誓約
その場に生きている者はカカシだけだった。
国境付近で襲われた木の葉の小隊。最近跋扈している山賊たちは思いがけず統制がとれて所持している武器も傭兵なみだった。中忍と下忍で構成された演習中の小隊は数名を残して死亡。駆けつけたカカシたち数名は山上で散らばって山賊たちを倒し、後処理に走った。
最後の者の首をかききり、カカシがまかされた場には生きている者はカカシだけだというのに。
死体がゆらりと立ち上がる。たてない体は這ってカカシににじり寄る。うつむくカカシの顔をしたから見上げてきたのは血まみれの顔。白目をむいて崩れた顔で声帯から声を絞り出す。
言葉にならないうめき。それでもカカシの耳には届く。
ごぽりと吹き出た血がカカシの顔を汚す。カカシは顔色ひとつ変えずに血をぬぐう。
(いつまで、ここに……)
這ってきた手足のない死体がカカシの足にすがりつく。カカシのまわりは死んでいたはずの者どもがすべてつどい群がっていた。
カカシは無表情に死体を蹴り上げ、クナイでもう一度首をかききり、うごめく死体と距離をとる。火遁をしかけてその場を焼く。燃えあげる炎が表情のないカカシを照らし、銀の髪を染める。焼かれながらもなおカカシの元に這い寄ってくる死体はカカシの足下で力尽きる前に、焦げた指を指してきた、カカシの頭部。ただれた肉が笑いの形に口を歪める。思わずカカシは側頭部に手をやっていた。
何も、生えていない。髪の感触があるだけだ。
忌々しさにカカシは焦げた死体を踏みつぶした。
アカデミーは闇に包まれ、唯一ともる職員室の明かりの下でイルカはテストの採点に追われていた。
秋が深まり夜になれば外から入る風にふるりと身が震える。手を止めて立ち上がったイルカは窓を閉めようと手を伸ばしたが、うつむいてから、窓を閉める。呼吸を整え、一拍おいてから顔をあげた。
そこに映るのはイルカだけだ。内心で安堵して確認した窓に映る己の姿は、少し疲れた顔をしていた。ここ最近多忙で睡眠不足のせいかもしれない。
「こんばんはイルカ先生」
「!」
気配はまったくなかった。心臓が大きく打つ。イルカの手の上に重ねられた手甲に包まれた手。イルカにかぶさるようにして背後に立つカカシが窓に映る。振り向こうとしたがそのままカカシの両手がゆるく体にまわり肩口には顔を伏せてきた。
「カカシ先生、どうかしたんですか」
場所を慮るよりも、常とは違った気配のカカシに当惑する。冷たい体、まといつく血の匂い。何よりかもしだす雰囲気が沈んでいた。
「カカシ先生……」
イルカはそっと手をまわしてカカシの髪に触れた、途端。
「さわるな!」
はじかれたように顔をあげたカカシはイルカの手を鋭く払う。
「カカシさん」
イルカが驚きに目を見開くと、カカシは忌々しげに舌打ちして、イルカの手をとって歩き出した。何も言わずに職員室を出て、有無をいわさぬ強引さでイルカを連れて行く。
明かりの落ちたアカデミー。真っ暗な廊下をきしませてふたつの影が移動する。
カカシとはあの夏の日にこらえきれずに訪れて以来、二人きりの時間をもっていない。だからいきなりのカカシのおとないで握られた手が熱くなるのが嫌だった。
カカシがイルカを引っ張ったのはイルカが担任を務める教室だった。イルカを教壇に立たせて、自らは一番前の席の机に猫背のまま座った。
「ねえイルカ先生。さっき、何か見えた」
「いいえ、何も」
「そう。そっか。あの時たくさん犯してあげたからね。まだきいているんだ」
残念、と肩をすくめるカカシの真意がわからずイルカは教壇をおりてそばにいこうとした。だがカカシが動くほうが早かった。イルカと教壇をはさんで向かい合う。のびてきたカカシの手はイルカの頬を包み唇を寄せてきた。とまどいにうすく開いたままだったイルカの口の中に進入を果たした舌は最初からきつく吸い上げて唾液をこぼすほどの激しさでイルカの息までも奪う。
「カ、カシ、先生!」
やっと息をついだ隙にカカシの腕をとこうとするがカカシに突き飛ばされて黒板に背を打ち付ける。息がつまって閉じた目。開けた時には目の前にカカシがいた。口布を下ろした整った顔。抱かれる時にしか見ることがない顔に、イルカはさっと体中に走る衝撃を感じた。カカシの手はすかさずイルカの下肢に布越しに触れた。ゆるく反応を返してしまい、カカシは鼻で笑う。
「イルカ先生、たまってる? 別にいいんだよあれ以外の時に俺のとこに来ても。それが嫌なら女抱きにいけばいいじゃない」
「カカシ先生!」
イルカは体を返された。背に覆い被さるカカシは布越しだった手を直にイルカの中に入れてきた。手甲つけたままのかたい完食が性急に追い上げてくる。カカシの手を止めたいのに、その手を知っている体に力が入らない。息を殺すために口元を押さえることが精一杯だった。
「イルカ先生、声聞かせてよ。俺ね、あなたのあの時のちょっと高めの声好きなんだ。すごいよね、女の子みたいな声が出るんだから。嫌じゃないんだよね本当は。あんなに喘がないでしょ嫌だったら」
カカシはなぶるような言葉でイルカの耳を犯す。首を振って逃れようとするが、くびれのあたりを爪でたどられて、耐えきれずに声があがる。
満足げなカカシが吐息で笑う。もう出したくてイルカは身をかがめるが、カカシは簡単には許してくれなかった。根本を押さえたまま、もう片方の手で器用にイルカのズボンを下ろしてはりつめた性器を外気にさらした。そのまま、まるで子供の介添えをするように黒板のほうへイルカの性器を向ける。
「ここにかけて。授業するたびに俺のこと思い出してよ」
「!」
イルカは必死で身をよじる。だがカカシはびくともしない。イルカのことを熟知した指が解放へと導く。
「や、やめろっ……」
拒絶の言葉を吐いたのが最後の抵抗だった。容赦ない激しい決定的な刺激にぴしゃりと耳を打つ音。ぶるりとイルカは震える。解放のよさにめまいがする。
「あ……」
「いっぱいでたね。やっぱりたまっていたんだ」
きゅっとイルカの先端を搾り取るように揉んで残滓をすくい取ったカカシはイルカの耳元でわざときかせるようにしゃぶる。大きく息をつきながらもイルカは屈辱に脳が焼かれそうだった。カカシは明らかに侮辱している。闇にも白く浮かぶ吐き出したものが情けない。今度こそカカシの手を払い振り向くと、カカシは口元を嘲るように歪めていた。唇にはイルカの精液をつけたまま、細めた目でイルカを斜めに見る。
「なに? よかったんでしょイルカ先生」
イルカは言葉もなく、カカシの頬を張った。そのまま身繕いを整えてしゃがむ。忍服の袖口で汚してしまった箇所を拭う。ぬるりとした液体を拭いているうちに情けなさにぽろりと涙がこぼれる。
「あのねえイルカ先生」
カカシのあきれたような声。
「何ぐずぐず泣いてるわけ。俺にぶつければいいでしょうが。わかってると思うけどあなたのことわざと辱めたからね」
「……」
「いくらでもののしればいい。殴りたいってんならおとなしく殴られますよ」
「違う。そうじゃなくて」
「何が。面倒だからわからないこと言わないでよ」
「俺……、俺には、何もできないんです。カカシ先生が時たまこんなになるのは、こっちにいるからでしょう? 俺は、俺はカカシ先生にここにいてほしいから、だから、あなたに何もしてあげられない。だから」
己の無力さが情けないのだ。長いつきあいだ。カカシが心の均衡を失いそうになるのは決まってこの世界にとどまり続けるジレンマに根ざしている。カカシがこの世界につなぎ止められるのはイルカに原因がある。わかっていて、イルカにはどうすることもできない。あちらに共に行けるのなら簡単なことだ。だが、イルカは怖いのだ。あの禍々しいものどもを生理的に受け入れることができない。あの中に入り込んだならいくらカカシの庇護があってもイルカはつぶれてしまうだろう。
そしてなにより、一人の成人した人間として、誰かの庇護に頼って生きる存在にはなりたくなかった。
拭いても拭いても綺麗にできない気がして、イルカは情けなくなる。それはまるで中途半端な自分の汚さのようで、泣けてきて仕方なかった。
水をくんできて、徹底的にきれいにしようとイルカは立ち上がる。
「あんたは着替えてきなよ。俺がきれいにしとくから」
不意に届くカカシの声。振り向けばカカシはすでに教室を出て行くところだった。
「カカシ先生」
後ろ向きのままカカシはひらひらと手を振る。
「カカシさん……」
途方に暮れるイルカの声。
廊下を歩きながら忌々しさに舌打ちする。
何に対して? もちろん自分に対してだ。何をイルカにあたっているのか。求められて、引きずられそうになるのは自分が弱いからだ。そんなことで動揺するならさっさと戻ってしまえばいい。それができないのなら、したくないのなら、自分が強くあればいい。それだけのことなのに。
「……」
立ち止まったカカシはぐっと拳を握りしめて、廊下の壁に打ち付ける。みしりと音がして、亀裂が走る壁。窓を見れば、そこに映る自分の顔はひどくすさんでいて、わざと口の端を歪めてみた。