■ザ☆中忍 3






「だからねイルカ先生。そりゃあろくでもない上忍はいますよ。でも暴力で解決はダメです。それじゃあ暴力の連鎖が起きるだけですから」
「アニキの仰ることはわかりますよ。ですが、どうしようもない奴もいるんですよ実際」
「そのどうしようもない奴に暴力で対抗したらイルカ先生だってどうしようもない奴になっちゃうじゃないですか」
 カカシはさきほどから座った目でくどくどとイルカに説教を垂れていた。
 アニキとなった当初からは想像もつかなかった状況だが、今ではイルカがカカシのことをアニキと呼ぶことを周囲は当たり前のこととして受け入れていた。なによりもカカシが受け入れている。自然と、受け入れるようになった。付き合ってみればイルカは礼儀と仁義をわきまえた気持ちのいい男だった。
 しかしイルカは多忙だ。上忍の横暴と闘う姿勢を貫いているため周囲で常に小競り合いは絶えず、今日はあっちに明日はこっちにと駆けずりまわり、生傷を絶やすことはなかった。
 里に長い上忍や常識をわきまえた者はなんら問題はないのだが、最近は中忍選抜試験がせまっているため里に呼び戻されている上忍が多くいた。試験の際には他の里からも候補たちを招き寄せるため、常になく警備に力をいれなくてはならない。そのために中忍だけではなく力のある上忍が必要なのは確かだった。
 そんな上忍の中には長い間の外回りが悪い方に影響を与え、横暴であることが当たり前、格下の者は好きにしていいと勘違いしている輩もいた。おかげでイルカの個人的な任務は増えている。常に目を光らせて、中忍下忍から相談を受ければ横暴上忍を呼び出して話をつけていた。
 今日、カカシは個人的な任務を終えて報告をしに受付所にいき仰天した。
 イルカが頭に包帯を巻いて、しかも右目と口もとを腫らしていたではないか。どうしたんですかと詰め寄れば不覚をとりましたとひきつった笑いを見せた。らしくないイルカが気になって、初めて自分から飲みに誘ってみた。飲み過ぎなければと言うことで、こじんまりとした飲み屋ののれんをくぐったのだった。
「まあ、今回のことはこっちのほうも悪かったんすよ。悪い子じゃないんすけど、たまに言い寄ってくる奴にその気もないくせにあるようなフリしちまうことがありましてね。舞い上がっちまった上忍にプロポーズされて、本気じゃなかったってそこで言ったんですけどねえ、まあごめんですむようなことじゃあなかったんすよ。一緒に土下座させたんですけどね、殴らせろって言われたもんで」
 今回の事の顛末を聞いて、カカシは憤慨した。こちらに非があったため、イルカは抵抗することなく殴られたと言うではないか。
 その問題の中忍女というのが、偶然にもカカシが初めてイルカの怖い姿を目にした時にかばっていた女だという。
「なんですかそれ。イルカ先生が代わりに殴られる必要なんてないですよ。当事者に責任とらせればよかったんです」
 カカシはまるで自分のことのように怒るのだが、イルカはちびりとお猪口を傾けて、口の中が染みるのか少し顔をしかめてから、少しふっと笑った。
「そんなわけにはいきませんよ。女の顔に傷なんてつけちゃあ男がすたるってもんですぜ」
 イルカは女性と弱い者の味方だった。
「あいつも俺と同じで天涯孤独なんですよ。ガキの頃から知ってましてね、こんな俺のことずっと気にかけてくれたいい奴なんすよ」
 カカシの脳裏に、一見頼りなげな、清楚な風情のあの中忍女が浮かぶ。男が好みそうなかわいらしさがあるが、カカシの経験上、その手の女が逆に男の心を計算尽くで操るようなことがあるのだ。
「イルカ先生はその女性のこと好きなんですか?」
 ずばりと訊けば、イルカはあからさまにかあっとなりカカシのことを見て、顔の前で大袈裟に手を振った。
「とんでもないッす。あいつはただの幼なじみっていうか妹分みたいなものですよ。それに、俺みたいな奴、誰も相手にしませんって」
 語るに落ちると言うか、否定しつつも実際は結構気になりますと言っているようなものだった。
 なんだかおもしろくない。
 あまりの人のよさにムカムカして、カカシは追加の日本酒の熱燗を頼むと、イルカに説教をはじめたわけだ。
「アニキとして言わせてもらいますけどね、心配してるんですよ俺は。馬鹿な上忍はねえ、いざとなるとどんな報復手段にでるかわかったもんじゃありませんよ? ひとの為に頑張るイルカ先生は偉いと思います。もう脱帽です。でもそれでイルカ先生ばっかりわりをくうなんておかしいですよ。みんな自分の身は自分で守れってんだコンチクショー。それでも忍者かっ」
「はは。アニキも結構言いやしねえ」
 結構過ごしてしまったようだ。ぐだぐだと言いながら体が沈む。テーブルに突っ伏して重ねた両腕に顎を乗せる。向かいのイルカを上目遣いに睨んだ。イルカはにこにこと笑っている。
「なーに笑ってんの」
 失礼しましたと言ってお猪口を置いたイルカは、背筋を伸ばすと、顔を引き締めてカカシに頭を下げた。
「嬉しいなあと思いましてね。ありがとうございます。アニキと見込んだお人ににそこまで気にかけていただいて、俺は幸せ者です」
 イルカは常の姿からは想像がつかない柔らかな笑みをみせる。しかし次の瞬間には真面目な顔になった。
「ですがね、アニキ。自分の身は自分で守れってのは強者の理屈なんですぜ。弱い者はなかなかそうはいきません。弱い者はどんなに頑張ったってどうしようもないことがある。泣き寝入りするしかないのかってことがたくさんあるんですよ」
「それは、そうかもしれないですけど。でも」
「俺が遅ればせながら忍者の端に名を連ねて教師になった時に、馬鹿な俺に辛抱強く指導してくれて仲間にいれてくれたのは、どっちかというと弱い部類の中忍のみんなだったんすよ。火影さまの薦めもあって教師になりましたがね、俺につとまるのかって正直不安でした。けどみなさんよくしてくださいましてね。そのご恩に報いなけりゃあ男じゃねえって思いました。だから俺は大丈夫ですよ、アニキ」
 そんなふうに静かに諭すように言われてはこれ以上カカシにはなにも言えなくなる。
「わかりました。でも、もし、ですね、ものすごくやばいことになって助けが必要でしたら、俺に声かけてくださいね」
 そんなことをつい口にしていた。イルカはとんでもないと首を振る。
「アニキのお手を煩わせることなんて恐れ多くてできませんよ。勘弁してください」
「勘弁しません。いいですか、これはアニキ命令です」
 断固として言った。目を白黒させたイルカはとんでもない恐れ多いと呟いていたがカカシが座った視線を据え続けていると、諦めたようにため息混じりに笑った。
「アニキは、お優しいですね」
 そう言って笑ったイルカのほうがよほど優しい顔をしていた。
「わかりました。ありがたくお受けします。アニキにはかないません」
 肩の力を抜いて、イルカがほっと息をつく。その途端忘れていた痛みを思い出したのか、頭に手をあてて顔をしかめた。
「大丈夫なんですか」
「大丈夫です。やぶ医者が大袈裟に包帯巻いただけですから」
 カカシは手を伸ばしてイルカの側頭部に包帯の上からそっと触れていた。
「アニキ?」
 じっとイルカを見返す。ぱちぱちと瞬きを繰り返す姿が小動物みたいだなあと思ってしまった。
「気を付けてね」


 イルカとは店の前で別れた。
 カカシが歩き出してもしばらくはその場で深く礼をして見送っている。だからカカシはなるべく早足で角を曲がる。気恥ずかしい思いがするがイルカがそうすることで気分がいいのならいいかと思う。
 大きく伸びをして、酔客とすれ違いながら繁華街を自宅に向かって歩く。
 中忍試験が始まったらきっとイルカは忙しくなる。カカシは待機しつつ、子供たちにたまに修行をつけてやったり単独任務に出たりと比較的自由な身となる。
 しばらくの間イルカとは会う機会が減るだろう。
「……」
 なんとなく。なんとなくだが。
 それは寂しいなあと思う自分がいる。特定の誰かと会えないことを寂しく思うことなど久しぶりだ。
 アニキアニキと慕ってくれるイルカのことを実は結構気に入っているのだなとカカシの口元はそっとゆるんで苦笑した。

 ほんわりと和んでいたカカシだったが、ほどなくして、去った方向から喧噪が届いた。
 一度足を止めて振り返る。
「……」
 なんとなく、なんとなくだが嫌な予感がして、カカシは来た道を戻ることにした。小走りになるのは嫌な予感がせかすからだ。
 イルカと飲んだ店を過ぎた数軒先の大きな構えの大衆居酒屋の二階がどうやら騒ぎの元のようだった。
 もしや、と思いつつ人垣を押しのけて店に入る。途端に聞こえてきたのはどんがらがっしゃんとなにかがひっくり返される音と、どすんばたんと人が格闘する音。一階にいる店の客たちは皆席から立ちあがり上の様子を見守っているが、誰も上がっていけない。不穏な怒鳴り声と音がしている場には確かに誰も飛び込めないだろう。
 店の人間とおぼしき者をつかまえて話を聞けば、障子一枚へだてた部屋で二組の団体が宴会を開いていた。それがいつの間にやら障子がとっぱらわれ互いに入り乱れる宴会となった。そこまではよかったが勘定の段になり、片方の団体が一方に支払いを押しつけようとして、一悶着。それが大暴れの喧嘩沙汰になったという。
 聞けばなんてくだらない理由。だがまあ騒動の元は得てしてそういうものだ。
「どちらも忍の方たちです。どうにかしてください。わたしらには手に負えません」
 店主と思われる年配の男にに必死の形相で訴えられ、愛想笑いのような引きつった笑いをもらしつつカカシは二階にあがる。忍相手に一般の者たちは手を出せないし、そもそもからして忍がこんなところで暴れるなど、忍全体に泥を塗る行為ではないか。
 そして。
 注意したばかりだというのに、怪我をしているくせに、そこにイルカがいることは明白だった。
「イルカ先生!」
 二階にたどりついた途端、ふすまを破ってとんできた忍が壁に激突した。
 廊下にはすでに数人の忍がのびている。
 部屋の中は、十人ちかい人数が入り乱れての殴り合いだ。元はきれいに並んでいたはずのテーブルはひっくり返され、料理も酒もしっちゃかめっちゃか、無事な障子はない。壁の掛け軸も絵も傾いて、惨憺たるありさまだった。
 もちろんというかなんというか、イルカはよどみなくこぶしを繰り出し罵声を浴びせていた。
「上忍のクソがあ!」
「イルカ先生!」
 怪我をしている我が身を省みることなくイルカは大暴れだ。鬼の形相で上忍と思われる輩を殴りつけ、ちぎっては投げ、投げては踏んづけて、蹴り上げて、頭突きをくらわせて、明らかに喧嘩なれしているイルカは手際がよかった。
 カカシの目の前でみるみる片が付く。あっという間の時間だった。じりじりと壁際に残り二人の上忍を追いつめたイルカは、腕を組んで上忍を睨み付けた。
「上忍さんがたよ、いい加減に学習しろよ。いったいどういう了見だ? ああ? 俺がいるからには中忍下忍に無体な真似はさせねえっつってるだろうがコラ」
 すごむイルカに青ざめる上忍たち。そのままへたな捨てぜりふでも吐いて逃げてくれればいいものを、プライドは高いのか、そのうちの一人がこんな時ばかりはと感心するような早さで印を組んだ。
 私闘に忍者の術かよ、と思いながらカカシは無意識に動いていた。
「はいそこまでね〜」
 間にはいって、術の発動を押さえていた。さすがにカカシのことは知っているのだろう。ゲッ、となんともお粗末な声を上げただけで、言葉もなく上忍たちはまろびつつ去っていった。
「アニキ」
 振り返れば、イルカがぼんやりとカカシのことを見ていた。あどけない表情に一瞬だがイルカの不安を見る。勢いで乱闘に突入したが、怪我をしている身としては意識していない部分で怖さも感じていたのかもしれない。
 イルカに助けて貰った中忍たちはさすがイルカだともてはやしているが、カカシはなんとなく肩肘張って頑張っているイルカが健気で、少しかわいそうな気がした。
「イルカ先生。無茶しないでよ」
 いくつか殴られたのだろう。頬がさっきよりも腫れている。口の端が切れて、血がでていた。
「あ、ありがとうございましたアニキ。俺、咄嗟に反応できなくて」
「まあ、本調子じゃなかったしね。それよりイルカ先生、手当しないと」
「いえ。これくらい、舐めときゃ治りますよ」
「ふうん。じゃあ俺が舐めようか」
 ぷっとイルカは吹きだして、殴られたところがひきつるのか痛そうな顔をする。カカシは耳に届いた自分の声が意外と真剣だったことに自分で驚く。動揺を隠すようにポーチからガーゼを取り出してイルカの口元に当ててやった。
「さっき飲み屋で注意したばかりなのに、イルカ先生教師のくせに学習しないね」
 わざと意地悪く口にすればイルカは縮こまる。
「すんません。ほっとけないんすよ」
「俺も、イルカ先生はほっとけないよ」
 思わず呟いていた。え、と瞬きをするイルカがいたいけで見ていられなくて、カカシは立ちあがる。
「アニキ?」
「救急箱借りてくるよ。店の人にも謝らないと」
 動ける中忍たちに、伸びている忍を敵味方問わずかつぎだすようにと指示した。逃げた上忍の顔は覚えている。喧嘩両成敗だ。店の修繕費は関わった者全てで折半させなければならない。
 きっとイルカは、嫌な顔ひとつせずに負担するのだろう。助けに入っただけだというのに。
「……おひとよし」
 人のために頑張るイルカがせつなかった。



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