テレビっこ



 2.Beginner




「イルカ先生」
 呆然と名を呼べばイルカは照れたように笑う。えへへという効果音がぴったりな無邪気な笑顔だがカカシの肩はがくりと落ちる。のぞきこんでいるテレビの番組表を改めてしみじみと見つめた。
「これじゃあ、この先ひとつき会える日がないじゃないですか」
「だから言ったじゃないですか俺はテレビっこだって」
 イルカは特に悪びれもせずに言い切った。
 トライアルということでとりあえずお付き合いすることになりまずカカシはイルカの見ているテレビ番組を確認することから始めた。そこをクリアして時間をやりくりすれば会える時間を捻出することはそう難しくないだろうと思ったからだ。
 だがカカシは甘かった。イルカはテレビのこの先ひと月分の番組表をずばっとカカシに差しだしてきた。ご丁寧にチェック済みの番組には赤くマルをつけて。
「……イルカ先生、全部の番組見てる訳じゃないって言ってたのにかなり赤丸が目立つのはなぜなんでしょうか。俺の気のせいでしょうか」
「もうすぐ番組改編期なんですよー」
 イルカは心底嬉しそうな顔で笑う。
「なんですかそれ」
「テレビ番組ってのはだいたい三ヶ月をクールに番組を作るんですよ。あ、バラエティや音楽番組はそうじゃないのも多いんですけど、ドラマはそんな感じなんです。で、だいたい13話くらいで最終回向かえて、その後次の番組始まるまでの1週間か2週間くらいは新番組始まる前の合間を縫って特番やるんですよ。それがいろいろあって面白くて。あと見てなかったドラマもあらすじはだいたい知っているから最終回だけつい見たくなっちゃうんですよね〜。それに新番組が始まったら一話目恒例、続けてみるかのチェックもしなきゃなりませんから」
 イルカは鼻息も荒く語る。
 ううむ、とカカシは唸った。
 テレビとはなんと奥が深いことか。どうやらひとすじなわではいかないようだ。
 しかし平日夜は全滅で、暦通りの勤務のイルカと暦は関係のないカカシ。特にカカシは下忍の指導と個人の任務もたまに受けることがあるのだからどうやって時間を合わせればいいのだろうか。イルカはそのあたりどう思っているのだろう。ちらりとうかがえば、絶妙のタイミングでイルカは笑顔を向けてきた。
「でもですねカカシ先生。お試し期間は忘れちゃいませんよ。夜とか休みの日にはしばらく会えませんが、こうやってお昼とか、あとカカシ先生が暇でしたら一緒に帰ったりましょうよ」
 いいアイディアだとばかりにイルカは提案するが、カカシはぱちぱちと瞬きを繰り返す。
 イルカの提案はとてもとても新鮮なモノだった。なんというか遠い昔にこういう些細なことでときめいていたことがある。好きな人と一緒に歩く。他愛ない話をして笑いあう。それだけでどきどきとしたものだ。だが大人になるにつれてどこかに置いてきてしまう種類のものかもしれないのに、イルカは真っ向からそれを提案してくる。
 なんだか嬉しくなった。
「そうですね。こうして会えるんだしわがままいっちゃだめですよね〜」
 カカシはほがらかに笑ったが、イルカはいぶかしそうにじっと見てくる。
「なんですか?」
「……カカシ先生って変わってますよねつくづく」
 イルカには言われたくないと思ったが、にっこり笑って返しておいた。
 こうして始まったトライアルのお付き合いだが、特別なことは何もなく淡々とした始まりだ。
 イルカは毎日仕事にテレビにと忙しくカカシのことは二の次三の次だ。それを承知でスタートさせたお試しだから特に文句は沸かないのだから我が事ながら面白いと思うこの頃だ。
 男と付き合いたいと思ったのはもちろんのことイルカのようなタイプも初めてだ。そしてイルカは特定の人間と付き合ったことがないときた。互いに初心者。先のことが全く見通せずはらはらどきどきと未知の世界が広がっているといえるし、何よりイルカが興味深い人間だから、カカシを引きつけてやまなかった。
 イルカをよりよく理解するために日々テレビとにらめっこするカカシだったが、ある夜イルカが好きだと言っていたお笑い番組とやらを見て、結構お気に入りになっているコンビのネタに小さく笑っていたら閃いた。
 イルカとテレビを一緒に見ればいいのではないだろうか。
 カカシは寝ころんでいたベッドから思わず跳ね起きた。
 なんということだろう。こんな簡単なことに気づかずにいたなんてと、おのれのまぬけさに歯ぎしりしたくなる思いだ。考えてみればイルカは基本毎日仕事のあとは予定がない。テレビのために就業時間がすぎれば一路自宅を目指す。カカシとて特に予定があるわけではないから、毎日一緒に過ごせるではないか。
 カカシは早速喜び勇んで翌日の帰り道にその提案をした。しかしイルカはあっさりと却下した。
「えっ。すっごくいい考えだと思うんですけど。俺は特別見たい番組ないからイルカ先生の好きなの見てくれればいいし、なんだったらごはんとかちょっとしたものなら作りますし邪魔しませんよ?」
 しかしイルカはふるふると首をふった。
「俺、好きな番組は一人で見るか、同じくらいその番組が好きだって人と見たいんです」
 イルカの言うことには。
 何回かの失敗でさすがにわかったとのことだ。
 友人を自宅に泊めた翌日などに朝から好きな番組を見るために起きる。友人も寝起きのまま手持ちぶさたでもあり共にテレビを見る。イルカが真剣に見ている横で暇そうに適当に見ている。興味がないなら寝ていてくれたほうがいいのだが、見ている途中に茶々を入れたり、見終わった後にどこが面白いのか聞いてきたりする。うっかり感動的なシーンがあった回など、横に番組に興味のない人間がいると入り込めないのだ。
「だから俺、見たい番組がある時は一人が基本なんです」
「じゃあ俺がその番組を好きになれば一緒に見ていいってことですか?」
 カカシとしては妥協点を見いだそうと確認したのだが、イルカは困ったような顔になる。
「カカシ先生、そういう無理矢理なことはやめましょうよ。そんなふうに無理して合わせてもろくなことないですよ」
「別に、特に無理なんかしてません。俺がそうしたいから提案してるんです」
「じゃあ根本的なところで。要するに俺はテレビは一人で楽しみたいんです。それだけです」
 少しばかり冷淡にも聞こえる口調で言われ、さすがにカカシも二の句が継げない。
 黙ったままじっとイルカを見ればイルカも視線を逸らさずに受け止める。だからテレビっこだって言ったじゃないですか、とその目が言っている……。
 そうだ。イルカはテレビっこなのだ。しかも今はお試し期間なのだ。焦りは禁物。
「わかりました。じゃあ今まで通りで」
 謝罪の意味をこめてカカシは苦笑したのだが、イルカの眉間にはなぜか皺がよる。
「カカシ先生」
「はい」
 やばい、怒らせたかと思い内心慌てつつも平静を装っていれば、イルカは嘆息ひとつでけりをつけた。そして次の瞬間には笑ってくれた。
「何か食べて帰りましょうか。今日見たい番組はもうちょっと遅い時間からなので」
「ほんとですか? やったあ」
 カカシは喜び勇んでイルカと歩き出したが、イルカは食事の間中もこころなしか元気がなかったのは気のせいだったのだろうか……?



 怒濤のひと月が過ぎ、初めて互いの時間が空いた休みの日、カカシはイルカを火の国のテレビ局に誘ってみた。
 火の国の放送局の中では最大手ともいえる局は、アミューズメント的な展開もしていた。ガラス越しに撮影を見学できたり、実際に使われているニュース番組のセットでニュースキャスターに扮したり、日替わりでお笑いタレントのサイン会やグラビアアイドルの撮影会をしていたり、クイズ番組や子供たち向けの番組では視聴者参加型で生放送をしていた。
 朝も早くから出かけたが、すでに多くの人でにぎわっていた。他国からもツアーを組んで訪れる人々もいる。グッズ売り場やレストランはすぐに満員、イベント広場も黒山のひとだかりだった。
 普段ここまで人口密度の高い空間にいることはない。カカシは人の多さに圧倒されていたが、イルカは目を輝かせてあっちにこっちに歩き回り、時には傍らにいるカカシの存在など忘れ去るくらい没頭していた。
 あまりに急いで移動するイルカに後から声をかければそこでカカシの存在を思い出して振り向いたイルカは、いたずらが見つかった子供のように笑う。ナルトに似ているなあと無邪気なさまを微笑ましく思う。
 まったりゆったり過ごすのももちろんいいが、そろそろお試し期間を終わらせたいというのも本音だ。そしてもっともっとイルカと仲良くなりたいと思うのだ。
 夜はいつものようにテレビを見るからと早めの帰路につく。イルカは興奮してテレビ局でのことを話している。カカシはその話をきちんと聞いて相づちをうったりカカシなりの感想を交えたりしながらも、手の平には少しずつ汗をかき始めていた。そろそろ次のステージへ。いや、次のクールに進むために! 互いの家への道が分かれる場所で思い切って口にした。
「あの〜イルカ先生」
 緊張を隠すためにへらりと笑って頭をかく。
 イルカはカカシの言葉を待ってじっと見つめてくる。ごくりと喉を鳴らしたカカシは気合いをいれなおす。
「あのですね〜お試し期間なんですけど……」
「あ、はいはい。そうですね、お試し期間。もうひと月以上経ちますね」
 イルカは少しばかりうわずった声でこたえて、うんうんと肯く。
 ひょっとしてイルカは忘れ去っているかもと心配していたがきちんと覚えてくれていた。これはイルカもそろそろお試しをやめようと意識しているのかもしれない。
 カカシはおのれを過大評価するわけではないが、イルカにとってカカシほど理想的な人間はいないのではないかと思うのだ。好きなテレビを見ることに文句は言わないし聞き分けがいいし、まだ披露できていないが自宅に気軽に行き来できる仲になったあかつきには手料理だって作ってみせる。
 カカシは勇気を得て告げた。
「そろそろお試し期間終了で、きちんとしたお付き合い始めたいんですがいかがでしょうか」
 ゆったりと力まずに告げたカカシだが、イルカの顔は逆に強ばった。そのまま表情が固まってしまう。
「イルカ先生?」
 顔の前で手のひらを振る。イルカはぶるりと首を振ると、いきなりカカシの手首のあたりを掴んだ。そのまま有無を言わさずにずんずんと歩き出す。
「イルカ先生、どうしたんですか〜?」
「いいから、黙ってついてきてください」
「はあ」
 引きずられるようにして辿り着いたのはイルカの家だ。一度だけはいったことがある部屋には変わらず大きなテレビがでんとおかれて、意外にこざっぱりと片付けられていた。好きな人の部屋についきょろきょろと首をまわしてしまうカカシだが、座ってくださいと固い声で言われて、大人しくテーブルの前に腰を落ち着ける。イルカも向かいに座ってわざとらしい咳払いをした。
「カカシ先生」
「はい」
「俺と付き合いたいって、正気ですか?」
「正気ですよもちろん。そんなの前に言ったじゃないですか。だからお試し期間始めたんだし」
 イルカの質問の意図がつかめずに少し口を尖らせたが、イルカは信じられないとばかりに首をゆるゆるとふった。
「カカシ先生。自分で言うのもなんですが、このひと月あまりの俺の好き勝手な行動に嫌気をさすことはあっても好意をもつなんてありえないでしょうが。それなのにカカシ先生、なに普通の顔してお付き合いとか言っちゃってるんですか。頭大丈夫ですか?」
「頭大丈夫って……失礼だなあ。いたって真面目ですって」
 イルカは今度は頭を抱える。
「ちょっとちょっとカカシ先生。いいですか、お試し期間始まってからの俺のわざとらしい牽制に気づいてなかったなんて言いませんよね? そりゃあ俺テレビっこだけど真面目な社会人でもあるしあそこまでテレビ一辺倒で生きてたらとっくにニートか引きこもりかになってますよ」
「牽制ってなにがですか?」
「え、だから、わざと予定ぎっしりにしてカカシ先生に俺への興味失わせようとしてたんですが……気づいてなかったんですか?」
 おそるおそる問いただしてきたイルカのことを見ること数秒。
 イルカの言っていることの意味が頭にはいったところでカカシは手のひらにこぶしを打ち鳴らした。
「そっかあ、イルカ先生俺のこと諦めさせるためにわざとたくさんテレビの予定いれてたんですかあ。どうりでちょっとテレビ見すぎだなあとは少しばかり思ってたんですよね」
 なるほどと感心するカカシだが、イルカの口はぽかりと開く。うつむいたイルカの体がかすかに震え始め、そしてイルカは笑い出した。
「イルカ先生?」
 大きな声でほがらかに、腹を抱えて笑う。なにがおかしいのかよくわからないが、カカシもおかしくなってついにこにこと笑顔になる。
「いや〜カカシ先生はほんっとに変わってますねえ」
「そんなことないですよ。イルカ先生のほうが変わってますって。変わった者同士お付き合いって感じで、俺たちお似合いだと思いますよ〜」
 暢気に主張した途端、あれ? とカカシはさきほどのイルカの言葉を思い返す。
 牽制、興味を失わせる……。なんというか不吉な言葉だ。要するに、イルカはカカシのことを好きではないということか?
 ちらりとイルカを見て、うやむやにしたい衝動を抑え込んで聞いてみた。
「イルカ先生は俺と付き合いたくはないってことなんでしょうか?」
 ぼそりと呟いた。そうですと言われても納得はしない。ちょっとばかり暴挙にでてしまったらどうしようと自分にどきどきだ。
 イルカはひとつ息をついてから苦笑した。
「カカシ先生のことはとっくに好きですよ。入院したときに俺なんかのためにテレビの手配してくれていい人だなあと思いましたし、ナルトたちがなんだかんだでカカシ先生になついているのを見ても人となりがわかるじゃないですか。ホントにいい人だなあって思うから俺のことなんか何かの間違いだったってとっとと諦めて欲しかったんですよね。だからカカシ先生のこと騙すようなことしました。申し訳なかったです」
 ぺこりと頭を下げられたが、そんなことよりもイルカは今“とっくに好き”と言った。
 好き、と。
「イルカ先生!」
 テーブルを横によけてずずいとイルカに詰め寄った。
「好きって、好きって言いましたよね!? 言ってないとは言わせませんよ。俺の耳はしかと聞き取りました!」
 カカシの勢いにイルカは身を引く。
「じゃあ俺たち両思いなんだからお試し期間終了で、今から正式にお付き合いってことでいいんですよね? ね!?」
 更に顔を近づけると、イルカに肩を押された。
「だからあ! 俺の言ってることの意味わかってますか? カカシ先生のことは好きですけどお付き合いする気はないんですって」
 驚愕の言葉にカカシのほうが今度は身をのけぞらせた。
「好きなのに付き合えないって、なんでですか」
 当然の疑問を口にすればあぐらをかいたイルカは腕を組んでうーむと唸る。
「カカシ先生はいい人だから、是非普通の女性と幸せになってほしいんですよ。俺みたいに自分が第一でいうことも聞かないし好き勝手するようなしかも男なんて、カカシ先生に申し訳ないじゃないですか」
「イルカ先生以前にもいうこときく人とか言ってたけど俺はそういうの求めてないって言ったじゃないですか」
「いやそうは言いますけどね、世の中を見渡してみてくださいよ。基本的にカップルとか結婚している人たちはほとんど女性のほうが男に合わせているじゃないですか。友達と約束があっても彼氏の誘いがあればそっちとったりお互い仕事してても結局女性が家のことやってくれたりとかね。俺はそういうの全然駄目なわけですよ。だから普通の女性たちは偉いなあって思いますけど、俺には全く無理。カカシ先生もだんだん嫌になるのは目に見えてますって」
 べらべら喋るイルカに手を伸ばしたカカシはその体を抱き込んだ。
「カカシ先生!?」
「イルカ先生喋りすぎ。そんなことよりよーく耳を澄ましてくださいよ。なんか聞こえてきませんか?」
 抱きしめるイルカの体、心臓のあたりにイルカの耳をあててみる。
 耳を澄まさなくても少し黙ればそれだけで、カカシの心臓の音が聞こえるはずだ。イルカを抱きしめて高鳴る鼓動が感じられるはずだ。
 夕刻の時間帯、外からは家路を急ぐ子供たちの声、家々が夕餉の支度の音をたてている。猫やカラスの声も聞こえてくる。けれど今はそんな音はいらない。イルカにはカカシの心臓の音だけを感じて欲しくて、ぎゅっと胸にその頭部を押しつけるのだった。



 しばしの後、カカシの胸からを顔をあげたイルカは困ったように笑った。
「あの〜俺初心者なんで付き合うとかよくわかりません。でも多分今までと変わらないだろうし、もの足りないと思いますよ。大人な展開をすぐに期待されてもご希望にそえないし。だから嫌になったらすぐに言ってくださいね」
「大人な展開?」
「ほら〜大人なんだからっていってすーぐ体の関係とかとにかく展開早いのドラマとか漫画とかでもあるじゃないですか〜。いい大人なんだから〜とか。いいも悪いもあるかっての。逆に大人なんだから落ち着けやって思います。俺そういうの駄目なんです。やっぱりものごと手順を踏まないと」
 ううむむと再びカカシは舌を巻く。
 思い返せば今まで付き合った女性たちとはなしくずしに体の関係を持っていた。手順なんて、踏んだことあっただろうか?
 つくづくイルカは面白い。
「そういうことは徐々に考えましょうよ。俺だって男と付き合うのは初心者だし、いきなり押し倒したりしませんから、安心してください」
 さらりと返せば、イルカは目を剥いた。
「押し倒す!? 正気ですかカカシ先生」
「だからいたって真面目ですって」
 イルカの口元はひきつった。
「なんかすごいですねカカシ先生って。俺相手に押し倒すなんて単語使えませんよ普通」
「そうですか〜?」
 呆れつつもイルカの手はそっとカカシの背に回されたのだった。








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