■ Aniversary 中編






 冷静になって考えれば、なぜあの時あんなにも気持ちが高ぶったのか、よくわからない。イルカに悪気はなかった。悪気がないのが悪いといえばそれまでだが今更なことだ。
 やってしまった、と思っても後の祭り。イルカの家を飛び出した数日後にひとつきほどの任務を与えられて、これ幸いと里を旅立った。ひとつきも間を開ければ、さすがに大丈夫だと思ったのだが。
 あれからふたつき――。



「こういうことって時間が経てば経つほどうやむやになってその時は何となく流されるけど、ある時ちょっとしたきっかけでバクハツして、修復不能なことになってしまうって考えられるパターンよね」
 シイナの発言は直球でカカシの胸に飛び込んだ。ぶっすりと刺さったものはなかなか抜けずにカカシは思わず磨いていたクナイをぽとりと落としてしまい、あやうく足の甲に刺さるところだった。
「危ないわよカカシ。後は帰るだけなんだから怪我なんてしないでよね」
「修復不能って、それは、ようするに」
「ああ。別れるってことよ。でもそもそもカカシとあの中忍さんって付き合ってるの?」
 シイナのだめ押しにとうとうカカシは地面にがっくりと手をついた。
 カカシが赴いた任務はシイナたち先発隊と合流してたちの悪い盗賊団を捕らえるというものだった。つかまえた奴らはすでに護送され、あとは明朝、里に帰るばかりだった。
 最後の夜に手持ちぶさたにクナイを研ぐカカシの横にシイナはやって来たのだ。
 なんとなく話の流れからイルカとのことを話せば、容赦ないシイナにばっさりと切られたというわけだ。
「こういっちゃなんだけど、あの中忍さんは微妙ね。あたしから見るにデリカシーがないわ。悪い人ではなさそうだけどね」
 的確、と言うか誰でも普通に思いそうなイルカの特性を真っ正面から言われてカカシは更にずぶりと地面にめりこむ。
「あらら? どうしたのよカカシ。何か言い返してよ。そのままだんまり決め込まれたらあたしどうしたらいいのよ」
「いや……。返す言葉もないとはこのことかと」
「やあね〜。らしくないじゃない。あの中忍さんのことムキになってかばってのろける方がカカシらしいわよ」
 シイナは明るい声で笑う。見た目はカカシより年下の少女だが、所詮同じたまご生まれでこの世で過ごしてる年数はほぼ同じだ。口達者なシイナにかなうわけがない。
 座り直してため息をついたカカシにシイナは近寄ってきた。隣にくっついて、カカシの顔をのぞき込む。大きな黒目がちの目でカカシのことを見つめてきた。
「なんか煮詰まっているね」
「煮詰まっているというか、反省してるんだよ。イルカに、ひどいこと言っちゃったなって」
 カカシがぼそりと呟けばシイナは吹きだした。
「べっつにひどいことなんて言ってないでしょ。デリカシーないのはその通りだし、うんこヤローはご愛敬だし、嫌いなんて、ちょっとした言葉のあやでしょうが」
 シイナはなんでもないことのように言うが、嫌いだと告げた瞬間の表情をなくしたイルカが脳裏によみがえる。
「でもさ、考えてみたら、いや考えてみなくてもさ、俺のこと育てるのって独身男のイルカにとっては想像するよりずっと大変なことだったよなって思うと、もう育ててもらっただけで俺は感謝しなきゃなあって思うわけでさ」
「ばっかじゃないのカカシ。お互い様でしょうが」
 適当な草をぶちぶちと抜きながらぼやいたカカシのことをシイナは呆れた声で応じた。
「あんたはしのび卵のなんたるかをイマイチわかっていないわ」



 シイナはふんと鼻息荒く腕を組む。
「しのび卵のなんたるか?」
「そうよ、しのび卵のヒミツよ」
 ヒミツ。その単語にカカシはごくりと喉を鳴らす。
「ヒミツって、何?」
「知りたい?」
「当たり前だろ。焦らすなよ」
 カカシが素直に頷けば、シイナは小さな唇に笑みを載せて、よろしい、と満足げに頷いた。
「しのび卵はね、育てる人間を適当に選んでいるわけじゃないのよ」
「なんだそんなこと」
 カカシはがくりと肩を落とす。
「それ、嘘くさい。どう考えても適当だろ。じゃなきゃイルカや、シイナの親なんて、普通に考えたら適さないだろうが」
「あたしたちが立派に成長したのが適当じゃない証でしょ」
 立派に、などとシイナは胸を張るが、カカシは己の成長過程を思い返すに、他とはずれて遠回りして、立派に成長したかどうかと言われると素直に頷けない。
「淋しい人間の元にね、あたしたちは与えられるんだって。淋しくて、優しい人間に」
 考え込むカカシの耳に静かなシイナの声が届いた。え? と顔を上げれば、シイナは優しい顔をしていた。
「誰だって淋しい。そんな中でもとびきりの闇を抱えた優しい人たちの元に行くの」
 淋しくて、優しい。そんな言葉は再会してからのイルカから一番遠くにあるような言葉だ。
 だが、それでもわかる。確かにイルカの本質は、とても優しい。そして、過去の出来事から、心には闇を抱えていた。
 今なら、と、不意にシイナに聞きたくなった。
「シイナはさ、育ててくれた子のこと、どう思ってるの」
「どうって。普通に、大事だけど」
「普通に大事って、なんだよそれ」
 カカシが聞きたいことが何かシイナはわかっているのだろう。カカシがじっと見つめていると、シイナは肩から力を抜くように息を吐きだした。
「カカシと同じ気持ちかどうかはわからないけど、あの子のことはこの世の中の何よりも大切。あの子がいるから、あたしは生きているのかな」
 穏やかな表情のシイナはどちらかと言えば珍しい。顔立ちが少しきつめの美人でもの言いもはっきりしているから日頃は容赦ない。だがそんなシイナも、育ての親の少女の話をするときはいつも優しかった。
「あの子多分あまり忍者としての適正がないと思うの。でも憧れていたからって、やめてくれないのよね。だから仕方ないから納得いくまでやらせてあげて、あたしが守ってあげればいいかなって」
 あたしの方が保護者みたいでしょ、とシイナは照れくさそうに口を尖らせる。その様子だけで、シイナがどれだけ少女のことを大切に思っているのかわかる。関わりのない、興味のない人間のことは視界に入れるのさえ面倒くさそうなシイナが、優しい顔をしていた。
 もうこの際だからと、カカシは言葉を重ねた。
「俺みたいに、その、抱きたいとか、思ったこと、ない?」
「どうかしら。意識したことないからわからないけど、カカシみたいにせっぱ詰まったものはないかな」
「悪かったな。余裕なくて」
「いいじゃない別に。愛にはいろんなかたちがあるんだから」
 軽く、何気なく告げられたシイナの言葉は、カカシの中にすとんと落ちた。
「てことはさ、俺が、イルカのこと抱きたいとか思ってむらむらしてもいいってこと?」
「いいでしょ。だってカカシはイルカさんのこと、なんか他のことがどうでもよくなるくらい愛しちゃってんだから」
 それはまるで天啓。
 カカシは顔を上げるとシイナのことを食い入るように見つめた。
「何よ。変な顔して」
 頬に伸びてきたシイナの手をがっしと掴んで、カカシは頷いた。
「そうだよ。俺、イルカのこと、すっごくすっごく愛しちゃってんだから、イルカにぶつかっていけば、いいんだよな。うん、そうだ」
 一人で頷くカカシをシイナは胡散臭そうな目で見る。
 そうだそうだとカカシは己の世界で考える。
 何を逃げていたのかと。イルカがどんな人間でも、いい。カカシがイルカのことを大好きで、そして多分イルカもカカシのことを決して嫌いではない。だったら、ただ向かい合えばいい。ごちゃごちゃ考えることはないではないか。
 カカシはすっくと立ち上がった。
「俺、帰る。今から里に帰る」
 たからかにそう宣言した。



 怖いくらい前向きになってシイナの制止の声も聞かずに駆けだしたカカシだが、里の大門まで一直線のあたりに入って、急にスピードを落とす。いきなり背中を丸めてとぼとぼと歩く。
 里を出る頃は夏の盛りだったのに、今はもう秋の気配が満ち、夜に吹く風は時折頬をさらりと冷たく撫でてゆく。
 任務からの帰り、普段なら里の大門が見えれば気持ちも浮き立つのに、今日は違った。一歩一歩がまるで険しい隘路の行軍のようにきつい。
 浮かれて前向きになった気持ちがどんどんしぼんでいく。
 イルカに会いたい。でも会いたくない。会うのが怖い。
 徐々に大門が視界に大きくなり、とうとうカカシは足を止めた。
 何もなかったふりで笑えばいいのだろうか。直球勝負で謝ればいいのだろうか。人間関係に関してはカカシはこなれていない。任務に関してはしのび卵の性質上それはもうきちっとこなすことができる。だが、普段の生活の面ではまだまだ我ながら成長していない。イルカの対応によってはまたかんしゃくを起こしてしまうかもしれないと、嫌な予感もする。
「……どうしよう」
 いい知恵が浮かばないかと、腕を組む。なんとなく恨めしい気持ちで大門を見た。
 それでもいつまでもそこいるわけにもいかず、寝ずの番の人間に許可をもらって門をくぐり、通行許可証に判子をもらおうと掘っ立て小屋のような関所に行く。眠たげな顔の係の忍はカカシの顔を認めると目を見開いて立ち上がった。
「はたけ上忍。はたけ上忍ですね」
「そうだけど」
 何かと思いつつカカシが返事をすれば、おそらく中忍クラスのその忍はほっと体から力を抜いた。
「よかったです」
「何が?」
「ずっと待ってたんですよ。イルカの奴が」
 係の男が体をずらすと、部屋の奥で、豪快に大の字で眠るイルカが見えた。



 もしもカカシが未だ猫の姿をしていたのなら、毛を逆立てて飛び上がったことだろう。






 




後編に続く