■ザ☆中忍 2






 とにかく避けられるだけイルカを避ける。それがカカシのだした結論だった。
 もともとイルカとはたいした接点はないのだ。アカデミーになぞ用はない。受付所さえクリアすればいいのだ。
 今日も今日とて、まるで敵と対峙するように受付所をうかがい、イルカがいないことを確認すると、それでも油断せずに疾風のように報告書を提出して風を起こして去った。
 今日も無事終了したことに安堵して顔がゆるむ。ひたすらにイルカを避けて、上忍として情けないかと若干思わないでもなかったが、なりふりかまってはいられないのだ。
 明日は休みだ。最近飲みに行ってなかったなあと思い至り、馴染みの店に向かおうと木の葉の繁華街への道へいそいそと足を踏み出した途端だった。
 カカシは、囲まれていた。
 夕暮れの繁華街の暗がりの一画で、十人近い人相の悪い男たちが、カカシを取り囲んでいた。素早くチャクラを確認する。忍者ではない。となるとなぜ囲まれるのかがわからない。
「ええ〜と、お兄さんがた、俺になんの用かな?」
 忍者は一般の木の葉の民と騒動を起こしてはならないと決められていた。命の危険があった場合は例外だが、一般人相手にそんな不覚をとる上忍なぞきいたことがない。
 まあようするに何があっても手をだしたらアウトということだ。基本的には暴力沙汰などもってのほか、処分はまぬがれない。へたをすれば降格、減給ものだった。
 カカシはできるだけなごやかな空気をだすようにと頼りなげな人の良さそうな笑顔で応じた。
「あんた、はたけカカシさんだろ」
「そうですけど、そういうお兄さんは?」
 集団の中のリーダーと思われる目つきの鋭い角刈りの男が前に出る。
 カカシの問いには答えずに、男はまわりに合図を送るように振り返ると、いきなり、一斉に土下座した。
「ありがとうございやす!」
「はい?」
 口々に礼を言いながら、全員がばったのようにぺこぺこと頭を下げる。
「ちょ、ちょっと、なんなのあんたたち」
 嫌な予感がする。この大袈裟ではあるがいさぎよい土下座。最近この手の人間と関わってしまったではないか。
 リーダーの男は顔を上げた。鋭い目が涙ぐみ、きらきらと輝いていた。
「十代目のこと、末永くよろしくお願いします!」
 やっぱり〜、とカカシは肩が落ちる。
「いや、あのね、よろしくもなにも俺は」
「十代目が仰ってました。頼れるアニキができたって。それがあなたさまなんすよね?」
 イルカのやつめ。さっさと子分共に知らせたというわけか。ぎりぎりと歯ぎしりしても仕方ない。
「アニキって言うか、それはその……」
 否定したいのだが、そんなことを言えばまたこいつらがイルカに注進してイルカが今度はカカシの元にやってくるだろう。どうしたらいいんだと八方ふさがりの状況にカカシは頭をかかえそうになる。そこに一喝。割り込んできた声。
「ごるあああああ! てめえらああ! 何してやがるんでいいいいっ」
 砂埃をたてて、鬼のような形相でイルカが駆けつけてきた。なぜいる!? もしかしてつけられてたのか俺!? とカカシは己の上忍としての資質を疑ってしまう。
 イルカはカカシをかばうように前に立った。
「こんな往来でなにしてやがる。見ろ。みなさんが怖がっているじゃねえか。他人さまに迷惑かけるんじゃねえよ」
 はっと気づけばカカシたちを遠巻きにして人の輪ができていた。
「申し訳ございやせん十代目。けど俺達は一度はたけカカシさんにお会いしてお礼を言いたかったんですよお。今日これなかった奴らもみんな遠くの空から叫んでますっ。声を限りに大音声で!」
 え!? 大音声になるくらいの人数がいるのか!? とカカシの口はぱかりと開いてしまう。
「ばっかやろうが! それならそれで、こんなふうにアニキを取り囲むたあ、なにごとだ! 他にやりようがあるだろうが。ああ!?」
「申し訳ありやせん!」
 大音声で叱りとばすイルカの頭からは角が、口からは牙が。そんなまぼろしにカカシは慌てて目をこする。
「それになあ、木の葉赤い稲妻はもう解散したんだよ。俺もおめえたちもカタギなんだ。俺はもう十代目なんかじゃねえや」
「確かに! 俺たち足を洗いました。ですが、十代目は生涯俺たちにとって大切なお方です。その大切なお方のアニキとなればひとつお見知りおきをと思って当然じゃあねえですか!」
 リーダーの言葉にそうだそうだと他の男たちも同意する。おいおいと泣いている者までいるではないか。
「おめえら……。馬鹿いってんじゃあねえ」
 イルカも鼻をすする。そのまま膝をつくとむさ苦しい男達が輪になって肩を組んでわんわん泣き出すではないか。カカシがちらりと周囲を伺えば、白い視線が体にぷすぷすと刺さる。なんで俺まで当事者にされるんだ。理不尽すぎる。
 一体これはなんの見せ物なのだろう。逃げた方がいい。逃げるに限る。そう思ってそろりそろりと後ずさったのに、いきなりイルカが顔を上げた。
「アニキ! 俺に免じて、この馬鹿どものこと、勘弁してやってください。俺がいくらでもおとし前つけますんで!」
 そんなもんつけなくていいから俺をアニキ免除にしてくれと叫びたいがやはり言えない。
「アニキ! お願いします!」
 おいおい泣きながら頼まれて、カカシに頷く以外のなにができたというのだろう。すると途端にイルカの表情が輝く。
「アニキ! アニキもこちらに!」
 え、と思った時にはイルカに速攻で腕を引かれて、なぜかこの尋常でない輪の中に取り込まれていた。
「いいかてめえら、アニキは許してくださるとよ。なんて心の広いお方だ。おめえたち、アニキの優しさ、忘れるんじゃあねえぜ」
 輪の中は滂沱の熱狂に包まれる。男共がむさ苦しく泣いている中でカカシ一人失神しそうな意識を必死で立て直していた。
 たすけて……誰か……。



「アニキ。おはようございます!」
 寝起きの頭に、イルカのよく通る声が響き渡る。
「ナルトに聞きました。アニキ、朝が苦手だそうですね。僭越ながら、ナルトたちとの任務の日には俺がアニキのこと起こしに参ります。一日の基本は朝です。早起きしてきっちり飯食ってクソしてペースができれば、そしたらそのうちしゃきっと起きられるようになりますぜ」
「はあ……。そう、ですね」
 カカシは玄関口で、壁に体をあずけて脱力する。ぐっすりと眠っていたのに、ドアを乱暴に叩かれる音に、否応なしに眠りの淵から引きずり起こされた。
 アニキアニキと連呼され、腹立たしく思いながらも起きあがった。ベッドサイドの目覚まし時計を見れば、五時半。慰霊碑前に佇むという毎朝恒例の儀式を行う為に起きるにしてもまだ一時間はあとだ。
 無視していたかったが、元気いっぱいのアニキコールは収まるどころかますます音量が増し、そのうちに具合が悪いんですかい? なんて真剣に心配するような声に変わる。仕方なく玄関に出れば、元気いっぱいのイルカがにこやかに笑っていたというわけだ。
 元ヤンのくせに、教師としての規則正しい生活がすっかり身に着いたというわけか。
「あのね、イルカ先生」
「なんですかアニキ?」
 イルカはきらきらと輝く三白眼でカカシに詰め寄る。朝からテンション高いなあと感心半分あきれ半分でひきつった笑いを見せつつもカカシはぼそりと告げた。
「俺、今日は休みなんですけど」
「なにをおっしゃいます。今日は郊外の農村で作物の植え付けの手伝いって割り振りがされてましたよ」
「うん。そうだったんだけどね、ほら、中忍試験受けることになったでしょ? だからいろいろと予定が変わったじゃないですか……」
 イルカに気を遣って、カカシは遠慮がちに告げた。
 中忍試験の開催までひとつきはあるのだが、受験者たちは通常の任務が少し免除される。試験に関わることが優先されるからだ。今日は受験者たちへの心得と称した火影の訓辞がある。
 イルカは目を見開いて、あらぬほうに視線を飛ばしてなにやら思い返しているようだ。そして思い至ったのか、両手を頭部に持っていった。ぶるぶると震えたかと思ったら、あっという間に身を沈めた。
「申し訳ありませんでしたああああああああ!」
 玄関の框に額を打ち付ける。がんがんと何度も何度も打ち付ける。その激しさにカカシは度肝を抜かれた。
「そうでした。確かに仰るとおりです。今日の任務は違う班に割り当てられました。と言いますか俺が割り当てたんす! 俺って奴はあああああ!」
「あ、あの、イルカ先生、顔、あげてよ」
「合わす顔などないっす。このまま割腹して果てたほうがいいんすよ俺なんて。アニキの眠りを妨げるとは!」
 そう言ってイルカは本当にホルダーからクナイを取り出すからカカシは一気に目が覚めた。
「やめなさい!」
 咄嗟のことで、目にもとまらぬ早さでイルカのクナイを取り上げていた。顔を上げたイルカは瞬きを繰り返して、己の手と、カカシの手のクナイに視線を往復させる。
「アニキ」
「い、いいですか、イルカ先生。こんなことで死ぬなんてありえないでしょう。勘弁してくださいよもう」
 頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜてため息を落とした。目の前で腹を切られるなんて冗談ではない。寝覚めが悪いからどうしてもやりたいなら別のところでしてくれと思っただけだが、イルカの濡れた目はきらきらとまぶしいくらいに輝いていた。しかし頭を打ち付けすぎて額当てがひん曲がってしまっている。きっと盛大なたんこぶができていることだろう。
「感動しましたアニキ! やっぱアニキはすげえおひとだ」
 思いがけないイルカの反応にカカシは飛び上がりそうになる。
「なにが? なにがすごいの? こんなの上忍なら誰でもできますよ?」
「そうじゃねえっす。すごいっすよ。俺のしでかしたことはとんでもねえ不手際なのに、それをあっさり許してくださるなんて。感動っす。めちゃ感動ッス。惚れ直しました!」
 カカシは、己の過ちを悟った。  ここはイルカのミスを振りかざして、こんなんじゃあアニキなんてやってられないと言ってやれば良かったのだ。そうすれば、イルカのアニキから開放されたのだ。
 でも仕方ないではないか。対イルカの取説なんて持っていない。
「これから精進させていただきます。改めまして、どうぞ末永くよろしくお願いします!」
 もうダメだ。惚れ直すなんて、末永くなんて、言われてしまった。
 低く笑ったカカシはやぶれかぶれな気持ちになった。
「よければ、上がりますか」
「え? いいんすか? 俺なんかがアニキの家にお邪魔してもいいんですかい?」
「どうぞどうぞ。おかまいもできませんが」
「で、では。遠慮なく」
 玄関で大袈裟なくらいに体の埃を払ってお邪魔しますとあがってきたイルカは、立ったままカカシの部屋を見回した。
 ベッドと観葉植物と写真たて。小さなテーブルと椅子があるくらいの部屋だ。とりあえず茶くらいは淹れてやるかと手狭なキッチンで薬缶をかけた。確かこの間サクラからもらった緑茶があったはずだと棚を探り用意して持っていけば、イルカは写真たてを手にとっていた。なぜか写真を持つ手がかたかたと震えている。
「イルカ先生、どうかしましたか?」
「アニキ! これ! このお方は……!」
「ああ。俺の師匠と、スリーマンセル時代の仲間ですよ」
 さらりと告げたが、イルカはその場に力なくくずおれた。さすがに少しずつなれてきたカカシは、今度はなんだとお茶を飲みつつ見守る。
「アニキの先生は、四代目火影さまだったんすかあ」
 呆けたようにうっとりとイルカは呟いた。カカシのことを見つめる目には羨望の色があった。
「やっぱ、アニキはすげえお人だ。俺の目に間違いはなかった」
 イルカは目元を拭う。写真を拝むようにしてから元の位置に戻すと、椅子に座る。姿勢良くいただきますと湯飲みを手に取る。
「うまいっす」
 ただのティーパックのお茶だというのに生真面目に口にしてにこりと笑う。怖いことは怖いのだが、なんというか憎めない人間だなあと思った。
「アニキ、差し支えなければ、朝飯、作らせていただいてもいいすかね?」
「いいけど、材料あったかなあ」
 冷蔵庫の中はいつも基本的に空だ。必要な時にその都度買うようにしていたから。
「でしたら、ちょっと買い物に行ってきます。何か食べたいものありますか?」
「そうですね、茄子とサンマが好きです。天ぷらはあんまり好きじゃないです」
 欠伸まじりに応えれば、イルカは立ち上がった。
「わかりました。アニキは寝ていてください。行ってまいります」
 いってらっしゃいと言い終わらないうちにイルカは風のように出て行ってしまった。こんな朝早くから開いているスーパーなどあるのだろうかと思いつつもカカシは再びベッドに潜り込む。イルカと対峙していた緊張から解き放たれて強烈な眠気が襲ってきた。そのままカカシは目を閉じる。
 イルカのアニキになんてなってしまったが、意外とやっていけるかもしれない。
 極道だかヤンキーだかの世界は上の者には忠実なようだ。普通に接していればいいのだろう。イルカの三白眼も別にもうたいして怖くはない。要は慣れだ。
 それに、笑顔はいいかもしれない、なんて思っている自分がおかしかった。

 二十四時間営業のスーパーが火の国のほうにありまして、と言ったイルカは息を切らしていた。
 全速力ででかけて買い物を済ませて戻ってきた。が、すでに時間は八時だ。
「イルカ先生は、出勤しなくていいんですか?」
「しますよ。でもまだ間に合いますんで、ちゃちゃっと作っちまいますね」
 確かにイルカの手際はよかった。茄子のみそ汁用の出汁をとりつつ、サンマを焼いて、だし巻き卵を調理する。できあがったほかほかの朝食は輝かしくカカシの目を焼いた。
「ご一緒したかったんですが、さすがにぎりぎりですので、失礼させていただきますね」
 イルカが去る前に、食事に手をつけてみた。みそ汁は出汁がきいて茄子もうまい。サンマも肉厚で、身がしまっている。卵焼きも中身の半熟が口で溶ける。そして白飯がまた完璧にうまかった。
「うまいですよイルカ先生。料理上手ですねえ」
 手放しで褒めれば、イルカは照れくさそうでいながらもくすぐったそうな笑顔を見せた。
「よかったです。ほっとしました」
 それでは、と言ってイルカは出勤してしまった。
 いい人だなイルカ先生って、と思いながらそのままがつがつとカカシは食事にありついた。たまに食事を作ってもらうのもいいかもしれないとなんとなく思ったこの朝が、カカシがイルカのアニキであることを認めた時だったのかもしれなかった。



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