■ Aniversary 前編






「ねえイルカ先生。俺の誕生日っていつなんですかね」
 任務の報告書を渡す時に小さな声で聞いてみた。イルカは機械的にゴクロウサマデスと言って見せた笑顔のまま首を少しかしげた。
「さあ。いつでしたかね」
 カカシは案の定の答えに予想していたことではあるががくりと肩を落とした。
「ですよね。わかりました」
 カカシはそれ以上イルカを追求せずにその場を後にした。



 そもそもカカシとて己の誕生日など意識していなかった。だがこの間、暗部の頃の仲間、たまご生まれの仲間に会った時に話題となったのだ。
 貴重なたまご仲間とは互いの近況報告をかねて定期的に会うようにしている。その日はタスクの家の二階で、タスクの母が用意してくれた食材で焼き肉をしながらの会合だった。
 興味のあったタスクの育ての親は確かにかなり丸々とした年配の女性だった。元くの一だったとはいまいち信じられないような気さくな温かそうな人に見えた。はじめまして、とカカシがにこやかに挨拶をすれば、しかしいきなり丸い手でばしんと背中を叩かれた。「いい男だね〜」と頬に手を当ててはしゃいでいる。その姿にけっと舌打ちしたタスクをぎらりとにらみ据えて、目にもとならぬ速さで張り手をくらわす姿にカカシもランもシイナも少しばかり怯えた。



 開けはなった窓からは風はたいして入ってこない。扇風機がフル回転しても人口密度の高い畳の部屋は暑かった。
 3人が喋るのをカカシはおもに聞き役に徹しながら、それでも普段よりかなり饒舌に話して、食べてとくつろいでいた。なにかの話題の途中で誕生日の話になり、カカシは正直に知らないと言った。
「うっそ、信じられない」
 シイナは目を見開いてのけぞった。ランとタスクも顔を見合わせた。
「俺んとこのばばあもさすがに誕生日は祝ってくれるぜ」
「僕の母さんも、僕が孵った日に、ちゃんとケーキ作ってくれるよ」
 ランは片腕を失ったが以前より明るい顔で左手で器用に箸を使っていた。
「そうなんだ〜」
 ふむ、とカカシは頷く。箸が止まる。
 思うに、カカシ以外の三人を育てたのは皆女性だ。女性は男と違って誕生日、記念日といったものを重視するのかもしれない。それでなくても唐変木なイルカがカカシが孵った日など記憶しているわけないだろう。
 と、冷静な部分では思うのだが、しかしそれで納得できるほどカカシはできた人間ではない。イルカはカカシの親ではないか。親が子供の誕生日を知らないの一言ですませていいのか? いいわけがない。
「よ〜し。俺、イルカ先生に聞いてみる」
「覚えてるの? あの人なーんかどんくさそうじゃない?」
 シイナが横目でカカシを見つつぐさりとくることを言ってくれる。
 途端にカカシはきゅうと猫背の背をますます丸める。
「だよね〜。覚えてるわけないと思うんだよね俺も」
 しゅんと落ち込んだカカシをもり立てようというのか、ランとタスクは勢い込んで意見を述べる。
「でも、ほら、卵から人間が孵るなんて、めったにあることじゃないでしょ? だから、覚えてるんじゃないかな?」
「だよな〜。うちのばばあなんて店の出納帳ってやつに殴り書きしてたぜ? あの人も中忍なんだから覚えてるだろ」
 二人の意見ももっともなことに聞こえてカカシは調子よく顔を上げる。
「そっかな? そうだよね」
「そうかしら〜」
 シイナが続けて何か言おうとするのをランとタスクは押さえつけて黙らせる。
「大丈夫だよカカシ」
「早速聞いてみろよ。それがいい。な?」
 むが、むがとくぐもった声をあげるシイナをおいて、三人は暢気に頷きあったのだ。



 まあ結果的に、シイナが正しかったことになる。
 いつものイルカの家の、成人男子二人が入ると狭い六畳間。ちゃぶ台に載るのは豪快に盛られたカレーライス。小皿には適当に切ってあるたくあん。
 イルカはあぐらをかいてカレーをかっこみながら行儀悪く「爆笑!木の葉お笑いタイム!」を見つつがはがはと笑っている。
 時たま飯粒が飛んでいることなどおかまいなしで食べるのに笑うのに忙しい。
「イルカ先生」
 小さく呼ぶ。だが結構な音量のテレビからの声とイルカの笑い声にかき消される。
「イルカ」
 つっけんどんに呼んでみる。それでもイルカは気づかない。
 イルカの伸びてきた手が水の入ったコップをとろうとするところをすかさず邪魔をする。空振りしたイルカはやっとカカシのことを見た。
「なんですかカカシ先生。カレーお口にあいませんか」
 口の端にも飯粒がついている。イルカは真っ黒な目を瞬いて問いかける。
「そうじゃなくて、ちょっと、お話があります」
「ちょっと待ってくださいよ。あと三十分。それまで無理です」
 と言いながらすでにイルカの目線はテレビにいっている。
「イルカ、テレビより俺の話を……」
 ぶーっとイルカは盛大に吹きだした。
「やべっ……。きたー!! まじ、やべえ!」
 イルカはそのまま腹を抱えてひーひー笑っている。
 一人暮らしの男らしい、雑然と散らかった汚い部屋で、イルカは馬鹿みたいに笑いながらカカシのことを無視してテレビに夢中だ。
 うつむいたカカシは、無意識のため息をついていた。
 昼間、任務受付所でさらりとイルカに聞いた後で、火影に頼んで己の忍者登録の書類を見せてもらった。そこに、もしかしたら生まれた日が載っているかもしれないと思ったのだ。だが期待はあっけなく裏切られ、生年月日は空欄だった。火影曰く、空欄でも特に問題はないと。
 藁にもすがる思いでつかんだものは、やはりただの藁だった。



 落ち込んだ気持ちを抱え、イルカの家の戸を叩いたのだ。
 イルカと住むことは叶わなかったが、カカシが訪ねればイルカは気軽にあげてくれて、もてなしてはくれる。ちょうどカレーを作り終わったとのことで、いい匂いが部屋中に漂っていたが、カカシは特に食欲をそそられなかった。
 カカシはあからさまに元気がなかったと思うのだが、イルカはそのことにはなにも言ってくれなかった。
 カレーを盛って食べ出す頃にはちょうど番組が始まり、イルカはカカシの存在などまるでそこにいないかのように夢中で番組に釘付けになったのだ。
 あーあと愚痴っぽい気持ちが沸いてくる。
 イルカはやっぱりちっとも優しくない。イルカはどちらかと言えば自分勝手できまぐれで、カカシがどんなに慕っても、つれなかった。
 いやそんなことはない、イルカは最後にはいつもちゃんとカカシのことを考えてくれて、優しかったではないか、と思える部分もあるのだが、所詮それは気休めだ。
 だって今イルカは現実優しくない。
 きっとイルカはカカシのことを大人だと思っているだろう。確かに見た目はしっかり成人男子だが、だが、カカシはこの世に孵ってからまだ3年も経っていない。
 もしイルカが物心ついてすぐに大人のような扱いをされて甘えを許されないような状況に陥ったら悲しくなるのではないか?
「イルカって、デリカシーがないよね」
「あ?」
 さあ話聞くぞ、と向き合ったイルカは笑いの余韻で顔は揺るんで目の端には涙をためていた。いらっと腹の底から沸き立つものの衝動をそのままカカシは吐きだした。
「デリカシーって意味わかる? わかりやすく言うとね、想像力がないの。他人がどう思っているかって考える力がない。思いやりがないよね」
 冷めた目で睨みつつ言ってやれば、イルカはわかりやすく険しい表情になった。
「おまえ、喧嘩売りにきたのか」
「ほ〜らやっぱり想像力がない」
「カカシ」
「俺が怒っているってことくらいわかるよね? じゃあなんで怒っているんだって考えないの?」
 カカシがひるまず目に力をこめればイルカはさすがに目を伏せてなにやら考え出したが、ものの数秒で腕を組んだまま顔を傾けた。
「わかんねえ。何かやったか?」
 はあーとカカシは大きなため息をついた。たっぷりの嫌みを込めて。
「そんなんでよくアカデミーの教師やってるね。気づいてないだけで生徒のこと傷つけているんじゃないの?」
「そんなことない」
「どうだか」
 鼻で笑ってやればイルカは無言のまま腕を伸ばして、カカシの胸ぐらを掴んだ。
「お前は昔から手におえねえわがままなガキだな。いっつも好き勝手してたよな。けどこんな陰険じゃなかった。俺に言いたいことなんでも言ってきただろ。気にいらねえことあるならはっきり言え」
 これだ、とカカシは内心ずんと気持ちが冷える。
 イルカは本当にわかっていない。
 言いたいことがあるなら言え、なんて言われて言えるようなら最初から言っている。それが言えないから、少しは悟って欲しいと思うのに。
 言わなきゃわからない。言わずにわかってもらおうなんておこがましいなんて。だが大人になったカカシがすべてを言ってそれでもイルカは許してくれるのだろうか。
 イルカの前ではもう少し子供でいたいのに。甘えたいのに。イルカはそれを許してくれないではないか。
「もういいよ」
「いいわけねえだろ。言えって」
「言いたくない」
 かたくなに口をつぐめば、イルカは乱暴にカカシのことを押した。
「勝手にしろ。もう胸くそ悪いから帰れ」
「帰るよ。言われなくても」
 イルカは背を向けてしまう。
 額宛をつけて、脱いでいたベストを着て、そのまま出て行こうとしたのだが、ささくれだった心の命じるままに、声を上げていた。
「馬鹿野郎! イルカの大馬鹿野郎!」
 いろいろと言いたいことがあるのに、口からでてきたのは拙いかんしゃくの言葉のみ。イルカは驚いたのか振り向いたて、くいいるようにカカシのことを見た。
「おい……カカシ?」
「ばかばか! ふざけんなっ。イルカのうんこヤロー!」
「う、うんこヤロー!?」
 イルカは立ち上がった。ばちばちと睨み合う。
「おい、ずいぶんと上品な口をきくな。暗部仕込みか?」
「おあいにくだね。成長の過程で素敵な育ての親から学んだものだ〜よ」
 べえと舌を出せば、イルカのこめかみのすじがぶわっと膨れあがる。
 イルカの反応は早かった。ぱんと乾いた音がしたと思った時には、カカシの顔はかすかに横を向いていた。
 左の頬に、そっと触れる。のろのろとイルカを見る。きついまなざしでイルカはカカシのことを睨んでいた。
「もう子供じゃねえんだ。わがままもたいがいに……」
 イルカは言葉を続けることができずに、ぽかんと口が開く。そのイルカの姿はなぜか淡くかすんでいた。
「な、なに泣いてんだよ、おい」
 伸びてきたイルカの手をばちんとはたき落とす。
「泣いてない! 泣いてにゃい!」
「にゃい!? おい、カカシ、どうしたんだよ、頼むよ」
 ううう、と唸りながらイルカをしばし睨む。イルカの困った顔。こんな顔、成長過程でよく目にしたものだ。わがままもたくさん言って、イルカを困らせた。あの頃のことは今更ながら悪かったと思うことがある。だが今はイルカが悪い。絶対にイルカが悪い。ぼろぼろっと出てきた涙をそのままにイルカのことを睨む。
「イルカはさ、結局、俺のことなんかどうでもいいんだよね」
「どうでもいいわけないだろ。なにすねてんだ」
「いっつもナルトのことばっかり心配してさ。俺知ってんだから。ナルトのこと家に呼んでごはん食べさせてるよね。俺のことはめったに呼んでくれないのに」
「それはっ……」
「もういいよ。俺もイルカなんて嫌いだから」
 嫌いと口にしてしまった瞬間、イルカの顔から表情は消えた。ごくりとカカシの喉は鳴る。イルカの次の言葉を待てなかった。背を向けて、部屋を後にした。



 




中編に続く。。。