。息があがったイルカから体をおこしたカカシは満足気な紅潮した顔をしていた。
「ごめんね、こんなことして。でも俺どうしても、イルカと試したいんだ。イルカとやる気は満々なんだけど、ほら、いきなり生で触れるとなると、俺としても緊張するし、暴れられたら乱暴なことしちゃうかもしれないし。だから自由を奪わせてもらったから」
べらべらと喋って無邪気に笑うカカシはイルカの恐怖心を煽るばかりだとわかっているのだろうか。
確かにあのいくさ場でカカシに何度も触れられたし、抱かれもした。だがそれは直接的な交わりではなかった。それを突然夜中に訪れて、裸になって、イルカの体の自由を奪い、これから抱くと宣言している。ごくりとイルカの喉は鳴る。少しでもカカシから距離をとりたくて力の入らない体をなんとか動かそうとやっきになる。
「無駄な抵抗はしないほうがいいよ。勝手にやらせてもらうから、イルカは大人しく寝てて」
「ふざ、けるな」
「ふざけてませーん」
カカシはイルカの両足を大きく開いて、その間に体をいれた。閉じたくてもいうことをきかない体がイルカにはのろわしい。イルカが懲りずになんとか体を動かそうとするのを気にもとめずに、カカシは屈みこんでイルカの性器に直接触れてきた。
「やっぱりさあ、これ舐めるのが王道だよね。基本ってやつかな」
カカシが性器を手の平に載せて撫でる姿にぞっとする。
検分するようにしばらく撫でていたカカシだが、覚悟を決めたように頷くと、いただきます、とふざけたことを言って、とうとう口に含んだ。
「!」
生温かな感触にますますイルカの中心は縮こまる。ぼやけた視界の中のカカシの姿に目眩さえ覚える。カカシは無心に舌をうごめかし舐めている。
水っぽい音がして、カカシが口の中から出し入れする姿を見たくないのに硬直したイルカは視線を逸らすこともできない。イルカと目があったカカシはにこりと笑って、口の中に含んだまま、くぐもった声で気持ちいいかと聞いてくる。先端を舌でつつかれるが、イルカは得体の知れない恐怖のあまり、申し訳程度に反応することしかできない。
「うーっん。なかなか勃たないねえ、こいつ。俺がヘタなのかなあ。まあでもそうか。俺こんなの舐めるの初めてだしなあ。いつもほら、人に舐めさせてばっかりいたからね〜。イルカのほうが上手かったね。あ、でも俺学習能力高いからすぐ上手くなるし、イルカのこれ舐めるの嫌じゃないなあ。いくさ場でさっさと試しておけばよかった」
カカシはのほほんと半勃ちのイルカの性器をつついたり、いたずらめいた舌で舐めたりとご機嫌だ。
「も、やめろ」
必死で絞り出したイルカの声などカカシは聞いちゃいない。あろうことか自分の膝の上にイルカの体を乗せて、奥まった部分がカカシの目にさらされる。傍らに用意していた小瓶を掴むと中身を手に開けて、イルカの中に指をさしてきた。
「ちょっ! あんたっ!」
羞恥なんて感じなかった。怒りが体をかっと焼く。火事場の馬鹿力とでもいうのか、イルカはがくがくする腕を叱咤して起きあがると、不自然な体勢からカカシに腕を振り上げようとした。
だが、吐息のようなカカシの声が先に耳に届く。イルカの中を熱心にさぐりながら、カカシは溜息を落とした。
「ん……やっぱり、イルカのここ、気持ちいいね…。俺イルカとしたい。すごく、したい」
うっとりと、少し赤い顔をしたカカシがかすみがかったイルカの頭を混乱させる。快楽を現す目の前のカカシが思い出のカカシを彷彿とさせる。イルカはぱくぱくと口を開閉させて、結局気づけば中をほぐされて、足を折り曲げられ、不自然な体勢でカカシに奥をさし出していた。
イルカの反応は変わらず中途半端なのだが、カカシのほうは見事に臨戦態勢となっていた。
「挿れるね。ちょっと、我慢して」
充分にほぐされたのかもしれないが、すぼまった部分に容量の大きなものが無理に入りこもうとするのだから互いに辛いことになった。
イルカは何度もやめてほしいと伝えたが、カカシは自分の世界に没頭して汗だくになって、ぐっ、ぐっと最後まで挿れてしまった。
薬のせいなのかもしれないが、痛みがじんわりと下から沸いてくるが劇的なものではない。目をつむって深く呼吸して痛みを逃そうとしていたら頬を撫でられた。
うすく開けた目の前には、上気した顔で色違いの目を潤ませるカカシ。震える指。熱い息がかかる。
「ごめんね。ちょっと、我慢してね」
イルカの髪を撫で、頬に口づけてくる。イルカはカカシに抱き寄せられて、カカシの上に乗り上げるように向かい合わせで座らせられていた。
ダイレクトに感じる熱い体温、吐息、汗。真っ直ぐに向けられる情欲に濡れた溶けた瞳。
あのいくさ場での無機質な交わりとは違って、生きている人間が確かにここにいる。
いきなり訪れたカカシが何を考えてこんな暴挙に及んだのかわからないが、必死になってイルカを求めてくる姿がとまどわせる。あの人と同じだからかもしれない。
カカシがいささか乱暴に下から突き上げてきた。すがるものが欲しくて、イルカはカカシに手をのばすしかない。カカシはイルカが抱きつくと嬉しそうに笑う。
片方の手を二人の間で縮こまったままのイルカの局所に伸ばしてくる。なんとなく余裕のない手つきでイルカの放出を促そうとするが、イルカはなかなか反応しない。
内からの突き上げと中心をいじられるせわしない状況にイルカはだんだんとせり上がる気持ち悪さにくらくらしてきた。
「は、はたけ、じょう、にん…!」
がくがくと揺れながらイルカはせっぱつまった声をあげた。
「ん…、なに?」
少し動きをゆるめたカカシがイルカをのぞきこむ。
「あれ? 真っ青だけど」
「俺、俺、気持ち、悪っ!」
言葉は最後まで続けられなかった。嘔吐感に負けたイルカは口元をおさえたが、堪えきれずに堰き止められなかった吐瀉物をカカシにかけてしまった。
こんな時、一軒家で良かったと思う。
夜中に洗濯機を思う存分に回しても誰からも文句を言われない。
シーツとタオルケットを放り込んだ。ごうんごうんと回る旧式の二層式の洗濯機の横で、カカシは背中をあずけて放心したように座っていた。
「はたけ上忍、大丈夫ですか?」
薬も効果が薄れ、シャワーを浴びてすっきりしたイルカは浴衣を着てカカシの横に立った。
イルカの替えのパジャマの下だけを身につけたカカシはのろのろと顔をあげた。
イルカより先にシャワーを浴びたのに、いまだ少し青ざめて顔をしてどこか沈んでいる。まあ仕方ないかと思う。あんなに潔癖だったカカシが今夜慣行した暴挙には怒りを通り越して呆れてしまったが、セックスは経験のあるカカシでも、吐瀉物をかけられるなど耐え難いことだろう。
もちろんイルカは謝った。だが必要以上にぺこぺこする気はなかった。不法侵入の上強姦など、イルカはもちろん怒ってもいるのだ。こんなに憔悴していなければたたきだしていたところだ。
「落ち着いたなら帰ってくださいね」
冷たい声で告げればカカシは唇を尖らせた。
「そんなに怒ることないだろ」
「そんなに怒ることです。はたけ上忍のしたことは犯罪です」
「違うよ。犯罪なんかじゃない」
「不法侵入、強姦が犯罪じゃないなら一体なんだって言うんですかね」
「あい」
「は?」
「だから、愛」
はにかんで笑顔を見せるカカシにイルカは頭痛を覚えた。きっとこの半年の間にまたいくさ場を駆けめぐって、どこかで強く頭を打ってしまったのだろう。
「どこ行くのイルカ」
「寝るんです。明日も任務があるんで」
「俺も、寝る」
慌てて立ち上がったカカシをイルカは一喝した。
「だから、あなたは帰ってください。もしもどうしてもここで寝るっていうなら、居間で、一人で寝て下さい!」
イルカの剣幕に、カカシは目をしばたたかせる。
「なんだよ何そんなに怒るわけ? ヒステリー女?」
カカシの無神経さにイルカはついつい手を上げていた。ぽかりと拳骨でカカシの頭をたたく。
「あなたは自分が何をしたかわかっていないようですね。いいですか? ここは里なんです。里で、他人の家に勝手に入って、薬を使って強姦なんて絶対にしてはいけないことなんです」
「強姦〜? 和姦じゃないの? だってイルカ俺のこと好きでしょ」
痛くなどないくせにわざとらしくたたかれた頭を撫でてカカシは図々しくも反論してくる。
「あなたのこと好きなんかじゃありません」
「うっそだあ。いくさ場で俺に優しかったじゃない。あんなことされたのにさ」
自信を持って言い切るカカシにイルカの怒りは爆発した。
「俺が好きなのはあんたじゃないカカシさんだ!」
「俺もカカシだって。っていうより、俺がカカシなの。だってもう一人のカカシって、ここにいないんでしょう〜?」
「い、いなくても、俺が好きなのはあの人だ」
イルカの意地をはったもの言いに対してカカシはあくまでも余裕を見せて立ち上がった。少し高い位置から色違いの目で見透かすようにしてイルカを見る。
「ここにいない奴を思ってても仕方ないでしょ。そのカカシはさ、イルカのこと、抱きしめてくれないんだよ」
カカシは痛いところをついてくる。一瞬言葉につまったイルカだが、負けてたまるかと口を開きかけたところで、不意打ちにように抱きしめられた。
カカシの冷たい肌が頬にあたる。そこから逃れようとするが、背に回ったカカシの手には力が込められる。
「俺でいいじゃん。俺はイルカがいい。だってさ、ゲロかけられても、別にイルカに怒る気にはなれないんだよな。他の奴なら瞬殺だよ。さっきは薬なんて使っちゃったけど、今度は普通にやろうよ。俺は中途半端だったし、イルカは全然良くなかったみたいだしさ。ね、しようよ」
などと甘ったるい声で囁くカカシだが、体は冷たいし、顔は真っ白で、明らかに体調が悪そうだ。そう言えば、さきほど布団の上で性急にイルカの体をまさぐっていたが、余裕はなく、妙に饒舌で、イルカの性器を撫でていた指先はかすかに震えていた。
「はたけ上忍」
「ん〜? ここでやる? それとも2階に行く?」
「どこにも行きません! 気持ち悪いなら無理してやるんじゃない!」
耳元で怒鳴って、カカシを引きはがした。
「一体なんなんですかいきなり。はたけ上忍は接触が嫌だったんでしょう。なのに、なんでいきなり、あんな、あんな、無茶をして…」
「無茶って舐めてゴムなしで突っ込んだこと?」
わかっているくせにいちいち言葉にするカカシにイルカは切れた。
「とにかく! あんたの顔なんか見たくない! 出て行けー!」
体中で怒りを表すイルカにさすがにカカシは色をなくす。
「え、イルカ、何、本当に怒ってるわけ?」
もう返す言葉も見つからず、イルカが2階に駆け上がった。
勢いよく戸を閉めて、鍵などついていないからせめてもの抵抗としてしんばり棒で塞いだ。
部屋の中、シーツを剥がされて折り曲がった布団がみじめだ。今の今まで忘れていたが、今夜、カカシに抱かれた。あんなかたちではあるが、生身の体で抱かれた。
だが愛し合ったわけじゃない。一方的な愛撫。カカシだけが感じていた。それを思うと怒りが腹の底から沸いてくる。
窓を大きく開け放つと、部屋に残されたままだったカカシの忍服とお面と鞘に入った長刀を窓から放り投げた。ついでに叫んでおいた。
「死んじまえー!」
目覚めは最悪だった。
怒りのあまり朝方まで眠れなかった。いきなり覚醒した時にはまず自分の体を検分した。きちんと服は着ていた。部屋にカカシはいない。
戸を開けておそるおそる階下に降りると、居間には誰もいなかった。
丸い卓袱台の上には、手のひらに載るくらいの茶色い革袋と紙が置いてあった。
巻物の切れ端のようなその紙には、文字と思われるものが、黒々と書かれていた。
「げめん…? くへ…?」
まるで字を書くことを覚えたての子供のような、まさにみみずがのたくったような、字のようなもの。
げめん、げめん、くへ、くへ、と意味不明の言葉をしばらくぶつぶつと呟いていたイルカは、いきなり閃いた。
「ごめん、と…食え、か…?」
革袋には兵糧丸。
一体カカシは何がしたいというのか。
首を傾げながらも、イルカは取り出した兵糧丸を一粒含んだ。途端にうへえと顔をしかめる。
「まずい…」
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