夜陰  





 遊ぼうと近付いてくる声。
 振りかえれば闇の向こうから小さな足音が駆けてくる。
「おじさあん」
 闇の向こうに目をこらしてじっと見る。月明かり星明り一つない通りに存在するイルカは闇に同化するかのように佇んでいた。
 闇の中から形を成した子供は、自らの血濡れた頭部を重そうに脇に抱えながらも懸命に駆けてきた。
 イルカの前で止まると、血をまといつかせた顔がにこりと笑う。
「おじさん、遊んでよ」
 その子供のことは知っている。悪夢の夜によく悩まされたものだ。
 ところがどうだろう。同じ子供であることはわかるのにまるで別人。血まみれでも笑う顔は子供らしく無垢で、小粒な白い歯がかわいらしい。かわいらしい女の子だ。
 膝をついたイルカは笑いかけた。
「いいぞ、何して遊びたいんだ?」
 じっと子供の返事を待つ。子供は、そっと頭部を差しだしてきた。
「毬つき…」
 イルカは胸がしぼられるような感覚を覚えた。
 子供の頭をそっと受け取ると、胸にかき抱く。
 きっと、なにが起きているかわからないうちに首を落とされたのだろう。もしかしたら毬つきをしている時だったのかもしれない。そのまま、死んでいることを自覚できずに彷徨っているのかもしれない。
「おじさん?」
「なあ、遊ぶ前に、おじさん、お前のこと、なおしてやりたいんだけどな」
「なおす?」
「ああ、この頭をな」
 イルカは、無残にも胴体からはなされた子供の頭部を首の上に載せた。
「ちょっとおさえていてくれ。できるな」
「うん。できるけど」
 とまどう子供に安心させるように笑いかける。
 マフラーを自らの首からとったイルカはそれを子供の頭に巻きつけて印を結んでみた。
 死んでいる者相手に通じるかはわからないが、イルカは夜に愛されている者だ。
 きっと大丈夫だ。そう信じて、気楽に構えて、いくつかの印を結ぶ。するとどうだろう、子供の頭部はあるべき場所に戻っていた。
「手、下ろしてみろ。どうだ? へんなとこないか?」
「うん……でも、あたしなんか、おっきくなった気がする」
「そうだな、大きくなったな」
 イルカは少女の髪を指でくしけずった。
 血濡れてごわごわに固まっていた髪がするするとほどけて、しなやかな美しい黒髪が現れる。青ざめていた少女の顔には血の気が戻り、ふっくらとした頬は薄く桃色に染まる。思い立ってマフラーをとってみれば、首は完全に体と繋がっていた。
「わあ!」
 少女はおのれの姿に歓声を上げる。くるくると回って喜びを顕し、イルカに輝くばかりの笑顔を向けてきた。
「おじさん、ありがとう」
 イルカに抱きついて、身を離せば、少女の体は鱗粉のような細かな光りに包まれる。
 天に昇る前に、ありがとうともう一度口の動きで伝えてきた。

 何事もなかったかのように、周囲は闇に戻る。
 しばし天を見上げていたイルカだがふっと息を漏らした。口元はゆるやかなカーブを描く。心が満たされる。
 最近は機会があれば彷徨う人々を送っていた。
 カカシと思いが通じてから、確実になにかが変わった。
 以前は無念のままに亡くなった人々の霊はイルカをおびやかす存在でしかなかったが、今は違う。霊たちの生前の姿が浮かびあがり、無念な気持ちを、恨みとなった心を受け止めることが出来るようになった。
 そうして見れば、何も怖いことはなくなった。同じ人間だと思えた。だから自分にできることであればしてあげたいと、そう思うのだ。
 闇に怯えることのない穏やかな日々だが、それをもたらしてくれたカカシに感謝の気持ちを伝えられずにいる。
 いや、そんな堅苦しいことではなくて、カカシと、ふれあえなくなった。




 以前は、闇に追われてカカシにすがった。カカシに抱かれることで心の平穏を保てた。だが今となってはカカシにすがる理由がない。カカシの存在の圧倒的な価値を見いだした今となってはなおさらカカシの元に向かうことにためらいがある。
 カカシが好きだ。カカシもイルカのことを好いてくれているだろう。
 だがイルカは、自分ごときがと思ってしまうのだ。
 霊たちが見えることは特殊なことなのかもしれないが、カカシと自分を同列に見ることができない。そばにいてほしいなんて大胆な願いを口にしてしまったことに後悔さえ覚える。
 だから一週間前の夜、カカシを拒むようなことをしてしまった。
 受付で食事に誘われて、残業を理由に断った。その場では簡単に引き下がったカカシだったが、結構遅い時間に校門をでるとそこにカカシが待っていた。
「イルカ先生、少し飲みに行きませんか? 待ってたんです」
 少し、待ってた、と言われれば断る理由もない。イルカは肯いてカカシの隣を歩き出す。
 カカシはナルトたちとの日常のことや他愛ないことを話してくれるがイルカは相づちを打つことが精一杯だった。間近で感じるカカシという存在に心が高ぶり、体も熱を持つようだった。
 最後に触れられたのはカカシの本当の姿を見たあの夜だ。あれからふたつきほど経っただろうか。なのに、灯った熱は体の奥にずっとある。
「イルカ先生」
 名を呼ばれはっとなり顔を上げれば、顎をとらえられた。口づけられていた。
 もぐりこんでくる舌が熱い。絡め取られて、吸われて、体から力が抜けていく。薄く目を開ければ、カカシのさらしている片目がじっとイルカのことを見ていた。カカシの瞳は鋭く縦に避け、そこにはまごうことなき欲があった。
 イルカがよく知る、熱波のように体を覆う、欲が。
 くらくらと頭がしびれる。このままカカシの背に腕を回せばカカシは応えてくれるだろう。イルカがそうすることをカカシは望んでいるのかもしれない。
 素直にすがれたなら――。
 そう思う気持ちとそれを許さない気持ちが同時にあって、結局イルカは融通のきかない己を持て余しながらも、カカシを押し返そうと動く。
 カカシはイルカの本当の気持ちを見透かしているように、強く、抱きしめてきた。
「んっ……カカシ、先生、はな、して……はなしてください!」
 思わず力の加減もせずに突き飛ばしてしまっていた。
 カカシはよろめくこともなく、イルカとの距離をとる。そのままじっとイルカのことを見つめてきた。
 糾弾されるほうが楽なのに、カカシは何も言わずに、ただ穏やかに、イルカの中の何かを見極めるように見つめるだけだ。
「あの、カカシ先生、俺……すみません」
 何を謝るのか。何に対して謝るのか。
 わからないままに言い逃れのように謝罪の言葉を口にするのは卑怯だろう。
 うつむいたイルカの耳にカカシの静かな声が届く。
「イルカ先生。あなたは何を怯えているの?」
「怯えてなんか!」
 かっとなって顔を上げれば、カカシは困ったような顔をしていた。
「そうだね、悪霊たちに対しては怯えていない。怯えるどころか友好な関係を築いているよね。イルカ先生が怯えているのは、俺に対してだけってことか」
 独り言めいたものいいはどこか寂しげで、イルカは自分から払った手をつい伸ばせば、カカシは絶妙な距離をとって身を引いてしまう。
「カカシ先生?」
 イルカは途方に暮れたような情けない声を上げていた。
 自分からは拒絶するくせに、相手の拒絶には傷つくなんて、なんて、傲慢なのだろう。
「ああ、そんな顔しないでイルカ先生。かわいい顔が台無し」
 茶化すように笑ったカカシはそっとイルカの頬を撫でた。そこに留まる手に、思わず頬をすり寄せる。
「今日は帰りますね。ねえイルカ先生、俺のことが嫌になったわけじゃないよね?」
「好きです。カカシ先生のことが好きです」
 この気持ちだけは疑ってほしくない。だからイルカは即座ににきっぱりとこたえた。イルカの声にカカシは優しい顔になる。
「よかった。安心した。じゃあ、またね」
 一瞬の間に、カカシは消えた。





 自宅に帰りついたイルカは電気もつけずに畳の上にあおむけに寝そべった。
 出るのはため息ばかり。
 閉じた目の奥にはあの夜のカカシの顔。
 傷ついていたような、気がする。傷つけてしまった。
 カカシのことがずっと頭からはなれない。
 それなら会いに行けばいい。それだけでカカシは喜んでくれる。
 だが今となってはどの面下げてカカシの元にいけばいいのか、わからない。
 まとまらない考えに寝返りを打ったイルカは、窓の外が淡く光っているのを確認して起き上る。窓を開けてアパートの敷地の芝生を見れば、白い虎がいた。イルカのことを伺うようにそっと見上げている姿がいじましい。
「上がれよ」
 イルカの声掛けに虎は地を蹴る。
 開け放した窓からしなやかに部屋に入り込んだ虎は音もなく着地する。霊たちにとっては人の世界の物理的な遮蔽物など意味のないものだが、虎はイルカの許可を得なければ部屋に入ろうとしない。
 虎と会ったのは、カカシと気まずい別れをした夜だ。
 打ちのめされた気持ちのまま自宅への道を呆然と歩いていれば、途中にある雑木林の奥に、白いものが佇んでいた。瞬きを何回か繰り返しその姿の輪郭を完全にとらえれば、体を無数の矢で射抜かれた白い虎だった。体躯はまだ成長の途中だったのだろう、ほっそりとしている。成獣ではない。
 白い毛皮は矢傷でどす黒い血に汚れ、明らかに致命傷と思われる傷が見える。この虎もまた死んでなおさまよう霊ということか。
 イルカは気負うことなく虎に近づいた。
 虎はかすかに威嚇するように喉の奥で唸るが、敵意は感じない。
 イルカが触れようとすれば一瞬牙をむき出しにしたが、素直に触れさせてくれた。
 宥めるように背を撫でてから、頭部に触れる。そっと触れれば虎の体の力から強張りがとれていくのがわかる。その場に体を横たえて、ごろごろとまるで仔猫が甘えるように喉を震わせる。
「じっとしてろよ」
 イルカは虎の美しい体に無残に刺さる矢のひとつを手にとった。
 今更矢を抜くことに意味なんてないのかもしれない。だがイルカの前に現れたのはきっと何かをしてほしいからだ。
 ならば、血だらけの体躯を美しい本来の姿に戻してやりたい。こんな姿のまま天に戻るのは哀れだ。
 一本目の矢を抜く時には虎は吼えた。宥めながら抜いた跡にそっとイルカの手が触れれば傷口は見る間に塞がれ、最初から傷などなかったかのような滑らかな皮となる。
 安堵してイルカは無数にある矢を次々に抜いていった。
 どれくらいの時間そうしていたのだろう。
 気づけば鳥のさえずりが耳に届く。雑木林の遠い空からも薄い光がさしていた。
 呆然と空を見上げたイルカの頬に虎が舌をのばしてきた。
 べろりと舐められたのは親愛の証なのだろうが虎の舌だ。ざらりと地味に痛い。
「こら! わかったよ」
 笑いながらいなせば虎はぐるぐると喉を鳴らしながら身をすり寄せてきた。嬉しくて、イルカもぎゅっと虎の体を抱きしめる。
 カカシとのことで乱された気持ちだったが、虎のおかげで浮上することができた。
 ひたすら逃れたいと思っていた己に与えられた力だが、最近は役に立つことがわかって嬉しい。
 それもこれもカカシのおかげだ。
 なのにどうしてすれ違ってしまうのか……。

 イルカは畳の上に横たわる虎の胴体に頭を載せてほっと息をつく。
 天に戻ればいいのに、虎は今夜で二度、イルカの元を訪れた。もしかしたらイルカの寂しい気持ちを知って、まだこの場所にとどまってくれているのかもしれない。
「なあ、俺はどうしたらいいんだろうな」
 滑らかな毛皮を撫でながら、イルカはそっと問いかけた。







 ※ ※ ※







 カカシとすれ違ったまま日は過ぎて、気づけばあの夜からひとつき近くがたとうとしていた。
 吹く風に、色づき始めた里を囲む山々に、季節の移ろいを確実に感じるようになった。

 白い虎は、夜ごとイルカの元を訪れる。
 窓から入ることが通常だが、玄関前に大きな体を横たえて、残業帰りのイルカを待っている日さえある。一度イルカがアパートの階下で会った隣室の知人と話しながら部屋の前に来た時にドアの前に寝そべっている虎の姿には驚いたものだ。だがもちろん隣の男には虎は見えていない。体を強張らせるイルカを男は不思議そうに見ていた。
 虎のことを思えば天に戻してやることこそ最上なのに、ついつい寂しさからイルカは虎を迎え入れ、問わず語りに脈絡なく話しかけ、虎の胴体に身を預けて眠る夜が増えていた。
「なあ、俺、カカシさんに嫌われちまったのかな」
 虎の首根っこに抱きついて柔らかな部分の毛に顔を寄せて泣き言を口にしてしまう。
 虎はイルカの言葉がまるでわかっているかのようにイルカに顔を寄せてくる。くすんだ青い色の目がカカシを思い起こさせ、少し寂しい気持ちにさせる。虎にじっと見つめられると、心の中にたまっている物思いをすべて吐き出してしまいたくなる。
「カカシさん、ちょくちょく任務に出てるけど、そんなに忙しくないはずなんだ。でも、あれから一度も会いに来てくれない」  電気をつけもせずに暗いままの部屋で、イルカのため息が深く落ちてくる。
「今日、見たんだ久しぶりに。でも、避けられた」
 瞼の奥には昼間の出来事が再生される。
 授業のない時間だった。翌日の授業で使う巻物を探そうと資料室に向かっている時、渡り廊下で差し込んだ初冬の陽射しが久しぶりにまぶしくて、足を止めた。
 空から地上に視線を戻した時に、アカデミーの敷地に入ってくるカカシを見つけた。銀色の美しい髪が陽を受けて輝くさまが陽射しよりもまぶしい。
 久しぶりに見たカカシの姿に引き寄せられるように、イルカは思考を停止させたままカカシへと足を向けた。
 駆け寄って、抱きつきたいような衝動さえ起こる。
「カカシ先生」
 思わず呼んでいた。
 立ち止まったカカシは、間違いなくイルカのほうを見た。なのに、すぐに顔を逸らすと、そのまま行ってしまった。
 その瞬間の足元が覚束なくなるような感覚をどう言えばいいのだろう。
 自分から避けていたくせに、カカシが避けた途端絶望的な気持ちになるなんて……なんて、調子がいいのだろう。
 イルカとてこのままではよくないのだとわかっている。だがそう思うことと実際の行動がなかなかリンクしないのだ。
 イルカの態度にとうとうカカシは呆れてしまったのだろうか。
 以前のままの関係なら、カカシがイルカを拒絶することはありえなかった。だが今は違う。
 この世ならぬ存在に怯えるばかりだった頃はイルカは境をたゆたう存在だった。それをカカシによって存在をこちら側につなぎとめていられた。だが今のイルカにはカカシにすがる理由はない。イルカは自分の足できちんと立てている。あるがままの自分を受け入れた今となっては、霊たちは恐ろしいものではなくて、人を同じといってもいい存在となっていた。
 カカシはイルカのことが欲しかったとあの夜に言ってくれた。
 出会った時からずっと求めていたのだと。
 カカシは、ここにいることをどう思っているのだろう。
 カカシには帰るべき場所がある。なのにここにいてくれるのは、イルカがいるからだろうか。そう思うのはうぬぼれだろうか。
 もしもカカシがいなくなってしまったら、と想像してみる。
 もちろん寂しい。だがそんな気持ちは風化するものだ。それなりの年月生きてくればそんなこと誰だってわかる。カカシの姿が見れなくても、声が聞けなくても、触れてもらえなくても、きっと忘れる。
 心の中に、思い出の中にカカシがいればそれでいい。
「……」
 イルカは、閉じていた目を開けていた。
「いやだ……」
 思わず声がでていた。
「カカシ先生がいなくなるなんて、嫌だ」
 ここにいることを選んでいるのはカカシだ。
 ならば何にも遠慮することなく、カカシを求めればいい。
 唐突に提示された回答に目の覚める思いがした。
 イルカは立ち上がると、慌てて部屋を出て行こうとした。
 が。
 虎が、イルカを引き留める。イルカの足の甲に前足を置いて、いかせまいとする。
 振り返ったイルカの前で、白い虎は身を起こす。
 え、と思う間にぼやける輪郭。イルカの目の前で、虎は人の形に姿を変えた。
 虎は、カカシになった。
 イルカの口が馬鹿みたいにぽかりと開く。
 ぶるりと頭を振って大きく伸びをしたカカシは左目の額当てを乱暴にむしりとる口布を下げるととイルカの手を引き抱き寄せた。そしてそのまま口づけられる。
 咄嗟に身を引こうとするイルカのことを許さずに、強い力で唇をこじ開けられる。
 侵入する舌にびくりと震えるが、すぐに唾液が混ざり合う。痛いくらいに吸われて、呼吸も奪われる。久しぶりに感じるカカシにイルカの脳裏はくらくらと揺れた。
 ほんの一瞬、意識が飛んだかもしれない。荒く息をつきながら潤んだ目を開ければ、息がかかる近さでカカシはイルカのことをじっと見ていた。
 イルカはいつの間にか畳の上に押し倒されカカシに体を押さえつけられていた。
「カカシ、さん」
 呆然と名を呟けば、カカシがそっと唇に触れ、さきほどの乱暴さとは違う優しい手つきでイルカの額当てをはずし、汗ばんだ額にも舌が触れた。
「いつ、から?」
 言葉少ななイルカの問いにカカシはいたずらめいた笑みを浮かべた。
「半月くらい前かな。あいつはもう天に帰ったから安心して。イルカ先生に別れを言えなかったのは残念そうにしてたけど、いつまでもこの世にいてはいけないからね。また、悪いものになってしまうから」
「そうですか……。ありがとうございます」
「うん。イルカ先生にありがとうってあいつも言ってたよ」
 カカシの手が優しく頬を撫でてくれる。夢見た色違いの瞳に映る自分がいて、イルカは陶然となる。そっと自分からも手を伸ばしてカカシの頬を両手ではさんだ。
「カカシさん」
「はい」
「カカシ、さん」
「はい。なんですかイルカ先生」
 カカシの声が、吐息が、とても労わりに満ちていて、イルカはぶわっと涙を溢れさせていた。
「ごめんなさい、俺、ずっと、どうしたいのか、どうしたらいいのか、わからなくてっ」
「うん。あいつにいろいろ愚痴ってたね」
 茶化すようなカカシの口調に安堵する。カカシは機嫌を損ねてはいない。そう思えば気持ちが溢れて止まらなくなる。
「今日、カカシ先生に無視されて、嫌われたのかと、思って……! おれ、俺、びっくりしたんです。だって、カカシ先生が俺のこと嫌うなんてありえないって、気持ちのどっかで思ってて。だから」
 涙でむせて言葉が詰まってしまう。そんなイルカのことをカカシは楽しそうに見ている。
「落ち着いてくださいよイルカ先生。昼間はごめんね。無視したわけじゃないけど、急ぎの用があって。あと少し意地悪したいなって気持ちが沸いたのは否定しないよ。だってイルカ先生つれなくて、俺のほうが何倍も寂しく思ってたんだから」
 イルカを落ち着かせようとするかのようにカカシは顔中にキスを贈ってくれる。
「俺がイルカ先生を嫌うことがないっていうのは間違いないよ。俺は昔からずっとイルカに惚れているから。夢中なんだよ? 愛してるって言ったでしょ?」
 さらりと口にされた言葉にイルカは目を見開く。
「ほんとうに?」
「本当だよ。イルカは俺の伴侶だと思っている。イルカは、違うの?」
 静かな問いかけに、イルカは息を詰める。カカシのこの世ならぬ瞳がイルカに答えを促している。息を整えて、イルカはカカシから目を逸らさずに告げた。
「違わないです。俺は、俺も、カカシさんのこと、愛して、ます。あなただけが、欲しいんです」
 口にした途端に恥ずかしさがこみ上げるが、カカシがとても嬉しそうにきれいに笑うから、幸せだと顔に書いているような笑顔で抱きしめてくれるから、間違っていないのだろう。
 この気持ちはカカシと分かち合えるものなのだと知った。
「嬉しい、イルカ」
「俺も、嬉しいです」
 ぎゅうと強く抱きしめられたまま数分。カカシがくすくすと笑いながら体を震わせた。
「カカシさん?」
「うん。虎のふりをしてイルカ先生の本音を聞き出そうって頑張った甲斐があったなあって思ってね。俺って、結構健気でしょ?」
 小首を傾げて問いかけてくるカカシは確かに健気でかわいらしくて、イルカも笑ってしまう。体の体勢を入れ替えるとカカシに馬乗りになって、じっと見つめたまま、互いに高ぶり始めている股間を押し付ける。
 ぐっと力を入れて押し付けていれば熱はどんどんと高まって行く。
 ああ、とイルカは熱い吐息を落としてカカシに自分から口づける。
 舌を噛んで、うすい唇も舐めて、唾液を落としこんでそれをカカシに飲まれれば、それだけで背筋がそくぞくと震えた。
「カカシさん、俺、ずっと、あなたに触れたかった。触れて欲しかったんです」
「俺もだよ」
 同じ色を秘めた目を見かわして、そうして夜にふさわしくひそやかに二人小さく笑った。



 久しぶりすぎる逢瀬に、どうしようもなく熱が高まって持て余すくらいだ。
 互いが愛したいと思っているから、手も口も休む間もなく互いに触れて、はりつめた箇所にはどちらもが口で愛そうとして順番も待てずに体の向きを逆にして同時に口に招き入れた。
 愛する者の体液が放出されればすべて飲み干し、もっともっとと名残惜しげにいつまでも舐めしゃぶる。
 そのうちにカカシはイルカの最奥へと指を入れて、舌さえも伸ばし、イルカは浅ましくも腰を揺らす。目の前で屹立したままの愛しい男の凶器にちろちろと舌で触れているだけでも興奮が増してくる。
 イルカはもうたまらずに腰を上げると、自分の指を使って見せつけるようにカカシに広げて見せる。欲しいと直接な言葉でねだれば、カカシは体を起こしてイルカの尻をぐっと強く引き寄せる。爪が肉に食い込むことさえ快楽で、イルカは先端から少し吹き上げてしまう。
 カカシは先端をイルカのそこへ押し付けるだけですぐにいれようとしない。ああ、と声を漏らしたイルカが振り向けば、カカシの頭部にはねじれた角。瞳はとっくにたてに裂けていた。
 イルカと目が合うと舌なめずりして、イルカのことを動けなくさせる。
「欲しいの? イルカ」
 息が乱れて言葉にできなくて、イルカはただこくこくと頷くしかできない。だがその必死さはカカシに伝わったようで、カカシは淫蕩な笑みをみせた。
「そう。イルカはすっかり俺好みの淫乱なこになっちゃったね。ああでも、最初から、子供の時からそうだったかな? ねえ、そうだよね? 俺のこと好きでたまらないんだよね?」
 イルカはただ、頷く。だがカカシはイルカの尻を掴む手に力を込めて、イルカそこから走った痛みに、びくりと震えた。
「ねえ、言って? 言ってよ、俺が欲しいって。俺だけがいればいいって。俺がいればこの世界がどうなってもいいんだって」
 カカシの口調は必死で、イルカの溶解していた意識が戻ってくる。
 カカシは、何が不安なのだろう?
 わからないままにそれでもイルカは息を整えると、カカシにきっぱりと告げてやった。
「カカシさん、だけです。他は、いりません。あなたが、欲しいんです。俺に、ください」
 カカシの顔から、表情が消える。張りつめたような空気に包まれ、けれどそれも一瞬のこと。口の端を釣り上げて満足げに笑ったカカシはぐっとイルカの中に押し入ってきた。容赦ない強さだが、イルカは嬉々として迎え入れ、奥深くに入り込まれた時にはかるくいってしまった。
「久しぶりだからかな、きついね。きつくて、気持ちいい。イルカは? いい?」
 体の奥からの熱に焼かれそうだ。イルカは頷くと、すぐにでも動いてほしくて無意識に腰が動いてしまう。
 そのことを揶揄され、覆いかぶさってきたカカシの尖った舌が耳の奥に入り込み、甘い吐息とともに淫らな言葉をねじこまれ、ひととは形状の違う手が怒張したものをくるんでしごかれて、イルカは甲高い声を上げて身悶えてしまう。
 もっともっととねだればいくらでもカカシは応えてくれる。
 最愛の者との逢瀬。
 気が狂いそうなほどの夜にイルカは抱かれた。





 目覚めてイルカが目にしたのは、惨状だ。
 昨晩、カカシとどろどろに抱き合って、夢うつつの中でも愛し合ったような気がする。
 あおむけに眠るカカシの上で目を覚ましたわけだが、もしかしたら繋がったまま眠っていたのかもしれない。今は抜けているが体の奥が生々しくひりつく感じがする。
 畳の上での行為だったわけだが、ひどい汚れで、畳替えをするのは決定だなとため息とともに考えた途端、イルカは小さく吹き出していた。
 笑いながら、まだ眠るカカシの穏やかな寝顔に口づける。
 非現実的なくらいに、狂ったように抱き合った夜が明ければ、現実のことにすぐに思いをはせることができる自分は意外にタフでずうずうしいのかもしれない。
 そんな自分がカカシとの先のことをうじうじと悩んでいたことを思うとおかしくて笑いが止まらないのだ。
 んん、とカカシが吐息を漏らす。目をこすって何回か瞬きを繰り返して、そうして開けられた異界の瞳。
 イルカのことをじっと見ているうちにいつものカカシに戻っていく。
「どうしたの、イルカ先生? なにが、おかしいの?」
 口調が寝起きであどけないカカシにバードキスを贈り、イルカは笑顔できっぱりと告げるのだった。

「もう、迷いません」と。















おつきあいいただきありがとうございましたー!!! この話は雰囲気で読んでいただければなあと思います(突っ込みなしの方向で///)。お色気シリーズでもあるのですが、エロは力尽きました。がくり。